■第百七話 聖剣が取締役に立候補したので、会社法が泣いた
候補者掲示板に聖剣の絵が貼られていた。
公約は「鞘の待遇改善」
俺は額を押さえた。
「取締役会で何を決める気だ」
聖剣は胸を張れないので刀身を光らせた。
「道具として使われる者の声を届ける」
エリナは真顔で定款を開き、発言権と議決権の違いを説明し始めた。
意思を持つ剣の議決権について、定款には一文字もなかった。
吉岡は定款をめくり続け、聖剣は刀身を震わせた。
「意見を言う権利まで、誰かの持ち物なのか」
聖剣の選挙演説は、鞘の内側から始まった。
「磨かれるだけの道具にも意見がある!」
会場の職人たちは笑ったが、古い魔導具が故障したまま使われている話になると静かになった。
エリナは候補資格を検討する一方、道具を使う者の安全委員会を提案した。
聖剣は不満げに光り、それでも最初の相談員を引き受けた。
取締役候補者の公開討論会で、聖剣は演壇の上に立てかけられた。
『第一の公約。
道具の意見を聞くこと!』
「剣が立候補した時点で、だいぶ意見は聞いてると思うが」
『第二の公約。
鞘の湿気対策!』
客席が笑った。
ところが工房の片隅から、古い採掘ゴーレムの操縦士が手を挙げた。
「うちの機体は三度、異音を出した。危険だと報告したが、修理費が出なかった。道具が喋れたら、俺より先に助けを呼んだだろう」
笑い声が止んだ。
聖剣はしばらく光を弱め、それから静かに言った。
『私は痛みを感じる。
だが、痛みを感じない道具を壊していいという意味ではない』
エリナは候補資格の条文を読み上げた。
取締役は会社に対して責任を負い、利益相反を開示し、損害が出れば説明する。
聖剣には意思があるが、契約主体としての位置づけはまだ決まっていない。
『ならば今回は立候補を取り下げます』
吉岡は本人の意思を確認して取下届を受理し、候補者名簿から聖剣の名を外した。
「意外と聞き分けがいいな」
『ただし、代わりに安全委員会を作ってくれ。
人間の職人と魔族の操縦士と、私のような意思ある道具が一緒に発言できる場所を』
俺はガンドルに顔を向けた。
彼はうなずき、壊れたゴーレムの整備記録を机に置いた。
取締役候補の資格審査はここで終了した。
続いて、設立準備中の安全委員会へ提出する緊急案件として、その機体を動かすべきかどうかを検討した。
聖剣は満足そうに震えた。
『それと鞘の湿気対策は?』
「そこは予算申請を出せ!」
討論会が終わると、ガンドルが操縦士を連れてきた。
三度の異音を報告したという若者だ。
「修理申請を出したのに、返事がなかったんです」
エリナが記録を調べると、申請は二週間前に受理されていた。
だが、担当部署の欄は空白だった。
「誰も却下していない。だから、誰も責任を持っていないのか」
俺が呟くと、聖剣が鞘の中で鳴った。
『返事がないのは、拒否より恐ろしいこともある』
操縦士は頷いた。
「動かすなと言われれば止められた。でも納期は迫るし、返事は来ない。だから動かした」
「社長の緊急命令として、今日から停止だ。整備が終わるまで動かさない」
「納期は?」
「俺が取引先へ説明する。遅延の責任を操縦士一人に押しつけない」
エリナは、設立準備中の安全委員会に現場代表を加え、申請には受付日と回答期限を付けると提案した。
「今日の停止は社長の緊急命令です。制度を整えたあとは、取締役会の承認を待たず、危険がある機械を現場判断で停止できるようにします」
『それだ』と聖剣。
「お前の鞘の話から、随分大きくなったな」
『鞘も安全も、使われる側が黙っていたら見過ごされる』
翌朝、ガンドルは修理前のゴーレムを工房の中央に置いた。
亀裂の入った駆動軸を見た見習いたちが息をのむ。
「あと一日使っていたら、荷台ごと倒れていた」
操縦士は拳を握り、聖剣の前で頭を下げた。
「俺の話を聞いてくれて、ありがとう」
『礼は要らぬ。
次は私が声を上げる前に、おぬし自身が止めろ』
「……はい」
俺はエリナに聞いた。
「結局、取締役にはなれないんだよな?」
「今回の候補資格では認められません。ただし意思ある存在の法的地位は、別途審査します」
『異議あり。
私の演説の練習時間はどうなる!』
「お前、演説は鞘の湿気の話しかしてないだろ」
『三時間かけて磨いた名演説だぞ!』
「剣のくせに、磨く場所が違う!」
その日の午後、取締役候補の審査とは別の会議で、正式な安全委員会の設立案を審議すると、思いがけない反対もあった。
「止める権利を与えたら、誰も働かなくなる」と倉庫長が言ったのだ。
操縦士は唇を噛んだ。
「俺たちだって、好きで機械を止めたいわけじゃない」
「だが納期が遅れれば客が逃げる」
俺は二人の間に入りかけたが、エリナが手を上げた。
「それなら、事故で機械が壊れたときの損失も計算しましょう」
ガンドルが見積書を広げる。
駆動軸が折れれば修理に二か月。
荷車が倒れれば、操縦士の命まで失うかもしれない。
「修理費を惜しんで、会社そのものを止める気か」
倉庫長は黙り、やがて頷いた。
「止めた理由が記録されるなら、俺も取引先へ説明できる」
エリナは委員会の議事録に、停止命令を出した人を罰しないという一文を加えた。
ただし危険の有無は後から検証し、必要なら手順を改める。
聖剣が言った。
『これで、声を上げた者が損をせずに済む』
「そうなるように、続けるんだ」
俺は机に残された取下届の控えを見た。
取締役にはなれなくても、聖剣の言葉が誰かの命を守った。
それは一票より重い結果かもしれなかった。
聖剣の立候補を笑っていた整備士が、会議の後で頭を下げた。
「採掘ゴーレムの停止を言い出せずにいた。助かった」
聖剣は誇らしげに光った。
『では、私の鞘の件も』。
「それは次の議題だ」と俺が言うと、吉岡は本当に議事録へ書き加えた。
安全委員会の名簿を見た見習いが、遠慮がちに手を挙げた。
「見習いでも意見を言えますか」
ガンドルが答える前に、聖剣が声を上げた。
『もちろんだ。
危険を最初に見るのは、たいてい一番近くにいる者だ』。
エリナは委員の席を一つ増やした。
見習いは慌てて首を振る。
「俺が代表なんて」
俺は笑った。
「断ってもいい。でも、断る理由を言える場所にはしておこう」
彼は少し考え、「まず工房の階段の手すりを直してほしい」と言った。
ガンドルがすぐに手帳を開く。
小さな声が会議を動かす瞬間を、俺は初めて目の前で見た。
委員会の設立案はその場で承認され、現場代表と見習いを含む委員が正式に決まった。
その日の夕方、安全委員会の最初の議題が掲示された。
【第一号議案 採掘ゴーレムの運転停止と修理】
【第二号議案 武器庫の湿度管理】
聖剣は二つ目を見て満足そうに光った。
『落選しても、意見は残せるのだな』
「ああ。俺が社長を辞めても、残るようにしよう」
その言葉を聞くと、聖剣は少し黙った。
『……おぬしの退任後も、私は話してよいのか』
「当たり前だ。俺の持ち物だから聞くんじゃない。お前が話すから聞くんだ」
『では次は、私の有給休暇について』
「感動を三秒は保たせろ!」




