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叫ぶ家と憂鬱な殺人鬼(旧版  作者: tempp
第7章 位波家心中事件

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俺のかけら

 家に帰るのが怖い。

 『幸せなマイホーム』のはずだが怖い。何が怖いのか、もはやよくわからない。

 あの家は『幸せなマイホーム』でなければならない。『幸せなマイホーム』? 『幸せなマイホーム』ってなんだ?


 ローンは実際厳しかった。新築だ。営業成績を上げないといけない。帰宅の時間も少し遅くなった。疲れがたまる。ゆっくりしたい。


「おかえりなさい、あなた」

「お父さんお帰り」

「ただいま、楓、柚。有一はもう寝たのかな」

「ええ、布団で寝てるわ」

「お父さん、『幸せなマイホーム』なんだからもっと早く帰ってよう」


ピキリ、と自分の中で何かがひび割れる。

オレハ、コレデモ、ナルベク、ハヤク


「そうだな、明日は頑張ってもっと早く帰るよ」

「お父さん、今日は私がオムライス作るんだよ」

「ああ、楽しみだな」


 台所で踏み台を使って柚が卵を焼く。それを楓がチキンライスが山型に盛り付けられた皿に移す。その上にケチャップで柚が絵を描く。


「お父さん、おいしい?」

「とても美味しいよ」

「よかった!」


 にこにこと笑う柚。

 その背後に広がる惨状。食器が積み上がるシンク。シンクの脇にまとめられた腐臭のするゴミ袋。物が散らかる部屋。部屋のすみに積もる埃。

 頭の端でまたピキリピキリと音がする。


「楓、できればもう少し片付けを」

「ワタシわ、もう少し」

「お母さん、私手伝うね」


 翌朝、家を出て正気に戻る。

 あの家にいる間は『幸せなマイホーム』でなければならない。そういった強い思い込みが働いている気がする。

 家に帰るのが怖い。


◇◇◇


 ゆっくり目を開けた。心配そうなハルの顔が見えた。


「大丈夫だよ。ちゃんと声も聞こえた」


 前回はゆさぶって起こされたけど、手をつないだ感覚がわかるなら声も出せるかなと思って実験したんだ。穏当に起きるほうがいいんだよね。もちろん意識がなかったらゆすって起こしてもらわないとだめだけど。


「なんか減ってないか?」

「ん……」

「その顔はなんか減ったんだろ? 何が無くなった。正直に言え」


 ハルの顔がすごく怖い。すごく怒ってる?


「えっと、お菓子」

「お菓子?」

「多分甘いものがわからなくなった」

「駄目だ。それは駄目だ。絶対だめだ。公理さん甘いもの好きだろ?」

「甘いもの好きだから小さい柚にもあげたくなって」

「駄目だ。一度話し合いをしよう」


 話し合い? ハルがすごく酷い顔をしている。

 そばにあった干菓子になんとなく手を伸ばして口に入れる。なんだかぼさぼさする。甘くないのか。ちょっと残念。甘いってどんなんだっけ。


「公理さん、あんた自分がわからなくなってる」

「どういうこと?」

「自分を構成するものが何かが把握できてない」


 うーん? 俺は俺だろ?


「前に喜友名晋司の時に話したことを覚えているか? 意識が浸食されるときは全体を俯瞰で見て多少の損耗を気にせず拠点を守るように言った。覚えてるか?」

「うん」

「あんた今、自分の中でどこが大事かが判断できてない。拠点がぼろぼろ落ちてる。多分公理さんの魂は虫食いだ。公理さんが認識している以上に食われてる。あんたにとって音楽も甘いものも癒しで大事なものだったはずだ」

