18.接敵?
大学寮の空気は、日によってわずかに色を変える。
それは、教える内容によるものか。
あるいは、集う者によるものか。
(……今日は、違うな)
席に着いた時点で、そう感じていた。
静けさの中に、わずかな緊張が混じっている。
誰も騒がぬ。
だが、どこか落ち着かぬ。
(理由は――)
考えるまでもなかった。
視線の先。
普段は見ぬ顔が、一つあった。
落ち着いた所作。
無駄のない衣。
そして何より――
(周囲が、距離を取っている)
自然と、ではない。
意識して、である。
それだけで十分であった。
(……藤原か)
確信に近い直感。
この都において、その名は特別である。
権を握る家。
流れの中心。
その一端が、ここにいる。
「見ているな」
小さな声。
横を見ると、橘清成がいた。
「ええ」
私も短く応じる。
清成は視線を逸らさず、言った。
「関わるな」
(……珍しいな)
そう思う。
この男が、ここまで明確に距離を取るのは。
「理由を伺っても」
私は静かに問う。
清成はわずかに間を置き――
「まだ、時ではない」
そう答えた。
(時、か)
曖昧なようで、明確な言葉。
つまり――
(今は関われば、不利になる)
そういうことだ。
私は小さく頷いた。
「心得ました」
深入りはせぬ。
それでよい。
講義が始まる。
教師は一同を見渡し、そして一瞬だけ、その人物に視線を置いた。
(やはり、特別扱いか)
露骨ではない。
だが、明らかに違う。
やがて、問いが投げられる。
やや難度の高い内容。
(さて)
誰が応じるか。
一瞬の沈黙。
そして――
「……」
その人物が、静かに口を開いた。
声は低く、抑えられている。
だが、その内容は。
(的確だな)
無駄がない。
論も通っている。
何より――
(迷いがない)
それが強い。
教師は頷いた。
「よい」
短く評価する。
場に、わずかな空気の変化。
(納得、か)
誰も異を唱えぬ。
それが、すでに答えである。
講義が終わる。
人が動き出す中で、その人物は静かに立ち上がった。
無駄な動きはない。
誰かと話すこともなく、ただ外へ向かう。
(孤立ではないな)
周囲が距離を取っている。
それだけだ。
「どう見る」
清成が問う。
私は少しだけ考え――
「隙がありません」
そう答えた。
清成は頷いた。
「その通りだ」
短い同意。
だが、その表情はわずかに硬い。
(警戒しているな)
珍しいことではある。
「強いな」
清成が呟く。
それは、単なる感想ではない。
評価であり、同時に――
(認めている、か)
そう感じた。
私は視線を落とし、静かに息を吐く。
(関わるな、か)
確かに、それが正しい。
今はまだ。
だが――
(いずれ、交わる)
そうも思う。
この場にいる以上、避け続けることはできない。
それが、どのような形であれ。
私は静かに席を立った。
無難に生きる。
そのためには――
(流れを読むこと)
そして。
(逆らうべき時を、誤らぬこと)
そう考えながら、歩き出した。
大学寮の空気は、確実に変わり始めていた。




