呪いの家のうわさ
俺は藤友晴希という。
神津市の新谷坂高校に通っていて、4月で2年になる。
今は春休み期間。春休みが始まってちょうど4日目に入った深夜、夜更かししてそろそろ寝るかと思っていたら公理智樹からLIMEで呼び出しがあった。
公理ん:ちょっと付き合ってほしい、呪いの家に★ 01:12
それを俺に頼むかよ? よりにもよって俺に。
俺はすでに不運の呪いにかかっていて、その結果現在進行形で恐ろしく運が悪い。運が悪いと言われるレベルはとうの昔に通り越し、普通に歩いているだけで物は降ってくるし車は突っ込んでくるし変な奴らに絡まれる。そういえば公理さんもその変な奴の1人だな。
公理さんは俺の知り合い史上、最もチャラい。そして正直、見た目はかなりカッコいい。
スラリと細身で背が高く、どこか憂を含んだ切れ長の目と細い眉、鼻梁は程よく高く、ひき結んだ唇。マンバンというらしいが、髪を後頭部で短く結んでる。恐ろしくモテそうだけど、意外にも女の人の影は少ない。不自由しないからわざわざ彼女を作らないの、と前に言っていた。けど、どちらかというと、あまりパーソナルスペースに人を入れたがらないタイプだからだろう。
近くによるとろくでもない酒乱でおかしな人なのがバレるだろうし。
俺と公理さんとの出会いは俺が12歳くらいの時だ。
その頃住んでいた家の近所に公理さんも住んでいた。その時の公理さんは確か20くらいだったはずだ。
俺が土曜か日曜の早朝の公園でぼんやりしていたとき、べろべろに酔っ払った公理さんに絡まれた。物凄い酒臭さだった。あんな酒臭い人は後にも先にも公理さんだけだ。
「ウェーィ、子供が公園なんかでなにしてんの〜?」
むしろ公園にいるのは子供だろ? と思ったが見るからにやばそうな状態の人だったから逃げようとした。だが、逃げきれずに後ろからホールドされて捕まって頬擦りされた。耐え難く酒臭い。軽くゲロの匂いも混じってる。
「ねぇ〜お兄さんと遊ぼうよ〜」
助けを呼ぼうとしても人っ子1人通らない。普段なら犬の散歩してる人がいるはずなのに。俺は運が悪いんだ。自力で切り抜けないといけない。酒臭い空気の中で軽く息を整える。
「お兄さん、わかったから一旦離れて、話聞くから」
「ほんとに〜? 逃げない?」
目が死んでる。このタイプは下手に逃げて捕まったら次は逃してもらえない。大人しくいうことを聞けばそのうち飽きるだろう
「逃げない逃げない、信じられないなら手握ってていいから」
左手を差し出すと、痕がつくほどの力で手首をつかまれたが大人しく離れてはくれた。
そこから30分くらい延々と愚痴を聞かされた。主に女性関係。小学生に話していい話じゃないだろうと思いつつ、適当に相槌を打っていたらいつのまにかベンチで寝始めた。
完全に寝たと確認してから公園を離れる。もうこの公園には来れないな、と思っていたらそこかしこで酔っ払ったこの男に出会って絡まれるようになり、中学の時にLIME IDを奪われた。
それからちょくちょくわけのわからない呼び出しがある。
呼び出しに応じなければ延々とLIMEを飛ばしてくるし、何故だか酔っ払った状態の公理さんにどこかで遭遇する。それなら自主的に会った方がまだましだ。公理さんは酔っ払ってる時は最悪だが、素面の時は案外まともな対応をする人だから。酔っ払った状態で呪いの家なんぞに連れ込まれたら目も当てられない。
「俺が運が悪いことは当然知ってて言ってるんだよね?」
「うん、わかってる。外から見て本当にヤバイかどうかだけ見て欲しいの、入らなくていいからさ」
それならまぁ、許容範囲か。
俺は運が悪すぎるせいか、感覚的に不運や不幸の存在がわかる。虫の知らせ機能が強化されている。ヤバい予兆がある場合にはまず首筋にピリピリとした不快感が起こり、命に関わるような場合には額にある古傷が痛む。
外から見るだけでいいというなら、大丈夫だろう。問題はこの電話の時点ですでに首筋がざわめいていることだが。
仕方なく待ち合わせの予定をする。北辻駅西口改札で明日の午前11時。こちらに配慮した時間。
