君と俺を繋ぐ扉
8時半。部屋に鍵をかけて図書館に向かう。
今日は日曜だ。公理さんの家で暮らし始めてから2回目の日曜。この時間帯には通行人が少ない。少し通い慣れて始めた道を下るとチルチルと鳴くメジロの声が聞こえた。春だ。
いつのまにか図書館前の歩道の桜が散りかけていることに気がつく。地面に散らばって踏まれて少し灰色が染みた桜の花びらを春めいた風が吹き飛ばしていく。春休みの終わりが近づいている。どのみちこれを解決しなければ学校に戻る余裕はない。
新谷坂高校の校庭には大きな桜の木が一本ある。できれば満開の姿が見たかったが、ままならないな。来年こそはみんなで見たい。可能であれば誰も欠けることなく。
『北辻 瀧本 刺殺』 56件
他の事件と比べて少ない。もう14年も前の古い事件だし、喜友名晋司や請園恭生に比べてもさほどセンセーショナルでもないからだろう。ネットや雑誌で調べても情報はほとんど見当たらなかった。
瀧本家刺殺事件。
10月22日午後19時17分、携帯電話から人が3人死んでいるとの通報があった。通報者は瀧本が経営していたコンサルティング会社の従業員。出社予定のはずの瀧本が出社せず全く連絡が取れなかったため、終業後に自宅を訪れた。インターフォンを押しても反応がなく、庭に回るとリビングで一家3人が血を流して倒れていた。
死亡推定時刻は午前6時から7時頃、死因は刺殺。それぞれの体には十数カ所の刺創があった。いずれも生活反応があり、生きている間につけられたもの。そして角度から自傷ではない。凶器は瀧本宅内にあった包丁2本。
当初は前の所有者が約半年前に心中していたことから心中と噂されたが、瀧本の経営する会社の資金繰りは良好であり、心中するような要素はみあたらなかった。但し、瀧本の会社は黒い噂も流れていた。そのため怨恨の件でも捜査されたが犯人像を特定することもできず、迷宮入りしている。
この件は割合単純な気がする。
ようは誰かが刺して3人が死んだ。記事では3人ともに多くの刺創があったことから当然のように外部犯を考えているようだが、これまでのパターンを見ると恐らく殺したのはこの3人の中の誰か又は複数だろう。死んだこの3人のうちの誰かが1日を繰り返している。起点は6時から7時。今日はもう過ぎてしまったな。適宜扉から観測しながら、明日朝に勝負をかけたい。
俺はこの時はそう単純に考えていた。
そういえば時刻によっては1日をロスする可能性がある。
これまでは情報の混乱を避けるために1つずつ調べていたが後2つだ。最後のも調べよう。
『北辻 位波 心中』 62件
位波家心中事件。
心中事件は宗教と同じくらい気が滅入る。嫌いだ。
3月27日午後2時過ぎ、北辻小学校の教師が家庭訪問した際に女児生徒がベランダから助けを求めているのを目にし、庭を回ると母親と長男有一が死んでいるのを発見した。母親は包丁で有一を刺し、その後首を吊って自殺したものと思われる。その時点で死後6日程度経過していた。春で死後6日なら死亡推定時刻の特定は難しそうだな。後で家に聞こう。
当時父親は家を出て愛人と生活しており、生活費は入れられていたものの自宅に戻ってはいなかった。だから発見が遅れた。女児生徒は引き取り手がなく、児童養護施設で生活することになった。
ふぅん。こちらは生き残りがいるのか。父親と姉。名前は……新聞ではわからないな。さすがに小学生だ。名前は伏せられているのだろう。
ゴシップ的なものは雑誌の方が詳しい。『スクープOK!』。またこの雑誌か。父親は首になったようだな。まあ、自宅で家族が心中してちゃ外聞も悪いだろう。女児の名前は位波柚。……柚?
柚。あの柚か? そういうことなのか?
掲載された写真には現在の柚の面影があった。
柚ちゃんを助けて。家はそう言っていた。その『柚』とはあの家にたまたま住むことになった『柚』ではなく昔から縁のある『柚』を助けてほしい、そういう意味だったんだろうか。
そもそも俺は公理さんに頼まれて柚を助けるために呪いを解いているはずだ。呪いが全て解けると柚が助けられる。そう思っていた。
だが思い返すとリアルタイムで連れてきて人を家に殺させているのは柚のはずだ。柚は呪いを実行している。『柚を助ける』とは、どういう事象を指すんだ?
……柚は呪いを残したいのか、そうではないのか。家は独自に呪いを作り出す柚をどうしたいのか。
◇◇◇
「こんにちは」
「あら、藤友さん。バイト代は貯まりました?」
「まだですね。この間の仲良くなるのに遊びに行きたいっていう話、いきなりですが今日ランチでもどうですか」
柚は俺の目を不思議そうに見て、扉を見た。
「扉、気になりますか?」
「ええ。多分藤友さんじゃなくてこの扉を招待したのかなとちょっと思って」
扉を?
