呪いの家の平穏なリビング
パリッとした感触のやわらかいベッドで目覚めた。
ホテルの布団みたいな肌触り。嫌な匂いのしない本物の羽毛。かしゅかしゅとした軽い音がなる。頭痛とともに上体を起こす。
嫌な夢を見た。すごく嫌な夢だった。なぜだろう、よくは覚えていない。夢の内容自体はすごく幸せなはずだったのに印象は最悪だった。夢の中で俺は、これから嫌なことが起こる、そんな確信を持っていた。
「ん、起きた?」
声のする方に首を向けると公理さんがソファに寝転がっていた。その先にある全面窓の向こうには夜景。立ち並ぶ辻切センターの高層ビル群と続く商業ビルの群れは華やかな明かりで彩られていた。
公理さんの部屋か。何回か来たことがある高層マンション。
公理さんの仕事は美容師だ。カリスマなんとかってやつ。だからこんないいマンションにも住んでる。でも金遣いが荒いから結局すぐに金が無くなって、感覚はわりと庶民的だったりする。
「起きた。気絶したのか」
「うん、重かったからタクシー乗せた。腹減ってる? ピザでも取ろうか」
携帯を見ると20時半。今から寮に帰っても飯はない。やっぱりろくなことにならなかったな。ちらりと見る公理さんは申し訳なさそうな顔をしていた。そもそも俺が倒れたのも公理さんのせいだ。ご馳走になろう。
「その友達の人は本当にあの家に住んでんのか? 九里手って」
ッツ……
九里手と発音した途端、ぐわんと頭蓋骨の中で音が反響した。グラグラと意識が揺れて再び柔らかい布団に倒れこむ。
「大丈夫?」
あわてた寄ってきた公理さんが背中をさする。夜なのに珍しく酒の匂いがしない。一応俺を心配してくれてるんだろう。普段ならもう酒臭い時間帯。
「なんかやばい。呪われたかもしれない」
「あー、うーん。多分呪われてる、ほんとごめん」
「憑いてるのはどんなやつ?」
俺は幽霊は見えない。公理さんは見えてる。さっきから公理さんの視線は俺の後ろに固定されている。
「なんていうか、俺も幽霊が全部見えるわけじゃないんだけど、家?」
「家?」
家って、ハウス?
「そんな変な目で見ないでよ、でも、なんていうか、うん。人じゃないことは確か。人ならそんな魂の形はしてない」
「魂?」
魂って形があるのか? 人魂みたいな?
幽霊ってのは死んだ人の姿をしているものじゃないのか?
「それに、それは死んでない。生きてもないけど、多分あの家自身に見える、ハルに憑いてるのは多分リビングの扉」
リビングの扉? 妙に具体的だな。そんなもんが霊になるのか?
あの家を思い出す。確かにこの世のものとは思えないほど禍々しかったが、ちらりと見た感じでは外見は普通の家だったと思う。
「それで、すごい言いづらいんだけど、ハルは今、少しあの家と繋がっている」
何を言ってる? 自分のてのひらに目を落とすが、特に透けてもいないな。
「ええと、あの家の姿を思い浮かべてもらえるかな」
俺はあの家に入ってないぞ、と思ったが目を閉じると視界はスゥと移り変わった。なんだこれ? 知らないリビングが見えた。
「見えた?」
隣から聞こえる声、公理さんの方を向くとスゥと視界は切り替わって公理さんの顔が見えた。
なんだ? 今のは。映画で場面が切り替わるように視界が切り替わった。どういう状況なんだ? これ。
「何が見えた?」
「多分リビング」
「じゃあその扉はやっぱりリビングの扉だと思う。そんな感じに見えるし。リビングの中に女の人いないかな。23歳で髪が短め、170弱くらいの身長の細めの人なんだけど」
もう一度リビングを思い浮かべる。左右を見渡す。首は動かしてないのに、思うように画面が動く。VRゲームをコントローラで動かしてるみたいな感じだな。
ん、右手にあるキッチンの方に人が立ってる。リビングから見える対面キッチン。公理さんの言ったような細くて生っ白い人。黒っぽいTシャツを着た人が手もとを動かしている。何か料理でもしてるのか。
「あれ?」
公理さんの声につられてそちらを向くと、やはり視界は公理さんに移り変わった。
「どうした?」
「多分だけど、ハルが見た方向の反対方向に扉の中の景色が変化した。ハルの視覚に連動して反対側が見えるのかも」
へぇ? 変なことがあるもんだな。再び目を閉じる。
「みえた。顔色悪い女の人」
「そう、多分それが僕の友達。九里手柚」
その名前を聞いた途端再び激しい頭痛が襲い、頭を押さえる。
万力で締められるように痛い。
「ッツ。公理さんその名前を聞いた途端、頭痛がした。もう一回言って?」
「柚」
ぐう。頭が揺れる。名前がNGなのか?
