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叫ぶ家と憂鬱な殺人鬼(旧版  作者: tempp
第4章 芸術家変死事件

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32/83

白の闇

 白い部屋にいた。


「お兄さん、こんにちは。それ大丈夫?」


 なんだろうと思ったら左腕に痛みが走る。

 見ると、左前腕の内側にナイフで切ったような傷があった。


『3F G 2F Li BK』


 なんだこれ? ……いや、自分でつけた傷だなこれは。なら1番単純な想定が正解だ。どういう状況だ?


「お兄さん、思い出そうとしないで。魔法が解けるから、それより3階だね。こっちだ」


 声に導かれて押し入れから屋根裏に登る。3階?

 斜めの屋根。屋根裏か。G、ゲット。何を?

 あたりを見回すと黒いものがあった。

 これを? なんだ? とりあえず拾おう。

 首筋がひりひりする。思わず首筋に手をあてる。普通なら近寄りたくもない嫌な気配がするが、俺の指示なら織り込み済みだろう。俺は俺の判断を信用する。


 先程の2階に降りて黒いものを置く。

 LiはLie。それでBK?  Back。振り返る。

 うん? 何も起きないな。何かを待っていればいいのかな?


「お兄さん起きて。ここは僕の夢だ。お友達のお兄さんが大変そう」


 パラパラと世界が砕けていく。

 夢? 友達? ああ。そうか。

 がくがくと揺らされる肩。

 揺れる頭でなんとか目を開けると公理さんが嘔吐していた。


◇◇◇


 公理さんが完全にノックダウンした。青い顔でかなりグロッキー。目をきつく閉じている。大丈夫かな。ソファでうずくまる公理さんに毛布をかける。


 失敗した。見える姿は違っても、あの黒いのが公理さんを侵食したものそのものだったんだろう。公理さんの精神が弱ってることを忘れていた。やけに積極的なのは防衛機制だったのかもしれない。反動形成とかかも。怯えている本心を隠すためにその本心とは逆の行動をとる。弱ってるからこそ積極的に出る。けど、そういう行動に出ないといけないほど精神的な負担が大きいということ。まずった、大丈夫だろうか。本当に悪いことをした。

 だけど、どうしたらいい? 防衛行動として打って出ているのなら下手に抑制するとより不安定になるかもしれない。ストレスが過多なら精神の傷みが加速する。

 5時半か。窓を見ると紺色が薄っすらとオレンジ色に侵食されていた。死亡推定時刻は8時から9時。公理さんは命綱で、無理はさせられない。だけど公理さんが言う絵の部屋はそれだけで公理さんの魂を削る。でも生き残るためには結局ここに入らなければならない。精神に影響するなら早めに原因を取り除いたほうがいい。やはり早く事件を終わらせるしかない。

 朝までに少しは回復するだろうか。とりあえず寝かせて様子を見よう。他に方法はない。


 腕の記号を線で消して手当てする。残したままだと次回誤導する可能性がある。使ったら消す。痛いし変な目で見られるからこの方法はなるべく使いたくない。だが夢の中に傷が持ち込めることが分かったのは重要だ。

 前に夢の中で橋屋を引き止めようとした時、自分の手が見えたからなんとかなるかなとは思っていた。あと使えるのは家との連絡。次の夢に備えて家に予め伝言を残すのは有効に思える。


 公理さんが倒れる前に言った言葉、『目玉』。

 俺は喜友名晋司があの家に初めて入るタイミングを願った。越谷泰斗の時に蝿が摘めたから、呪いであればおそらく触れるだろう、運べるだろうと思っていた。俺には真っ白に見えても屋根裏だから公理さんは暗くて何も見えないだろう。だから屋根裏から運び出して公理さんに見せた。引越しは昼間に行っただろうから2階は明るかったはず。

