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叫ぶ家と憂鬱な殺人鬼(旧版  作者: tempp
第7章 位波家心中事件

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信頼

 俺は藤友晴希。呪われている。

 俺は俺の呪いを許さない。俺はこの自分にかかった呪いに抗う。そのために死んだって構わない、本望だ。それが俺が選んだ選択であるならば。


 だがこれは。だがこの柚の呪いは。

 この呪いの名は『幸せなマイホーム』。それを実現させるための呪い。全てを捻じ曲げる強大な意思。

 思えばこの呪いは人を不幸にしようとはしていてなかった。


 貝田弘江は小藤亜梨沙を助けようとして、その加害者と認識した橋屋一家を殺した。

 越谷泰斗は世界に再び太陽を登らせようとして、その材料となる者たちを集めて殺した。

 喜友名晋司は自分が認められたいと思って、多くの魂を喰って自分を殺した。

 請園恭正は信者たちを幸せにしようと願って、その死を示して松果体を繰り抜いた。

 瀧本夏観は家族を取戻そうとして、邪魔者を排除するために自らと家族を殺した。

 位波楓は幸せなマイホームを求めて、耐えきれなくなって恐らく心中を選んだのだろう。

 位波柚はこの家で家族と幸せになりたかった。ただ、幸せに。


 全ての『呪いの依代』は他人の不幸を求めていたのではなかったけど、その求めに応じて力を貸した呪いは良かれと思ってその思いと認識をゆがませ、結果的に多くの不幸を振りまいた。そう、これはただの結果だ。


 その望みと幸せの根幹は『幸せなマイホーム』。みんなと幸せになりたい。小さくて暖かい、そんな思い。それは願ってはいけないものだったのかな。俺はそれを否定できないよ。


 幸せか。俺は幸せとは程遠いところにいる。俺はきっと幸せを手に入れることはできない。でも、叶わないとしても俺が俺や他の誰かの幸せを願う行為を否定したくない。願ったっていいじゃないか。願うだけなら。叶わないのならせめて。願うことくらいは。


 だから俺は呪いに抗う。まずは俺自身が見果てぬ先にある幸せをつかむため。そしてその中には公理さんを幸せにすることも含まれている。そのための行為が他の誰かの幸せを潰えさせるものであっても、俺は躊躇わない。


◇◇◇


「こんにちは、公理さん。藤友さん」

「突然の訪問ですまないな。魂魄を返してもらえないかな」

「藤友さんのは返すよ。これ、指につければいいのかな」


 闇の中で受け渡された指2本を先ほどの要領で回収し、即座に呪いの内側から抜けて立ち上がる。

 闇から抜けて目を開けた先も闇。何も見えない。


「公理さん、大丈夫か? 俺は全てを取り戻した」

「大丈夫。俺の指2本もここ。それから残りは2階の正面の部屋」

「公理さんのは返してあげないよ」


 呪いの内側にいた時と同じように目の前から柚の声が響く。

 そこには闇しかない。口という1つの開口部から発せられる指向性のある音ではなく、ジワリと水中を染み出るようにその闇の中から振動が広がってくる。柚は物理的にも溶けているのか? まさか。


「なんで呪いに食べられてないのかはわからないけど、藤友さんは帰っていいよ」

「公理さん、家は大丈夫そう?」

「全然平気そう」

「じゃあ急いで」

「ねえ、無視しないでよ」


 少しの苛立ちを見せる声。


「九里手さんはどうしたい?」

「藤友さんはそればっかりだね」

「まあ、俺と公理さんの目的は明確だからな」

「目的、か」

「俺を恨んでる?」

「なんで?」

「俺が位波のバイアスを剥ぐようにすすめたから。だから家から出られなくなったんだろう?」

「出られなくはないんだけどね、出たくないな。でも藤友さんにはどちらかというと感謝かな。こんなに満たされたのは初めて」


 背後で公理さんが動く音がする。公理さんの指2本は回収されたはずだ。

 公理さんに肩を貸してリビングを出て階段に向かったが上がれなかった。階段の先は濃い闇に埋められていた。物理的な硬さを感じるほど圧縮された闇。触れるほどの。家の障壁が貫通できないほどの闇。

 ここは現実の物理的な家の中であり、同時に柚の呪いに満ちた『北辻の呪いの家』でもある。それはおそらく重なり合い、本来触れることができないはずの呪いを物理に干渉させている。

 どうやったらここを通れる?


