伽耶ちゃんと俺
ハルに怒られた。ハルの眉毛と眉毛のあいだにちょっとだけシワが出来てる。わかりづらいけど。
ハルが怒っているのを見るのは初めてといえば初めてだけど、なんとなく、あれは自分に怒ってる気がする。どうせなら俺を怒ればいいのに。そうすれば少しは。
失敗したかな。かえって傷つけてしまったかも。でも、ハルが言ってることはわかるけど、予め話してたら止めたよね。喜友名晋司は多分ハルじゃだめなんだ。俺は喜友名晋司の気持ちがわかってしまったから。だから。
あの人の中に芸術はなかった。自分で他人を塗り替えようという強固な意思はなくて、ただ他に方法がなくて、結果的にああなってしまったんだと思う。あの人は家の呪いで自分が何なのかわからなくなってしまって、自分の描いた絵の魂に逆に引き摺られてますます何が何だかわからなくなっていた。絵に捉われかけた俺と同じ。でもあの人は絵に捉われても最終的には追い出された。それは酷く寂しかっただろうな。
だから、自分を絵にしたかったんだと思う。他の魂と同じように自分はここに確かにあるって。他人の魂じゃなくて自分の魂が。
あの家は何なんだろう。貝田弘江は小藤亜李沙を助けたかったのかもしれない。越谷泰斗は自分の欲した絵を求めだけかも。喜友名晋司はその絵で自分を認めてもらいたかった。それぞれの求めた幸せ。それは悪いことだったの?
強引に望みを実現する強大すぎる呪いの力。制御できないままならない力。何だか子供じみた手法。でも呪いがただ人を殺すことだけを目的とするなら、多分こんな形はとらない気がする。この呪いは何がしたいの?
俺は喜友名晋司の魂に触れた。びくびくした1人ぼっちの寂しい魂だった。俺はその魂を覚えていよう。喜友名晋司と違う方法で、そのうちこの魂を表現しよう。動かなくなった左手を見る。この手が元に戻ればいずれ。
左手はどこかに繋がっている気がした。多分あの家。無くなった感じはしないから、ひょっとしたら取り戻せるのかもしれない。
でもその前にハルかな。ちょっと関係がギクシャクしてる。
◇◇◇
台所でつまみを作っていると、ピンポンと音が鳴った。動けない公理さんの代わりに玄関まで迎えに出る。
「こんばんわーん、あれ? 部屋間違えた?」
「公理の家ならここであってる。どうぞ」
ドアの前には20過ぎくらいのピンク髪のチャラ男がいた。中堅くらいのホストらしい。今日は女の子とデートで同伴予定だったけど、女の子の予定が飛んだところに公理さんから時間があったら話がしたいという連絡が届いたそうだ。聞く前に勝手にそう喋った。
「まー今から営業しても必死すぎてアレだし? それより公理んどしたの」
「ちょっと今左半分動かないんだ~」
なんでそんなに軽いんだ、忌々しい。漏れる舌打ち。
「まじの話? 大丈夫?」
「あんま大丈夫じゃないから請園さんのお話聞きたい」
「うーん、公理んの頼みだけどどうしよう? 顧客情報って奴じゃん? 個人情報?」
と言ってチラチラ俺を見る。キッチンに立とうとする俺を公理さんが止めた。
「うっちー、この子は大丈夫。外には絶対漏らさない人。調子よくなったら髪タダでやったげるからさ」
「マジで? うぅん、でも伽耶ちゃんとは付き合ってるけどそんなに詳しくは知らないよ? 太客だから営業してるだけで」
「へぇ~伽耶ちゃんお金持ちなんだ。でね、それって遺産でしょ? 伽耶ちゃんのお父さんってあれじゃん? 神目教団の請園恭生。俺が知りたいのはお父さんのことなの」
「う~ん、といってもあまり知らないけどね」
『あまり』という言葉の定義はなんだろう。
後で公理さんから内倉さんは情報収集系ホストだと聞いた。対象顧客の情報を調べ上げて効率的にアプローチをする。金をどのくらい搾り取れるかが最重要で、次点がその子から金を搾り取るためのための情報収集。金の匂いがダイレクトすぎてエゲつない。これは聞かれたくないのもわかる。
伽耶ちゃんは52歳ぽっちゃり系女子。人に同情されるのが好きなタイプ。色々話を聞いてあげて甘い言葉を振りまいて体を重ねると次も来てくれて高い酒を頼んでくれる。内倉さんに請園伽耶の写メを見せてもらう。まさに枕営業。恋愛感情は欠片も介在しなさそう……。なんだか無性に席を立ちたい。ここにいると何かが汚されそうな。なんとなく。
そんな寝物語に内倉さんは伽耶ちゃんの身の上を聞く。同じ話でも何度も繰り返し。
請園伽耶の父親は請園恭生。もともと請園恭生は金を持っていたらしく、請園伽耶はその遺産で生活している。神目教会の事件で一時期マスコミが自宅に押し寄せたが、そのころにはすでに伽耶ちゃんと請園恭生の家族的な交流は随分前から断絶していたからマスコミはすぐに興味を失って去った。伽耶ちゃんは若くも可愛くもないから話題性がないらしい。ただ、伽耶ちゃんは警察にもマスコミにも言っていないことが1つあった。それは請園恭生の知り合いという者が事件直後に伽耶ちゃんを訪ねてあるものを持ってきたこと。
「これだよ~。高価なものかと思って巻き上げたけど人造だって言われて二束三文。それで伽耶ちゃんと営業で会う時に、これ持ってるとずっと伽耶ちゃんを感じられるって言って金絞ってたんだけど最近連絡が取れなくってさ?」
「なんで警察にも隠してたの?」
