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叫ぶ家と憂鬱な殺人鬼(旧版  作者: tempp
第4章 芸術家変死事件

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天井からのぞくもの

 ここが私の新しい新居だ。

 フルリフォーム、そう言っていた。新しく内装を整えられた家の匂いは油絵具の匂いに少しだけ似ている。初めての場所なのに知っている匂いがして落ち着いた。

 家をひと通り探索して2階の正面の広い部屋をアトリエにすることに決めた。南向きの窓から明るい光が差し込んでいる。キャンバスを立て掛けて腕を組んで部屋の真ん中に立つ。


 アトリエ。そういうとみんなが馬鹿にした。

 特に兄弟は馬鹿にするんだろうな。ほとんど会ったことはないが、母親の違う兄弟たちは私が絵を描いていることを馬鹿にして、私に絵の才能はないと言った。

 才能……か。才能とはなんだろう。

 私は底辺の美大に入って油絵を習った。なぜ油絵なのかと問われても、それが目の前にあったからだとしか言いようがない。そういえば小さい頃、父と母に絵を褒めてもらったことが強く記憶に残っている。


 私の父は大きな家の当主だった。多くの事業を起こし莫大な財を蓄えた。兄弟たちはみんな才能に優れ、父の経営するそれぞれの会社で頭角を現した。私はといえば味噌っかすだった。頭も悪く上手く人と話もできない。良い思い出は小さい頃に父母に絵を褒められたことくらいだ。

 母は父の妾だった。だから私は父と兄弟たちとは名字が違う。とはいえ、父は母に対してそれなりに情の深い人だった。父は母の美貌が衰えてもよく訪れ、茶を飲んで話をして帰った。母が死んだら父は来なくなった。私には興味がないのだろう。もともとそのような気はしていて、母はそれを気にしていた。

 母があらかじめ父に頼んでいたのかもしれない。母が亡くなったあと、それなりの金額が毎月私の口座に振り込まれるようになった。贅沢はできないものの生活は十分にしていける金額。私は働きもせずに絵を描いて暮らした。1人だったから、文句を言う者もいなかった。


 先日、随分と久しぶりに父に会った。久しぶりの父は記憶の中と比べても小さく、相当に弱っているように思えた。


「お前に家をやる。今後もお前が生きている限り生活の面倒を見よう。その代わりにこれにサインをしてくれ」


 差し出された紙には遺留分放棄の許可の家事審判申立書と書いてあった。私はそれにサインをした。

 家が欲しかったわけではない。もとより父とはまともに話したこともない。だが生活費を出してくれていることには深く感謝していた。私がいることでこの人の負担になっているのだろう。これ以上は求めるつもりもないしこれ以上求める道理もない。さらさらと筆を滑らせる。

 そして筆を置いたとき、私はこの人ともう会うことはないのだろうな、と思った。


「晋司、達者でな」


 初めて名前を呼ばれた気がした。そうなのかもしれないし、もうとうの昔のことで全く覚えていないだけかもしれない。けれどもそんなことを思う前に、私とその人との間の関係性は遠くの昔に途切れていた。


 鍵を握りしめ、家の扉を開く。ここが私の新しい家。私の『幸せなマイホーム』。だからさっそく2階でイーゼルを開く。油絵具を溶く。描くための花瓶と花をテーブルの上に置く。

 筆を握り締めてさあ描こうか、と決意したとき、頭の上から、ほぅ、という音がした。


◇◇◇


「じゃあ寝る。よろしく」

「いってらっしゃい」


 時刻は深夜1時半。俺が夢を見始める始める頃は3時くらいにはなるだろう。そのくらいになるとおそらく柚は寝ているんじゃないかと思う。

 夢は過去の夢だ。だから基本的には今を過ごす柚には干渉はできないような気もする。けれども柚の存在は不確定すぎる。極力不確定事項は少ないほうがいい。


 何の夢を見るかは散々考えた。呪いはおそらく積み重なる。貝田弘江も越谷泰斗もおそらく突然おかしくなったのではないと思う。

 そうすると、おそらく呪いの初期段階の方がその本質を観測しやすいのではないか。それに絵の呪いの濃さも比較的薄いんじゃないかと期待する。昼に見た絵の呪いは越谷泰斗のバラけた蝿と違って、触れたところから食われてしまうんじゃないかと思うほど濃厚だった。あの絵は凶悪すぎるだろう。記憶を保てない夢で遭遇したくない。まあ記憶を保つ方法はなくもないんだけど、あんまりやりたくない。


