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叫ぶ家と憂鬱な殺人鬼(旧版  作者: tempp
第4章 芸術家変死事件

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絵の中の魂

 喜友名先生の絵の描き方は常軌を逸している。

 俺がそれを初めて見たのは忘れ物を取りに戻った時だった。その時すでに喜友名先生の家に入り浸っていてノックをするのを忘れていた。

 俺は最初何をしているのかわからなかった。小皿に入ったそれを舐めていた、ように見えた。そしてそれが何かわかった時、俺は荷物を取り落とし、喜友名先生は振り向いた。


「見てしまったのかね」

「……」

「……そうか」


 喜友名先生は、そうか、としか言わなかった。

 喜友名先生が齧っていたものは人の眼球だった。

 なぜそんなものがここに、と尋ねると、この家の屋根裏にあったという。観念したのか喜友名先生は2Lほどのガラス瓶を押し入れから出してきた。そこには7個ほどの眼球が周りの肉ごと保管されていて、かすかに刺激臭がした。それを奇麗に洗って食べているのだという。どうしてそんなことをしているのですか、と尋ねると、食べてキャンバスに向かえば、その眼球が見たかった景色を書き上げることができるのだという。

 それでは喜友名先生の絵は喜友名先生が描いたものではなかったのですか、と尋ねると、寂しそうに、そうだね、と答えた。


 喜友名先生は眼球を食べてその思いと魂を絵に描く。眼球によって魂の器は異なる。だから喜友名先生の絵は同じ作者にもかかわらず見る人によって印象が全く異なるのだ。

 そして得心した。俺が好きだった絵も、誰かの魂そのものだった。

 結局喜友名先生は具象の画家だった。花瓶や壺を見て描くのと同じように魂をありのままの姿に描く。

 俺も馬鹿馬鹿しいことを聞いていたものだ。花瓶の絵を描いている姿に何を描いているのか尋ね、何に見えるかと質問され、花瓶ですかねと答えたようなもの。喜友名先生としてもそれ以上答えようがなかったのだろう。


 喜友名先生はしばらく立ち尽くす俺を見て、通報しないのかね、と不思議そうに言った。

 通報して何になるというのだろう。先生が見つけたのは神目教の信者の目だ。俺はあの事件も追ったことがある。結局詳細はわからなかったが、今更その目が食われて絵に描かれていたと知っても遺族の悲しみは増すばかりだろう。それであれば、通報することにどんな意味があるのだろうか。


 その後も喜友名先生は魂を食べて絵を描き続けた。そして瓶の中の眼球は無くなった。喜友名先生は俺に尋ねる。


「どうしたらいいだろう」


 俺はそのころにはすっかりこの家に住み着いて、喜友名先生が絵を描くのを隣で見ていた。すでにすっかり絵に呪われていた俺の選択肢はただ一つだった。


「新しい目を探しましょう」


 俺は画家がアシスタントを募集していると言って伝手を頼って身寄りのなさそうな者を喜友名先生の家に連れて行った。そして殺した。死体は全て喜友名先生が食べ、骨は砕いてトイレに流した。

 これはよくないことだ。罪悪感は俺の心を締め付けて食事は喉を通らなくなり頭はぐらぐらと揺れ続けた。だが魂は喜友名先生の絵に鷲掴みにされていて逃れることができない。そんなことをしていればすぐに捕まるだろう、そうすればこんなことも終わりにできるはずだ、という思いに一縷の望みをかけて警察の訪れを待っていた。しかし一向にこの家に警察が訪れることはなかった。どうやら何かあっても喜友名先生のご実家が握りつぶして喜友名先生に捜査の手が及ぶのを防いでいたらしい。


 喜友名先生の評価はさらに上がった。目玉だけではなくその全身を食べているからだろう。その人物の魂の全てを絵に塗り込める作業だ。

 そうしているうちに喜友名先生もだんだんと混乱をきたし、自分が何かもわからなくなっていくようだった。それも道理だ。これまでは人の魂の一部を食べてあれほどの絵を描いていたのだ。芸術と言うのは人の魂を侵食するものだ。他人の魂の全てを食べて自分を保てるわけがない。


 ある日、喜友名先生はぼそりと、芝山君を描きたい、と言った。何故そのような言葉がもれたのかはよくわからない。喜友名先生ももう既に限界で、こんな状況から逃れたい一心だったのかもしれない。そして絵を描くのをやめるために、絵の具を運んでくる俺を指名したのかもしれない。俺ももうこんなことはやめたかった。心の底から止めたかった。俺もとっくに限界だった。

 でも先生とこの家がある限り、俺はここから逃れることはできないとすでに魂に刻み付けられていた。それはもう薄黒い何かが俺の全てに絡みつくかのように深く。だから俺は言った。


「いいですよ。いい絵を描いてくださいね」


◇◇◇


 目を開けると公理さんはぼんやりしていた。随分疲れているようだった。休むのもコツがいるもんな。

 キッチンに向かうと休むようにいわれたが、さっきまでぼんやり休んでいたから大丈夫。それに多少は体を動かしていたほうが頭が回る。

 軽いものがいいな、麺類かな。梅そうめんは昨日やったしな。


 昼は簡単に済まそう。冷蔵庫を開けて豚バラを取り出してさっと茹でて冷やす。長芋、紫蘇とネギをスライスする。うどんを茹でてしめて、鰹節と一緒に具をトッピングすれば冷しゃぶうどん。ふわりと鰹節の香りが漂う。うん、さっぱり。