「ここは通さない。絶対に。公理さん、私と1つになるのはそんなに嫌?」

「ごめんね。本当は悪くないかなとも思ったんだけど、俺はもう他で約束しちゃったから」

「約束?」

「そう、俺はマイホームを作ることにしたの」

「ここは『幸せなマイホーム』だよ」

「それは違うと思う」

「なんでッ!?」


 公理さんの明確な拒絶に闇から感じる唸るような怒りの波動。春のはずなのに全てを凍りつかせるように下がる温度。鼻の奥がチリチリする。柚はここにいて、ここにいない。俺たちを包むこの闇の全てが柚。


「柚、ここは柚にとっても『幸せなマイホーム』じゃない。だってね。柚はこの家に引っ越してからこの家で笑ってないでしょう? 少なくとも俺とハルが見始めてからは柚は一度も笑っていない。俺、ずっと覗いてたから知ってる」

「そんなこと……」

「あるよね?」


 闇から沈黙が響く。浅い息遣い。俺たちを全方位から睨みつける視線。それから苛立つような声。


「じゃあどうすればいいの? どうすれば『幸せなマイホーム』になるの?」

「最初に柚が笑えばいいんじゃないかな? ねぇ柚、柚が食べた人たちはちゃんと笑ってる? 幸せになってる?」

「幸せの……はず。私は幸せ。みんなと一緒にいられて……幸せ」


 噛み砕くような、何かを慎重に確認して、そうすることに決めたような返答。


「柚。俺が柚に食べられると俺はこの家から出られなくなるじゃない? 柚が食べて一緒になった人もこの家から出られないんでしょう? この家の中だけじゃなくてさ、一緒に遊びに行こうよ。クラブとかさ。いろんなところに。それでこの家にまた帰ってきて、一緒にいればいい、そのほうが楽しくない?」

「でもこの家を出て行ったらもう帰ってこないんでしょう? 知ってるんだ。お父さんは帰ってこなかった。それにこの家にいる人もみんな死んじゃった。でも一緒になればずっと一緒にいられるんだよ。ここはみんなの『幸せなマイホーム』なの。今もみんなと一緒にいる。この『幸せなマイホーム』で。だから公理さんも一緒に暮らそう?」

「柚?」


 ずっと一緒にいられる。ここはみんなの『幸せなマイホーム』。

 柚も柚自身に呪われて、色々なものが混ざっている。ここにいる目の前の大人の柚は家に守られなかった柚。呪いが他のものと区別せず、これまでの住人と同じように残された現実の柚を飲み込んだ。

 『人を食べると幸せになれる』という呪いによって捻じ曲げられた意思によって『幸せなマイホーム』を求める柚。


 すっかり呪いと混じってしまった柚はもう1人の人間の柚ではなくて、柚を含んだこの家に染み付いた色々な感情を宿した闇。バイアスが全て剥がれて柚とこれまでのたくさんの記録の境目がなくなってしまった。この呪いは解けるのか。柚を他のものから分離することはできるのか。

 けれども呪いと分離するかどうかを選択するのは柚だ。この状態を是とするのか、否とするのか。それを決めるのは柚自身であるべきだ。少なくとも俺や公理さんじゃない。


「九里手さんはどうしたい? 呪いじゃなくてさ、九里手さん自身」

「私自身?」

「そう。本当に欲しいもの、したいこと。音楽が好きなんじゃないの?」

「幸せなマイホーム」


 強固な呪い。最初に呪いをかけた小さな柚は公理さんの中でどう思っているんだろう。いや、柚同士は見えないのか。全ては同じ、幸せを求める柚。


「柚、幸せなマイホームは自分で作るものだと思うよ」

「作る?」

「そう。俺は自分で作ることにした。だから柚もこの家を出て自分で作ろう?」

「公理さんは幸せなの?」

「まだ幸せじゃない。でも作ろうと思う。幸せをこの手で」

「そうだ。欲しいものは自分で作るものだ。だから俺は躊躇わない。九里手さん。ここを押し通る方法なんていくらでもある。火をつけたら流石に通れるだろ? この家の中に入れた以上、取れる手段はいくつかある」

「ちょっとハル、俺はそんなこと望んでない」

「うん。わかってる。でもここを通らないと公理さんの半分は帰ってこない。柚ちゃんを養うにはここを通らないと無理だろ?」

「そうだね。だからとりあえず柚ちゃんに養ってもらうことにするよ。しばらく交代するね、ハル、また後で」


 うん?

