■第十一話 ドラゴンが育児休暇を申請したら、休暇期間が三百年だった
社長就任、十日目。
俺は人事部から届いた書類を見ていた。
【育児休暇申請書】
申請者:ドラゴン・グラディオス。
所属:魔界航空物流部。
希望休暇期間:三百年間。
「…………」
俺は書類を裏返した。
もう一度見た。
【三百年間】
「……吉岡」
「はい、社長」
「これ、誤字だよな?」
「いいえ」
「三か月の間違いだよな?」
「三百年間でございます」
「…………」
俺は天井を見上げた。
「……ドラゴンって、そんなに子育てするのか?」
吉岡が説明した。
「ドラゴンの卵は、孵化まで百年ほどかかります」
「……百年?」
「その後、幼竜が自立するまで二百年ほど必要です」
「……合計三百年」
「はい」
俺は頭を抱えた。
「……会社が先に潰れるわ!」
そのとき、巨大なドラゴンが窓から顔を出した。
「社長!」
「うわっ!」
「育児休暇の件、よろしくお願いします!」
「……お前がグラディオスか?」
「はい!」
「卵は何個あるんだ?」
「三個です!」
「……三個?」
「はい!」
「全部同時に孵化するのか?」
「いいえ!」
「……じゃあ?」
「一個目が百年後、二個目が百五十年後、三個目が二百年後です!」
「…………」
俺は震えた。
「……つまり?」
ドラゴンは嬉しそうに答えた。
「最後の子供が自立するのは、四百年後です!」
「増えてるじゃねえか!」
エリナが社長室に入ってきた。
「ジーク様。問題ありません」
「何が問題ないんだ!」
「種族ごとに育児制度を設計すればよいのです」
「……どうやって?」
「まず、ドラゴンの卵は常時親が抱えている必要はありません」
「……そうなのか?」
「はい。専用の魔石保温設備があれば、交代で管理できます」
グラディオスが驚いた。
「そんな設備があるのですか!?」
「開発すればよいのです」
俺はエリナを見た。
「……また新規事業か?」
「はい」
エリナは微笑んだ。
「ドラゴン専用保育施設です」
「…………」
俺は少し考えた。
「……需要は?」
「魔界には約五万頭のドラゴンがいます」
「五万!?」
「そのうち、育児中の個体が約一万頭」
「……市場は大きいな」
「はい」
こうして魔王軍株式会社は、ドラゴン専用保育事業を開始した。
巨大な保温施設。
魔石による温度管理。
卵の健康診断。
孵化後の幼竜教育。
そして、親ドラゴンが安心して働ける勤務制度。
試験施設が完成した日、グラディオスは三つの卵を慎重に運んできた。
「この子は百年後、こちらは百五十年後、末っ子は二百年後です」
「見分けがつくのか?」
「父親ですから」
胸を張った彼の爪は、卵を傷つけないよう丁寧に削られていた。
設備担当のゴブリン技師は、保温魔石の温度計を見せた。
「温度が安定していても、卵ごとに必要な湿度が違います。まずは少数で運用し、親が確認できる時間を残しましょう」
「仕事中も見に来ていいのか?」
グラディオスが尋ねる。
「もちろん。ただし、空路の運行担当と相談して交代を決める」
俺が言うと、彼はしばらく黙っていた。
「前の職場では、卵の話をすると『仕事か家族か選べ』と言われました」
「ここでは、どちらも捨てなくていい方法を考える」
そう答えたものの、簡単ではなかった。
魔石を増やせば維持費が膨らむ。
保育士を雇えば研修が必要になる。
さらに親ドラゴンが施設の屋根に着地するたび、瓦が割れた。
「屋根は消耗品ですか?」
技師の質問に、俺はゆっくり首を振った。
三百年の休暇を笑い話にしたままでは、卵を守る親の切実さが消える。
俺は育児の期間と職場復帰の方法を別々に考えることにした。
グラディオスの巣へ行くと、見学に来ていた別の親竜の子が俺の靴に噛みついた。
その子竜は数十年前に孵化したばかりで、まだ飛べないという。
親竜は大きな爪で、壊さぬようそっと子を持ち上げた。
「飛べるまで、親が側にいなければならん」
俺は三百年という数字だけを笑った自分を恥じた。
物流部の同僚は代替勤務に不安を訴える。
エリナは育児の節目ごとに勤務を見直す案を出した。
親を守る制度が、残された社員を潰してはいけない。
「違う。着陸場を別に造ろう」
「予算が」
「分かってる。まず試験運用の範囲を狭める」
エリナは料金表を二種類作った。
社員向けの福利厚生利用と、外部向けの有料保育だ。
外部売上が出ても、社員の利用枠を奪わない条件を付けた。
試験運用の最初の一週間、設備は安定していた。
試験運用の八日目、卵の一つが赤く明滅し始めた。
「孵化まで百年のはずだろ! もう生まれるのか?」
「興奮すると孵化が早まる場合もありますが、ここまで急には進みません!」
「じゃあ何が起きてる!?」
技師が叫んだ。
「共鳴反応です! 隣の卵の魔力が歌のように振動して、温度が上がっています!」
耳を澄ますと、卵の内側から低い鼻歌が聞こえた。
ドラゴンの子守歌らしい。