「よくわからないが名前を聞くと頭痛がする」
「大丈夫? ごめん、気をつける。痛み止めとか飲んだらなんとかなる?」
「……いや、これは病気じゃないから薬はおそらく意味がない」
「そっか……熱はなさそうかな」
ヒヤリと額に押し当てられる公理さんの冷たい手の甲。
差し出された水をありがたく受け取る。妙にのどが渇く。今日はずっと緊張してたからな。
インターフォンが鳴ってピザが届く。薄いマルゲリータとジェノベーゼのハーフアンドハーフ。それからポテトとパストラミ。食べ物の匂いは日常を感じて少し安心する。
「それで、公理さんに見えるその扉とやらはどんな状態?」
香ばしいピザをつまみながら状況を確認する。
公理さんの説明は訳の分からないものだった。
まず、俺の魂の一部が扉に挟まっている。どこにもドアの狭間に立っているように、前部分は公理さんの目の前にいるが、後ろの部分はドアにめり込んでいる。俺、前後でぶった斬られてんのか。実感は全くないが。それで俺がリビングを見ている時、俺の挟まっているドアが透けてその奥、俺の背後の様子がドア枠のすき間を通して公理さんには見えるそうだ。俺が見てない時は扉は閉じてて奥は見えない。
つまり、あの家のリビングが俺の背後にある?
振り返ってみたが、俺には公理さんの家の壁しか見えなかった。俺に幽霊は見えないからな。その扉とやらも家の幽霊なんだろうか。
「うん? ということは俺は家の幽霊に食われてるのか? というより家の幽霊ってそもそもなんなんだ。家って死ぬのか?」
「わかんない、生霊なのかな。でも生き物以外は幽霊にならないのかっていうと、どうなんだ? 動物も霊になるし、髪が伸びる人形ってのもいるみたいだし」
動物は生き物だろう?
でも家って霊になるのか? 霊木とかならまだしも、木造建築ってことは色々な木材が寄せ集められた木でできてるんだよな? 外から見た分には呪われている以外はそんなに変な家には見えなかったが。
とりあえず、現状の分析を続けよう。
俺はあの呪いの家によって魂を分かたれたと仮定する。九里手という人の名前を呼ぶと頭痛がする以外は目に見えた不具合はない。家はあの柚という人物を助けてほしいと言っていたからその影響だろうか。
他に何か支障はあるのか? この霊は無視できるものなのか?
俺は基本的には幽霊が見えないから、今まで仮に幽霊に憑かれたとしても気にすることはなかった。そもそも俺の不運はすでに呪いによって半端ないほどもたらされ、単体の幽霊如きが追加されたくらいじゃ、大して変わらない。
あの家はやばかったが今の状況に危機感は乏しい。すこし首筋がピリピリするくらいだ。幽霊が見えないからイマイチピンとこないな。
「これ、ほっといたらまずい系?」
「俺からするとこれをほっとくとか考えられないくらいヤバく見えるんだけど、ハルの実感としては問題なさそうなもんなの?」
公理さんの眉間にシワが寄っている。この人はだいたいヘラヘラしてるから珍しい。客観的にはそんなにヤバいのか?