 そして俺が喜友名晋司が探すより先に屋根裏から回収したその黒いもの。

 それは、目玉。


 喜友名晋司の前はカルト教団集団自殺事件。神目教会。神目教会という名前からも、目玉はその関係のような気はする。

 登記を見ると事件から3年ほどは空き家だったはずだ。そうするとホルマリン漬けかなにかかな。目玉をすり潰して絵を描いていた。それならありうるのか。

 そうすると絵から出てきたのはその目の持ち主なのかな。うーん、確定はできない。


 手持無沙汰だな。集団自殺事件を調べるか。

 携帯を開く。

 神目教。カルト教団と言われているが、もともとは互助的な宗教団体だったようだ。

 神目? 神の全能の目とかプロビデンスの目とかいう奴なのかな、真理を見通す目がある。この辺で強いカルト臭が湧くわけだが、この団体はそこから陰謀論とかそっちにいくことはなく、神様が見ているからいい人生を送りましょうという天道思想的な発想で牧歌的な活動をしていたらしい。あの家に引っ越すまでは。


 あの家の内部で何が行われていたのかはわからないが、事件の発覚の経緯はこうだ。

 近所の住民が2階の窓でたくさんの影がぶら下がっていることに気が付いた。最初はハンガーで洋服でもかけているのかと思ったらしいが、それ以降あの家に人の出入りが全くなくなった。

 住人が不審に思って警察に相談すると、2階で大勢の人間が首を吊っていたことがわかった。猟奇的だな。そうすると公理さんが言っていた2階正面の部屋の首吊りは神目教か。

 今のところはこんなところか。


 そろそろ6時半。すっかり外は明るい。朝飯でもつくるかな。

 目玉焼きは駄目だろうな。何があったかな。米はまだ駄目かな、うーん元気の出そうな楽しそうなもの。少しでも公理さんの精神をリカバーしないと。フルーツサンドにしよう。公理さんは甘いものが好きだ。だが砂糖の過剰摂取は精神を不安定にする。生クリームは甘さ控えめだな。くるくると冷やした生クリームを泡立てる。フルーツサンドなら8分だて。

 必要な栄養素……タンパク質が足りないな。パストラミが残ってたような。パストラミとレタスとクリームチーズ。悪くない。

 この2種でいいか。ちょっとつまみ食いしよう。

 フルーツをカットしていると目覚ましが鳴って公理さんがふらふらと起きあがった。


「大丈夫?」

「……うん、まあ大丈夫。なんか最近こんなのばっかりだ」

「早く終わらせようぜ」

「……そうだね」


 午前7時30分。

 目標は喜友名晋司の死因の特定。つまり呪いの内容と効果の特定。俺と公理さんは手を組む。


◇◇◇


 目を開けるとリビング。さっとあたりの様子を窺う。主に柚の気配を。追い出されたら困る。今は鉢合わせたくない。

 しばらくするとカチャリという音がして2階から降りてくる足音がした。柚だ。リビングに隣接する和室に逃げ込む。もし柚がリビングに立ち入るようならそのまま壁を抜けて玄関から2階に回るし、玄関に向かうならそのまま待機して自宅の外に出たら2階に上がる。



 ……柚が玄関から外に出るのを確認して2階に上がり正面の部屋に入る。油絵具のオイルの香りが漂っている。

 そこは既に異様な雰囲気が満ちていた。部屋の中央付近に設置された黒い四角からは冷んやりとした黒い気配が漏れ出ていた。


「サングラス越しでもやばい。色がわからないはずなのに部屋中がオレンジ色に感じる」

「わかった、やばかったらすぐ言ってくれ、本当に」


 公理さんが頷く気配を感じて、俺は耳を澄ます。


  芝山君 もうすぐ絵が出来る

  君が見たかった絵が

  君に是非とも見せたい

  だが君はもういない


 声の主は1人だった。

 その声は黒い四角のすぐ隣から聞こえていた。喜友名晋司の声だろう。黒い枠はすでに黒で埋まっていて、その奥では何やら闇が蠢いていた。

 絵を直視してはいけない。絵から目を逸らして距離を取る。今回は嗅覚と聴覚が失われた場合に備えて香を焚いて音楽をかけている。まだ正常だ。鉱山を降る時の金糸雀のようだな。