グラディオスは嬉しそうに歌い返した。
温度計の針が跳ね上がる。
「歌うな! 今は歌うな!」
俺が叫ぶと、父親は泣きそうな顔になった。
「子供に返事をしない父親になれと?」
「そういう意味じゃない! 歌う場所を変えよう!」
技師たちは保育室に防音結界を張り、魔石の出力を自動調整する仕組みを追加した。
卵は孵化していなかった。
温度が上がっただけでも、保温設備の安全性には重大な問題があった。
だからこそ、翌朝の会議では売上より先に、避難経路と火災対策が議題に上がった。
「俺は『親が働ける』ことばかり考えてた」
「子供が安全に育つことも同じくらい重要です」
エリナの言葉にうなずく。
グラディオスは新しい窓から卵を見守りながら言った。
「休暇は全部使いません。けれど、必要な時に休める約束だけは守ってください」
「約束する」
育児休暇の申請欄には、最初の卵の孵化予定日が百年先と書かれていた。
俺は笑いかけて、卵を守る親竜の大きな翼を見た。
エリナは申請された三百年の連続休暇をいったん取り下げてもらい、最長四百年に及ぶ育児期間の中で、孵化や成長の節目ごとに必要な休暇を分割申請する制度を提案した。
「育児期間が四百年でも、四百年間ずっと休むという意味ではありません。希望日と交代要員を確認して、その都度承認します」
グラディオスはうなずき、人事部に申請書の変更を申し出た。
交代勤務を終えた若い竜が戻ってきたとき、その翼は疲れで震えていた。
俺はその場で交代表を書き直した。
育休を認めるだけでは足りない。
代役が潰れない仕組みまで作って、初めて休暇になる。
グラディオスの卵の表面に、魔力の筋が小さな亀裂のように浮かんだ。
父親は嬉しそうに近づき、すぐ顔を曇らせた。
「百年後の孵化の日に、私が配送便の上だったらどうしよう」
俺は休暇日数の表を閉じた。
三百年という数字に驚いて、卵を見ていなかった。
保育担当のドラゴンが、親の声を記録する魔石を差し出す。
「不在の時間をゼロにはできません。でも、声は届けられます」
グラディオスは小さな魔石を爪で包み、卵のそばにそっと置いた。
「孵化の日は、必ずそばにいたいんです」
「そのための交代表を、みんなで作ろう」
親竜は安心したように翼をたたんだ。
施設の見学に来た若いドラゴンは、保育室を覗いて「これなら卵を置いて仕事に行ける」と安堵した。
グラディオスはその横で、親が戻ってきた時に子供の様子を伝える記録表を熱心に読んでいた。
一か月後。
魔王軍株式会社の保育事業売上は、金貨五万枚を突破した。
「……すごいな」
俺は売上報告書を見つめた。
エリナがうなずいた。
「福利厚生の改善が、新しい市場を生んだのです」
「……なるほど」
そのとき、吉岡が慌てて駆け込んできた。
「社長! 大変です!」
「今度は何だ!」
「別棟で預かっていた、孵化予定日が重なった卵が一斉に孵化しました!」
「……何個?」
「三百個でございます!」
「……三百?」
「はい!」
「……それで?」
吉岡は震える声で答えた。
「生まれた幼竜たちが、全員同時に火を吐きました!」
「…………」
「孵化用の別棟が全焼しました! 幼竜たちは避難済みです!」
「耐火設備は!?」
「設置しておりました!」
「じゃあ何で燃えたんだ!」
「一頭分の火力を基準にしており、三百頭が同時に吐く火炎を想定しておりませんでした!」
「三百個も預かるなら、同時孵化の危険を考えろよ!」
翌日。
魔王軍株式会社は事故原因の調査を始め、被災した別棟の再建計画を立てた。
その日の午後、吉岡が見積書を持ってきた。
「社長! 卵の保育室を増築するための見積書です!」
「焼けた建物の再建だけじゃなく、増築も必要なのか?」
「はい。孵化予定日が重なる卵は別々の区画で預かり、耐火壁を三重にする必要がございます」
「今度は三百頭が同時に火を吐いても耐えられるのか?」
「まだ断言できません。実際の火力を想定した試験に合格するまで、孵化間近の卵は受け入れを制限します」
グラディオスは卵を翼で包み直した。
「費用はわしも負担する。休暇を認めてもらった礼ではない。親としての責任だ」
「その金で、ほかの親子も安全に使える部屋にしよう」
グラディオスは少し驚いてから、ゆっくりうなずいた。
技師たちは事故の教訓を基に、新しい建築材の開発に着手した。
【ドラゴン対応・超耐火建築材】
複数の幼竜が同時に火を吐く条件で耐火試験を重ね、合格した区画から段階的に施設を再開した。
建築材そのものが一般向けに発売されたのは、さらに後日のことだった。
魔界で大きな反響を呼んだ。
俺は新しい売上報告書を見ながら呟いた。
「……失敗するたび、新商品が生まれるな」
エリナが答えた。
「それが経営です」
「……そういうものなのか?」
「必ずしもそうではありません」
「だよな!」
俺は再建費用の見積書を閉じた。
三百年の休暇を認めるより、明日の安全を守る方が具体的で難しい。




