首のうしろ
リスクの検討。
今後夢に入るのは危険か。奥歯が鳴る。嫌だ、入りたくない。怖い。だが。いや、今は検討。必須。意志の力でねじ伏せる。恐怖を。
……先ほどの夢は請園伽耶が請園恭生ではなく柚に会いに行った時の夢だ。今、柚はどういう立ち位置だ? 今の呪いは請園恭正のバイアスだ。しかし柚は現時点でも家に死を集めている。越谷泰斗と同じように柚が死んだら柚の呪いのバイアスが請園恭正のバイアスの上に構築されるんだと思っていた。
どちらにしろ現在の柚と家と呪いは何らかの関連があるのだろう。呪いは柚に呼応したように見えた。
現在は請園恭正の呪いのバイアスと構築途中の柚のバイアスが重畳しているのだろうか。今回俺は柚が構築中のバイアスをターゲットとして足を踏み入れてしまったんだろう。
柚は生きている。だから呪いは未完成だ。他の過去の記憶とは異なる。これまでは『呪いの依代』である影に話しかけることはできたが接触はできなかった。橋屋事件の時に影を引き留めようとして手がすり抜けた。だから恐らく間違いない。俺が触れられるのは呪いの力自体である『呪いの媒体』だけだ。
それに夢の中の柚は影ではなく、扉から覗いた時と同じように明確な姿があった。だがもともと扉を覗いたときには柚の姿は越谷泰斗や喜友名晋司のバイアスでも明確に見えていたし、話すことはできた。考えろ、柚と他は何が違う。考えなければ。生き残る可能性を。
柚が介在しないバイアスの過去の夢であれば柚は現れないのだろうか? 今まで柚がいる時間帯でも夢の中で柚の姿を確認したことはなかった。それは柚のいるバイアスではなく柚の存在しない過去のバイアス上の夢だからだと思っていた。いないところにはいない。過去だから。
しかし警戒すべきだ。越谷泰斗のバイアスが消滅する前は柚は扉を覗く俺に気が付いていなかった。しかし俺の存在に気付いて以降は扉を覗く俺を認識するようになった。同様に夢でも俺の侵入に気づいた以上、柚は他のバイアス上の夢でも俺を認識できるようになったのだろうか。夢の中の俺はいわば魂だけの存在に思われる。
そうすると夢で柚に会うのは危険だ。夢では記憶を保持できない。夢の中での危険性を推し量れない今は特に。無理だ。怖い。ぐっ。
それにしても柚の呪いの中で家はどういう状態なんだ。
夢の中ではいつもと違って家が袖を引っ張る感触もなく、声もかけられなかった。家は存在したけれども家は声をかけることはできなかったのか。それとも家はいなかったのか。あるいはやはり家は呪いと同じものなのか。
まて、ここは非常に重要だ。家とは結局なんなんだ。
「ハル、一人で考え込まないで俺にも話して」
「……そうだな。公理さんの話も聞きたい。公理さんに起こされたと思うんだが変わったことはあったか?」
「多分ハルが夢を見始めたとき、柚から電話があった。それから……右手の薬指と小指持ってかれた」
「なっ!? 入ったのか!?」
急いで公理さんの手を取る。見た目は変わらない。けれども手を開くように言っても薬指と小指がついてこない。糞っ。夢の中で俺の背中を引っ張ったのは公理さんだ。しかし引っ張ってもらえないと起きれなかった可能性は高い。俺はあれが夢だと全然気づけなかった。
「公理さんすまない」
「仕方ないよ。指2本ですんでよかったかもだし」
それは……だが……。
嫌だ。
「それよりハルは大丈夫なの?」
「俺は首筋と肩まわりの感覚がない」
「それって」
「今後は首筋から不運の予兆が感じられない」
「だめじゃないか!」
公理さんは目を大きく見開き、叫んだ。
そう、駄目だ。かなりヤバい。本当に。生命線が断たれた。
額の古傷の予兆はギリギリにならないと感じないことが多いが、首筋の予兆は俺を不幸にする可能性のある不運の気配があれば広く反応する。これまで首筋の不運の予兆を感じて状況の分析と引き際を計算し、額の傷の命の危険の予兆で完全撤退する。この予兆を信じて特攻してる部分もある。
改めて考えると凄く、怖い。救命胴衣がなくなったような。手の震えが止まらない。だが。……仕方ない。もうない。考えるな。手持ちでなんとかするしかない。そうしないと、どっちみち死ぬ。切り替えろ、俺。
目を閉じると、奥歯が小さくカチカチ鳴っていた。ゆっくり呼吸をして、考えるのを全部止めて、諦めて、そう、仕方ない。ないものは仕方ない。ふぅ、そう、ない、仕方ない。思い出せ。そもそも家にかかわってから首筋は騒めきっぱなしだ。危険の程度の判定は困難になったが元々ここは危険なんだ。それはわかってるだろ?
