【ツグミノミ】 CASE 01-3 神獣と呼ばれた魔獣 イルミルカル
夜の静けさの中で、ラグは隣のツグミが起き上がった気配を感じた。
すぐには目を開けず、一拍だけ待つ。
ゴソゴソと荷物をまとめる音。
うっすらと瞼を開けると、ツグミは静かに外へ出ようとしていた。
「ツグミさん」
背中に声をかける。
ビクッと肩を震わせたツグミが、おそるおそる振り返った。
ラグも体を起こす。
「行くんですね?」
「ごめん」
ツグミは間髪入れずに、謝る。
ラグは顔をしかめた。
「なぜ、謝るんですか?」
「だって、怒ると思うから」
「なぜ怒っているか、わかりますか?」
ツグミは首を傾げ、小さく考え込む。
けれど、やがて静かに首を横へ振った。
「……わからない」
「もうちょっと悩んでくださいよ。僕だって旅の相棒なんですから」
ラグは小さくため息をつく。
ツグミは、どこか安心したようにはにかんだ。
「うん」と笑うツグミに、ラグも表情を崩す。
「イルミルカルのところに、行くんですね」
「うん。今夜じゃないと間に合わないから」
明日になれば、王宮の生守師たちがイルミルカルを処置する。
命は、待ってはくれない。
それを黙って見届けるなんて、ツグミにはどうしてもできなかった。
「僕も、行きますよ」
ラグは困ったように笑う。
結局、自分はいつだって、この人について行くのだ。
「危険かもしれないよ?」
「そんなことを気にするぐらいなら、ツグミさんの旅についてきたりしません」
きっぱり言い切る ラグに、ツグミは嬉しそうに笑う。
月明かりだけを頼りに、ふたりはティアの家を出た。
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森と村の境界線は、まるで線が引かれているように空気が違った。
静まり返った空気は、生き物の気配さえ飲み込んでいる。
一歩進むたび、軽い眩暈がする。
吐き気にも似た不快感が身体を包み、平衡感覚が少しずつ狂っていく。
(……これがイルミルカルの力)
ラグは思わず近くの木へ手をついた。
ラグがそっと、右斜め前を見ると、ツグミはいつもと変わりなかった。
迷うことなく、まっすぐ森の奥を見つめている。
「ラグ、大丈夫?」
振り返るツグミに、ラグは虚勢を張って「もちろん」と答えた。
思ったよりも、声がかすれていた。
ツグミは、まっすぐに森の奥に進んでいく。
まるで見えない道が、その先へ続いているかのように。
「ツグミさん」
ラグは足早に追いかけた。
「見えているんですか?」
「見えないよ」
ツグミは振り返らず答える。
「イルミルカルの匂いがするだけ」
それだけ言うと、静かに進んでいく。
急に、ラグの肌が粟立つ。
冷たい緊張が辺りを満たし、息をすることさえためらわれる静寂が降りてきた。
ラグは無意識に声を潜める。
「……ツグミさん」
「もうすぐだよ」
ツグミの声は、驚くほど穏やかだった。
ラグは息を呑む。
ツグミはすぐに前を向く。
迷いのないツグミの足取りの先には、大きな老樹が立っていた。
何百年も昔から、森とそこに住む生き物たちを見守ってきたのだろう。
樹は幾重にもねじれ、太い根が大地を抱き込むように広がっている。
「何か感じませんか?」
ラグはごくりと、喉を鳴らした。
次の瞬間だった。
ガサッ――。
音ともに、黒い影が、一直線にツグミへ飛びかかった。
「危ない!」
ラグが叫ぶ。
だがツグミは逃げなかった。
右へ半歩だけ身体をずらす。
鋭い爪が頬をかすめ、風だけが吹き抜けた。
着地した黒い魔獣は、低く唸る。
黄金色の瞳。
月光を受けて銀色に揺らめく漆黒の毛並み。
「イルミルカル……」
ツグミが小さく呟く。
黒いイルミルカルは再び地面を蹴った。
今度は真正面から飛び込んでくる。
ツグミは腰の革袋から細い木杖を抜いた。
しかし、その切っ先はイルミルカルへ向けられていない。
爪が振り下ろされる。
カンッ。
杖を横へ滑らせるように当て、軌道だけを逸らす。
イルミルカルの身体はツグミの肩をかすめ、そのまま地面へ着地した。
傷一つ負わせていない。
ラグは息を呑む。
「ツグミさん! なんで反撃しないんです!」
ツグミは答えない。
イルミルカルだけを見つめていた。
「怖いんだね」
その一言に、イルミルカルの耳がピクリと動く。
再び飛びかかる。
三度目。
四度目。
攻撃は激しくなる一方だった。
ラグがどんなにハラハラしても、ツグミは避けるだけだ。
受け流す。
逸らす。
一度も反撃はしない。
「ツグミさん!」
ラグは近くに落ちていた木の棒を拾うと、イルミルカルに対峙した。
「ラグ、待って!」
ツグミの焦った声が、ラグに向けられる。
ラグの手はジワッと、汗でにじんでいる。
体を小刻みに震わせているラグに、イルミルカルが舌なめずりする。
「ラグ、落ち着いて。イルミルカルも、大丈夫だから待って」
ツグミの落ち着いた声が、森に響く。
いつものだらけたツグミの声ではない。
妙に森に響く、癒しの声がする。
「あの子は私たちを殺したいんじゃない」
イルミルカルが唸る。
ツグミはその奥を見つめた。
「たぶん、違うと思うから」
黒いイルミルカルの瞳がわずかに揺れた。
その視線の先。
大木の根元の暗闇に、白く揺れる毛並みがかすかに見えた。
■女王様のお茶会■
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■NOTEにて、ツグミノミの制作秘話を公開中
ツグミノミ制作ノート https://note.com/nagiho_uosawa/m/m833291b12a8e