 一瞬、俺が支える公理さんの力が完全に抜けてすぐに元に戻る。そして公理さんの手が伸びて柚の闇を貫通した。


「大丈夫。やっぱり私なら通れる」

「公理さん?」

「ハル、行ってくるね。全てが私なら、私は私を通れるの。離れると家が守れなくなるからハルは外に出てて頂戴。ここは全てが呪いの中で私の中。だけど玄関までならすぐだから、ハルの呪いで耐えられると思う」

「ちょっとまて、何のことだ?」

「あと、公理さんが玄関のドアを開けっぱなしにしといてって言ってる」

「藤友さん、公理さんはどこにいったの?」


 公理さんが俺の肩を離れる。

 公理さんが俺の支えなく立っている。

 なんだ? 何が起きてる? 柚には公理さんが認識できないのか?

 それはつまり。


「ハル、私が手を離したら急いですぐに外に出て。家は私のおうちの公理さんとその周りしか守れないの。私がこの呪いの奥にいっちゃったらハルを守れない。外に出てくれないと公理さんの残りを取り戻しに行けない」

「柚なんだな?」

「そう。私は柚。小さな柚。ハルに公理さんから伝言。ハル、俺はやっぱり全部食べられてみることにした。ここから先は俺と柚の道で、どっちに転んでも俺たちは幸せになる、悔いはないからって」


 そうか。目の前の公理さんの中身は公理さんじゃなくて全てが小さな柚。この家の中は呪いの中。物理的な肉体はただのエネルギー源でさほど意味はもたずに溶け合ってただの闇になる。ここは呪いの中と同様に認識と概念の世界。

 そして小さな柚なら柚は認識できない。見つけることも遮ることも出来ない。なぜなら同じものだから。


 それが公理さんと小さな柚が決めた道なんだな。

 公理さんの全ての魂魄は柚の呪いの中にわずかに残った家の残滓まで撤退した。そんなことをして公理さんがこちらに戻れるかどうかの保証なんてまるでないけどそれが公理さんと小さな柚が決めたことなら俺は尊重する。

 りょーかい。俺も最大限手伝おう。


「急げ。開けたら呪いは流れ出る。全て出てしまうと非常食に手を付け始めるぞ」

「藤友さん? 何の話?」


 俺は呪いの闇を玄関まで走り抜けて扉を開けっぱなしにして光を招き入れる。

 家の中に積もりに積もった闇が津波のようにザァザァと玄関を流れ坂道を下っていく。


「ちょっと藤友さんやめて、中身が出ちゃう」

「公理さん返してくれるならやめるよ」

「嫌だっ。なんでっ。どうしてみんないなくなってしまうの!? 嫌だっ! 私を1人にしないで!」

「九里手さんはどうしたい?」


 玄関を閉じようと光の中まで追ってきた柚の手を掴んで無理やり家から引きずり出す。家の外の陽の光を反射する白いブラウスを着た柚の腕は折れそうなほど細くて、玄関を出たところで崩れ落ちた。


「やめて、お願い止めて! 外に出たくない。嫌! 助けて。私から全てが流れ出ちゃう」


 震える柚の肩に手を置いてまっすぐその目を見つめた。

 この柚は憂鬱に人を殺していたけど、それも呪いが意思を捻じ曲げた結果で、ただ幸せを求めただけの犠牲者だ。

 俺は人の意思を捻じ曲げるあらゆる呪いを拒絶する。


「今の九里手さんは九里手さんだけだ。聞いて。今、外には呪いはいない。何も混ざっていない。九里手さんはどうしたいんだ。他の人でもなく、呪いでもなく、ただの九里手さん自身は」

「私?」

「そう。色々な人が混ざった九里手さんじゃなくて、九里手さん自身」

「私は……」


 揺れる視線、柚の心。

 呪いを抜けて明るい日差しの中によろよろと公理さんが現れた。


「大丈夫か?」

「うん、なんとか急いで拾ってきた。ちょっとまだ体の中でばらばらだけど、あとはゆっくりフィックスする。それから最後に音楽を返してもらって全てを閉じる。あとは俺は小さな柚と生きていく」