公理さんちゃんと起きてこれるのかな? どうせ今日も飲んで酔っ払ってるんだろ? まあ、俺としてはグロッキーな公理さんの方が都合がいい。
◇
その日、朝から嫌な予感とともに起床した。
寝起きから頭が重かった。
俺は高校の寮で暮らしている。朝飯時、顔色が悪すぎて寮の調理士さんに心配された。首筋もチリチリしている。極度にヤバい予感。フケようか真面目に考えたが、撤退可能性がある今のうちに付き合った方が総合的にましだろう。
北辻駅に到着すると、とうとう頭痛まで始まった。近づく前からこんなに酷い予兆があるのは初めてかもしれない。これ、多分家の中に入ったら死ぬ。そんな予感すらする。だからやはり今のうちになんとか公理さんをかわすしかないな。
公理さんは俺より背が高いしやたら握力がつよい。酔っ払いって、なんかのタガが外れるのか、異様に力が強いんだ。俺も体格が悪い方じゃないが酔っ払った公理さんに抵抗できたことがない。だから公理さんの頼み事は、公理さんが二日酔いで弱った朝が一番逃げやすくて都合がいい。
北辻駅の改札を出たが、案の定公理さんはいなかった。やはりな。軽くため息をついてLIMEを送ると今起きたと返事があった。まあ公理さんの家は隣駅の辻切センターにあるからすぐ来るだろう。
辻切センター駅はこの辺りのターミナル駅で3車線が乗り入れる繁華街だ。北辻駅は地下鉄神津線で1つ北側にある駅で、辻切センターから北側に向けて緩やかに続く飲食店街と、辻切センターのベッドタウンとしての住宅街が混在している。そして西口から正面を見上げると、その住宅街のある方から強烈な不運の予兆があった。ああ、ヤバそうだなこれ。
公理さんを待つ間に呪いの家について検索する。
正直、俺はこの北辻駅に着くまで呪いの家なんてあんまり信じていなかった。不運の予兆があってももっと何か具体的な危険があると思ってたんだ。たとえばその家が老朽化してて倒壊して怪我をする可能性とか、ヤバい奴が住んでて襲われる可能性とかもっと物理的な危険。
俺は基本的に幽霊がいるいないは気にしない。なぜなら俺は幽霊が見えないから。誰かが死んで幽霊が出る家というのはたまに聞くが、見えない以上、俺にとって幽霊の存在の有無はたいした意味はない。そもそも幽霊1人くらい余分に取り憑かれてもあんまり意味はないんだよ。呪いによってすでに十分に不幸だからな。だからこれまで不用意に近づかないよう避けてはいたものの、呪いの家系の話自体は気にしたことはなかった。
ああ、でも本当にヤバイなこの家。築15年のはずなのに、検索しただけで10人どころじゃない数死んでいる。これは幽霊ってレベルじゃないだろう。何か別の要因で呪われているんじゃないのか? そして案の定、その呪いの家は不運の予兆のする方角にあった。
二日酔いで青い顔した公理さんが現れたのはそれから30分経ってからだった。俺より顔色悪そうだな、この人。
顔色の悪い2人は揃って西口に出て歩を進める。北辻駅前の飲食店街にはまだ人通りは少ないけれどもすでにランチが始まっているところも多く、その匂いに公理さんは口元に手を当てて軽くえずいている。二日酔いに濃厚な豚骨ラーメンの匂いは辛いだろう。
「そんな調子悪いならまた今度にしない?」
「大丈夫、ちょっとこっちも急いでる」
足早に飲食店街を抜けて住宅街に足を踏み入れる。この坂道を少し上がると件の家が登場するはずだ。
しかし俺たちはその坂の手前で異常さに思わず足を止めた。
なんだこれ、おかしいだろ、なんだこの地獄の窯みたいな場所は。呪いの家に近づく前にすでに異常は明らかだった。坂の上から瘴気とも言えるような黒い闇が滔々と零れ落ちていた。穢れ、汚染、そういったイメージのヒンヤリしたなにかが、坂の上からざらざらと流れ出て、足首に一瞬絡んでさらに下に滑り降りていく。
それに坂の上からはずっと叫び声が聞こえている。耳を塞ぎたい。この場所はおかしすぎる。
誰か助けて! 柚ちゃんを助けて! 誰でもいいから!
