■第百四話 元魔王が天気予報を担当したら、晴天の広場に雷が落ちた
ゼルガディスが気象管制塔のレバーを引くと、晴天予定の広場に雷が落ちた。
当時の気象部門では予報と天候操作を同じ担当者が兼ねており、元魔王にも操作盤の使用権限が与えられていた。
「景気づけだ」と元魔王は言った。
洗濯物を抱えた住民が抗議に来る。
俺は天気図を突きつけた。
「威厳より、明日の洗濯だ」
エリナは農家と船乗りを呼び、予報に必要な項目を一つずつ書き出した。
雨雲の操作盤は軍用設定のままだった。
作物に必要な小雨を指定しても、装置は敵陣を泥濘に変える豪雨を選ぶ。
事故直後、エリナは天候操作を停止し、操作盤の軍用設定を封印した。
ゼルガディスは初めて、設定値ではなく農夫の濡れた靴を見た。
雷で止まった水車の前で、農夫の娘は泥だらけの靴を見せた。
「明日の粉がひけない」
元魔王は口を閉じ、ガンドルに水車の修理を申し出た。
だが部品の交換には準備が必要だった。
まず被害を確認し、翌朝に作業することにした。
ガンドルは交換用の歯車を手配し、ゼルガディスに工具箱を貸した。
元魔王はそれを両手で受け取り、「明日は必ず来る」と農夫の娘に約束した。
翌朝、水車の修理に向かう前、気象塔の階段に長い列ができた。
天候操作は止めたままだが、観測員が雲量や風向きを測り、通常の予報業務は続けていた。
農夫、洗濯屋、川船の船長。
誰も天候を操りたいわけではない。
ただ、明日の予定を知りたかったのだ。
「予報が外れるのは仕方ない。でも雷を落とした本人が『予定どおり』と言うのは違う」
農夫の老人が言った。
ゼルガディスは反論しようとして、黙った。
ガンドルが電源を切って封印を確認し、安全担当の立ち会いで操作盤の外装を開けると、晴天の印の裏に古い軍用刻印があった。
『晴天』は敵の視界を奪う閃光、『降雨』は敵陣を泥に沈める豪雨。
魔王時代の戦術用語を、そのまま民間の天候予報へ転用していたのだ。
「この盤を作らせたのはわしだ」
「なら、直すのもお前の仕事だな」
その日の気象管制塔の点検を終え、俺たちはガンドルと水車小屋へ向かった。
俺が声をかけると、ゼルガディスは前日に借りた工具箱を持ち出した。
水車の壊れた歯車を交換する間、彼は農夫に空の見方を教わった。
雲の底の色、湿った風の向き、鳥が低く飛ぶ理由。
かつて敵軍の進路しか読まなかった男が、麦の収穫時刻を帳面に書きつけている。
改修案の試験区域は誰も住まない荒れ地に限定した。
実際の操作再開は、安全担当の検証と二人承認制の成立後に限る。
予報には「確度高」「確度中」「確度低」の三段階を付け、操作の前には必ず農家と船頭の代表へ連絡する。
水車の修理が進む間、別班は雷で焼けた畑の被害を調べた。
被害報告を集め、仮払いが必要な世帯と後日査定する世帯を分けた。
農家は作物の損失だけでなく、翌月の種代を心配していた。
ゼルガディスは弁償すると言ったが、エリナが止めた。
「まず被害の範囲を調べます。補償の基準を公表しなければ、不公平になります」
予報と天候操作を同じ一人に任せない方針も確認した。
安全確認担当との二人承認制は、被害調査の途中経過を添えて翌日の運営会議で審議することにした。
元魔王は新しい勤務表を見て唸った。
「雷を落とすより、承認印を二つ集める方が難しいとはな」
まず、ゼルガディスは事故当日の予報について掲示板に訂正と補償方針を書いた。
【先日は予報と天候操作を混同し、雷雨を発生させました。
水車の修理費は管理部門が負担し、農地の被害も調査します】
農夫の娘がそれを見て言った。
「次は、雨が降る前に教えてね」
元魔王は難しい顔でうなずいた。
夕方、元魔王が発表した翌日の予報は「曇り、ただし自信なし」だった。
「威厳がないな」
「前より信用できるぞ」
農夫が笑った。
ゼルガディスは少しだけ悔しそうに、その言葉を受け取った。
翌日の運営会議で二人承認制が正式決定された。
さらに翌週、安全担当の検証を終え、軍用設定を解除した試験用操作盤だけが無人区域での試験に限って承認された。
気象塔には『予報』『確からしさ』『外れた理由』の三つの欄ができた。
天候操作の実施には、運営会議で決めた二人承認に加え、農家と船乗りを含む委員会への事前説明も必要になった。
「元魔王に天気を決める権限がないだと?」
「お前は予報担当だ。支配者じゃない」
ゼルガディスは悔しそうに筆を握り、雷雲の絵を小さな傘に描き直した。
翌朝、彼は傘を持って畑を訪ねた。
「今日は晴れの予報だったよ」と娘が笑う。
「外れなくても、畑の様子を見に来るのだ」
娘は傘を一本差し出した。
「じゃあ、次に雨が降ったら一緒に水車を見に来て。また壊れたら、粉がひけなくなるから」
「うむ。わしが空を変えるのではない。困っていることを先に聞く」
元魔王は傘を受け取ったが、開き方が分からず逆さに広げてしまった。
娘が笑い、俺も笑った。
かつて空を支配しようとした男が、今は空を見上げて人に教わっている。
雷を落とすより難しい仕事を、こいつはようやく覚え始めたのだ。




