砂糖のような光
「最後に食べたいものはある?」
「満漢全席?」
「無茶言うなよ、もうちょい簡単なものにして」
「そうだなぁ、カツカレー?」
「それはそれで単純すぎるだろ」
衣をつけた豚肉を鍋に投入する。ジュワという一際大きい音がして、フチフチと小さな油の粒が跳ねる。いい豚の脂身からは木の実のようないい匂いがした。米にのせてカレーをかける。パリパリした揚げたての食感は無くなるのにカツカレーって美味いよな。
「かわいい女の子とイチャイチャしたい」
「残念だったな」
「本当にね? はぁデリヘルでも呼ぼうかな?」
「知らない奴を家に呼ぶの嫌なくせに」
「本当にね」
柚の呪いの前に位波のバイアスだ。これを消滅させるには呪いの構成要素である霊を家から出さないといけない。
瀧本家が柚の部屋に集まったとき、位波楓は瀧本夏観に憑依したか、霊媒師によって消滅したのではという話も出た。でも瀧本のバイアスの中でも公理さんは瀧本家とは別に位波家が見えていたし、今いる位波のバイアスの中でも位波楓は消滅していなかった。柚も位波楓が和室にいるのを確認している。とすれば位波楓と位波有一を家の外に出さなければバイアスは消滅しない。
そもそも位波楓と位波有一はおかしい。
新しいバイアスが構築される時に古いバイアスは封じ込められるはずだ。なら、位波事件の『呪いの依代』である位波楓が死んだ時に位波楓は自身のバイアスの中に閉じ込められたと考えるのが筋だ。だが家は位波家が心中したときにバイアスがあったかは定かではなく、悲劇の起こる前の瀧本家では位波楓と位波有一の幽霊がいたらしい。
それからあの瀧本夏観の事件の時の海の底のような『呪いの媒体』。あれを位波家のバイアスから引き出していたのなら、やはり位波のバイアスにその元となるものはあったはずだ。だが家はそれを見ておらず心当たりがないという。
それから夢の中で部屋に侵入した呪いは柚の呪いがバイアスを超えてきたものと思われる。位波楓の呪いなら柚の部屋に入れないはずだから。
柚は当然柚の部屋に入れる、だから柚の呪いも部屋に入れるという推測。だって自分の部屋なんだから入れてもおかしくないだろう。それに家も柚の呪いだと言っていた。家は呪いに吸い込まれると言って急いで俺を起こした。家が吸い込まれる。それが真実なら、家を閉じ込めているのはやはりバイアスの呪いではなく柚の呪いではないか。
今俺は正体がわからない位波の呪いと柚の呪いに挟まれている。よくわからないことばかりだ。
もう手立てがない。
夢にはもう入れない。記憶がないまま夢で柚の呪いに会うということは食われて即死することと同義だ。扉から覗いたとしてもあの部屋以外は動けない。それに今までは何故か柚の呪いは柚の部屋に入って来れなかったが、今後はわからない。
柚が帰宅すれば呪いの情報が伝わる。夢で柚の部屋に入れたことが伝わる。それなら扉から見る時も柚の呪いが部屋に入って来れる可能性はある。むしろ入れないと考えるのが不自然だろう。扉から覗くのも危険だ。あの廊下の外のように呪いが充満していれば一瞬で動けなくなる可能性がある。
そうすると、他には手をつけていなかった最後のルートしか思い浮かばないし、相対的に最もましだ。つまり呪いの中から呪いを調べる。
どちらが行くかで喧嘩した。最終的に俺が負けた。言い負かされた。
俺たちは直接あの家に行くことはできない。行けば食われて死ぬ。
そうすると何かのために俺の扉を通るルートは残さなければならない。俺がいないと扉は開かないし、公理さんの声は扉の向こうに届かない。だから俺の存在は必須。
公理さんの魂魄が食われても体さえ生きていれば呪いを解けば回復する可能性がある。最終的に俺が解決しなければ公理さんは半身不随だし、いつか油断して呪いと繋がるだろう。公理さんは如実に抵抗力が弱くなっている。柚に食われることに抵抗が乏しい。抵抗力が失われた時、結局全て食われる。
