落日の悲歌
2階に上がってまずは小藤亜梨沙を回収し、柚の部屋に入る。
「家、いるか」
「こんにちはお兄さん、お姉さん。……お姉さんとはやっぱりお話できないのかな。」
小藤亜梨沙は家の存在がわからないようだった。むしろ何故俺が会話できているんだ? 家に呪われたからかな。よく考えると『家と話す』というのも意味がわからない事象だが。
「小藤さん、この部屋にいる限り安全だ。作戦を練ろう。家、1日が書き換わるのは何時だ?」
「ええと、この時計で0時35分のはず」
柚の机の上に置かれた時計を見ると16時20分。
「公理さん今何時だ?」
「ええと、16時20分」
「こちらと同じだな。何が起こって巻き戻る」
「そのお姉さんが男の人に襲われて、落ちてた骨でお兄さんを刺すんだ」
えっ私が?
「でもお姉さんは先に死んじゃうの」
そんなの嫌
「簡単だ。嫌なら逃げればいい」
「ハル雑すぎ」
それほど難しいことじゃないだろ? 今ならきちんと歩けるんだから。逃げるのは容易い。問題はどうやって越谷泰斗を呪いから切り離すか。
「なぁ、太陽ってなんのことだ?」
太陽?
「あんたでもわかんないか。越谷泰斗はどうして人を殺してるんだ?」
わからない 絵を描くと言っていたけど
絵と死体がつながらない。死体と太陽?
越谷泰斗は中是秋名を絵を描く道具と言っていた。例えば血とかそういうのを使って絵を描くとか? うーん、わからないな。
「ハル、もう一度正面の部屋に行って」
「うん?」
「死体の山の奥に何かがいた気がする。越谷泰斗はこう言ってたんでしょ? 中是秋名は芸術の道具で、越谷泰斗は芸術家じゃない。それなら芸術家は別にいる」
「ないとまでは言われてないよ」
「同じことだ。美を、特に抽象画を描こうなんて思う人は自分が発信者であることに自覚的だ。抽象画というのはキャンバスに物じゃなくて魂を塗り込めている。自分の行為が芸術であることを迷わない。そうじゃなきゃ、一見落書きにしか見えないような絵を芸術だと言い張って人に見せたりはしないよ。越谷泰斗が自分で描くなら俺が描く、と言うはずだ」
「……大丈夫なのか?」
「うう、大丈夫じゃないけど1回見たからなんとか」
張り切っている分、公理さんが心配だ。最終的には解決のときに扉の中を見られる状態になっていてもらわないと困る。だが今確認したいのも確か。
再び2階正面の部屋の扉を抜ける。
あいかわらず俺には何も見えない。だが少し日が陰っていた。黒い粒が先ほどより活性化している。越谷泰斗の帰還が近づいてきた。間も無く夜が来る。
えずく公理さんの指示に従い窓ぎわまで歩を進める。
「いた。『黒い幽霊』。その隣に白いキャンバスがあるから多分これが喜友名晋司かな。喜友名晋司と死体の山、それから部屋のいたるところに繋がるラインが見える。喜友名晋司が今回の呪いの根源、『黒い幽霊』だと思う」
「キャンバス?」
「そう。でも白くて何も描かれていない。これは積み上がる死体と同じ存在感がある。だから越谷泰斗が用意したものだと思う」
死体と同じ。キャンバスを用意。やはり越谷泰斗は喜友名晋司に画材を用意している?
「喜友名晋司はキャンバスに絵を描こうとして筆を動かしてるけど何も書けていない。何でだろう?」
喜友名晋司と越谷泰斗の違い。……そうか。喜友名晋司と越谷泰斗は異なるバイアスにいる。当然ながら越谷泰斗の用意したキャンバスも喜友名晋司とバイアスが異なる。違う世界に属するものに絵が描けるわけがない。現在にいる者が昨日のキャンパスに絵を描こうとするようなものだ。
『黒い幽霊』はやはり1つ下のバイアスの関係者か。貝田弘江は2階正面のこの部屋にいた1つ下のバイアスである大量不審死事件の発する声に呼ばれた。越谷泰斗や小藤亜梨沙の声に呪われた。そして大量不審死事件の越谷泰斗は1つ下のバイアスの喜友名晋司に呪われた。
そして俺は喜友名晋司が見えない。喜友名晋司自体は自身の、ここより1つ下のバイアス上にいる『黒い幽霊』でしかなくて、このバイアスに直接は存在してはいないのだろう。橋屋家事件のバイアスが構築されている最中に俺が小藤亜李沙や越谷泰斗、それから死体の山の存在を認識できなかったように。
今の状況は仮説に合致する。
1つ下のバイアスの『黒い幽霊』である喜友名晋司が1つ上のバイアスの『呪いの依代』である越谷泰斗に遭遇して『呪いの媒体』を溢れさせて呪いの効果を撒き散らす。
俺が介入する前から既に越谷泰斗は喜友名晋司に会っていた。だから既に『黒い幽霊』はこのバイアスに触手を伸ばし、蠅という形ですでに『呪いの媒体』を溢れさせている。
そうすると『呪いの媒体』はもともと1つ下のバイアスに存在するもので、『呪いの依代』がそれをバイアスを超えて引き出すと考えるのが筋が通るのかな。その橋渡しをする者が1つ下のバイアスの『黒い幽霊』だろうか。
『黒い幽霊』が『呪いの依代』に呪いを実行させるためにバイアスを貫通して『呪いの媒体』を引き渡す。これが家のこの呪いの構造かな。
越谷泰斗のバイアスを消滅させるための方法の検討。小藤亜李沙と越谷泰斗の死を止め、くり返しを防ぐ。それを遂行するために死以外の方法で越谷泰斗の目的を遂げさせる。
越谷泰斗の目的は喜友名晋司に絵を描かせることだ。そのために道具を集めていた。キャンバスや小藤亜李沙、中是秋名はその道具なんだろう。それで芸術家である喜友名晋司に絵を描かせようとしていた。
だが、喜友名晋司は存在するバイアスが異なる。異なる次元のものに絵は描けないだろう。
どうすればいい? どうすれば絵が描ける?
