24.下野権少掾
式部省へ呼び出された時。
最初に思ったのは
(早いな)
それだった。
得業生となって一年。
まだ大学寮に籍を置いている。
それでも、官へ入る者はいる。
私も、その一人ということなのだろう。
---
朝。
京はまだ冷えていた。
牛車ではなく徒歩で向かう。
父に「見栄を張るな」と言われたからだ。
(正しいな)
妙に納得してしまった。
式部省は、大学寮とは空気が違う。
静か。
だが、どこか嫌な雰囲気もただよっている。
少なくとも学ぶ場ではない。
ここは、“働く者”の場所だった。
(息が詰まるな)
自然と背筋が伸びる。
役人に案内され、中へ進む。
途中、視線を感じた。
若い。
そう思われているのだろう。
実際、若い。
否定はできない。
---
やがて、一室へ通される。
机の向こうには数人の官人。
中央には、巻かれた紙。
官符。
(あれか)
自然と視線が向く。
一人の官人が紙を開く。
静かな声が室内に響いた。
「承和——」
年月日が読まれる。
続いて、官職。
「任、下野権少掾」
(来たか)
小さく息を呑む。
やはり、言葉にされると違う。
ただ学んでいた頃とは違う。
官になる。
国に名を連ねる。
それを、改めて感じる。
官人はさらに読み上げる。
位階。
姓名。
そして、命文。
「宜しく——」
淡々とした文。
だが、不思議と軽くは聞こえない。
最後に署名。
式部省の名や連なる官人たち。
それで終わりだった。
静かで、短い。
だが——
記憶で知っていたとしても重かった。
---
「受けよ」
官符が差し出される。
両手で受け取る。
紙は巻かれている。
だが、確かな重みがあった。
(……これが)
官になるということか。
思わず、少しだけ見つめる。
名前がある。
自分の名。
そこに記されている。
主上に仕える官として。
(今のうちに銭を貯めておこう)
最初の感想がそれなのは、どうなのだろう。
自分でも少し思ってしまった。
---
式部省を出る。
冬の空気が冷たい。
だが、少しだけ肩の力が抜けた。
歩きながら、懐へ触れる。
官符が入っている。
(父上は何と言うか)
喜ぶだろう。
いや。
あの人の場合、先に官になると言うことについて説かれるかもしれない。
そんなことを考えていると——
「終わったか」
声が飛んだ。
見ると、橘清成が立っている。
その隣には、見慣れた男。
橘広相。
(嫌な組み合わせだな)
思わずそう感じる。
広相は、こちらを見るなり笑った。
「若くして官人か」
「めでたいことだ」
「そういう顔には見えませんが」
つい返してしまう。
すると広相はさらに笑った。
「当然だ」
「祝いだけで終わらせる気はない」
(帰りたい)
本気でそう思った。
---
案の定。
連れて来られた先は、大学寮の庭だった。
既に人がいる。
弓まである。
(最悪だな)
「一つ付き合え」
広相が当然のように言う。
「断れば?」
「官符を受けたばかりで逃げるか?」
(性質が悪い)
清成は横で笑っているだけだった。
助ける気はないらしい。
---
先に射たのは広相。
綺麗な射。
流石に上手い。
矢は真っ直ぐ飛び、的へ突き立った。
どこかで聞き付けて来たのか、人が集まっており、どよめきが起こる。
次。
視線がこちらへ向く。
(やはり来るか)
小さく息を吐く。
弓を取り静かに構える。
清成に盤双六や碁、弓から蹴鞠、果てには打毬まで付き合わされたおかげてなかなか上手くなったものだ。
放つ。
矢が飛ぶ。
そして——
的の中央へ刺さった。
一瞬、静まる。
「…弓も上手いのか」
誰かが呟く。
(弓が上手くて悪かったな)
正直、清成に文句を言って欲しい。
---
何射か続いた。
最初は遊びだった。
だが、途中から空気が変わる。
広相も笑わなくなっていた。
最後の一射。
広相の矢は、わずかに逸れる。
(嫌だな)
注目される。だが、逃げられない。
弓を引き、静かに放つ。
矢は真っ直ぐ飛び——
的の中央へ深く刺さった。
そして。
「……野見宿禰の再来か」
誰かが、ぽつりと言った。
(やめてくれ)
本気でそう思う。
だが、遅かった。
ざわめきが広がる。
「文だけではないのか」
「なんだ、あれは」
「化け物め……」
(酷い言われようだな)
ため息を呑み込む。
---
少し離れた場所。
藤原房雄が静かにその様子を見ていた。
腕を組み、目を細める。
「……なるほど」
小さく呟く。
その目は、完全にこちらを捉えていた。
(見られているな)
嫌な予感がした。
そして。
たぶん、その予感は外れない。