辻切ツインタワーのレストランフロアで少し早いランチにする
ツインタワーは全面ガラス張り。高層階からの眺めはまるで空に浮いているようだ。空中の楼閣。東を向いた窓際の席からは公理さんのすむマンションがある高台、その向こうに神津新道が見える。本当はその先の南東方面に神津港が広がっているのだが、辻切の高層建築群で視界は遮られていた。タワーの屋上まで登れば一望できるらしいけど。
そんなことを思いながら手元のメニューに視線を移す。
どうせなら珍しいものが食べたいかな。家で作るのが面倒な料理、パングラタンとかかな。でもあまり食欲はない。チーズたっぷりはちょっと重い。やっぱりサンドイッチくらいにしておくか。
「急な誘いですみません」
「お昼はどっちみち食べるからかまわないんだけど、急にどうしたの?」
「聞きたいことがあって。九里手さんは呪い自体は解きたいんですか?」
「ん。相変わらず直球だね」
柚はしばらく考えた後に、少しだけ首を傾げて、そうなのかな、と答える。
BLTサンドが運ばれてくる。柚はオムライス。
「なにか色々絡まっていて、気持ち悪いとは思ってる」
「九里手さんは小さいころあの家に住んでたんでしょう? だから呪いを解きたいの?」
「ああ。うーん。どうだろう。私はあの家に住んでいたらしい。でもその記憶、というかそれ以前の記憶はないんだ。お医者さんにはショックで忘れたんだろうって言われた。今住んでるのは本当に偶然で、引っ越してから事件のことを知ったんだ。でも今でも昔のことは全然思い出せない」
「家のことも?」
「家? 住んでた記憶はないよ」
そうか、覚えていないのか。
柚は窓の外を見ながら話す。窓の外では強い風が吹いているのか雲はさらさらと流れ、それにあわせての街路樹も揺れていた。
「呪いについては?」
「うん? あの黒いののこと?」
「そう、でも黒いの以外にもいるでしょう? 黒いのの中にいるもの。九里手さんの部屋では子供の姿だと思うけど」
「子供? わからない、それは見たことないな……。黒いのは黒いのじゃないの? それに私の部屋には黒いのは入れない」
きっぱりと言い切って、柚は眉を潜める。嘘をついているようには見えない。
何かズレがあるな。柚は家を認識できないのか。そういえば家も話ができたのは俺だけだと言っていた。どういう方向に話を持っていくのが正しいんだろう。保留。
「九里手さんは仲良くなりたい人を食べるの?」
「これもまた直球だね。うーん。藤友さんとはまだ仲良しではないからなぁ」
「でも俺もちょっと食べられてるじゃない? その部分は食べられちゃうんでしょ?」
「まあそういえばそうか。なんて言ったらいいのかな」
よくわからない話だった。
柚の中には昔からぽっかりと空白があるらしい。あの家に引っ越してきてその空白が黒い呪いと繋がった。黒い呪いは人の魂を食べて動く。呪いがその魂を保持している間、柚は食べられた人をとても近くに感じる。完全に消化すると一体化したみたいで満足感がある
「公理さんとは今とても仲良くしてる気持ちだけど、藤友さんはまだ本当は仲良くないから正直なとこ異物感がある。みんなで遊んでるところに知らない人が混ざってる感じ」
「ひどい言われようだな。返してもらえれば1番なんだけど。どうせなら俺の呪いだけもってってくれるとか」
「うーん、返したいのはやまやまなんだけど、もう黒いのに混ざってるからな……。あと藤友さんの中にある変なのは黒いのは取り込めないと思う」
本当にな。家の呪いは俺の呪いを避けていたしな。俺の呪いを持ってってくれるなら腕1本くらい惜しくもなんともないんだが。うん?
「変なのあるのがわかるの?」
「ああ、うん。黒いのが思ってることは大体わかるから。それ、気持ち悪いね」
「まあね。黒いのは何を考えてるの?」
「ああ、考えてることはわからない。何も考えてないんじゃないかな。でも感じたことは私に伝わるというか、藤友さんの中の何かを齧ったとかの気持ち悪さとか」
「もし呪いが解けたら、黒いのが全部無くなったらどうなる?」
「わかんないや、私が残るのかな」
「それは嫌?」
「どうだろう、よくわからない」
結論、判明したこと。
柚は家の呪いは認識できるが家自体は認識できない。見えてるのはあの黒い闇、柚の呪い。俺と同じで柚は幽霊は見えないのだろうか。
柚の認識では呪い自身にはおそらく意思はなく、一定の条件で動いている。柚は呪いの感覚を共有している。だから不在時の俺の行動は把握している。柚の呪いが家の中を覗く俺を追いかけていることも。そして柚は呪いのバイアスが積み重なっている状態を不快に思っているから、バイアスを消滅させる俺の行動を肯定している。だから電気をつけて見えやすくしたりとか微妙な協力をする。でも俺はまだ『仲良しじゃない』から本当は俺を取り込みたくない。だから扉の内側には来てほしくない。
ただし公理さんや親しい人を食べるという行為は解呪より優先順位が高いように思う。
なにか、ちぐはぐだ。
「結局九里手さんはどうしたいの?」
「どうなんだろう、やっぱり『幸せなマイホーム』かな。みんなと一緒に幸せに暮らしたい」
窓の外のどこか遠くを眺めながら、柚はぼんやりつぶやいた。