「単純に根掘りされるのが面倒くさかったんじゃないかな? 伽耶ちゃんはほんとに教祖様と家族してないし」
「うっちーその伽耶ちゃんだけど、多分死んじゃってると思うんだ」
「えぇ~じゃあもっと早く養子縁組勧めときゃよかった。損したかも。これ欲しいならあげる」
なんだろう、自分もたいがいだと思ってたが大人って怖い。下には下がいるという思いをこんな気持ちで抱くとは思わなかった。手法自体は大変参考にはなる気はするんだけど。
そして俺はそのジュエリーを見た時、なんとなく呪いの残滓を感じた。俺の中の呪いと何かが反発しているのかな。少しの違和感。そういえば喜友名晋司は呪いに接触して影を帯び始めた。越谷泰斗は坂道を登っている時も影を帯びていた。これまではだいたい呪いの真っ只中にいたからあまり気にはしていなかったが、呪いがない場所でも『呪の依代』のような呪いと強く関連する者は呪いの影響をその身体に残しているのかもしれない。
石から呪いの気配がするということは請園恭生に関連するものに思われる。人造ダイヤ。最近よく聞く遺骨からできたやつなのかも。請園恭生は死んでいるんだろうか。家にも聞いたほうがいいな。
「うっちー、それで伽耶ちゃんのお父さんってもう死んでるの?」
「死んだって言ってたよ? あ、死体が見つかってないってやつか。その知り合いって人はこれを遺品だって持って来たんだって」
「へー」
「最近失踪宣告を出して法律的にも死んだよ? それから伽耶ちゃんは殺されたんじゃないかなって言ってた」
「なんか理由とか聞いてる?」
「伽耶ちゃんは臓器売買でもしてて闇組織に殺されたんじゃないの? って言ってた。ほら、目玉が見つからなかったんでしょう? でも伽耶ちゃんが言ってたことだからあんま信用なんないかなぁ? 俺は伽耶ちゃんが遺産相続できるかしか気にしてなかったから失踪宣告のやり方は教えたけど、本当の死因は調べてないや。失踪宣告は連絡取れなくなって7年たったら出るからね」
よくわからないな。確か前に検索した時は神目教の事件で首吊り死体に目玉がなかったと記載されていたと記憶している。だが公理さんが見た光景では臓器売買というよりもっと雑なものだった。どちらかというと目の周りの肉ごと適当に目玉を抉ったような大きな穴が開いていたそうだ。それに臓器売買なら両目を取るだろう? 右目だけというのは解せない。
それに喜友名晋司の手元にあった目玉がいくつなのかは知らないが、臓器売買にするならまとめて瓶に詰まっているのもおかしな話だ。
呪いは基本的にあの家の中とせいぜいその周辺の近い範囲に止まっている気がする。俺が北辻の坂の下で感じた呪いも坂の外までは流れていなかったと思う。
あの家で死体が発見されたのは死後1週間だ。その中に請園恭生はいなかった。おそらく、というか現在のところ請園恭生以外に『呪いの依代』になりうる者が思い当たらない。請園恭生が死んでいるのなら請園恭生は家の外に出て死んだように思う。外で死んだ場合でもバイアスが構築されうるものだろうか? その場合のくり返しの起点は?
バイアスはあくまであの家にかかっている呪いのように感じられる。何か違和感がある。
「うっちーは柚とも友達でしょう? 柚はお客なの?」
公理さんが俺の方をチラチラ見ながら尋ねる。その名前が発音されるたびに軽く頭痛がするが以前ほどではなかった。家が過剰反応しなくなったのか、柚に気づかれたからなのか、それとも慣れたのか。
柚に気づかれたからのような気がするな。家はおそらく俺と柚の間に柚に気付かれないよう障壁を張っていた。名前を呼ぶという行為は相手に気付かれやすい。だから聞こえないよう俺の周りに障壁を巡らせて音を閉じ込めていた。音というのは衝撃波だ。それが障壁で逃げ道がなくて俺の頭蓋を揺らして頭痛になった。それなら納得はしやすい。
だがその障壁は越谷泰斗のバイアスを消滅させたときに穴が開いた。だから反射すべきものとして設定された柚の名前は穴の開いた風船の空気のように抜けていく。ひょっとしたら俺が誰かと柚について話していることが柚に伝わっているのかもしれない。
「柚りんは何回か付き合いでお客に来てくれたことはあるけどそれだけかなぁ? 真面目な人だからホスト遊びはしないよ? 俺がお客で靴買いに行く。カルセアメンタの靴カッコいい」
「あんま付き合いはないの?」
「俺ホストだからとりあえず会った人は全部LIME交換してるだけで柚りんには特に営業もしてないよ。しても意味ないし。あ、でも前に付き合いで来てくれた時に引っ越したから家見に来る? って聞かれた。でもお金落としてくれない人のとこに行ってもね? あ、でも柚りん自体は好みのタイプだよ?」
「伽耶ちゃんは柚の家に誘われたら行くタイプ?」
「あー行くね、間違いなく行くね。話聞いてくれる人にはホイホイついてく。誰も話聞いてくれないらしいから」
そっからしばらく生臭くて生々しい話が続いて、内倉さんはそろそろ仕事だからバイバイって言って家を出た。
酔っ払ったときの公理さんばりにトークに遠慮がない人だな。でも、第三者が間に入って気分は少し落ち着いた気がする。来てくれて助かった。俺が公理さんに強くあたっても意味はない。俺がやってることは八つ当たりだな。少し冷静になろう。




