お姫様の手を引いて
玄関をガチャリと開ける音が聞こえた。あ、ハルが返ってきた。
んん、俺、身だしなみが整っていない。お風呂入らないと。お風呂入りたい。あれ、昨日はお風呂入らずに寝ちゃった。臭い? うーん、気になる。嫌だな。
「帰ったよ」
「ハル、お帰り」
「飯作るからまってて」
「ん……あのお願いが」
「何?」
「お風呂まで連れてって」
「わかった、冷蔵庫に食材だけいれるからちょっと待ってて」
ハルは風呂に湯をため始める。
俺は風呂が好きなんだ。風呂というか頭を洗うのが。髪の毛を奇麗に洗いたい。なんか多分左後頭部あたりがうまく洗えていない気がする。さわると少しガサガサするからシャンプーとか流し切れてないのかもしれない。指が右手3本しか動かない。動かない2本が邪魔をして角度的に届きにくいところがある。動かないならむしろないほうが奇麗に洗えそうな気はするんだけど。
髪流してもらうのだけ手伝ってもらう?
ううん、でもやっぱなんかいやだな。あんまり頭を触られるのは好きじゃないし風呂はやっぱり1人がいい。
肩を借りて風呂に連れてってもらう。こっからは1人でなんとか服を脱いで湯船に浸かる。あったかくて気持ちいい。ああでもリラックスしすぎちゃダメなのか。難しいな。
ぽかぽかとあったかいお風呂で天井を眺める。風呂でぼんやりしている時間は前と変わらないな。外に出られなくなったからお風呂が一番の楽しみだ。クラブで飲みたいな。ああでも、クラブ行っても音楽わからないのか。置いてくるのは違うものにした方がよかったかな。
でもあの小さな柚は音楽知らないみたいだったから、それはそれでいいんだ。とても嬉しそうで楽しそうだった。俺の好きなものを少しずつあの小さな家に移そう。柚は嫌いじゃない。だから別にいい。
「公理さん大丈夫か?」
「うん、大丈夫」
ノックの音がして、10分に1回くらい声がかかる。まあ、さすがに自宅でおぼれたりはしないと思う。そろそろ頭を洗おうかな。指が動かなくて嫌だ。このまま体が動かなくなったらってこの間から考えていたけど、1番嫌なのって頭洗えないことだったのかも。
髪もちょっとカットしたい。ハサミチョキチョキって。はぁ。もう動かないのか。なんか改めて考えると鬱い。でもまあ、別にまだ後悔はしていない。だってこれは俺がハルを巻き込んだんだから。仕方ない。俺の罪で罰。
呪いの中の小さな家を思い出す。
あの小さな白い家はセーフティゾーンだと思う。呪いは入ってこられない。家が小さな柚を守ってる。あの中だったら俺が消えることはそうそうないのかなとも思う。俺が全部食べられたら魂魄がそろう。あの家で小さな柚の髪を切って暮らすのも悪くないかもしれないな。ちょっとそう思ってる。こんな風に考えるのも呪いの影響なのかな。
でもその前に俺はやらないといけないことがある。ハルの魄を取り戻す。これだけは絶対に。俺がハルの魄を奪わせた。俺が巻き込んで、ちょっと見るだけなら大丈夫だと思って。1人で行くのが怖かったから無理にハルを連れて行った。
なんて事を。巻き込まなければよかった。ハルの首筋。このままじゃ、柚の呪いが解けたとしても俺のせいでハルが死ぬ。すぐに死んじゃう。だから俺は必ずハルの魄を取り戻す。それだけは。
「おい。飯出来上がるからそろそろ風呂あがって」
「ん、わかった」
なんとか服を着こんで肩を借りる。髪にドライヤーをかけてもらう。片手じゃできない。ドライヤーを壁かどこかに固定すればいいのかな。うーん。ハルの持つ櫛が髪を漉く。やっぱり人に髪をさわられるのはちょっと不快感。とてもありがたいけど、髪のことは自分でしたい。これは俺のこだわり。だって俺美容師さんなんだもん。
仕上げにパスタが茹で上げられてクリームに絡められる。優しいいい香り。
