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叫ぶ家と憂鬱な殺人鬼(旧版  作者: tempp
第4章 芸術家変死事件

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28/83

絵に落ちる

 賞を獲った。たくさんの賞を獲った。

 1番は月展だ。芸術家であれば誰も知らぬ者がない、日本で最も有名な賞。その時はとても驚いて、とても嬉しかった、と思う。

 それから絵を描いては色々な公募に応募し、多くで賞を得た。これまでの人生とは真反対だった。まるでこれまでの人生には意味がなかったかのように。

 意味。私は何故絵を描いているのだろうか。それが最近、少しわからなくなってきた。

 ひたすら、ただ愚直に、目の前にあるものを描く。筆をとり、私は自分を描く。私は、私を……?


 完成した絵は私から離れていく。私が描いて、描き終わったから独立したのだ。その独立した絵を眺めていると、少し疎外感を感じた。完成してしまった。だから、その絵が賞を獲っても自分のことのようには喜べなくなっていた。


◇◇◇


 今は大体午後2時くらいかな。

 昼を過ぎて少し日が陰り、肌寒くなってきた。両手で肩を抱いてみる。キュッと小さくなって、ちょっと暖かい気分。辻切ツインタワーは全面ガラスに覆われていて、そこに雲がぷかぷかと反射している。ガラス張りの窓というのは夏なんかは熱い熱をも反射するように見えるけど、寒いときはなんだかその冷たさがガラスの表面に反射しているみたいで、見ていると少しプルっと寒気に覆われる。

 寒いときは湯豆腐とか食べたいよね。鍋もいいな。


「ぼーっとしてないで行くぞ」


 うう、現実逃避してたのに。

 俺もできることをなんかしないと、とは思ったけど、柚に追い出されたって聞いた後じゃ、声がかけづらいよ。ハルは俺は後ろを向いてたから気が付かれてないはずって言ったけどさ。こっそり侵入してたのバレてたのかな。女の子の一人暮らしの家に男2人で。いや、呪いを解くためであって他意は全然ないんだけども。ちょっと気まずい。無意識にまぶたをこすってた。最近ちょっと目に負担かかってるかも、心理的な意味で。


「おはよう~」

「公理さん。だからもう昼過ぎてますってば」

「業界人としてはコレ仕方ないのよ」

「もう、なんの業界なんですか、あ、好きそうな新作入ってますよ」

「あ待って待って。今日は甥っ子の靴買いに来たの」

「甥御さんですか?」


 ハルを押し出す。

 そして視線を伺う。チラッ。


「そうそう、甥っ子なの」

「こんにちは。公理さんの靴いつもかっこいいなと思っていて」

「えっありがとうございます! でもここの靴学生さんが買うにはちょっとお高いんですよね」


 大丈夫ですか? という少し心配げな柚の視線にハルはそれはもう爽やかに笑う。


「今日は公理さんのおごりだろ?」


 ハルが俺を肘でつつく。ハルの営業スマイルが営業過ぎて引く。

 でもそんなことより柚の視線は扉を見ている。ああ、見えるんだな。今は割れているし閉じているから中は見えないだろうけど。

 これで中身見えたらアレだな。自分の家をいつも見られてるってことだから、落ち着かないし嫌だよな。割れててよかったのかも。まあハルが意識しないと家の中は見えないんだけど。

 柚はハルにサイズの合う靴を探しに行ってる。


「公理さん、家の中見せるべきだと思う?」

「やめといたほうがいいんじゃないかな。なんとなく」

「そうだな……今はやめておこう。不確定事項が多い」


 今は?


「気になってることがあるんだ。いつから気づかれてるのかなって。一昨日北辻に家を見に行った帰りに目が合った。だから俺の顔自体は特定されてる可能性がある。一瞬じゃなくて視線をしばらく感じてたから。その時の俺と昨日の夜の俺が同じ人物と認識されているのかを知りたかったんだが、ちょっとわからないな」


 その後も柚はチラチラ扉を見てたけど、特に指摘はなかった。扉ばかり見ていてハルは見てなさそうだったけどどうなのかな。ハルのことは認識していないのかな。ハルはかなりカッコいい。印象に残りやすい? 認識してれば顔を見ててもおかしくない気はするけど。扉が気になってそれどころじゃない?

 ハルに買ってあげた靴、結構かっこいい。俺も欲しいな。今度色違い買おうかな。


◇◇◇


 家に戻ってハルと手を組む。ハルの手はちょっとひんやり。

 嫌だな、見たくないな。でも見ないと。越谷泰斗のバイアスほど酷くなければいいんだけど。うん、俺は俺のできることをすることをする。そう決めたの。だから一緒に生き残ろう?

