おかしな絵描き
「家、いるか」
「こんにちは、お兄さん」
柚が帰る前にもう一度調査をすることにした。
現在のところ黒い枠以外に明確な呪いの痕跡はなく、原因は喜友名晋司に思えるものの何をしたら呪いが解けるのか皆目見当がつかない。
原因を明らかにして事象を分析しないと方針がたたない。
「今回の呪いは喜友名晋司の呪いなのか?」
「……なんて言っていいのかわからない。あのおじさんが呪いを作っているのは間違い無いんだけど、呪いはここにはいないんだ」
「呪いがいない?」
「そう。呪いは絵の中にいる」
絵の中に。
ナロニア王国じゃないんだから流石に絵の中に入るのは……。そう思ってさっきの公理さんの言葉を思い出す。ひょっとして公理さんなら入れるのか?
だがその方法を検証することはできない。それ以前の問題だ。絵に入ると公理さんは壊れる。
「喜友名晋司はどうして死んだ? 死んだから呪いになったんだろ?」
「そうだね。あのおじさんは自分で死んだんだ」
「自分で? 自殺か? 自殺でバラバラになるか? 普通」
「あのおじさんは呪いで自分をバラバラにして死んだんだ」
またろくでもない死に様だな。なんでわざわざ。
でもそうか、貝田弘江はゾンビを作り越谷泰斗は蝿を操り、それによって死体を作った。絵を操って自分の死体を作るのだとしたら、現象としてはあまり違いはないのかもな。
「なんで自殺したんだ」
「僕は家だからよくわからない。でも絵を描いていたからだと思う。絵について悩んでたみたいなんだ」
絵が原因なのかな。うまく描けなかったからとか?
そうだとしたらどうしたらいいんだ? 絵がうまくかける方法とか? 画家のその相談に乗るの?
途方に暮れる。絵はわからん。本当に。
「脱出口はあるのか?」
「2階の正面の部屋の窓が空いてる。あのおじさんが腕を庭に投げたところ」
美術商が発見した腕、か。
家と別れて窓を確かめる。確かに窓は開いていて外のベランダに出られた。振り返る。俺には喜友名晋司の姿が見えない、ただ意識すれば話はできる。
「こんにちは」
こんにちは
「なんの絵を描いてるんだ?」
これはたぶん大地の絵なんだ
もう少しで完成できそうなんだ
「思い通りに描けているのか?」
そうだな、どういえばいいか
……思い通りに描くというのはどういうことだと思う?
「わからない。正直なところ、俺には芸術はよくわからないんだ」
芸術、か
私にもわからないんだよ
「画家でもそういうものなのか?」
そうだな、私の今描いているものは特にそういうもののように思える
絵というのは本来自分の見たものや頭の中を描いているんだよ
君は自分が何なのかわかるのかい?
「……ある程度は把握していると認識している」
そうか
君は強いな
そうだな、思い通りにかけているかどうか、か
画家は静かに考え込む。
さっきから問答の意味がさっぱりわからない。公理さんならわかるのかな。お手上げだ。俺にこの人を説得なんてできるんだろうか。
私はね 私が見たものを絵に描いていた
そうだと思っていた
だけどもだんだんそれが本当に自分の見ているものなのか最近よくわからなくなってきたんだよ
「ふうん、難しいんだな」
……それほど難しくはない
私はもともとそうやって描いてきたのだし
今は自分の思いというものがよくわからないんだ
この家に引っ越してきてからよくわからなくなった
だがこの家に引っ越してきてから私の絵は認められるようになった
なあ君、私は私だろうか
「そんなことを言われても、俺はもともとあんたを知らないからわからないよ」
……それもそうだな
……それなら、君もこの家で暮らしてみてはどうだろうか
この家のものを食べ、この家に暮らす
そうすれば君も少しわかるかもしれない
その瞬間、喜友名晋司の隣にぽっかりと開いた黒い枠の奥で何かがざわりと蠢いた。その瞬間、強烈な呪いの気配が絵の奥から滲み出てくる。首筋がざわつく。絵から、呪いが出てくる。まずい、この呪いは濃い。越谷泰斗の部屋中に散らばる『呪いの媒体』と違って濃縮されている。そんな予感がする。今は呪いの姿が何なのかがわからない、撤退だ。
急いで目を開けると、不思議そうな顔をした公理さんと目があった。
「どうした? 何があった?」
「……絵から呪いが出てきそうになった。正体がわからないからとりあえず撤退した。越谷泰斗の時のように直接捕食しようとするタイプならあれは手強そうだ。困ったな。呪いを観察する方法が浮かばないし何かわからないと対策が立てられないな」
「そうなの? ううん、そういえば喜友名晋司とはどんな話をしてたの?」
「正直よくわからないな。思い通りにかけているかわからないと言っていた」
現状の分析。まずはそれからだ。
俺の聞いた情報と公理さんの見た景色。協力して最速で解決する。異論はない。場に伏せられたカードをオープンする。視覚と聴覚をあわせて検討する。
いつも通りまずは目的の確認。
喜友名晋司の呪いを解く。そのための方法論。
呪いは絵の中にある。正直、絵の中には立ち入りたくはない。あの黒いのがいる黒い世界に入るのは食ってくれと言っているようなものに思える。