今日の昼ごはんはファルファッレとコンキリエのベーコンとほうれん草とクリームのパスタ。パスタがちょうちょの形と貝の形をしていてかわいい。ハル本当に料理得意だよね。クリーム滑らか。おいしいしちょっと元気でた。女の子の髪の毛をデコりたい。このパスタみたいにたくさんリボンとか華とかつけて。小さな柚に似合うかな。
雑誌の仕事いくつか休んじゃった。続くとお仕事なくなるんだろう。でも手が元に戻らないとそもそもお仕事できないな。リボン型のパスタをフォークで突き刺す右手を見る。このフォークを持ってるところ以外全然動かない。
「公理さん大丈夫か?」
「うん? 大丈夫だよ」
ハルが心配そうに俺を見てる。何か昨日から、少しだけ距離が近くなったように感じる。
でも俺はそんなに駄目そうかな。うん、駄目なんだろうな。なんだろうこの気持ち。ふわふわして正常とは少し違うところにいる気はする。お風呂の中でぽかぽかしていた気持ちが続いているというか。
ううん、でも後悔はしてないんだよ。本当に。どっちかっていうとハルのほうが後悔してるでしょう? 全然顔に出ないけど。
ハルは俺に不幸はいつものことだって言う。前にも家の件がなくてもハルに不幸は舞い込むから、今は家の呪いで不幸を消費しているだけだと言っていた。本当にハルが不幸なのはいつものことだ。だから今更後悔なんてしないのかな。全部そのうち失くすものと諦めてるから? でも俺はハルに普通に笑ってほしいんだよね。
この間ちょっとハルの素の表情を見たけど、あんなふうに怖がってる顔じゃなくて、笑ってる顔がみたいな。
「やめとく?」
「なんで?」
「だって、公理さんおかしいだろ。ぼんやりしすぎてる。下手に入ると戻ってこない気がする。公理さんが戻ってこないと勝率が落ちる。だから無理なら休憩を少し長くとろう」
「大丈夫だよ、本当に。ちゃんと戻ってくる。信じて」
戻ってこないとハルは死ぬ。それに俺が入らないとハルはまた俺が知らないところで無茶をするんでしょう? それは嫌だ。俺はハルをもとに戻すためにちゃんと戻ってくるよ。
ハルは大きくため息をついて食べ終わった皿を流しに片付ける。茶葉にお湯が注がれて、しなっとする時のふうわりした特徴的ないい香りが漂っている。
これ、ハルが好きな香りはいいけど苦いお茶だ。俺は苦いお茶があんまり得意じゃないから砂糖を入れてくれる。最初マジかと思ったけど、これはこれで悪くない気がしてきた。まあ、よく考えると紅茶も砂糖いれるしな。
ハルの冷たい手の甲が額に触れる。脇から取り出された体温計を確認する。熱はないと思うんだけど。そのほか色々体の諸所の動きを調べてハルは頷いて、ようやく俺の手を握る。
「ハル、じゃあ行ってくるね」
「必ず帰って来いよ」
「わかってる、大丈夫だから」
本当にわかってる。ちゃんと帰るから。俺はなんとしてもハルをもとに戻す。それだけは必ず。俺はどうなってもいいから。
意識をゆるゆるとほどく。さっきのお風呂の白い天井。ぽかぽかした暖かさ。布団の柔らかいぬくもり。ハルの手だけが冷たい。んん、今度はあの闇の先に俺がいるのがわかる。あちらがあの小さな柚の家。さらさらさら。ゆっくりとあちらに流れていこう。
こんにちは公理さん 本当にまた来てくれたのね 嬉しい
「約束したからね」
それで藤友さんの魄でしょう? 頑張って探したの でもよくわからなかった
「探してくれただけで嬉しいよ。でもどうしたらいいかなぁ」
俺は呪いに入る前に調査事項をハルと一緒に検討した。
最初に入った時の調査事項は呪いの中で本当に魂魄が損耗しないのか、だった。
今回は呪いが柚なのかどうか。ようはこの呪い自体を柚に再び混ぜることで捉われた魂魄を解放できる可能性があるのかということ。
でも俺はその目的にこっそりハルの魄の分離を追加する。
でもどうしたらいいんだろう
人がいるところはわかるんだ
でも多分私にそのハルっていう人がどういう人かわからないのが問題なんだと思うんだ
「ああそうか。それもそうだな。探すものがわからないとだめだよね。どうしよう」
今度来るときにそのハルの一部を持ってきてもらえないかな?
