温かな闇
私は位波柚。ここは私のおうち。私はずっとここにいた。
ここは幸せのマイホーム。でもたった1人で、1人ぼっちだった。
そのことにこのあいだ気がついた。本当に初めて気がついたの。
私の他に人がいる。私がいるんだから、他の人だっているよね。
どうして今まで考えなかったんだろう。そんな簡単なこと。
それからこの間、世界が揺れて色々なものがこぼれ落ちてきた。
家が少し壊れてしまったけどその端っこから私に家族がいたことを思い出した。大切な、大好きな家族。
お父さん、お母さん、ゆうくん。会いたい。でももう会えない。この世界から出ていってしまった。それも一緒にわかってしまった。
この小さな家のすぐ外にいたのに私はずっと忘れていた。会おうと思えば会えたのかもしれない。悲しくなった。
でも私には公理さんが来てくれた。公理さん。私の大切な人。私に色々なものをくれた人。
このあいだ会ったばかりだけど、私と一緒にいてくれると言ってくれた。
このあいだ一緒に探検をした。今までは移動するなんて考えてもみなかった。家も一緒。この家は私の幸せなマイホームなんだもん。
公理さんは手を握ってくれた。なんだかわくわくした。大きくて暖かい。とっても。公理さん大好き。
「ねえ、柚ちゃんは欲しいものないの」
公理さんは私にそう聞いた。
欲しいもの。これ以上に? そんなものない。公理さんがいてくれればそれでいいんだよ。
公理さんがくれた『音楽』と『甘いもの』はとても素敵で幸せだった。
こんなに楽しくて、幸せなものが世界にあるなんて。
公理さん大好き。
でも他に? 他ってなんだろ? なにもいらないよ。
公理さんは外から来たって言ってた。外ってどこだろう? 家の外とは違うみたい。さらにその外があるらしい。家の外も暗いけど広い。よくわからない。家の外は外じゃないの?
「外にはねぇ、色々なものがあるんだ。ここは真っ暗だけど、外はいろんな色や物に溢れていて。きれいなものがたくさんあって。汚いものもたくさんあるけどさ、でも俺はそんな世界が嫌いじゃない」
ううん、やっぱりよくわからない。きれいなもの、汚いものってなんだろう。
外というところに行ってみればわかるのかな。
「俺の全部がこっちに引っ越してきたら柚ちゃんの髪を切らせてね。今は肝心の右手がないから切れないけれど、きっと素敵に奇麗にしてあげる」
公理さんが髪を切ってくれるって。嬉しいな。
でもその外っていうところにもそのうち行ってみたいな。公理さんと一緒に。公理さんと一緒ならどこだっていい。それにいろんな色や物っていうのを見てみたい。なんだか不思議なところな予感。ちょっと怖いけれど、公理さんはきっとまた私の手を引いて色んな所につれていってくれるよね?
公理さん、大好き。
◇◇◇
ツルルという音が鳴って暗闇に白い四角が現れる。私は慣れた手つきでタップする。
「九里手さん、どんなかんじ?」
「なんかすっごく清々しい。バイアスが消滅して本当によかった」
「それはよかったな。それで俺と公理さんの魄を返してくれないか」
「うーん、どうだろう?」
実際どうなんだろうね?
私は真っ暗な世界を見渡す。どこもかしこも真っ暗闇。ここはどこなんだろう? 私はちょっと前まで家にいたはずなのに。さっきまで玄関にいたよな。手探りで触る。いたっ? 何かにぶつかった。
あれ、これは靴箱の角かな。そうすると玄関はこっち?