 うどんをすすりながら作戦会議をする。

 公理さんは俺が振り返った時、喜友名晋司が自らの腕を切り落として齧っているのを見た。あの雑誌の記事からも喜友名晋司は人を食べて絵を描いている。芝山彰夫も食べられたのだろう。

 問題はここからだ。喜友名晋司の自殺を止めるにはどうしたらいいのか皆目見当がつかない。


「喜友名晋司はどうして自殺したんだろう?」

「夢の中の話では、絵になるためと言ってたんじゃないの?」

「どうして絵になりたいかなんだよな」


 わかんねぇ。さっぱりわかんねぇ。


「俺の印象ではさ、あの絵は心から欲しいものが描かれていると思うんだ。だからあんなに他人の魂を揺さぶるの。でもあの絵は喜友名晋司とは何かズレている。心から欲しいものっていうのは喜友名晋司が欲しいものじゃなくて、食べた魂が欲しいものなんじゃないかなと思う」

「ふうん?」

「だから喜友名晋司が本当に欲しいものを与えることができれば自殺しないんじゃないかな」

「死んだ奴にどうやって欲しいものを届けるんだ?」

「喜友名晋司が何を求めているかは、絵に何を求めているかってことなんだろうね。人を殺して食べてまでして絵を描いたんだから」


◇◇◇


 誰もいないリビング。俺は2階に上がり、正面の喜友名晋司のアトリエを覗く。

 そこにはやはり黒い四角が浮いていた。


「公理さん部屋はどうだ」

「オレンジ色だけどさっきほどじゃないし絵からはまだこぼれていない。大丈夫そう」


 まだ、時間はある。目の前からテレピン油の匂いとそれで絵具を溶いているような音がする。


「喜友名晋司か?」

  そうだよ どこかであったことがあるかな

「何回か話したことがある」

  そうだっただろうか 記憶にはないな

「前に会った時には何を描けばいいのかと言っていた」

  そんなこともあっただろうか

  そうだな 何を描けばいいのかな

「そもそもなんで絵を描いてる?」

  ……そもそもか

  そもそもは褒めてもらいたかったんだ

「ふうん? でも有名な賞をとったんだろ? だめなのか?」

  そういえばそうだな 嬉しかった 

  特に月展は昔から夢だったんだ


 ふふふという懐かしいものを思い出すような声が聞こえた。

 月展。確か喜友名晋司が有名になった切欠。

 越谷泰斗の焦がれた『落日の悲歌』。


「喜ばれただろう? ファンもいたはずだ。越谷泰斗という奴を知っているか」

  あぁ 彼はよく個展に来てくれた

「褒められただろう? それじゃダメなのか?」

  そうだ 彼はあの絵をとても褒めてくれた

  だが あの絵は私じゃないんだ

  描き終わったら遠くなってしまった


 寂しそうな声が響く。

 それはそうだろう。絵は神目教団の誰かの魂なのだろうから。そして塗り込められた魂は喜友名晋司から分離して、絵の中で呪いになった。

 ハル、俺の言う通り聞いて、という声が聞こえる。


「あんたが1人で描いていた時の絵のなかで一番いい絵は何だ?」

  私が1人で描いた絵か

  私が描いた絵はみんながつまらないという

「それは他人が思っているだけだろう? 何かないのか? あんただって褒められたから絵を描き続けているんだろう?」

  そうだな いままで人に見せたことはなかったがせっかくだ

  少し待っていてくれ


 隣の部屋に移動する音がした。


「公理さん、これどういう話?」

「うん、喜友名晋司の思いを知るために、喜友名晋司自身の魂の形が知りたいと思って。呪われる前の絵ならわかるかなと」


 ううん、公理さんが何を言っているのかもよくわからない。

 しばらくして戻ってくる音がした。


  これだ これは私が初めて描いた絵で 父と母が喜んでくれた

「ハル、俺に絵を見せて」

「隣に呪いの絵がある。視界にいれないよう十分気をつけろ」


 喜友名晋司は絵を見せているようだが残念ながら俺には何も見えない。公理さんに交代して指示通り会話を続ける。


「その絵ではだめなのか?」

  そうだな この絵でよかったのかもしれない

  だが母は死んでしまった

「母親に褒められたかったのか?」

  そうだな そうかもしれない

「小さな絵を描くのにどのくらいの時間がかかる? 魂を塗り込めるだけの段階でいい」

  そうだな 私の絵の描き方は特殊でね 本当は描いていないんだ

  食べた魂を塗り込んで それを見てその上に色を置いていく

  だから塗り込むだけなら小さければ5分もかからないだろう


 そうか、だから引越しの日の絵はあんなにも早く真っ黒に染められ、実際の絵はその呪いの上に厚く絵の具が塗られているのか。だから全てが見える公理さんには『呪いの媒体』の上の絵の具が見えて、『呪いの媒体』しか見えない俺には黒い四角しか見えない。それにしてもこれは何の話をしているんだ?

 俺は次の言葉を呟く。


「魂を得るにはどの部分が一番いいんだ? 目玉か?」

  目玉は慣れているから描きやすいかもしれない

  だが他のものでもいい

  その魂の最も求めるものがいいな


 それから俺たちは喜友名晋司の過去や生活を長々と聞いた。途中で3回に分けて休憩を挟みながら。この質問に何の意味があるかはよくわからないが、公理さんは喜友名晋司の望みを叶えるためには必要なんだよ、ハルにはわからないと思う、としか言わなかった。実際喜友名晋司の気持ちも何を求めているのかもわからない。

 俺には今のところ解決の糸口が全くつかめない。何かの一助になるなら公理さんにまかせよう。

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