呪いの解除についてこれまで判明したことを公理さんと2人で組み上げる。
大前提。
呪いは層をなして積み上がり、基本的にはこの家の中にある1番上のバイアスが呪いを実行し悲劇をくり返している。くり返されるのは『呪いの依代』が死亡した日の1日だと思われる。貝田弘江にしろ、越谷泰斗にしろ、その死亡時点がくり返しの起点に思える。
新しいバイアスの構築、つまり新しい『呪いの依代』の死による新しい1日が始まるまで、古いバイアスは同じ日を繰り返し、新しいバイアスがその上に構築されると同時に1つ前のバイアスは眠りにつく。
「それはどうだろう」
「違うのか?」
「完全に寝ているわけじゃないと思う。俺は橋屋の事件の最中、柚の部屋に入る前に越谷泰斗と階段ですれ違った。その時は黒い粒はなくて普通の幽霊と同じような感じだった。今もいろんな幽霊が一日を繰り返している。だから呪いがある限り幽霊たちはそれぞれの一日を繰り返しているんじゃないかな」
「そうか、そうすると一番上にあるバイアスだけが呪いの影響を受けて俺が干渉できているのかな」
「どうだろう、そうなのかもしれない」
新しいバイアスが構築される切っ掛けは『呪いの依代』の死亡と仮定する。今のところこの点に異論はない。それならば喜友名晋司の死亡推定時刻は朝。その時間を皮切りに1日を繰り返していると思われる。最終的には朝にあの家に乗り込んで呪いを解かなければならない。
ふと、疑問が沸き起こる。この時間以外で呪いを解くことはできないのだろうか。これまでは『呪いの依代』が殺しも殺されもせずに、つまり呪いの結果を発生させずに呪いを構成するものを家から出す、それが必要だった。
大体において止めるべきは殺される者の死だ。それに殺す者と殺される者を同時に解放するには両者が同時に存在する死亡時が都合がいい。でも喜友名晋司は自殺だ。それ以前に止めれば襲う者は他にはいない。
もう1つ確定していないのは呪いの発動要件だ。
仮説では1つ下のバイアスにいる『黒い幽霊』と1番上のバイアスにいる『呪いの依代』が出会うことによってバイアスに穴が開き、前のバイアスから『呪いの媒介』が溢れ出て家に満ちる。これによって『呪いの依代』が望む呪いの効果が発動すると思われる。
貝田弘江に絡みつく黒い影、越谷泰斗に住み着く黒い粒。
前者は2階での接触によって、後者は家の帰還によって『呪いの媒体』は呪いの効果を発現し不幸を振りまいたように思える。喜友名晋司の呪いはあの黒い四角い枠だと思う。だが喜友名晋司はその場で絵を描いていたが、おそらくそれだけでは呪いは発動していなかった。喜友名晋司が呼べば呪いが絵からやってくるのだろうか。わからない。
「今までのはある程度はオートで作動している感じだったよね。喜友名晋司は呪いを意図して呼んでいたの?」
「そう見えた。でもひょっとしたら喜友名晋司が呼んだというよりは喜友名晋司が特定の行動をとるとか特定の状況になることがトリガーなのかもしれない。そこは全くわからないから決めつけない方がいいだろう」
今回の呪いの解除方法。
結論自体は簡単だ。毎日を繰り返させない。喜友名晋司の自殺を止めればいい。だがその方法が浮かばない。
喜友名晋司は絵を描いていた。その絵に呪いが住んでいた。そうするとやはり絵をどうにかする必要があるんだろうか。わからないな。
今は家に柚がいる可能性がある。家にいる時間に覗いたらまた追い出されて扉が割れるかもしれない。そうすると調査が進まない。
越谷泰斗のバイアスを消滅させた時、俺と柚を隔てる何かが消失した気がする。夢でも同様かはわからないが、ひょっとしたら夢にも影響がでるかもしれない。夢は記憶を保持することができないからリスクは高まる。今寝るのはやめておこう。せめて柚が寝入る深夜まで。
◇◇◇
喜友名先生はイカレている。
芸術家というのは大なり小なりイカレている。そもそも人を感動させるという試みは自らの価値観を取り出して他人にぶつけて動揺させる行為だ。芸術家は他人を動揺させるほどの感情や狂気を内包している。
だが喜友名先生は凡庸だ。それどころか喜友名先生の中には何もない。だから、中身を入れてそれキャンバスに出す。詰め替え式のシャンプーのようなもので、液状のシャンプーの詰め替え液を入れると泡立ったシャンプーとなって出てくる。そんな作業だ。出てくるシャンプーは元の原液によって匂いや色を変える。だから人によって好き嫌いが分かれる。ようやく絵によって心の容器が違う理由がわかった。
最近の俺はその詰め替え用のシャンプーを集める手伝いをしている。なんでこんなことを始めてしまったのか。だが秘密を知ってしまった時には既に喜友名先生の絵に魅入られていた。
そしてその日、俺は指名された。指名したのは喜友名先生なのかそうではないのか、それはもうわからない。ただ、俺はその指名を断らなかった。喜友名先生の描く絵の手招きとこれまでの罪悪感で、断りようがなかった。それから少しだけ、ホッとしていた。これで終わる。終われる。
だから俺はこれまで積み上がった罪悪感を紙面にまとめて三文雑誌に送りつけた。どうせ掲載される事はないだろうし俺の自己満足だ。




