家の夢
白い部屋の中にいる。どこかでみたような白い部屋。
「お兄さん、こんばんは」
「こんばんは」
なんだろう、何か少し頭がいたいな。変な感じがする。
「じゃあ行こう?」
「どこへ?」
「お兄さんが見たい場所。魔法が解けるから思い出そうとしないで」
手を引かれて扉をくぐると、そこにはたくさんの影がいた。部屋の中もその影たちも、薄暗く黒ずんでもやもやしていた。もやもやはその影たちから出ている気がした。
俺は見えない誰かに手を引かれてその影の輪に入り耳を傾ける。そこから穏やかな声が聞こえて来た。
そろそろじかんよね
そうですね
ではよていどうりに
「何かあるのか?」
わたしたちたましいだけになるの
そう みんなで
きっとうまくいくわ
誰かが口を開く。そのたびにその影の口からダラダラと黒い何かが漏れ出ている。それはうっすらと床に積もっていった。
「魂だけ? 死ぬのか? 病気か何かなのか?」
いいえ? どうして
そこにかみさまがいるのよ
きっとうまくいく
みんなまってくれ なぜそんなことをしようとするんだ
突然慌てた声が話を遮る。
あら だってせんせい そういうものじゃないの
そうそう せんせいのごほんはとてもおもしろかったわ
ちがう そうじゃない なぜだ
1人だけ、反対している声がする。男の声だ。
「あんたは死なないのか?」
なぜだ なぜしなないといけない?
かみさまをかんじるのよ
せんせいもそういってたじゃないの
そうですよ せんせいがいってたんです
だがしかしなぜおれはそんなことを
「あんたが先生なのか?」
そうだ だがなぜわたしは
へんなせんせいだわ
さいごにうたいましょうか
そうね
かみのめよ かみのめよ われらをみまもりみちびきたまえ
みんなまってくれ
口から洩れる黒いもやは一層黒く濃度を増し部屋に満ちていく。
その時急に首筋がざわざわとして不吉の予兆が現れた。何だと思っていたら、窓のそばから視線を感じた。この集団とは少し離れたところにいる影。何だこれ。何を考えているのかわからない視線。
ああじかんよ、きたわ
それじゃあみなさんさようなら
ではおげんきで
まて! みんな待つんだ! やめてくれ! ああ! ……なんてことだ
「お兄さん、今はここまで。これは僕の夢だよ、起きて」
白い世界がバラバラと足元からひび割れてゆく。そうか、これは家の夢。起きないといけない。
体がゆっくりとゆらされる。んん。
目を開けると公理さんが心配そうに見つめていた。
「起きた。大丈夫だ」
「よかった」
「何が見えた? そういえば窓の方は見た? 外は明るかった?」
「窓? 窓は見てないな。扉はずっと廊下の方を向いていたし。外は明るかった。朝か昼かはわからないけど。それからたくさんの人がそろって、多分首を吊ってたけど、うゔ、みんな笑ってて気持ち悪かった。意味が分からなくて怖い。何なのあれ」
「さあな、実に宗教的な光景だと思うよ、集団自殺。そういうふうに精神を捻じ曲げる。でもなんか変だったな、教祖がみんなを止めてた」
ともあれ、何があったのかわからないが信者を止めていたのは請園恭生だろう。それに反応が変だった。
あの「先生が言っていた」という反応からは、最初に自殺の方向性を定めたのは請園恭生のように思える。だが最後に請園恭生は正気に戻った。貝田弘江のパターンだろうか。なんのために? 右目をくり抜くためか。だが正気に戻ったら目をくり抜いたりはしないよな? それともみんなが自殺した後にまた正気を失って行ったのか、それとも第三者が現れて目をくり抜いたのか。わからないな。
俺は事件の中核、集団自殺の直前を思って夢を見た。そして俺は恐らく『呪いの依代』が死ぬ前に夢から覚めた。結局呪いの本体が何かわからない。夢の中では等しく影だった。濃さの違いはあまり感じない。そして信者たちは黒くてモヤモヤしたもの、おそらく『呪いの媒体』を口から吐き出し、それに包まれていた。貝田弘江と同じパターンかな? 窓のところにいたものはなんだ? 請園恭生は近くにいたから違う。他に中心がいるのか?
