残された私たち
5時少し前。朝日が昇りはじめている。空にはおぼろ雲がうっすら漂い、その雲間から世界はぼんやりとオレンジ色に染まっていく。
うきうき楽しい気分になる朝食。なんだろ。エッグベネディクト? ベタかな。だめだ、片手で食べれない。うーん。
モンティクリストを1口サイズにカットしようか。
食パンにハムとチーズを挟んだものを卵と牛乳を混ぜた液に浸してバターで焼いてカットする。牛乳とバターの甘い香りが台所にふわりと漂う。メープルシロップと生クリームはお好みだな。あとは適当にサラダとフルーツ。
いつもなら作っている間に頭の整理ができるのに、今日は何だかまとまらない。嫌なことばかり思い浮かぶ。公理さん、柚、俺、家。なんだか頭の中がごちゃごちゃしている。
公理さんを起こすとぼんやりしながら起きてきてもぞもぞ食べ始めた。やっぱ元気ない。ちょっとは復調してるといいんだが。
「寝ている間に呪いとつながった?」
「んーん、それはない。ちゃんと普通に寝た」
「あとちょっとだ。早く終わらせよう」
「そだね」
昨夜は休憩を取りながら24時くらいまで作戦会議をした。
外に出たパターンの実験も少しした。部屋を出た瞬間に瀧本夏観の様子は悪化し柚の部屋に引きずり込むの繰り返し。あまり期待できそうにはなかった。そういう性質の呪いなのだろう。けれども一定の傾向は把握できた。
その晩、あの一家は柚の部屋に泊まることになった。
正気を保てる瀧本あつりが部屋に布団を運び込む。6畳程度のさほど広くない部屋だが、久しぶりの仲の良い家族の団欒。温かな『幸せなマイホーム』。そんな声が聞こえてきた。
喜ぶ瀧本あつりの姿を柚はぼんやりと見ていた。
◇◇◇
なんだかとても不思議な感じ。
この瀧本さんっていう人たちは昨日1日怒鳴り合っていた。特にあの瀧本夏観っていう人。あの人がだいたい怒鳴り散らしている。なんだか嫌な感じだった。でも家族ってこんなものなのかなって思ってた。私には家族の記憶がなかったから。
でも私の部屋で話をしてるのを見ていたら、みんな自然と仲良くなっていた。お互い理解している感じ? 今までに見たことがない優しい雰囲気。まるでテレビのホームドラマのような。でもこれが普通なのかな。よくわからないや。
この人達は私の部屋を占領した。瀧本あつりって子は昨日見えるようになって、昨夜は私のベッドで寝ていたけど、まあ幽霊だからいいかと思ってあまり気にしなかった。でもベッドの上から床で寝る2人といつまでも話をしていてなんだか落ち着かなかったから、今日は1階のリビングのソファで寝ることにしよう。自分の家なのに、なんだか変な感じだな。
私の家族はどうなんだろう。聞いた話だとお母さんはこの家に引っ越してきてからおかしくなったらしい。それから私は弟を部屋にいれなかったのか。入れてあげたら死ななかったのかな。ううん。やっぱりピンとこないな。でもちょっと気がとがめる。だから私の部屋を出る時に、入口の扉を少しだけ開けたままにしてきた。
だからって何が変わるわけじゃないんだろうけれども。
部屋の扉を開けたら部屋の前で私の呪いが待機していた。
私の呪い。この黒いのは一体何なんだろう? とても懐かしい気がする。その気持ちはどんどん増えていて。藤友さんがバイアスを1つずつ消滅させるたびに懐かしい気持ちは増えてきて。
今日はリビングのソファで一緒に寝ようか。なんとなく黒いのがうなずいたような気がした。
それにしても藤友さんって不思議な人だな。あの話し合いの中に普通に入っていったよ。しかもめっちゃズバズバ切り込んでいった。私と話すときもそうだけどストレートで容赦ないよね。コミュ力が高いんだか低いんだかよくわからない人だな。
藤友さんか。いまいちどういう人かよくわからないけど、悪い人ではなさそうだ。でもまだ友達じゃない。だから、私と繋がる呪いの中に転がっている藤友さんの肩周りと指2本。これは返してあげたいんだけど、どうしていいのかわからないな。
◇◇◇
朝6時。俺が柚の部屋に入ると瀧本家の3人は起きて待っていた。俺はまずリビングの窓、出口が開いていることを確認する。予定通り柚は1階のリビングにいた。再び階段を上って柚の部屋へ。
「準備は大丈夫かな」
大丈夫だと思う
何とかしよう
ええ
まずは瀧本あつりと父親が部屋を出る。そしてしばらく後に瀧本夏観が追いかける。
俺たちは柚の部屋で待機だ。柚に電話をかけ、スピーカーモードにして俺と公理さんの間におく。
「そっちに聞こえるかな」
「わずかにな」
私はもうこの人と別れます 安心してください
そうだ母さん 区切りに挨拶に来ただけだ
そうなの? じやああなたはずっとここにいてくれる?