「そうなのかな、よくわからない」

「そう、よくわからないから駄目だ。もう潜っちゃだめだ。いいな」

「でも、俺が潜らないと解決できないんじゃないかな。それに俺の魂が食われても体が残ってるからハルが取り戻してくれるんでしょう?」

「そうだ、そうだが損耗率がでかすぎる。すぐに廃人になるぞ。見合う効果がないと意味がないんだ、わかるか?」


 ハルが歯を食いしばっている。何か、すごく罪悪感。よくわからないけど俺のせいだよね。ごめん。

 見合う効果。


「あのね、小さな柚は大きな柚を認識できなかった。それから呪いが小さな柚を食べることもなかった。小さな柚はこれまで家から出たことがなかった」

「うん?」

「家の中にいた小さな柚と一緒に呪いの中に出たんだよ。呪いの中の小さな家はシンプルにあの家自身だと思うんだ。家は多分自分の中にいる小さな柚を守ってる。それが自覚的なのかどうかはわからないけど、だから家は柚を助けたいんだと思うんだ」

「そうか」

「大きな柚と小さな柚はお互い認識できない。これはどっちなんだろう」

「どっちって?」

「全く違う存在だから認識できないか、全く同じ存在だから認識できないか」

「なんのことだ?」

「両方とも同じ柚なんだよね。自分って自分のことがわかるのかな。全然違うっていうのは時間軸とかいる場所が違うっていうか。ええと、バイアスみたいなもの? 次元が違うから同じ空間にいても出会えない可能性があるのかなと思って。それから呪いっていう1つの世界にいる同じ自分自身だから会えない可能性があるのかなって。これはなんていうか」

「……よくわからない」


 んん、説明がむずかしくて、何て言っていいかわからない。


「俺は自分の中にいくつか自分がいる。多重人格とかそういうのじゃなくて、感性的な問題で。気分によって感じ方が変わることがあるでしょう? 妙に怒りっぽかったり、妙に楽しい気分になったり。それってたまたま表面にどんな自分がいるのかっていう話だと思う。怒りっぽい自分と楽観的な自分。どういう自分が表面にいるかで気持ちや行動が変わるんじゃないかなって思ってる。でも怒りっぽい自分は楽観的な自分を別のものだと感じとることはできないよね?」


 ハルはやっぱりよくわからないっていう顔をしている。

 まあ、ハルはそんなに余裕はなさそう。ハルの中にはそういう揺らぎはないのかもしれない。少なくとも表面に出ている部分に関しては。でもきっとハルの奥底のほうにはよく笑うハルやよく泣くハルもいるんじゃないかな。なんとなくそんな気がしてきた。なんだか悲しくなった。


「公理さんが言っていることはよくわからない」

「そう。もう少し考えてみるよ」

「本当に大丈夫なのか? 譲り渡してはいけないものをすり合わせよう」

「うん」


 見合う効果にはなったのかな。

 俺が渡してはいけないもの。俺の魂を構成しているもの。芸術に対する感性。食事関係。散髪とか美容関係。それから。

 んんそう考えると、何だったら小さな柚にあげていいのかな。でもあげる前提の話をしたらハルは怒りそう。あちらに引っ越すなら少しずつ移したいのだけど。そもそも俺の手の魄を取り戻せないと髪切れないんだから、散髪はいらなくない?


◇◇◇


 真っ剣に公理さんがヤバい。最初に呪いに入ったのは昨日の夕方なのに、もう半分以上呪い側に傾いている。その自覚もない。

 どうしたらいいんだ本当に。


 もちろん俺も公理さんも魂魄を取り返せるなら当然取り返すつもりだ。だが今は対策がない。思い浮かばない。

 魂も魄も取り返せない可能性はある。相応に高いと思っている。早めに公理さんに最終的にどうしたいか尋ねるべきだろうか。いや、駄目だ。今選ばせると公理さんは早々に呪い側に行ってしまいそうだ。せめて完全に無理だという目途が立つまでは。少なくとも位波のバイアスを消滅させて呪いがどうなるかを観測するまではだめだ。言えない。

