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叫ぶ家と憂鬱な殺人鬼(旧版  作者: tempp
第2章 橋屋撲殺事件

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橋屋家の女の子

「では、家族会議をしよう。隣の貝田さんについてだ」


 貝田さん、という声に妻は少し俯き、目を彷徨わせた。

 この家に引っ越してきて1ヶ月半経った。

 基本的に夕飯は一家そろって食べたいと思ってはいるが、子ども達も育ち、それぞれ部活やバイト、遊ぶ予定もあって最近は夕飯をバラバラにとることが増えた。私も帰りが遅くなることもある。

 子どもの成長といえばそうなのだろうが、夕食を共に取れないことを最近少し寂しく感じていたことは否めない。

 今日は久しぶりに予定を合わせて集まった。


「なんかかしこまっちゃって」

基広もとひろ、ちゃかすんじゃない」


 基広はこう軽口を叩くが、今回の会議の発案は基広のようなものだ。妻の様子がおかしいと俺に相談してきた。貝田さんの名前を出したら、俺もあの人は怖い、と言った。

 貝田さんは子ども達にも話しかけているのか?

 思った以上に家族の中で貝田さんの問題は広がっていた。一度情報のすり合わせを行う必要があると感じたのがこの会議のきっかけだ。子ども達も十分に大きく、判断力がある。それであれば認識を共通させておいた方が良い。


「まずは父さんからだ。ここ半月くらい、毎朝貝田さんに話しかけられる。内容だがうちに女の子がいて毎日夜中に歌を歌っているらしい。父さんは貝田さんにうちに女の子がいないと話したんだが、毎朝同じように尋ねられる」

「あ、俺も同じ。いつ家を出ても3回に1回は遭遇する。朝でも昼でもかわんなくてさ、正直怖い」

「兄貴はまだいいよ、俺はほとんど毎日だぜ? 朝練行く時話しかけられんの。絶対待ち構えてる、あの門の影のところで。まじ勘弁してほしいよ」

「まじで? なんなんあの人? やっぱおかしいんじゃね?」


 基広と永広は2人で話しを続けている。

 愕然とする。毎日なのか。知らないうちになんということだ。


「でさ、彼女がいるのはいいけどお宅に連れ込むのはよしたほうがいいわ、って言ってくるんだぜ? 彼女なんていないっつーの、むしろ欲しいって」

「うわぁ。俺はお姉さんか妹さんいない? って聞かれる。毎日いないって言ってるのに。俺は彼女いなさそうにみえるの? まあ部活でそれどこじゃないけどさ」


 妻はずっと俯いている。まさか貝田さんが子ども達にまで話しかけているとは思ってもいなかったのだろう。


「2人とも。念のため確認だが、夜中に例えば大きな音で音楽を流してるなんてことはないよな?」

「ねーよ、なんか聞くときはイヤフォンかけるしな」

「俺もないよ。そもそも隣に聞こえるほど大きい音出したら下で寝てる父さんと母さんにも聞こえるでしょ?」


 もっともな話だ。貝田さんの家との間にある庭はゴルフの練習ができるほどには広い。

 私と妻は1階の和室で寝ているが、夜中に2階で歩く足音が聞こえることはあっても音楽が聞こえたことはない。足音と音楽は違うかもしれないが、隣に響くほどなら1階に全く聞こえないということはないだろう。


「あの、私」


 妻が重い口を開く。その内容に私と子ども達は驚愕した。

 貝田さんは引っ越してきて1週間くらいから妻に話しかけ始めた。その内容は私や子ども達が聞くのと同じ内容である。しかしその行動は常軌を逸している。


 妻が庭に出るとすかさず駐車場から話しかけてくる。買い物に出ようとすれば話かけられてついてくる。ご近所の主婦の方と立ち話をしていると、いつのまにか貝田さんが混ざっていて、女の子がいないか尋ねられる。

