19.捕まった~
講義の後。
人の流れは、いつもと変わらぬようでいて、どこかぎこちなかった。
(まだ、残っているな)
先日の空気。
あの人物が来てからの、わずかな緊張。
それが、完全には消えていない。
私は静かに書をまとめ、立ち上がる。
関わらぬ。
それが最適であると、すでに判断している。
(無理に近づく必要はない)
そう思い、歩き出した――その時。
「そなた」
声がかかる。
(……来たか)
足を止める。
振り返ると、そこにいたのは例の人物。
距離は近い。
だが、圧はそれ以上に感じられる。
「何用にございますか」
私は静かに応じる。
相手はわずかにこちらを見た。
視線が鋭い。
測っている。
明確に。
「先の講義」
短く言う。
「答えを控えたな」
(見ていたか)
私はわずかに目を細める。
確かに、あの場で私は出なかった。
「不要と判断いたしました」
簡潔に答える。
それで十分である。
相手は一瞬、沈黙し――
「……そうか」
それだけ言った。
だが、その目は離れない。
(終わらせる気はないな)
そう感じる。
「ならば問う」
続く言葉。
「出るべき場で、出ぬことはないか」
(……踏み込むな)
初対面にしては、深い。
だが、答えは決まっている。
「ございます」
はっきりと。
「ただし、それを誤らぬようにしております」
それが、私の方針である。
沈黙。
やがて――
「面白い」
小さく呟いた。
評価か、興味か。
そのどちらもであろう。
「名は」
問われる。
私は一瞬だけ考え――
(ここは、隠す意味はない)
「道真にございます」
そう名乗る。
相手は頷いた。
「覚えておこう」
それだけ言い、踵を返す。
それで終わりであった。
(……あっさりだな)
だが、それでよい。
深く関わる必要はない。
「関わったな」
背後から声。
清成である。
「やむを得ず」
私は短く答える。
清成は小さく息を吐いた。
「目を付けられたぞ」
(だろうな)
否定はしない。
「避けられぬかと」
そう返す。
清成はしばし黙し――
やがて言った。
「あれは、ただの学生ではない」
(言うまでもない)
だが、その続きが重要である。
「背後にあるものが違う」
静かな声。
だが、重い。
(……やはりな)
私は小さく頷いた。
「藤原の流れ、か」
そう呟く。
清成はそれを否定しなかった。
それが答えである。
私は静かに息を吐いた。
無難に生きる。
そのためには――
(避けるべきものと、避けられぬものを見極める)
今回のは、後者であった。
ならば。
(距離を保つのみ)
そう結論づける。
だが――
(覚えられた、か)
その事実だけは、確かに残った。
大学寮の空気は、さらに一段、重みを増していた。