空気が大きく膨れ上がり、裂けるように震え、ぶわんと破裂して音になって響く。それが繰り返されている。
「公理さん、無理、ここ、まじでヤバい。こっからでも死にそう」
「えっ? まだ見えてもないじゃん、んーあと100メートルくらいはあると思う」
「わかってる、ちょうどあっちの方向だよね」
俺は地図アプリを開く公理さんに、左に迂回する坂道とは反対方向の右手奥を指し示す。
「うん、そう、わかるもんなの? やっぱそんなにヤバい? まじか」
「そんなにヤバい。この辺に人が住んでるのが信じられないくらいヤバい、まじで」
公理さんは真っ青な顔を巡らせながら坂の上を眺めた。
坂道に沿って住宅街が並んでいて、その上の空は青く澄んで、ひつじ雲がぷかぷか浮かんでいた。だが、その家のあるあたりだけ写真のフィルムが一部変色したかのように、空が薄く紫色に染まっていた。
「わかった、ハルはここまででいいや。俺はちょっと行ってくる」
「いや、無理だって。肝試しで死んだら元も子もないだろ」
「ん……」
公理さんは整った眉を少し下げて口を開く。
「肝試しじゃないんだよね、その家に俺の友達が住んでる」
「ハァ? あんな場所に人が住めるわけない」
「見えないと案外気にならないもんかもよ」
「いや、あんたは見えるほうだろ」
俺は幽霊は見えないが公理さんは見える。
なら、ヤバいのはわかるはずだ。だから公理さんの顔色はさっきより悪く土気色になってる。
「生きてるよ、俺の友達は。だって半年くらい前に引っ越して、今も働いてるもん」
信じらんねえ。
「そいつは人間なのかよ?」
「うん、人間。でも目に見えて調子が悪くなってるからさ、だから様子見ようと思って」
「……それなら職場で捕まえたほうがいい。ここは無理」
俺は首を振りながら公理さんの手首をつかむ。力尽くでも連れ帰りたい。
「あんたが行って死んだら寝覚が悪い」
「うーん、じゃあさ、一目、見るだけ。ひょっとしたらヤバいのは隣の家かもしんないじゃん。そしたらまだ安心できるでしょ?」
……正直あの瘴気で人が生きられるとはとても思えない。
それなら確かに公理さんの友達とやらは隣の家とか近所なのかもしれない。
どうするべきか。ここは近寄るべきじゃない。けど公理さんには恩がある。公理さんはなんだかんだ交流関係が広くて、前にヤバい事件に巻き込まれたときに助けてもらった。そっから今でもいろいろ融通を効かせてもらっている。
隣の家を見るくらいなら、なんとか。
「わかった。そこまではついていく。但し呪いの家には絶対に近寄らない、それでいいか」
「ありがと。恩に着るよ。なんていうか、本当は1人じゃすごく怖かった。ハルは何が見えてる?」
「ものすごい叫び声と、空が紫に染まって瘴気がぼたぼた流れ落ちてきてる」
「俺の見てるのとちょっと違うな。音は聞こえないけどこっからさき、千切れた幽霊みたいなのがそこら中に漂ってる」
千切れた幽霊? そっちのほうがやばそうだな。幽霊が見えなくてよかった。
仕方がない、覚悟を決める。
「それでその友達の家ってどうやって見分けるんだ?」
「ん、一軒家で表札が出てるはず。久里手っていうんだ。珍しい名前だから多分間違えない」
「りょーかい」
俺たちはさらに顔を真っ青にして、重い足取りで少しずつ坂を上る。目線をあげるのも億劫だ。少し上るたびに闇は濃くなり、まるで汚泥やコールタールの中を歩くように一歩が重い。公理さんも目の前を払うしぐさを頻繁にしている。
そして俺は『久里手』の表札を見つけた。そしてその家はまさに、呪われた家だった。
そして俺は家と目があった。そう感じた。坂道の角を曲がって、その家まではまだ30メートルはあったはずだ。
一瞬、家の大音響の叫び声が止まる。耳が痛く感じるほどの静けさ。
それからこれまでで一番大きい、助けて、という音が膨れ上がり、竜巻のように俺を飲み込み、俺は意識を失った。