 1階のリビングにいればいるのが見つかって玄関のチャイムを押されて入ってこようとするから、1日の大部分は和室に閉じこもっているという。


「なんだかもう、貝田さんが怖くて」

「なんだそれ? おかしいだろ? なんで母さんがそんなビビんないといけないんだよ」

「そうだよ、無視するわけにはいかないの?」

「そう思うんだけど、話しかけてくるのよ、本当に困ったわ」


 話しかけてくるのを避けるのは難しい。私も子ども達も妻の発言に押し黙る。私ですら一旦は会話を返すのだ。妻には無視をするのは困難だろう。

 それにしてもまさか妻が日中部屋に閉じこもっているとは思わなかった。妻はこの家を買うときに庭で本が読みたいと微笑んでいたのに。この家が私の好みに合っていたのはもちろんだが、家を買ったのは家族の笑顔が見たかったからだ。

『幸せなマイホーム』、そんな言葉を年甲斐もなく単純に夢見ていた。


「貝田さんをどうするかは一朝一夕にはいかないかもしれないが、とりあえず塀を高くして覗けないようにしたらどうだろう」

「でも、いきなりだと感じ悪いんじゃないかしら」

「なに、ゴルフの練習でボールが飛んで行ったら申し訳ないから、と言っておくよ。隣のご主人に挨拶がてらそれとなく奥さんの話もしておこう」

「ああ、隣のおじさんなら朝早くにたまに会うよ。朝練で掃除当番の時はいつもより早く出るじゃん? その時間帯に貝田さんちから出てくるおじさんをよく見る」

「そうか。母さん、そういうことだからもう少しだけ我慢してくれ」


 それにさ、と基広が続ける。


「買い物は今は配達とかあるじゃん? 荷物持って坂登るのも大変だしいっそ宅配にしちゃえばどうかな」

「そうね、そうしようかしら」


 妻はほっとしたように呟く。もう少しの間だけ我慢してほしい。

 妻は繊細なところがある。家のことは自分の担当と思って言い出せなかったのだろう。これまでかなりのストレスがあっただろうな。申し訳ない。


「母さん、買い物は気にせず宅配を頼んでほしい。壁については早々に手配しよう。もう少しだけ我慢してくれ」

「ありがとう、あなた。ごめんなさい」

「ヒューヒュー♪」

「兄さんちゃかすのやめなよ、必要なものあったらさ、俺も何でも買ってくるから遠慮なく電話かメールして」



 私は翌日、早速壁の見積もりを手配した。簡単なものでいい。

 朝いつもより早起きして貝田さんのご主人の出勤に合わせて話しかけた。

 ゴルフの練習で弾が飛ぶと申し訳ないので壁を高くすること。その間1,2日ほどうるさいかもしれないが申し訳ないと。

 貝田さんのご主人は快諾してくれた。


「いえいえ、お気になさらず。わざわざご連絡頂きありがとうございます」

「それからうちは男所帯でうるさいと申し訳ないと思っていたのですが、御迷惑をかけておりませんでしょうか」

「うるさいと感じた事はありませんよ、本当にお気になさらず」

「もし何かありましたら直接私に仰ってください。夜は8時を超えるとだいたい家におりますので遠慮なさらず」


 私の話し方に何か察したのか、貝田さんのご主人は神妙に私を窺う。


「あの、ひょっとして妻が何か御迷惑をおかけしておりますでしょうか」

「……大変申し上げにくいのですが、奥様が妻に私の家に女の子がいないかよく訊ねられるのです。うちには女の子がおりませんので、どうお話ししてよいのか少々困っておりまして」

「あ、いえ本当に申し訳ありません。私もここのところ何回か妻から橋屋さんのお宅からお嬢さんの声が聞こえると聞いていたものですから。でも私には聞こえないので妻に勘違いだと言ってはいたのですがまさかお伺いしているとは。御迷惑をおかけして本当に申し訳ありません」


 貝田さんのご主人が恐縮したように低く頭を下げるのを慌てて止める。


「いえいえ本当にお気になさらず。これからもお付き合いいただけると助かります」


 そう話しているうちに三叉路に差し掛かり、挨拶をして別れた。

 女の子はやはり貝田さんの勘違いのようだ。よかった。

 貝田さんのご主人は真面目そうな方だった。あの様子であればきっと奥さんに話して頂けるだろう。

貝田さんの奥さんは今は朝食の片付けなど内向きの用を済ませているのだろう。ご主人が出勤する時間帯より早く出れば貝田さんの奥さんと会うこともなさそうだ。朝の早い永広にも話し、私と永広は貝田さんのご主人の出勤よりさらに早く家を出ることにした。