 ゆるゆると思考を解いていくとやがて深い谷の底に降りていくような気持ちになる。降りた先には白い闇が降り積もっていた。なんとなく、どこへ行っていいのか分からないような少しの心細さを感じていると、何かが俺の手を引いた。


「お兄さん、こんにちは」

「こんにちは」


 どこかで聞いたことのある子供の声。


「魔法が解けるから、思い出そうとしちゃだめだよ。今から引っ越しなんだ」


 ガタガタと、見えない家具が運び込まれる音がする。


  そうそのたなはすみにおいてくれたまえ

  たいせつなものだからそっとな


 指示を出している男の声が聞こえる。だが姿は見えない。


「大変そうだな」

  そうだな

  だがあたらしいいえだ

  わたしのいえだ

  わたしのしあわせなまいほーむにしたい


 カタリ、と目の前に何かが置かれる音がした。薄く古い油のような特徴的な匂いが漂う。


「なにをしているんだ?」

  うん? きゃんばすをおいたんだよ

  これからえをかくんだ

「何の絵を描くんだ?」


 ふいに、無音になった。

 白い世界の白い部屋。何もない。何も聞こえない。少し心細くなった。しばらくして先ほどの声が聞こえた。


  ……なにをかけばいいんだろう なんのためにかけばいいのかな

「いつもはなにを描いてるんだ?」

  そのへんのものをかいている

  かびんとかつぼとか

  きょうはそこにあるかびんをかこうとおもっている


 キョロキョロと見回してみたが、やはり何も見えなかった。不意に上の方で音が鳴る。


  いまなにかおとがしたような


 確かに音がした。

 なにか変な音が、天井から。

 俺は天井を見上げる。ただ白いだけだ。何も見えない。けれども何だ? 何か違和感がある。首筋がざらりとざわめいた。

 何かが見ている、そんな感じがする。


 ぼんやり天井を眺めていると、そうか、という何かに気が付いたかのような声が聞こえた。

 そして隣の部屋にそろそろと足音が移動し、ついていくと押入れの襖を開けるような音がして、おそらく足音は天袋を開けて屋根裏に上がっていった。

 俺はのそのそとその音についていく。真っ白な屋根裏のちょうど先ほどキャンバスが置かれた上のあたりに、何か黒いものがあった。

 白い世界にある黒いもの。 なんだか少しだけ、そこから嫌な感じを受けた。首筋がざらりとざわめき、嫌な予感に思わず口元に手を当てた。

 その黒いものは見えない誰かに抱え上げられ、押入れを降りていった。


 部屋に戻った誰かは黒いものを潰して薄く広げ、何かに塗りこめていく。目の前の空間に黒い四角の枠が浮かんだ。これが置かれていたというキャンバスかな。

 黒い枠はもともと中が抜けていたが、その部分がどんどん黒く塗られていき、やがて四角い黒になった。黒い四角を塗り込めるうちに、その黒い色が滲みたのか、透明だった誰かにうっすら色が入り、薄い影になったように見えた。俺はすぐ隣でその作業をぼんやり見ていた。

 