ノブを探り出して開ける。パァと光が私を照らす。水槽を倒した時のように私を包んでいた闇がザアザアと坂を流れ落ちていく。
なんとなくまずいような、中身が減っちゃう気がしてすぐに扉を閉めた。
「九里手さん?」
ああそうだ、藤友さんと電話してたんだった。
「ええと、家の中が真っ暗になっちゃった。真っ暗すぎて何も見えないや。だから他の人がいるかどうかはわからない。もう本当に見えない」
「そうか。それで九里手さんはこれからどうしたい? 穴は埋まったか?」
「穴? あ、埋まってるのかも? でもどうだろう、よくわからないかも」
「よくわからない?」
「なんて説明したらいいかよくわからないけど、例えばこれまでの私はカットされていないレンコン」
「レンコン? 野菜の?」
「そう、だから私の中に空白がたくさんあった。それで今はカットされたレンコン」
「悪化してないか?」
「ええと、この家の中は泥? カットされた私の中に泥が全部詰まったような感じ。でもさっき一瞬家の外に出たら私の穴から泥が流れて行っちゃった」
「よくわからないな」
「まあそうだよね。なんか、この家の中にいる限りすごく満たされてる感じがする」
そう、本当に満たされてる。今までの空白感ってなんだったんだろう。わからない。そうか。空白って埋まっちゃうとどこにあったのかも、それが何だったのかもわからなくなるのか。
なんだかすごく変な感じだ。
「それでその泥の中に俺や公理さんはいるのか?」
「ううん、いると思うけどわかんない」
「わからない?」
「そう。埋まってしまった、というか逆なのか。私が泥にすっかり浸かってその一部になってしまったから、他のと区別がつかなくなっているのかな。今は何がなんだかわからない」
自分でも何を言っているのかよくわらかないな。でも本当にそんな感じ。
私の中に公理さんや藤友さんがいる。少し前までは呪いを通じてそれがはっきり伝わっていた。自分と食べて混ざる前の他の人は明確に自分と異なって、呪いがその中に2人の一部を保持していた。なのに今は私も呪いも全部ごっちゃごちゃになってて区別がつかない。なんだろこれ。不思議な感じ。温かいお湯の中に浮いているような。
「そんなわけで私はすごく満たされてる。藤友さんが言ったことは本当だった。この家は私と私の呪いと友達で満ちたよ。ありがとう藤友さん」
「さてとうしたものかな。ん? あれ? 九里手さんは今後外に出るつもりはある?」
「えっあるよ? 仕事行かないとだし」
「外に出ると中身が全部出るわけだろ? 大丈夫なのか?」
「えっそうか。試してみる。」
玄関を開けて明るい外に出て、急いで扉を閉める。なるべく家から中身が流れ出さないように。それでも自分の中からざらざらと何かが流れ落ちていく。しばらく待つ。
止まった。止まったと同時に怖くなった。
私は何? ここにいるの? からっぽ。足元が震えるような、虚無感。私がまるで骨と皮しか無くなったみたいで。中身がないみたいで。温かい日差しの中で、カラカラに乾いて空っぽになった私。白い。一人ぼっち。外には私に繋がるものが何もない。怖い。
あわてて家に戻る。そうするとすぐに満たされた。さっきまでの空っぽが何だったのかわからなくなった。
「藤友さん、やばいかも。外に出たら足下がグラグラした。怖い。どうしたらいいんだろう」
「外に出れないと困るよね」
「本当困る。どうしよう。助けて」
「九里手さんはどうしたい?」
「えっ?」
「死ぬまでずっとそこにいる? それとも頑張って出てくる?」
「死ぬのはやだ」
「そうだよな、俺も嫌だ」
「……だから魄を返して欲しいって話?」
「ちょっと違う」
違う?
「だから俺はそっちにいけないんだ。死ぬから」
「ああ、まあ、そうだね」
「だから九里手さん遊びに来る? 公理さん家に」
「はは、ちょっと無理かな」
◇◇◇
目的の設定。
当初の大目的、扉の消滅は完遂。
現在の目的は俺と公理さんの魄の奪還。その可能性の検討。
対策を立てるための現状の把握。
柚の呪いは溢れた。バイアスとは何かと尋ねた時、家は自分の上に積み重なるものと言った。積み重なる蓋は無くなった。いま家を塞ぐものは何もない。家の奥底にたまりにたまった不幸からなるエネルギー、バイアスの底に堆積していた呪いは溢れた。多分、細胞壁や細胞膜がなくなってその中身が溢れたんだ。自分の細胞を包む隔壁の消滅。融解。腐敗。
そしてそれに柚の独自の呪いとその保持するものも全て混ざった。
柚と電話したところでは、辛うじて家自体の物理的外壁によって、呪いが外界に流れ出すのを留めているようだ。皮膚。家という薄皮。その皮の中は全てがドロドロに溶け合っている。穴は埋まったんだろうな。柚も柚がこれまで食べたものも全て溶け合って。
問題はそのドロドロの中に俺と公理さんの魂魄がまざっていることた。それだけ取り出すことは可能なんだろうか? 俺と公理さんの魂魄はどんな形態で混ざっている? そこを特定したい。
