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叫ぶ家と憂鬱な殺人鬼(旧版  作者: tempp
第2章 橋屋撲殺事件

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橋屋家の朝

 扉を開けて廊下に出ると味噌汁の香りが微かに漂っていた。いつもと同じように乾燥機から道着を回収する。


「母さんおはよう」

「おはよう、永広(ながひろ)


 いつもとかわらない風景。でも1ヵ月ほど前とは少しだけ違う。

 俺の家族は1ヵ月前にこの家に引っ越してきた。広くて庭付きの一戸建というやつだ。庭にはすでに父さんのゴルフ練習用のネットが張られている。

 新しい部屋は前の部屋の1.5倍くらいの広さ。すごくいい。前の家から運んだ荷物を詰め込んでもまだまだスペースは十分だ。フルリフォームっていってたかな。中古ではあるみたいだけど壁紙も全部ピカピカで新品とかわらない。学校は少しだけ遠くなったけど、せいぜい10分早く家を出る程度。


 トントンと台所で包丁を叩く音がする。

 部活の朝練があるから、この家では母さんの次に起きるのが早いのが俺。

 日課の通り俺は郵便受けから新聞を回収する。父さんが毎朝読んでるやつ。今時ネットで十分だと思うんだけどな。

 冷蔵庫から麦茶を出しているとパジャマの父さんが起きてきた。

 兄さんは多分昼まで寝坊だろう。大学生は朝がゆっくりでうらやましい。


「父さんおはよう、お茶飲む?」

「ありがとう、おはよう永広」


 コップを追加で1つ出して麦茶を注ぐ。コポコポと涼しい音がする。なんということもない朝。

 朝食を食べてスポーツバッグを担いで家のドアノブを開けるとき、いつも通り少しだけ緊張する。

 また、いるのかな。いるんだろうな、そんな予感がする。

 恐る恐るドアを押し開ける。新品のドアは軋みもなくゆっくりと玄関に朝日を招き入れた。

 ああ、やっぱり、いる、な。

 門扉から細い影が伸びていた。門扉に隠れる程度の小さい影。朝の清々しい気分が翳る。


 フン、とあきらめて扉を大きく開けて外へ足を踏み出す。東向きの玄関はいつも眩しい。眩しさで気づかないふりをしてなるべく足早に通り過ぎることができれば、と思ったけどやっぱりダメだった。


「あら永広君、おはよう」

「おはようございます、貝田さん」


 挨拶だけで済まそうと足を踏み出したけれども後ろから声がかかる。


「今日も部活?」


 ここで完無視するのは憚られる。隣の家の人だから。貝田さんはうちの庭の先、南隣に住んでいる。


「そうです、朝練で早く行かないといけなくって」

「そう、頑張ってね」


 その前を通り過ぎようとしたその時。


「そういえば昨日、あなたのおうちに女の子がいたでしょう?」

「……やだな貝田さん、うちは母以外男ばっかりですってば」

「そう……? おかしいわねぇ?」


 貝田さんは顎に手を置き首を傾げる。いつも同じ会話。毎日毎朝くり返される会話。この家に引っ越して来て唯一不満なもの。


「それじゃすみません。朝練遅刻しちゃうんでまた!」


 俺は踵を返して走って坂を駆け下りる。ちょっと、というような声が聞こえた気がしたが、無視だ無視。捕まったらいつまでも終わらない。

 はぁ、朝から疲れるよな。薄っすらかいた汗を拭う。まあ、走り込みにはいいのかもしれないけどな。

 さて、気を取り直して今日も1日の始まりだ。


◇◇◇


 貝田さんの奥様にはいつも困っちゃうわ。

 買い物に出ようとしたらたいてい玄関先にいるんだもの。奥様一緒に行きましょう、と言われるととても断りづらいのよね。それに……やっぱりお隣さんだものね。

 でも一緒にお買い物にいくと、うちに女の子がいるようなお話をずっとされるの。


 1ヵ月前にこの家を購入して引っ越してきた。幸せなマイホームのために吟味に吟味を重ねていたけど、この家は一目惚れだった。高台の上でとても日当たりがいい。南向きの庭も気持ちのいい広さがあって、暇なときは椅子を出してぼんやり本を読むのは最高だろうなと思った。私の夢通り。主人もゴルフの練習ができると喜んでいて、2人の息子も広い部屋に満足していた。そして何故か相場よりずいぶん安かった。だからこの家で即決したのに。