 その黒い四角の奥から、ひゅるると風が吹いているように感じる。

 その奥から、何かがやってくる。


 首筋がチリチリした。

 ああこれは、嫌なことが起こる予感だ。嫌だな、ここにいたくない。

 黒い画面の奥に真っ黒なものがなにかちろちろ動いている。何かが闇夜で闇を焚いている。なんとなく、目が離せない。

 何かがその黒い四角の縁に指をかけ、その体をゆっくりと押し上げる。まるでコールタールでまみれたような黒いねばつく人の形が黒い四角から現れ、こちらを見た。


「お兄さん、そろそろ危険だ、ここは夢、そろそろ起きて」


 白い部屋はバラバラと崩れていく。家と黒い四角から湧き出るように現れた黒い塊を残して。


◇◇◇


 大きく息を吸い込みながら俺は目を開けた。

 公理さんが俺の肩を揺さぶっていた。心配そうに口をパクパクさせている。

 なんだ? 音が聞こえない。耳がおかしい。……よく自分を観察すると嗅覚も失われている。

 あわてる公理さんを手で制し、耳に手を当てる。痛みはない。圧迫感もない。耳を塞いだ時に通常なら聞こえるはずの轟々とする血管の音も聞こえない。聞こえにくいのではなく聴覚自体が失われている。難聴や外傷ではない。おそらく耳自体に問題があるのではない。そうすると神経または精神的なもの。呪いの影響だろう。しばらく静かにしていると、唐突に音と匂いが戻ってきた。食べ物の臭いと空気のざわめき、俺の呼吸音。呪いの影響を抜けた。

 いつから聞こえなかった? そういえばしばらく前から絵の具の香りは途絶えていたし、音は聞こえていなかった気がする。絵を描いている時あの薄い影はずっと無言だった。

 家は夢の最後に俺に語りかけてきた。あの声は明瞭に聞こえた。だがあれは家の夢だ。夢の声はおそらく聴覚ではなく別の方法で俺に語りかけてきてるのかもしれない。脳に直接とか。


「大丈夫だ」

「何があったのさ?」

「少し説明が難しい」


 今回の呪いの姿。

 喜友名晋司は絵を描いた。

 天井裏にあった黒いものを絵具にして塗りこめたら黒い四角が現れて、その奥とつながり何かが出てきて俺を見た。漆黒。貝田弘江に纏わりつき越谷泰斗を住みかとしたものと同じに思える。『呪いの媒体』? しかしあれは喜友名晋司とは分離して、独立した意思を有していたように思えた。

 それにあの黒いものを塗り込める過程で喜友名晋司は影になった。おそらく俺は喜友名晋司が呪われる場面を目撃したのだろう。最初は見えなかったのだから、俺が影として見える者は呪いの影響を受けている者だということか。これまでみた影は『呪いの依代』以外は橋屋一家、小藤亜李沙、中是秋名。影の濃さは呪いとの近さなのかもしれない。


 それにしてもあの黒いものはなんだ。天井裏にいたものか? それとも全く別のところから現れたのか? わからない。俺が見えるわけだから幽霊ではないのだろう。幽霊ではないもの? 『呪いの媒体』? 呪物? なんだろう。

 俺は家とは別口ですでに呪われている。家からは俺も黒い影のように見えるのだろうか。それで最初に俺を捕まえたのかもしれないな。


 それから今回の呪いの効果。

 俺の耳と鼻。一時的に聴覚と嗅覚が失われた。

 俺は黒い四角をしばらく至近距離で直視していた。あの四角は絵だ。なんの絵が描かれていたのかは俺には見えない。直視した公理さんは目から呪いが刺さったと言っていた。公理さんは感覚が塗り替えられるような感触だと言う。俺は見えないが、それでも何らかの呪いの作用が刺さったと思われる。

 これは、怖い。知らないうちに五感が失われる。下手に呪いの分析ができない。


「意見が聞きたい。どうしたらいいかな。正直手詰まりだ。あの絵から攻めるのはリスクが高すぎる」

「喜友名晋司からあたろう」

「どういうことだ?」

「最終的に喜友名晋司は自殺したわけでしょ。それなら明日の朝、扉から覗いて、どうして自殺したかを調べるべきじゃないかな」


 今の時間は午前3時半。公理さんは酒を飲まないと寝られない。少し眠そうな公理さんは今日はまだ飲んでいない。今から飲んだら起きられないだろう。大丈夫なのかな。


「死ぬ直前の喜友名晋司か……。死亡推定時刻は8時から9時。公理さん寝る時間ないぞ。無理はしてほしくない。公理さんの目は命綱だ」

「しょうがないよね。ハルばっか睡眠不足にするのも悪いしこれは俺が始めたことなんだから。ちょっとくらい寝不足でも仕方ないよ。ハルはもう1回寝てな。夢を見そうになったら起こすから」

「……わかった。ただもう1回夢にトライする。だからちゃんと起こせ」

「連続はまずいだろ」

「大丈夫だ。絵は見ない。それより一瞬だ。俺がそれを見たら、すぐに起こせ。だから酒は飲むなよ?」

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