進展がなかったわけではないが、周辺をぐるぐる回ってる気がする。どうしたものかな。次に調べるべきは、あのあと請園恭生がどうなったのか、か。
会える時間から考えよう。
一昨日喜友名晋司のバイアスが消滅した時、時刻は18時ごろだった。死斑の沈着具合からするとおそらく死後2〜3時間程度ではないかと思われる。
公理さんはさっき昼といっていた。あのまま死んでいたとすると、おそらく死亡時刻は広くとっても14時から16時前の可能性が高いだろう。そこから41人分の目をくり抜くいわけだから。手馴れてるのかどうかはわからないか、それなりに時間はかかるだろう。横たわっているのではなく吊られた人体から目をくり抜くのだからなかなかに重労働そうだ。そして18時には不在になった、と思われる。まだ家の中にいた可能性はあるが。
そうすると次の調査ポイントの割り出しだ。呪いの根源が何かを突き止めないといけない。そうすると明日の夕方に覗くのがいいんだろうな。明日か。だが。公理さんには時間がない。明日まで待てない。請園恭正が何をやっているのか。この時間はおそらく柚は家にいない。
それから『呪いの媒体』。窓にいたものの見極め。夢の中は記憶が保てないからな……実際に見たほうがよいだろう。ただ、相手は宗教だ。侵食してくるものなら鉢合わせたくない。
今日もう一度夢で入るとしたらどの時点がよいだろう。頭を巡らせる。
「ハル、伽耶ちゃんが教団に来た時に何をしていたのか調べるのはどうかな」
「請園伽耶か。何故だ」
「伽耶ちゃんはアウトサイダーだ。だからどういう役割を担っていたのかわかれば、全体像が見えるのかなと思って」
なるほど、個別の事象からあたるという発想はあまりしてなかったな。
内倉さんの話では請園伽耶は検査のようなものをしていたそうだ。検査か。何を調べていたんだろう。神目教の目とは何か。それがわかるのかもしれない。わかったところで関係の有無はわからないかもしれないけど。だが少しでも手掛かりは欲しい。やってみようか。時間もない。
請園伽耶があの家にいる時、と念じて枕に頭を横たえた。そして失敗した。
◇◇◇
白い空間の中を歩くと、リビングに出た。
そこで誰かが椅子に座っていた。
そろそろいかがですか
「そろそろ?」
そうです ぜんかいからはんとしたちました
「そんなにたったかな」
そろそろあたらしいりぽーとをいただかないとつぎのよさんがたちません
「予算か、そういうものもあるのかな」
そうですよ もちろんきょうりよくきんのおしはらいはつづけます
しかしやはりあるていどのかんそくけっかがないと うえがなっとくしないもので、ね
「そうだな、早急に進めよう」
そうですよ うけぞのせんせい
◇◇◇
ハルが寝入って1時間半ほどたった時、携帯に着信があった。夜中の電話は嫌な予感。
柚だ。どうしたんだろ。もう真夜中なのに。
「もしもし? 柚?」
「公理さんこんばんは」
「そろそろ寝ないとやばいんじゃないの?」
「そうなんだけどね? 藤友さんが遊びにきてるんだけどなんだか変だから一応連絡しとこうと思って」
「ハルが? 変ってどういうこと?」
慌てて見ると、ハルは目の前で眠っていた。今のところ扉も問題はなさそうだ。過去の夢を見に行ったんじゃなかったの? でも柚が起きてる。ハルを認識してる。いや。まさか。俺は携帯をスピーカーにして急いでハルをゆする。ヤバいのかも。起きて、ハル。
「ハルはどうしてる?」
「うろうろしてるよ? でもちょっと変なんだ。いるのに話せないの。どうしてかしら」
「えっいるの?」
「そう家に……家? あれ? ああ」
プツリと電話がきれた。
その瞬間、ハルからギッという声が漏れ、背中を丸めて歯を食いしばって苦しみ出す。必死にハルを揺するけど起きない。
どうしよう、ヤバい、なんかヤバい。これ、マジでヤバくない?