ちょっとでもいいの わかれば見つけられるかも
「一部か……。ちょっと考えてみる。それより今日はこの呪いが何でできているか知りたいんだ」
何で?
うーん、なんて説明したものかな。
小さな家のリビングから窓の外を眺めると、深々と闇が降り積もっていた。そういえばこれがハルが見ている柚の呪いの姿なのかな。なんだか夜みたいで少し落ち着く。
この小さな家の中だけ白くて明るくて、家に守られていた。それから俺がここに置いてった音楽が流れていた。俺の好きなプログレ。五感が失われないことを確認するため今も外でかかっている。外では無味乾燥だったのにここだと俺がこの曲が好きなことがわかる。電子音のゆらぎが気持ちいい。変なの。
「俺は最初にここに入った時に大人の柚と話したんだ」
大人の私?
「そう、この外には大人の柚の意識がどこかにあると思う。それでそれが外につながっているはずなんだ」
外?
「そう、外。俺が来たところ」
小さな柚は不思議そうな顔をする。
そうだね、この柚は小さいからずっとここにいたんだろう。ここでずっとか。1人で寂しくなかったのかな。寂しいよね。ううん、でも今は優先しないといけないのはハルの魄を取り戻すことで、その為の大人の柚との接触。
「俺が来たところってわかるかな」
わかんない、私はこの家から出ないから
「そっか。じゃあ俺はちょっと外を探検してくるね?」
まって私も行く
「大丈夫なの?」
小さな柚がここに閉じこもっているのは理由があるんじゃないのかな。外に出るとまずいとか。
大丈夫だと思うよ?
「そう? でも無理しないでね」
俺は小さな家のドアを開けて小さな柚の手を引いて出かける。
そういえば普通に歩いている。久しぶりだな、この感覚。
真っ暗ね
「そうだね」
振り返ると小さな家がキラキラきらめいている。クリスマスのオーナメントみたいだな。
大人の柚はどこだろう。
「柚いるかな」
あら 公理さん 私に食べられる?
「まだかな。ハルに魄を返したい」
ねぇ 誰と話してるの?
あれ? 小さな柚は大きな柚の声が聞こえないのかな。
小さな声で小さな柚の耳元で話しかける。なんだか秘密の内緒話みたいだ。
「今、大きな柚と話しているんだよ」
大きな私? 私も話したいな
「公理さん、そろそろ時間だ、起きて」
ハルの声が聞こえた。意識的に喉の筋肉を動かす。なんとかできた。声が出た。
「あ、ちょっと待って、小さな柚を家に帰したらすぐ起きる。柚、俺はまた一度帰るから、また後で来るね」
わかった 待ってるね
そういえばここで柚たちと話すのに口を使っていない。脳波とかで話しているのかな。テレパシーとか。不思議。
小さな柚の手を引いて小さな白い家に帰る。玄関先で手を振る柚。そうだ、何か贈り物をしたいな。ええと。これをあげるね。女の子なら喜ぶと思う。
ありがとう、公理さん。またきてね
「うん、ばいばい」




