34.結婚
「道真様」
声を掛けられ、顔を上げる。
廊下に立っていたのは、
渡会春彦だった。
珍しい。
大学寮ならまだしも、式部省まで来るとは思わなかった。
「どうした」
「文です」
差し出された紙を受け取る。
見覚えのある字だった。
……島田家。
嫌な予感しかしない。
開くと短い。
今日、家へ寄れ。
それだけだった。
私は静かに目を閉じた。
春彦が少し笑う。
「他人事だと思っているな」
「実際、他人事なので」
酷い男だった。
「式部丞」
その時、後ろから声が飛ぶ。
振り返る。
紀長谷雄だった。
紙を持っている。
嫌な予感が増えた。
「貿易の報告です」
「今か?」
「今です」
最悪だった。
結局。
式部省を出た頃には、空はかなり暗くなっていた。
私はため息を吐きながら牛車を降りる。
島田家。
もう何度も来ている。
だが——
今日は妙に視線が多かった。
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「遅い」
開口一番、そう言ったのは、
島田忠臣だった。
そして今は、義父。
……未だに慣れない。
「式部省です」
「それは知っている」
なら仕方ないだろう。
本当に。
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部屋へ通される。
香の匂いがする。
静かな灯。
そして。
「お疲れ様です」
宣来子が頭を下げた。
私は軽く頷く。
何となく、まだ距離感が難しい。
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先日、
気づいた時には三日夜は既に終わっていた。
正式に、島田家の婿となった。
……らしい。
実際には、忙しさの中で気付けば終わっていた感覚に近い。
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「まだ他人事みたいな顔をしていますね」
宣来子が少し呆れたように言う。
「忙しかったんだ」
「式部省は新婚を働かせ過ぎでは?」
「本当にそう思う」
心から頷いた。
すると彼女が少し笑う。
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「父上も言っていましたよ」
「何をだ」
「“式部省へ入れるべきではなかった”と」
私は黙った。
かなり今更である。
その時。
別室から忠臣の声が聞こえた。
「道真」
嫌な呼ばれ方だった。
仕事の気配がする。
私は小さくため息を吐く。
すると宣来子が、少し楽しそうに笑った。
「諦めてください」
「まだ今日は終わっていないので」
どうやら。
結婚したところで、忙しさは変わらないらしい。