だが特定する方法は1つしかない。呪いの中を探検して探すこと。既に扉はない。
また喧嘩した。俺の方がまだ正気だ。もはや扉はないから俺がこちらに残る意味はない。公理さんの方がセーフティーポイントがある。平行線を続けていると、挙げ句の果てにこう言われた。
「もういいもん。勝手に行ってくるもん」
頬を膨らませている。ずるすぎるだろ。はぁ。この人少し幼児退行してる気がするな。やはり見えない部分で魂に負ったダメージがでかい。
けれど、ダメって言っても本当に行っちゃうんだろうな。うぜぇ。
「わかった。じゃあそれを前提に作戦を立てよう」
「作戦?」
「そう、目的の設定とそのための方法を決めて、それ以外のことはしない、勝手にプレゼントするのはだめ」
「えぇ〜」
うん。やはり状況は悪い。判断力がない。駄目だ。
「公理さん、小さな柚ばっかりにプレゼントするのはずるいだろ?」
「えっそう?」
「そうそう、俺にもなんか寄越せよ」
「何が欲しいの?」
「髪を切って」
「髪?」
「そう、公理さんは美容師だから、俺の髪を切る。わかった?」
「うん。わかった」
「だから、この間相談した渡しちゃいけないものは渡しちゃだめだ、散髪のこととか、カッコよく切るための美意識とか。俺は切られてカッコ悪くなるとか嫌だからね。公理さんは美容師なんだから。わかった? いい?」
「うん」
にこにこしている。
本当に大丈夫かな。ダメなような。
じゃあ作戦。
まずは現状の分析。1番の目的は柚の呪いの中がどうなっているか、その中に何がいるかを確認すること。2番めの目的は現状が変わらない場合に大きな柚の他人を食べたいという目的は変わっていないのか。今も公理さんを食いたいのか。
それ次第ではひょっとしたら返還を交渉できる、のかも、しれない。望みはかなり薄いが。
それから小さい柚の確認。小さい柚は小さい家の中にいたはずだ。家もどうなったのか。呪いの中で協力者は確保できるのか。
今回はあくまで現状の確認だけ。確認が済んだら速やかに撤退すること。何もわけてこないこと。
うんうん頷いているけど、ちゃんと聞いてるのかな。
「大丈夫。あ、ハルのなんかで持ってけるものないかな」
「俺のなんか?」
「そう。最終的に魄を取り返すんでしょ? 俺は呪いの中に入るからその中で自分の魄の見分けが付くけど、ハルは見分けがつかないじゃん」
「俺と認識できるもの、か。呪いに持ってけるもの?」
「そう」
これまで持って行けたものはなんだ? そんなものあったかな。持ち込めたものは傷ぐらいか? だが公理さんに怪我させてもそれは公理さんの怪我だろ?
考えろ。何かなかったか。俺と呪いの中をつなぐもの。呪いと繋ぐ。
……請園恭生のバイアスを消滅させた時の実験。扉を開けずに呪いを早期に扉の向こうに追いやるための実験。
そもそも『呪いの媒体』は扉を開けてると扉越しに俺を齧ろうとやってくるが、齧った後は目的を失って俺の周りで滞留する。家の呪いは俺の呪いに少しずつ追い出され、時間が経てば閉じた扉の隙間を通ってより多くの『呪いの媒体』がある扉の向こうへ戻っていく。
公理さんは食われたところが呪いに繋がっていると言っていた。呪いの中はまさに呪いで、その先には『呪いの媒体』が溢れかえっているのだろう。だから俺は公理さんを見習って意図的に左小指の先を扉の先の『呪いの媒体』に混ぜた。公理さんと同じように俺の左小指を扉の先に突っ込んで、呪いに食わせて繋げた。
効果は劇的で、なかなか動きを見せなかった俺にまとわりついた『呪いの媒体』は、あっという間に左小指を通って呪いに、より大きな呪いの塊に帰って行った。調整失敗して薬指も取られたけど。だから俺の左小指と薬指は呪いの中に落ちているはずだ。首も落ちてるだろうけど首から広げるのは頭ごと取られそうでゾッとしない。
「呪いの中から俺をたどれないなか?」
「うん?」
「前に実験した時、左の小指と人差し指を呪いの中に落っことしてきた」
「えぇ? 俺にはあんなに置いてくるなっていうくせに!」
「公理さんみたいに考えなしに置いてきてるわけじゃない」
「うぇぇこの流れでなんで俺が責められてるのさ。それに隠し事はなしって言ったのに」
「行いが悪いんだろ? これはそういう話になる前のことだ。言ってなかっただけ」
酷い、嘘つき、という声を無視して説明を続ける。
公理さんは大きく食われた左半身の魄を通って呪いに入る。でも右の小指と薬指も魄を食われてる。だから手を繋いで、接する俺の小指と薬指の先を探せないだろうか。呪いと呪いをつなげれば、多少なりとも何か反応があったりしないだろうか。
「そんなロープ繋ぎみたいな真似できるの?」
「可能性があるなら試すべきだ。今のところ他に方法は思いつかない」
「ううん、男と恋人繋ぎとかまじ勘弁なんだけど」
「このまま死んだら誰にもバレないから安心しろ」
「ハルはほんと酷いよね」