幸いにも俺は扉の中のリアルタイムの柚が見える。柚は霊が見える。俺は柚を通して扉越しにも霊と交渉できる。もう、公理さんの目は必ずしも必要ではない。だから公理さんを消費しても代替性がある。そんな情報は天秤に載せたくない。だが、仕方がない。他に選択肢がない。俺にとっても、公理さんにとっても。
本当に情けないな。俺は公理さんをもう犠牲にしないと心に決めていたのに。俺は無力だ。ああ、嫌だ。俺は安全な場所で公理さんを犠牲にする。自分が許せない。だが他に手は……ない。
方針は決定された。あとはやるしかない。
今のところ呪いの中に入った前後で公理さんの残された体の機能に支障はない。厳重に調べた。だから前に入ったときと同じくらいの時間ならこちらに残した体の魄を失うことはないんだろう。
ただ向こうに渡った心、つまり魂は損傷するかもしれない。公理さんはおそらく魂が呪われている。あれは呪いの中なのだから、その呪いの影響をより直接的に受けるはずだ。公理さんの魂が変質する可能性も高い。
横たわる公理さんを見る。寝なくても抵抗を弱めれば向こうに渡れそうらしい。まあ、そうなのかもな。いつもと逆だ。俺が公理さんの手を握る。不測の事態で起こせるように。ちゃんと帰ってくるように祈って。
「仲直りの握手?」
「うん?」
「久しぶりにぎゅってした。なんか最近ちょっとだけ冷たかったから」
「ああ、そうかもな」
「じゃぁ仲直り。もう、秘密はなしだよ。わかった?」
「……わかった」
なんだかんだ公理さんは鋭い。仲直り、か。
そうだな、もう公理さんに託すしかない。自分でなんとかしようとしていたけど、ちょっと意地になっていたところもあったかもしれない。
だから、冷戦は終わり。仲直りか。頼むぞ。ちゃんと帰ってこい。信頼してるからな、公理さん。
「じゃあ、やってみる。状況は可能であれば声で知らせるから」
「わかった。無茶はするな。必ず帰ってこい」
俺は強く公理さんの右手を掴む。もう指3本しか動かない右手を。
公理さんは俺を安心させるように少しだけ微笑んでから、ゆっくり目を閉じた。
◇◇◇
ゆっくりリラックス。体の力を少しずつ抜いていく。ふー。
左半身に意識を移す。どこかに繋がっている感触、うんこれ、この先。
んんん。ああ、なんか呼ばれてる。さらさらと意識が流れていく。
なんだか暗くて落ち着く。
寒い冬の布団の中みたいだ。起きたくないな。
んん、違う。右手に力を込めると握り返す力強さを感じた。ハル。大丈夫。ハルがここにいる。なんだかこの感じは喜友名晋司の時と似ている。俺の半分を絵の中の呪いに混ぜて半分は喜友名晋司と手を繋いだ。喜友名晋司の手はどんな手だったかな。実体のあるハルの手は温かい。俺はちゃんとここにいるよ。
ええと、そうだ柚。それから家。
今回の目的は呪いの影響を調べること、それから可能であれば呪いが何かを調べること。
この呪いは柚なんだろうか?
とりあえず家を探そう。ええと家。小さな子供のイメージ。でもあれは姿を借りていると言っていた。じゃあ家ってなんだろう? 本当はどんな形? 知らないからわからないや。
俺も扉越しに何回かちょっとだけ話したけど、呪いとは別物なんだよね。じゃあ呪いじゃないもの、何かないかな。
気持ち、キョロキョロしてると、何かキラキラしているものがあった。お砂糖みたい。美味しいかな。食べてもいい? ぺろり。甘い。
んん? あれ? これひょっとして家? なんかそんな感じがする。
食べちゃ、だめだったかな。美味しかったけど。ええと、話すってどうやればいいんだろう?
「ねぇねぇ、聞こえる?」
気持ち、呼びかけてみた。でも反応はない。でも闇の中でキラキラと暖かく輝いている。
んん、あれか。マッチ売りの少女のマッチの光みたい。ここから広がらないかな。イメージしてみる。大丈夫、広がる。そう思っていると、家はなんとなく形を取ってきた。なんだかすごく自由度が高いな。夢みたいなものなのかな、やっぱり。
家。擬人化したりはしないのか。
目の前にミニチュアサイズの家がある。白くてきれいな家。30センチ四方くらいの小さな家。
その玄関扉を指でノックするとガチャリと扉が開き、小さな女の子が姿を現した。お人形みたい。
どなた?