よし、父親も何とか正気を保っている。一応予定通り話は進んでいるように思える。あとは特に問題もなく全員が出勤通学で家を出ればいい。だが瀧本夏観の一言が予定を崩す。まだ想定内だ。
でも私はいい方法を考えたわ 一緒に死にましょう? そうすると離れることはないもの
母さん落ち着いて そんなことをする必要はない まず1日考えよう
その1日のうちにあなたがいなくなったら
ならない 必ず帰る 今日は休みをとってずっと一緒にいてもいい
あなた おかしいわ 普段そんなこと言わない 何か隠してるの?
「ねぇ藤友さん、この人は何をしたいの?」
「うん? 心中じゃないのか?」
「それってただ死ぬだけでしょう?」
「まあ、そうだな」
本当に死ぬだけだな。ただの殺人と自殺だ。
普通は殺して魂を食ったりはできないよ。
「私のお母さんも弟を殺したんだよね? 家が全部食べちゃえばみんな混ざるのかな?」
「瀧本一家は九里手さんにまざりたいわけじゃないだろう? それに混ざりたいとしてもそれは位波楓であってそこの瀧本夏観じゃない。仮に混ぜても誰も望んでない結果になるだけだ」
「そっかでもなんか、納得がいかない。けどそうなのかな」
お母さんやめて 僕が一緒にいるから
うん? 突然なんだ? 瀧本あつりの声がした。
電話からガタッと音がする。あなた有一なの? と尋ねる柚の声が聞こえる。だが瀧本家には聞こえない。やはり俺を経由しないと。
「瀧本あつりは今は誰なんだ?」
誰? あつりはあつりで
お母さん ゆうくんだよ
黙れ お前なんかに私の家族を壊されてたまるか
お母さん 僕 あつりお姉ちゃんが好き やめて
うるさいうるさいうるさい! お前なんか!
やめて!! お母さんやめて 僕はいいけどお姉ちゃんを殺さないで お姉ちゃんを殺すくらいなら僕がお母さんを先に
廊下の奥の呪いの層が震え、じわじわと濃さを増していく。瀧本夏観が呪いを吐き出してゆく。
そうか。このバイアスで正常なのは父親だけだ。瀧本あつりも位波有一の影響下にある。
そこで気がついた。開け放った先の廊下に瀧本家の染み出すような呪いと全く違う、全てを塗りつぶすような濃く強い呪いの気配が現実化して来ることを。まずい、柚の呪いが瀧本家のバイアスを超えてくる。そうなったらどうなるか結果の予測がつかない。
「柚待て! これはお前の弟じゃない! ただのくり返すだけの過去の記憶だ! おい、そこの2人、お前らは位波楓と位波有一か? お前ら自分の生年月日わかるか? 誕生日プレゼントもらったのがいつかでもいい」
あたりま……えっ?