「そうか。じゃあ九里手さん、俺らは行く。もし九里手さんが外に出たいと思うなら協力する。本当に。それは約束する。俺と友達になろう。だから連絡して」

「ハルちょっと待って、家が柚に話がある」


 公理さんはこれ以上闇が流れ出ないよう家の扉をパタリと閉めて、やわらかな陽光の中に小さくうずくまる柚の隣に座る。


「柚、ハルはね、鬼畜だから自分ができることを他人もできると思ってるんだよ」

「おいちょっと待て、異論がある」

「今俺の中に家がいて、俺とハルを守ってたんだ。だからこの家に入れた」

「なんで家が? そう、そうなの。でもそれで食べれなかったのね。家も私の味方じゃなくなっちゃったんだ」


 柚は呆然と公理さんを見た。公理さんの言葉に対する驚きと絶望。

 柚にとって家は呪いと同じものでずっと絶対的な味方だったはずだ。


「それは違くて。家もいっぱいいっぱいなんだよ。柚を守りたかったけど、家の中に柚が入りきらなかったんだ」

「私が?」

「そう。今柚は家の中に入ると他の人がたくさん混ざっちゃうのはわかるよね?」

「それは、うん。私が混ぜてるから」

「それも多分ちょっと違くて。いや、違わなくはないかな?」

「わからない」

「ともあれ家には入れる限界があるんだ。収容人数っていうのかな。でも今の柚、柚自身の1人分が流れ出さないよう、今の柚を家に入れて守る分には大丈夫みたい。だから柚に家を返すね」

「おい、大丈夫なのか?」

「うん、大丈夫。小さな柚ちゃんを守るのはプロポーズした俺なの。ここは呪いの外だから大丈夫。ハルが扉からたくさん流してくれたからもう呪いは溢れるほどには多くない」


 確かにさっきこの坂を登るときは闇が蕩々と流れ落ちていたのに今はそれは止まっていて、平穏な住宅街に思える。見上げた家の上空も紫に染まったりはしていない。


「だから家はこれからは柚を守るって。柚、家は柚を守りたいんだよ。ずっと昔からね。ちゃんと守ってくれる。どこが一番欠けてる?」


 柚は戸惑いながらも胸の真ん中の心臓のあるあたりを指す。


「うう、そこ触るのはちょっと抵抗が」

「わりとどこもで穴は空いてる」


 公理さんが柚の右手を取り自身の左目に押し当てる。

 しばらくして、公理さんは手を離した。


「穴は閉じた気がする。でも私の中はまた空っぽになっちゃった」

「うん。柚の穴は今家が完全に塞いだ。だからもう家の中でも柚が呪いに混ざることも呪いの影響を受けることもない。最終的にどうしたいかは柚が決めて?」

「私が?」

「そう。もし柚がまた呪いと混ざってこの家の中に居続けたいなら家は止めないと思う。きっとドアをあけて呪いで柚の中を満たしてくれる。でも柚はこの家を出ることもできる。仕事に行って、俺とまた飲みに行ったりもできる。でも外までは家はついてきてくれない。家だから。どうするか決めるのは柚だよ」

「私がどうしたいか」


 崩れ落ちていたさっきとは違って、柚は柚の意思で俺たちを見た。

 代わりに公理さんが車椅子に倒れ込む。やはり急に動くのは無理だろう。何日かは動かさないままだったんだから。


「俺はね、最初柚がこの家に住んでて大丈夫かって心配に思ったんだ。この家は呪われているって聞いたから。でも今は家にかかった呪いは全部とけて、残っているのは柚と柚に混ざっていたものだけ。家は柚を守る。柚と家は同じものなんだよ。穴が塞がっているけどもうわかるよね? でも家が呪いと柚を隔てている限りはもう呪いは柚が連れてきた人を勝手に殺したりはしない。柚の思いは呪いに伝わらないからね。だから家が穴を塞いでいる限り、もし次に誰かを連れてくるなら、柚が自分の手で殺して自分で呪いに混ぜないといけない。家が扉を開けるなら、柚はまた呪いに混ざって外には出られなくなる」

「私が?」

「そう、俺はその方法で幸せなマイホームを作れるとは思えないけど、それはそれぞれ考え方があるから俺がどうこういうものじゃないと思うし」

「幸せなマイホーム……」

「じゃあね、柚。俺は柚とは一緒にはいられないけど、柚の幸せを願ってる。ハルも多分そう。柚、またね。できれば俺は外で柚と遊びたいな」


 柚は玄関の外で坂を下る俺たちをぼんやりと見ていた。俺には見えないが、その隣で小さな家が手を振っているような気がした。

 俺は車椅子に公理さんを乗せて坂を下る。もう闇の溢れることのない明るい太陽の下を。


「あれでよかったのか?」

「うん。大丈夫。今のうちにもう一度だけ呪いの中に入って音楽と小さな柚ちゃんを全部回収してくるね」

「大丈夫なのか?」

「うん。今ならまだ。呪いの内側は基本的に消化されるまで安全だから」

「小さい柚はそれでいいの?」

「うん、柚ちゃんはおれと一緒に外でマイホームを作るんだ」


 公理さんはゆっくり目を閉じた。そのままマンションに帰るまで目覚めずに少し心配になった。

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