「俺は公理智樹。あなたは?」
私? 私は位波柚だよ
「あれ? 柚なの? 家じゃないの?」
変なこというね 家は家でしょう?
この言い方は確かに柚だ。小さいから柚ちゃんかな。
「ねえ、その家に入れてよ。招待してほしいな」
わかった それではお入りください
女の子が丁寧にお辞儀すると俺の体はさらりと縮んで、その小さな家の中に入った。
ようこそお越しくださいました。ここは幸せなマイホームでございます
「幸せなマイホーム?」
そう 来る人みんなが幸せになるの 素敵でしょ?
小さな柚はいたずらっぽくクスリと笑う。見渡す。そこは確かに扉から覗いた家の姿。だけど呪いの形跡はまるでなく、建てられた直後のように染みひとつなくキラキラしている。
玄関を通ってリビングに案内される。
「うん、素敵な家だね。他の人はいないの?」
うーん この家を訪ねてくれたのは公理さんが初めてかな どうかな
小学校低学年くらいの柚はニコニコしている。でも少しだけ寂しそう。
ねぇ公理さん 私とここで住んでみない?
「うん、いいね、でも」
続く否定の予感に柚の顔が暗くなる。
俺はハルの指を握り返す。暖かい。
やっぱり だめなのかな
「俺はちょっとやらないといけないことがあるんだ」
やらないといけないこと?
しゃがみこんで小さな柚に目線を合わせる。
「そう、俺の友達がこの外の呪いに捕まってるんだ。だからそれをなんとかしたい。そのあとなら、いいよ」
本当? 約束してくれる?
「うん、約束する。俺で良ければ一緒に住もうか」
嬉しい! じゃあ 私も手伝うね
小さな柚子はにこりと笑った。リビングの窓の外を見ると真っ暗な呪いが静かに溜まっていた。
◇◇◇
5分が経過した。予定通り揺さぶると、公理さんはううんと小さな声を上げて目を開けた。よかった、これでだめなら次は公理さんを殴らないといけなかった。リラックスが呪いに繋がる鍵なら不快感を与えれば維持できないはず。ただしリンクが突然途切れて公理さんの精神が向こうに残されると困るので最終手段。
「大丈夫?」
「……うん、ちょっと待って」
「わかった」
公理さんの上半身を支えて座らせる。用意していたポットから茶を注ぐ。気分を変えてジャスミン茶。柔らかな香りが広がる。干菓子を添えた。
「心を少し、あっちに置いてきた」
「ちょっと待て、なんだそれ!?」
「呪いの中に家があってさ、小さな柚が住んでた。きれいな家で、嫌な感じは全然しなかった。多分扉の中の柚の部屋みたいなセーフティーゾーンだと思う。次に場所がわかるよう、ほんの少しだけ」
「心を置いてきたっていうのはどういう状況なんだ!?」
「音楽を置いてきた。変だな、本当に変だ、ふふ」
大丈夫なのか? 何を言ってるんだ? 言動がおかしい。やはり失敗だったか?
「ええと、俺の音楽が好きな心? なんだかすごく不思議な感覚。今俺の好きな曲かけてるはずだよね? でもただの音にしか聞こえない。変なの」
よくわからないが……確かに『音楽が好きな心』ならたいして支障はないのか?
「とにかく何かわかったか?」
「まだなんとも。でもあの呪いと家はやっぱり別の存在だ。多分全然混ざってない。あと、小さい柚がいたけどあれはなんなのかな。今の柚とは違うのかな。でも手伝ってくれるらしいからまた行ってくるよ」
「一息ついてからな」
「うん、わかった」
改めて厳重に確認する。昨日呪いに入って以降と比べた範囲では体に悪化した様子は見られない。大丈夫、なのかな。
「俺はリアルの柚に会いに行ってくる。公理さんは休んでいるように。1人で呪いに行っちゃダメだからな? 情報が俺に伝わらなければ意味がない。それはわかるな?」
「りょーかい」
ふふふと微笑む公理さんは、やはりなにか様子がおかしい気がした。