 とりあえず公理さんを休ませた。酒もなくすぐに寝た。抵抗は失われていないだろうな。心配だ。


 今できることを考えよう。

 呪いは柚か。公理さんは呪いの中で大きな柚と小さな柚と話したと言っていた。

 公理さんが言っていたのは大きな柚と小さな柚が違うものでバイアスが隔てている可能性。俺が見た夢の中の小さな柚は公理さんが見た小さな柚と同じものだろうか。柚が呪いの中の大きな柚と表裏のように。

 それならばバイアスが隔てているという理屈は一定理解できる。呪いの中ですら分かたれているなら、バイアスが消滅すれば一体化する可能性がある。小さい柚が今の柚の欠けたものであればそれで穴が埋まって余剰な俺たちの魂魄を取り返せるのかもしれない。

 もう1つは小さな柚と大きな柚子が同じものだからお互いを認識できない可能性。これは意味がよくわからない。


 公理さんは大きな柚子が食べられるかどうか聞いてきたと言っていた。断れば食べられることはなかった。食べられたくないといえば食べられないでいることができるのだろうか。

 だが公理さんの様子を見ると次第に食べられることに抵抗がなくなるように見える。おそらく魂魄ごと食われたら、早々に食べることを容認してしまうかもしれない。


 柚はおそらくこれまでの『呪いの依代』と同様に呪いを展開している。これまでの『呪いの依代』は『呪いの媒体』を使ってその望みを遂げた。柚の望みは親しい者を食べること。柚は公理さんを食べたい。そして呪いに食われて公理さんも呪われた。公理さんが柚に食べられたいと願うようになってもおかしくはない。神目教の信者が松果体をくり抜きたいと考えたように。


 食べると仲良くなる。

 柚の言葉を思い出す。食べると柚と一体化する。食われた者は呪いの中にいると魂が変質して、その主観的にも柚と一体化することを認容していく。つまりそれはお互いが求めあうということだ。そうすると柚の心理とも乖離しない。糞。公理さんが本当は食べられたくないと思っているという方向で柚を説得して解放させることは困難か。


 今までもそうだったんだろうな、食われた魂魄自身が呪われて、一体化することを望むんだろう。だから柚は魂魄が望み通り食い尽くされて消化されるまで律儀に冷凍庫で肉体を保存した。魂魄がやっぱり肉体に帰りたいといえばいつでも帰れるように。冷凍しては死んでいるなら戻れるものではないだろう。あるいはひょっとしたら本当にただの仮死状態なのかな。

 一見優しい自己満足。どのみち全てを捻じ曲げる呪いの意思。一体化するともう帰れないからただの肉として処分した。

 柚は一体化したい者を連れてきて呪いに食わせ、呪わせたまま食われることを選択させた。これでも殺しているのは家だというのか。そう言い張るのか。柚。


 あれ? 家? なぜそこで家が出てくるんだ。おかしい。公理さんも最初に歌菜が食われるのを見た時食っているのは家と言った。そういう印象なんだろう。

 でも誘いかけているのは呪いの中の柚なんだろう? 家は白い小さい柚を守っている。食わせたいのは家じゃない。

 何かが、おかしい。全てに柚がいる。だがわからない。とりあえず保留。


 もう1つのズレ。現実の柚は呪いに意思はないと認識していること。公理さんは大人の柚と言っていたから現実の柚に近しい存在なのだろう。公理さんの言っていた同じものは認識できないという理屈だと、現実の柚と呪いの中の柚は同じものだから認識できないのか? だが現実の柚は呪いは自分とは異なるものと認識している。

 この辺は正直よくわからない。俺にはわかりそうにない。やはり保留。


 あとは柚が家に帰るまでは保留だ。他にできることはないか。

 扉はだめ、夢もだめ、俺が呪いに入るのは……駄目だ、もし帰ってこれなかった場合リスクが高い。公理さんほど呪いの中の柚に好意的に思われていないだろう。まだ友人でないならば。

 何が起こるかわからない。手詰まりだ。本当に。調べられることはないかな。

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