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20.話しかける者


あの一件、藤原の者が来たあと。

大学寮の空気は、少しだけ変わった——気がする。

(……気のせい、ではないか)

いや、完全に違うわけじゃない。

ただ、ほんの少し。

視線が増えた。

それも、露骨じゃない。

ふとした時に、こちらを見る。

(やりにくいな)

思わず、心の中でぼやく。

目立たないように動いていたつもりだが、

おそらく、相手が藤原と言えど全てを取られるのをそのままにしておくのは避けたいのだろう。

「顔に出てるぞ」

横から声。

橘清成だ。

「そうですか?」

とりあえず、とぼける。

清成は肩をすくめた。

「相変わらず面倒そうな顔だ」

(いつものことなら問題はない)

それなら、まだいい。

「なら、問題はありませんね」

軽く返す。

清成は一瞬こちらを見て——

小さく笑った。

「そういうところだ」

何が、とは言わない。

だが、言いたいことは分かる。

(……見られてるな)

改めて思う。

この男は、やっぱり油断ならない。

少し歩く。

人の流れに紛れるようにして、廊下を抜ける。

特に目的はない。

ただ、講義の合間の、いつもの時間。

——のはずだった。

「よお」

軽い声が飛んできた。

(……珍しいな)

振り向くと、同じ寮生が手を上げている。

名前は……覚えているが、特に関わりはなかったはずだ。

「先日のやつ、良かったな」

ああ、あの組の件か。

(見ていたのか)

「ありがとうございます」

とりあえず、無難に返す。

相手は少しだけ笑って、

「いや、なんつーか……まとめ方が上手いよな」

と言った。

(……そこか)

派手さじゃない。

目立つ答えでもない。

ただ、まとめただけ。

「皆が優秀だっただけです」

そう返す。

少しだけ間が空いた。

「……またそれか」

苦笑い。

(しまったか)

いや、別に失言ではない。

だが——

「まあ、いいや」

相手はそれ以上は言わなかった。

「また組むことあったら頼むわ」

軽く手を振って、去っていく。

(……変わるものだな)

ほんの少し前まで、こんなやり取りはなかった。

それが、今はある。

良いか悪いかは、まだ分からない。

ただ——

(静かではなくなってきた)

それだけは確かだった。

「増えたな」

清成がぽつりと言う。

「何がですか」

「声をかける者だ」

(ああ)

そっちか。

「困るほどではありません」

そう答える。

本音だ。

面倒ではあるが、害ではない。

清成は少し考えるようにして、

「そのうち、変わる」

と言った。

(……どういう意味だ)

「どう変わると?」

聞き返す。

だが、清成はそれには答えず、

「まあ、見ていれば分かる」

とだけ言った。

(またそれか)

少しだけ呆れる。

この男は、肝心なところを濁す。

だが——

(外れてはいない)

それも分かっている。

だから、強くは言わない。

「……そうですか」

それだけ返す。

しばらく、無言で歩く。

不思議と気まずくはない。

(慣れたな)

そう思う。

最初に会った頃より、ずっと。

「一つだけ言っておく」

清成が、ふと口を開く。

「目立つなとは言わん」

(ほう)

意外な言葉。

「だが」

少しだけ間。

「誰の前で目立つかは、選べ」

(……なるほど)

ようやく、腑に落ちる。

さっきの言葉の意味。

「助言、ありがとうございます」

素直にそう言った。

清成は軽く頷く。

それで会話は終わりだった。

私は少しだけ空を見上げる。

大学寮の空は、変わらない。

だが、その下にいる人間は——

(少しずつ、変わる)

自分も含めて。

無難に生きる。

そのつもりは、変わらない。

ただ。

(面倒事に巻き込まれる人生も良い気がしてきた)

そう思いながら、歩き出した。


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