 しばらくするとカタリと筆を置くような音が聞こえた。


  芝山君 絵ができたよ

  君に喜んでもらえただろうか


 キャンバスの黒い縁が揺れたように感じた。

 首筋がチリチリする。呪いが出てくる、気配。


「公理さん、部屋の中はどうだ?」

「サングラスで色は見えていないはずなのに圧倒的なオレンジを感じる。絵からだらだらオレンジが流れ出てて、昨日見たよりだいぶん圧が強い。もし対策なくこれ見ていたら部屋だけでも意識全部持ってかれた気がする」


 それほどならば俺にもすでに影響が出ているかもしれない。それに公理さんが心配だ。だが早期解決には他に方法はない。

 しばらく見ていると絵の奥が蠢き、黒い何かがぬるりと絵から這い出してきた。あれもおそらく『呪いの媒体』。絵から漏れ出る黒いものが凝固した姿に思える。このバイアスで不幸をもたらすもの。

 危険を避けて部屋のすみから見ているせいか、こちらに気づく様子はない。そもそも夢の中でこちらに気付かれたのが既におかしい気がする。あれは過去の映像のはずだ。ただ越谷泰斗の蠅もまとわりついてきたな。近くにいたから見つかったのかもしれない。

 いや、家の中で家の意識が自立している以上、俺を明確に知覚できる呪いが自立していてもおかしくないのかな? であればあの『呪いの媒体』は何だ?

 そんなことを考えていると喜友名晋司と黒い何かが話始めた。


  芝山君かい?

  そうです 喜友名先生

  どうかね 絵は完成したが気に入ってもらえるだろうか


 『呪いの媒体』はふるふると首を振る。やはり意思がある。


  先生 私はもうすでに絵なんです ですからもう絵を見ることはできません

  そうか ……それは残念だ

  ところで先生 これからどうされるおつもりです?

  そこなんだ 私はもうすっかりわからなくなった


「ハル、やばい、色がどんどんあふれ出してる。さっきまでとは段違い」

「まだ大丈夫だ。これは俺にも見えている。『呪いの媒体』なら見える。後は俺が判断する。公理さんは目を閉じていてほしい。それに声でも距離はわかる。だからもし『呪いの媒体』が近づいて来ればすぐに目を開ける」

「駄目だよ、それは駄目。絶対駄目。嫌だ」


 強く手が握られた。意思は固い。リスクは増やしたくはないが仕方がない。続行だ。。

 『呪いの媒体』はふつふつと絵から湧き出、床を浸し始めた。すでに膝下までが冷たく黒い。

 俺の嗅覚はすでに失われた。だが音楽はまだ聞こえている。まだ大丈夫だ。


  そうでしょうね 先生にはもう描けないでしょう 材料が揃えられないのですから

  そうだな 芝山君がいないと私は何もできない

  いっそのこと先生も絵になって見てはいかがでしょうか

  ……

  先生は絵の世界に行きたかったのでしょう?

  私の絵は私で満ちた だからもう先生が入る隙間はないんです

  …… ……


 『呪いの媒体』はふふふ、と笑う。

 首筋の悪寒が強まり、額の傷がうずき始める。床に溢れた『呪いの媒体』はすでに腰まで達している。


  大丈夫ですよ先生 ここを絵で満たしましょう

  たとえ先生の絵が完成されなくても ここで俺と同じように次の絵を描く者があらわれる

  …… ……

  そうです もう先生はなにも感じなくなっているはずだ

  ほら そこに先生がいつも用意している鉈がある それでいつもどおりにすればいいんです


 先ほどまで『呪いの媒体』と語り合っていた喜友名晋司の声は既に聞こえない。少し前に俺の聴覚は失われている。

 『呪いの媒体』が発している声は呪いそのものだ。家と同じく聴覚で捉える声ではないから聞こえるのだろう。そして公理さんのと組んでいる手の感触もとうの昔に失われている。額の古傷がギリギリと痛む。

 床の『呪いの媒体』が胃の腑に触れる。だが、もう少し。


 『呪いの媒体』が蠢き、喜友名晋司の声が聞こえていたと思しきあたりに重なる。

 今だ。俺は後ろを振り返り、一拍置いて目を開けた。

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