「小藤さん、あんた、キャンバスは見えるか?」
見える でも真っ白よ
「キャンバスの前に幽霊がいる。見えるか?」
……見えないわ
お手上げだ。やはり小藤亜李沙は同じバイアスにあるキャンバスは見えるが異なるバイアスにいる喜友名晋司は見えない。喜友名晋司とアクセスできるのは『呪いの依代』である越谷泰斗だけなんだろう。
もし小藤亜李沙が喜友名晋司が見えるなら筆致を真似て絵が描けるかもしれないと思った。だがそもそも見えなければ伝えようがない。
「公理さん、越谷泰斗が喜友名晋司の筆致を真似て書くのでは無理かな」
「ないないありえない」
「全然?」
「越谷泰斗は1番ダメ。例えばさ、不二雄藤子のファンがさ、その筆致を真似て自分で描いたものを不二雄藤子本人の新作の最高傑作だと認識できると思う? 自分が描いたやつを」
ううん、無理だな。じゃあ誰なら描ける。
俺はそもそもキャンバスも幽霊も見えない。公理さんも扉越しに見えるだけ。絵が描けるのは小藤亜李沙しかいないが小藤亜李沙は喜友名晋司を認識できない。
越谷泰斗の目的が喜友名晋司の描く絵であるなら目的は達成できない。どうしたらいいんだ。手詰まりか?
「できるよ。ここには魂と道具が揃っている。小藤亜李沙が描けばいい。小藤亜李沙は越谷泰斗の求める太陽なんだろう?」
「うん? だが喜友名晋司に描かせたいんじゃないのか?」
「そうなんだろうね。でもそこは大して重要じゃないと思う。抽象画というのは魂だ。同じ絵でも画家と鑑賞者で異なるものを感じることは多い。魂が異なるから。だから仮に喜友名晋司が絵を描けたとしても、それが越谷泰斗が求める絵とは合致しない可能性がある」
「そういうものなのか?」
「だから越谷泰斗が求める絵を手に入れるには、喜友名晋司に任せるより越谷泰斗が太陽と認識している小藤亜李沙の魂を塗りこめたほうが越谷泰斗の意思に沿うと思う。ここの支配者は越谷泰斗で最も絵を求めているのは越谷泰斗なんだから、越谷泰斗の求めが反映された絵が描ける、んじゃないかな」
ううん、理屈としてはわからなくもないが、やはり全然ピンとこないな。いや、理屈としてもよくわからないな。芸術は難しい。だが他に方法が思いつかない。……そもそもこれは俺に解決方法が思いつける問題なんだろうか。無力感。見当もつかなくて途方に暮れる。
「ええと、小藤さん、あんたここに太陽を描けるか?」
そんなこと言われても私も芸術はわかんないよ
「ハル、俺の言うとおりに伝えて。俺は今画集の解説を読んでいるけど、なんとなく喜友名晋司が『落日の悲歌』で描きたかったものがわかった。小藤さん、この言葉を想像して」
世界はかつて太陽に照らされていた。
けれどもそれはもう過ぎて暗闇に沈んでしまった。
明るさ、暖かさ。そういったものは全て太陽が形作っていたんだ。
沈んで始めてそのことに気が付く。
取り返しのつかないことをしてしまった。手遅れだ。
思い出のように微かに残る残光は間もなく訪れる永遠の闇を強く想起させる。
この世界はこれから先はずっと闇が続く。永劫に。
次第にすべてのものは冷たく動かなくなってゆく。永遠に。
確定された閉ざされた未来。
その中で自分が求めるもの、それは再びの太陽の訪れ。
けれどもその願いは決して叶わないことを自分は知ってしまっている。
それでも願わずにいられない太陽の再来。太陽の再生。
……もはや残光も全て失われてしまった。
冷気が足元から立ち上る。
その中で頭の中にだけ強く残る太陽の思い出。
世界は悲しみに暮れ、失われ、そして決して再び手に入らないものを願って叫ぶ。
それが『落日の悲歌』だ。
小藤さんが描くのはその続きの世界。
太陽が失われてしまって世界には永劫の闇が訪れていた。
動くものなど何もない、そんな永久凍土の閉ざされ凍りついた世界。
そんな世界にあなたはあなたの力で再び新しい太陽を登らせよう。
明るさや暖かさなんてすっかり忘れられた凍り付いた世界を再び優しく力強く溶かすあなたの太陽。
その喜びがあなたが描くもの。
目を閉じてキャンバスにその光景が描かれていることを思い浮かべばいい。
あなたはこの家でその絵を描くために用意された魂と絵具なのだから、その思いで絵は描ける、と思う。
最後の『と思う』は蛇足じゃないだろうか? と思ったのでカットした。
しかし再び小藤亜李沙がキャンバスからそっと手を離した時、公理さんは太陽が完成したと呟いた。
俺が見つめ続ける2階の窓の外はすっかり太陽は失われて闇に染まっていた。