僕の……?
戸惑う声に納得したのか柚の呪いの気配が急速に薄まる。
やはりこれは過去の記憶に過ぎない。瀧本家が1番最初に死んだ時にはひょっとして本当に位波楓と位波有一の霊が影響を及ぼしていたのかもしれない。位波有一の足音や声が聞こえたそうだから。しかし少なくとも現在、位波家は瀧本家のバイアスの1つ下に塗り込められている。だから位波家の2人がバイアスを超えてこの瀧本家のバイアスに現れたりはしない。
今のこの瀧本家の3人はただ過去の記録をくり返しているだけだ。レコーダーのように、恐らく憑依されていた時の行動を憑依されないままに。
だから、自分が位波楓ではなく瀧本夏観であることを、そして位波有一でなく瀧本あつりであることを思い出させる。それが2人を正気に戻す方法。どんなに表層を乗っ取られていても現在は位波楓も位波有一も存在しない。瀧本夏観と瀧本あつりを強固に押し込めようとする意思はいない。だから2人を掘り出す。
「瀧本夏観、旧姓島田夏観。昭和32年5月8日、下関市の両親のもとで生まれる。公立小中高を卒業する。親友は幼なじみの仁三萌子。家が隣で一緒に着せ替え人形で遊んだ。上京して小杉山商事に勤務しているときに顧客として現れた目の前にいる夫に一目惚れ。共通の友人に呼び出してもらい自分から告白『毎日あなたと過ごしたい』がプロポーズ、どうだ? 心当たりはあるか?」
昨日聞き出した瀧本夏観を瀧本夏観たらしめる人生で重要なエピソード。柚の部屋では瀧本夏観は瀧本夏観だった。とすれば表層が位波楓であってもここにある魂は瀧本夏観だ。
あ……あなた?
夏観 正気に戻ったか よかった
あなた ごめんなさい 急ぎましょう
まって お母さんはどこ
「瀧本夏観、瀧本あつりは俺が何とかする。あんたがまた呪いに飲まれたら意味がない。先に出ろ」
わかったわ
あつりをよろしく頼む
お母さん お母さんどこ
「2人が外に出て光って消えたわ、奇麗ね」
「瀧本あつり、『ミ=ゴの嬉し恥ずかし朝帰り』、かながわあきお賞で努力賞だった」
え……
「選評を読み上げる。精緻なメカニックデザインと複雑怪奇な神話の怪物が繰り広げるSFラブコメディ。壮大な世界観を感じる作品でした。ただし主要登場人物の行動の動機や心情が特殊過ぎて読者に理解できません。今後は一般人を基軸にされることをお勧めします、だそうだ。お前は瀧本あつりだ。そうだろ?」
そう 私は瀧本あつり 嬉しい!
「なら、窓から両親を追っていけ。2人ともお前を待っている」
わかった 本当にありがとう
取り戻せた 私の家族
ありがとう 本当に 藤友さんも頑張って
「瀧本あつりが外に出て消えたよ」
柚のその声を聞いて俺は改めて警戒心を強めた。
ここだ。問題はここからだ。
その瞬間、突然そこかしこで世界がパリンと割れる音がした。
柚の部屋の開け放たれた廊下の先がぞろぞろとした闇で塗り込められていく。これまで感じたことのなかったような濃い闇夜。触れたそばから機能を失いそうな強固な呪い。やはり、こうなったか。位波のバイアスにやはり呪いは存在する。それもこれまでになく強固な呪いが。
闇の奥から何かが階段を上る音がして、柚が部屋の中に入ってくる。
「これであとは私の家族の呪いだけ?」
「そうだと思うけど、どうしていいかわからないな」
「このままじゃだめなのかな?」
「どうだろう? 九里手さんはどうしたいんだ?」
「私? 私は……」