 ゆっくりハルが目を閉じる。長い睫毛が目の下の皮膚に触れる。それを合図にハルの背後の扉は薄い油膜を張ったように一瞬震え、そして細かい振動が収まるにつれてゆっくりと澄み渡っていった。少しだけ残っていたヒビも油膜に溶けていく。


 んん。柚の家。

 覚悟してたのに、普通のリビングだった。惨状は、ない。はぁ、よかった。ほんとに。んん。なんかまた家具がダブって見えるな。この前橋屋の家で見た家具と違う? 喜友名晋司の家具なのかな。


「ハル、普通だ。幽霊はうろうろしてるけど普通のリビング」

「そうか、よかった。なら大量不審死事件のバイアスは消滅したんだろう」


 よかった。これでまた1つ、扉の解除と柚に近づく。


「次の呪いは恐らく喜友名晋司だ。最初に2階に行く」


 階段を上る。あれ? なんだろう、落書き?

 白い廊下や階段によくわからない線や模様が増えていく。まあ、画家の家だもんな。壁は白いしキャンパスなのかもしれない。

 その様相は2階に上がってより派手になる。赤、青、オレンジ。ポロックのような軽快な流線、マティスのような躍動感、カンディンスキーのような具象と色の荒々しく鮮烈な邂逅。そういえば喜友名晋司はもともと具象の画家なんだっけ。そういう変化なのかな。こういう移り変わりは興味深くて楽しい。


「振り向くぞ」


 そうだった。部屋を見るんだった。なんとなく壁の絵に見惚れていた。

 声と共に視界が回転する。

 俺の目に見えた部屋の光景、それは強いオレンジ。少しの藍、ばら撒かれる赤、降ってくる白と黄色。そこには世界が広がっていた。部屋中の色が共鳴し、共振し、たわむように複雑なシンフォニーを奏で、耳元で俺にそっと話しかける。ざざりと何かが背骨を通り、俺をオレンジ色に染め上げていく。この不思議な世界の一部になるの? その期待と陶酔的な誘惑。少し息を吸い込むと空気と一緒にオレンジ色が吸い込まれて、ふわりと肺に広がって、なんだか心地いい。


 !! ……! ……!!


 なんだ? うるさいな。

 そう思った瞬間、部屋は突然俺の目の前から消失した。


 ?? あれ?


「……! ……丈夫か!? 公理さん!? おい!!」

「……あ、ハル」


 ハルが俺を激しく揺さぶっていた。何? 怒ってる?


「よかった。手に力が入ってないけど気絶したような感じでもなかった。呼びかけても反応しないからどうしていいかわからなかった。何があった?」


 何が? ……。なんだ? 思わず目をこする。あの部屋を見て、オレンジ色で、それから俺は何を考えてたんだろう。

 ……そうか。あの絵に魅入られかけた、のか。

 ……びっくりだ。あんな事があるなんて。絵に吸い込まれて、絵を吸い込んで、俺と絵の境界がぐずぐずになっていって。すごく不思議な、そして嫌じゃない感じ。

 ……越谷泰斗もあんな感じだったのかな。なんとなく腑に落ちた。


「おい、本当に大丈夫か?」

「ん、あぁ。ええと。部屋が絵だった。ええと、正確にいうとオレンジを中心に部屋中に絵が書かれてた。……そうか、これ、目から刺さる呪いだ。どうしよう、俺、あの部屋見たら取り込まれる」


 見たら飲み込まれる。冷静に考えて、改めてその効果に動揺した。呪いの魂を揺さぶる直接的すぎる効果に。そして俺なんかが足元にも及ばないような存在を揺るがす影響力に。怖くなって、少し嫉妬した。

 画集じゃわからなかったけど喜友名晋司は神なのか? そこには確かに1つの世界と魂が描かれていた。魂の叫び。


「ううん、それは困ったな……呪いは何から刺さった? 模様? なんらかのパターン? 何かのシンボル?」

「んんん……多分色そのもの。とくにオレンジ色」

「よかった。それなら簡単だ」


 簡単?

 ハルが俺のアクセ棚から何かを取り出す。

 サングラス。なるほど。これで確かに色は減衰する。

 サングラスにさらに念のために色付セロファンを雑に巻いてセロテープで止める。あぁ、色相じゃなくて彩度とか明度の可能性もあるからな。でもあの呪いはオレンジ色の層の揺らぎから漏れ出ていた気がする。なら、サングラスで層を潰せれば大丈夫なのかな? なんとなくそんな気もする。


「よし。……一度休んだ方がいいか?」


 俺は首を振る。ハルだけにまかせるんじゃなくて、俺も体を張る。そう決めた。だから口から出す。俺の意思を。


「2回戦いこう」

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