 壁の工事はすぐに終わった。2メートル弱の壁になった。小柄な貝田さんの奥さんではこちらの庭を覗き見ようもないだろう。

 これで妻も庭でゆっくりできるに違いない。

 妻にようやく笑顔が戻った。


 しかしそれは長くは続かなかった。


「あの、あなた。貝田さんの奥さんが壁に梯子をたてかけてこちらを見ているの」


◇◇◇


 おかしい、絶対におかしいわ。

 女の子はいるんだもの。

 橋屋さんのお宅に回覧板を持って伺ったとき、奥の階段のほうから女の子の声を聞いたわ。誰かと何か話しているみたいだったけど、毎晩聞こえてくる声はその子の声に思える。それに最近は人の声が増えている。あの家で大勢集まって騒いでいるに違いない。


 毎晩毎晩、ひどい声でおかしくなってしまいそう。主人はどうして気にしないのかしら。私の耳がおかしいのかしら?

 いいえ確かに聞こえている。今もまるで悲鳴のような声が。もう嫌。どうしてこんな人達が隣に引っ越してきたのかしら。


「もうやめてくれ。橋屋さんのお宅に女の子はいない」

「どうしてそんなことを言うの?」


 食後のお茶を入れる。2人きりの小さなリビング。私たちは2人きりの夫婦で、食後にお茶を飲みながら話をするのが日課だった。

 私達には子供がいない。主人の両親に散々言われて、神社に百度参りをしたり病院に通ったりいろいろやったけどだめだった。主人の両親は子供を、と責める口を閉ざす事はなく、主人は私を守るために両親との縁を切ってくれた。それが30年ほど前のこと。

 それからはずっとここで2人、穏やかに暮らしている。真面目な主人はいつも静かに隣にいてくれて、喧嘩をした事もほとんどなかった。でも。あの家族が引っ越してきてからは変わってしまった。あの家に前に住んでいた人の時から夜に悲鳴が聞こえることがあった。誰も住まなくなって静かになったと思っていたのに。


 爽やかなお茶の香り。温かな湯気が立つ。

 主人は湯飲みを口から離して、ほぅ、と一息をついて優しく笑いかける。


「今度休みを取るから一緒に温泉にでも行こうか」


 温泉、いいわね。

 ……でも、私の家はここなのよ。旅行から帰ってきたらまたこの毎日が続く。それは嫌。


「それもいいわね、でも……」

「いいかげんにしてくれ!」


 主人は勢いよく湯飲みを机に叩きつけた。そんなことをするのも主人が声を荒げるのも珍しく、思わず顔を上げて目を見た。そしてハッとした。この目……この目は主人が両親と絶縁した時に両親に向けた、もう話し合えないと言う決意の目。そのことに、愕然とする。

 主人は私の顔を見て、悲しい顔をする。そんな、あなた……。いえ、そんな目は一瞬で、いつもの優しい笑顔に戻っていた。


「気のせいだよ、一度ゆっくりしよう?」


 でも私はあの目の衝撃に思わず湯飲みを取り落としてしまって、緑が机に広がった。

 布巾をとってくるわと言ってぎこちなく台所に急いで足を止める。布巾を握りしめたものの、どういう顔をしてリビングに戻っていいかわからない。しばらく迷ってリビングを振り向くと、主人はもういなかった。

 そんな……。主人との間にこれまで感じなかった距離感ができてしまった気がする。どうしよう。


 ……これは、あの家のせいだ。あの家の。

 いいえ、気のせいなんかじゃない。あの家には女の子がいる。今も大勢が叫んでいる。あなたにそんな顔をさせたのも全てあの家のせい。でも、確かに女の子が外に出てきたのを見たことはない。だから主人も信じてくれないんだろう。

 大好きなあなた、私は必ずその女の子を見つけるわ。そうしたら信じてくれるわよね?

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― 新着の感想 ―
[良い点]  ある家に一か月半前に引っ越して来た橋屋家ではある問題が起きていた。それは隣人に不可解なことを毎日言われることのよう。  この家には女の子は住んでいないし、それを家族が目撃したことはないが…
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