 庭に洗濯物を干すのはとても気持ちがよかった。でも最近は落ち着かなくてなかなか外に干せない。

 貝田さんの家は南隣だ。間に1メートルちょっとの高さの塀があって、塀の向こうは貝田さんのお宅の駐車場スペースだったから塀越しに車に乗り込む貝田さんとよく目があった。

 たまたまならいいのよ。でも、最近はいつもなの。いつも気がつくと塀越しに貝田さんがこちらを見ている。うちの庭は貝田さんの家の方向を向いているから見えないところで干すこともできない。庭に出ていると話しかけられてしまう。


 本当に……憂鬱だわ。

 どうしてこんなことになったのかしら。こちらを見えないように塀を高くしてはだめかしら。でもそうするとあからさまよね。困ったわ。ご近所の奥様方とお話ししたけど貝田さんは昔からここに住んでいて、とても穏やかな優しい方だと伺った。あまりことを荒立てたくないわ。引っ越してまだ時間が経ってない私が意見を言うのもおかしいわよね。


 最初にお菓子を持って引っ越しのご挨拶に伺った時の貝田さんは普通だった気がするわ。でも私たちがこの家に住み始めて1週間くらい過ぎた頃かしら。


「失礼かもしれないけど、お嬢さんが夜中に歌ってらっしゃるでしょう? できれば10時を過ぎたら遠慮していただけないかしら」


 本当に何のことかわからなかった。

 女の子? うちには男の子が2人いるだけ。賑やかな家族だとは思うけれど、少なくとも女の子はいない。


「あの、うちには女の子はおりませんの。男の子が2人おりますが、夜はなるべく静かにさせますね。ご迷惑をおかけしてましたら申し訳ありません」

「そう? 女の子の声と思ったのだけど。勘違いだったみたい。変なことを言ってごめんなさいね」


 その日は和やかに別れたはず。けれども翌日、同じようなことを尋ねられた。私は女の子がいないことを説明した。そしてそんな毎日は現在でも続いている。本当に毎日。うんざりする。何なのだろう。

 最近の貝田さんはどことなく目が座っているように思えて怖い。

 どうしたらいいのかしら。


◇◇◇


 この家に引っ越してきて1ヵ月ほど経ったとき、妻から相談を受けた。最初は何を言っているのかわらなかった。隣の主婦が怖いという。主婦?

 一度見かけたことがある。小柄な女性だ。確か貝田さんだったかな? どんな方だっただろう、それほど印象がない。

 貝田さんがじっと見ている。そんな訴えに私は気のせいではないかと思った。しかしそれが勘違いと分かったのは間も無くのことだ。


 朝、出勤時に玄関を開けると門扉の影に貝田さんがいた。おはようございます、と挨拶をすると、奇妙なことを聞かれた。

 お宅のお嬢さんが夜中に歌うのをやめさせてほしい。そんな内容だ。そういえば妻もそんなことを言っていた。


「うちは男所帯で女の子はおりません。女は妻くらいで。妻も夜中に歌うことはありませんし、何かの勘違いではないでしょうか」

「奥様じゃないのよ。もっとずっと若い声だったもの。毎日聞こえるのよ、おかしいわ」

「申し訳ないのですが、仕事がありますので失礼させて戴きます」


 あ、ちょっと、という声を無視して会社に向かう。これが2週間前から続いているということか。

 妻は人付き合いがあまり得意ではない。これは参るだろう。どうしたらよいだろう。せっかくの新居なのに困ったな。続くようであれば一度お宅に伺ってお話を聞くしかないかもしれない。いざとなればお隣のご主人にもお話しするしかないかな。

 俺はその時、あまり深くは考えていなかった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] レビュー全文 【物語は】 とても面白い始まり方をする。なんと変わった視点から物語は始まっていくのである。しかしこれは序章とあることからも、大事な発端と言える。何故呪いの家となったのか、そ…
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