コーラをカップに注ぎながら考える。ふと目を移すと公理さんの背後の窓の外では闇が深くなっていた。
「実感としてはすこし嫌な感じがするくらいかな、日常と大して変わらない。幽霊だからか見えないし影響は特に感じない」
「んん、俺的には昼にハルが言ってたみたいに正気とは思えないよ。その扉の奥、もの凄い量の幽霊がうろついてて、たまに千切れたやつがハルを捕まえようとしてるようにも見える。こちら側には来れないみたいだけど。そういえば嫌な感じは扉から漏れてはないな。でもやっぱり正気と思えない」
言われてみると、背側が少し涼しいような気もしなくはない。ただ不運の予兆は乏しい。今の時点で実際に引きずり込まれる危険性は恐らくないんだろう。
その扉とやらがフィルターになってこちらとあちらを分けているんだろうか。さてそうすると、問題はこの状況が変化しうるかどうかだな。あの家と繋がってるというのは正直ゾッとしない。ただ、これってなんとかする方法があるものなのか?
ともあれ時間があるうちに進めるべきは更なる分析だろうな。
「その、家に住んでるやつのことが知りたいな。どういう知り合いなんだ?」
「柚……あ、こめん、友達はアパレルで靴売ってる人。ショップで会って靴の相談してたら仲良くなった。それで僕のお客さんにもなってくれて、たまに一緒に飲みに行ったりするんだよ」
「なんであの家に住んでんの?」
「家賃がべらぼうに安いんだって。一軒家で月1万8000円」
正気か。
その値段で住んでるってことはヤバい家と知って住んでるんだよな。
「その人幽霊見えたりすんの?」
「どうかなぁ? そんな話はしたことないけど。でもあんな家にいたんじゃ、今は見えなくても霊障が大きすぎてそのうち見えるようになりそうな気はする」
「とりあえずもう一回見てみる。見るだけならいまのとこ影響はなさそうだし。原因を特定したい」
「俺も扉の中見とく。今度はやばそうな時以外声かけないから、なんかあったら手を握って。俺もなんかやばそうだったら手を握るから」
そう言って、公理さんは椅子を持ってきて俺の前に座り、両手を俺の手のひらに重ねた。セーフティワードみたいなやつか。ヤバい時に無理やり引き戻すための。
すでに公理さんの真剣な目は俺の肩ごしに扉とやらを見据えている。
俺はリビングに意識を切り替える。
いま俺がいるのは18畳ほどのLDK。ひとりで住むには広いな。
先ほどと同じ風景。右手がキッチンで正面がリビング。リビングに設置されたオフホワイトの合皮のソファに女の人が寝転んでいた。これが柚だな。
イヤフォンしてるから何か音楽でも聴きながら携帯をいじっているんだろう。柚の前に立つが、こちらに気づくそぶりはない。痩せ気味で顔色は少し悪く、不健康そうだがこの程度の人はまま見かけるレベル。病院に連れてこうという程度には至らない。黒Tにジャージの下。部屋着だな。マニッシュショートなのもあって少年のような雰囲気だ。柔らかそうな黒髪で大人しそうな少し面長の顔立ち。
3分ほど見ていたが動きがないので周りを見渡すと、俺の手のひらの上にのせられた公理さんの手のひらがビクッとゆれた。なんかヤバいもんがみえたのかな。だが握るというほどではないから続行可能なんだろう。
キッチンを背にして、リビングの左側には襖がある。白い壁に沿った白い襖。開けようと思っても触れない。手は襖をすり抜けた。俺はこの家では幽霊なのかな。なら通り抜けられるかと思ってフスマに顔を突っ込んだ瞬間思わず公理さんの手を握りしめ、俺はあわてて目を開けて意識を公理さんの部屋に戻した。