夢で柚に会ってるってこと? 夢って多分魂だよね?
その瞬間、物凄く嫌な予感がした。
必死で背中をさする。けど反応はなくて、でもいつもとなんだか違和感。嫌な予感がどんどん心のなかで膨れ上がっていく。ハルが戻らない、死ぬ、そんな予感。
ハル!? おかしい。どうしたら。どうしよう!?
さらに背中を揺するけど起きない。
どうしたら、どうしよう。ハル!? どうしよう。ええと。ハルのことを考えて、呪いのことを考えて、背中をさする。起きて!!
ハルに届いて。声を!!
「ハル、夢だ、起きて!! 早く!!」
とその瞬間ハルは飛び起きた。蹲って、そのまま額を押さえて呻き続ける。
「ハル? 大丈夫!? 何があった!?」
さらに肩を揺らすと手で制される。ハラハラしながら今までなく青い顔のハルの様子を伺う。様子がおかしい。今までになく動揺してる。必死で何かを考えているような。
どうしたの? 何があったの?
15分くらいしてようやく息が落ち着いてきた。
「下手打った。……夢で柚と会った」
「なんで? 夢では会わないんじゃなかったの?」
「失敗した。請園伽耶はあの家に2回来てるんだ。請園恭正に会いに行った時と柚に呼ばれた時の。それで柚に呼ばれた時に入った」
◇◇◇
俺は内倉さんに見せてもらった写メを思い浮かべて夢に入った。あの写メは最近のものだ。請園恭正が死んだのは随分前で容姿も変わっているだろう。だから請園伽倻が請園恭正に会いに行った時ではなく、柚に呼ばれた時の家の記憶を見てしまった。
だからおそらく伽耶が死ぬ直前に入ってしまった。写真の伽耶とあの家で俺が思い浮かべるのはそこだけだからだ。
夢の中の家は酷く澱んでいた。ひどく首筋がざわめいていた。
夢の中で俺は記憶を保持できない。ここはどこだろうと思って俺はそのまま家の中をうろうろして、その時は誰かわからなかったがリビングにいる柚を見て話しかけた。けど、反応がなかった。
そうすると和室の方から嫌な気配がして首筋がうずいた。柚のことも気になったが柚はこちらには全く反応がない。危険を確認するほうが先だ。そう思って和室を覗いた。
そこは黒いもので満ちていて、蠢いていた。中心に影があり、小さく蠢動していたように思える。だが部屋中に満ちた黒いものがだんだんその濃さを増し、影と同化していく。まるで影が黒いものに食べられているように。
急に額に強い痛みを感じた。極度の生命の危険。
逃げようとあわてて振り向くと、触れられる距離に柚が立っていた。まずい。直感する。俺は柚と和室の襖に挟まれている。距離を取ろうと庭に逃げようとしたとき、柚は俺の袖を掴んだ。いつも家がするように。
「いらっしゃい? 今日は見てるだけじゃなくて来てくれたのね?」
何のことだ? だがその声と呼応するように俺の後ろの襖の奥からこちらへ立ち上る気配を感じた。気付かれた。あの黒いものが、来る。部屋の温度が急速に下がる。嫌な予感。首の震えは最高潮に達して口から冷たい息が漏れる。
必死にもがいたが柚の腕を振りほどけない。和室の襖を透過してきた気配が俺の首筋にそっと触れた。額の古傷が最大の警鐘を鳴らす。ヤバい、飲まれる。そう思ったとき。
「ハル、夢だ、起きて!! 早く!!」
何かが俺の背中を引っ張る感触とともに公理さんの声が聞こえた。強く揺さぶられた俺は思考を巡らせ世界の崩壊を速める。
なんとか目をあけて公理さんの姿を確認して息を吐いた。破れるような額の古傷の痛みは起きた途端スゥと消えたが、揺れるような頭の気持ち悪さが抜けるまでにはしばらく時間を要した。