首の予兆はもうない、なくなった。ないんだ。だから、それを前提で。大丈夫、額はまだ生きている。だから大丈夫。なんとか。撤退ラインを額を中心に再計算すればいい。うん、大丈夫。なんとかなる。なんとかするしかない。やれることをやるだけ、それは変わらない。俺は運命に抵抗する。そう決めただろ? どのみち先は見えている。近かったゴールがさらに近くなっただけ。何も変わらない。
「あの、ハル、大丈夫?」
「……うん、もう大丈夫」
努めて精神をフラットに。よし、なんとか、少し、落ち着いた。落ち着いただろ? 無視だ無視。怯える暇はない。それどころじゃない。よし、切り替えて、分析を、しよう。生存率を少しでも上げるために。うん。何が起きたか、考える。
……さっき呪いに首を触られるまでは両方の予兆が働いていた。触られたとたん首筋の予兆が失われた。その部分の魄が食われたんだろう。
夢から逃げる直前の額の予兆はこれまでにないレベルだった。あの黒いのは本当にヤバい。そのまま喰われる。また手が無意識にピクリと震える。反対の手で押さえる。
ビビってても結局死ぬ。織り込んで行動しないといけない。極力逃げ道を確保しつつ踏み込むしかない。俺はまだ大丈夫。そうだ、公理さんだ。公理さんは俺より酷い。公理さんはもう下手が打てない。まともに動く部分がもうほとんどない。そちらもなんとかしなければ。そのためにもしっかりしなければ。
一番は早期の解決だ。それしかない。何から検討すればいいのか。やはり原因か。
「原因より、何をしたら死ぬか、じゃないかな。死んだら何もできないよ」
「……それも一つか」
◇◇◇
藤友さんが遊びに来てくれた。
いつも扉から覗いていただけだったけど今日は家に来た。
だからいらっしゃい、と挨拶した。けれどなんだかこちらがわからないようだった。
なんか変だなと思ったら、あることに気がついた。ひょっとしたら家にいる人たちと同じなのかなと思って。
私の家にはいろんな人が住んでいる。
今は朝にたくさんの人が家でうろうろしていて、帰ってきたらみんな2階の正面の部屋で首を吊っている。その前は知らないおじさんが同じ部屋で絵を描いていた。それでその前はたくさんの死体があって、その前はなんだかずっと叫び声がしていた。今は客間だと思ってる。
だから2階正面の部屋はほとんど使ってなくて物もあまり置いていない。この家の黒いのはだいたいあの部屋にいたから、黒いのの部屋なのかなとも思ってたし。
1人で住むにはこの家は広すぎるから使わなくても困らないしね。
この家には黒いのがいる。黒いのは家の呪いなんだろう。不動産屋さんからこの家は呪われてるから家賃が安いといわれた。まあ、その家賃に相当する変なことはたくさん起きている。
でも、黒いのは私には特に何もしないんだよ。私を襲おうという感じは全然しないし、半年住んでるけど私は襲われていない。
なんで住んでるかっていうと最初は安いからっていうのが切欠だけど、それ以上に何故か落ち着くんだ。なんでだろうね。
そういえば藤友さんに初めて気がついたのは虫が降ってきてた時だ。気持ち悪いなとは思っていたけど、まあ幽霊みたいだからそんなに気にしてはいなかった。
でもあの日、変だった。いつも2階にいる女の人が居間に来て絵を描き始めたんだ。なんだろうと思ってたら女の人が外に出た。
そうすると急に、部屋の中がぎゅうんと変わる感じがした。飛行機に乗った時に耳の奥に膜ができるみたいなのと同じような感じ。それで急に虫とかが全部なくなった。
なんでだろと思った。女の人が出ていった直後だったから、それが原因かなと思って庭を見て女の人を探したら、藤友さんがいた。
私は知らない人がいると思ってびっくりして、出てってって言うと、藤友さんは消えてなくなった。
なんだったんだろうと思っていると、そういえば北辻の駅で会ったような気がした。
そう思ってると、黒いのから話しかけられた。あの人はちょくちょく覗いてる人だよって。その時は、覗かれてるなんてちょっとやだな、と思った。
でも黒いのから、あの気持ちわるい虫を消したのもあの人だって聞いて、それは感謝した。正直食事は全部外食にしようか悩んでいたところだったから。
それで公理さんが藤友さんを店に連れてきた。追い出した時は気がつかなかったけど、藤友さんは扉に挟まっていた。
なんだろうと思って見ていたら気がついた。この扉が私の家につながっていることに。
ああ、それでか。なんで繋がってるのかよくわからないけど、まあ繋がってたら気になるよね。気持ち悪いから様子を見てたりしたのかも。
追い出したのは悪かったかな。この扉、絶妙に取れそうにない。こちらが気になるなら、いっそのこと、お招きしようかなと思った。その方がすっきりする気もしたし。
ああ、なんだか話がだいぶずれてしまったけど、藤友さんが今目の前にいる。それでこちらがわからないっていうのはウロウロしている幽霊と同じ感じなのかなって思った。幽霊も話しかけても気づいてくれないから。
でも藤友さんは幽霊と違ってもっとはっきりしていて、ここにいる感じもしたんだ。なんかボタンが一段ずれてる感じ。
だから。




