呪いのかたち
「お兄さん、こんにちは」
「こんにちは」
姿は見えないが子供の声がした。ふらふらと左右を見る。ここはどこだろう? 妙に白い場所だ。
「お兄さん、魔法が解けるから思い出そうとしないで。それから、今日はもう来ない方がいい」
「どういうことだ?」
「さっきちょっと失敗したんだ」
失敗? なんのことだ?
見えない声が袖を引く。そうすると、袖口からなにか黒いかけらがポロポロとおちた。そのかけらはヴヴヴと音を出しながらふらふらと漂った。
「なんだこれ?」
「よくないもの。だから今日はここで見てて、もう1度来るなら明日以降で」
ぼんやりと白い世界を眺めていると、遠くから誰かが現れた。何かを引きずっているようだ。ゆっくりと近づいてくる。風景が白くてよくわからなかったが、どうやら地面は声の方に向かって傾斜して下っている。
少し濃い人影が薄い人影の両腕を引きずり、坂道を登ってきた。
はぁ はぁ
もうすぐだ
はぁ はぁ
もうすぐだ
「あんた大変そうだな、何してる」
どうぐをはこんでいる
「道具?」
そうだ
だいじなどうぐだ
「何の道具だ?」
げいじゅつのとうぐ
「ゲイジュツ?」
そうだ
「あんたは芸術家なのか?」
……
影は答えず、そのままずりずりと何かを引きずって俺の前を通り過ぎる。影が向かう先をぼんやり見上げると、だいぶん先に家があった。
うん? どこかで見たことがあるような。声が袖を引く。
「お兄さん、お話ししよう?」
「何の話がいい?」
「出口のお話。1階のリビングのガラスが割れているから、そこから出られる。でも僕にはどうしたらいいかわからない」
「うん? 何の話だ?」
その場に座り込む。声の主は多分このくらいが目線の高さかな? 見えないけど。
「何の話かは後で思い出してもらえばいいよ。それから今通った人に近づくのは難しい。昼はいないから昼のほうがまだ安全。夜にあの人がいるときに近づくのは駄目だ、絶対ダメ。わかった? それから、どうしたらいいのかはやっぱりわからないけど、すぐに逃げられるようにしないとだめ」
「そうなのか?」
「ほら見て」
声は袖を引く。家の方向を見ると、さっきの影は家の玄関を開けるところだった。開けた途端、その影は家から出てきた黒い何かに飲み込まれる。俺の袖口に残っていた黒い粒もヴヴヴと言って家の方に向かって飛び去っていった。
「これでとりあえずは大丈夫。お兄さん、ここは夢。今日はもう来ないで。夜中の夢は危険。わかった?」
夢……?
「お友達のお兄さん、起こして。急がなくていいから」
お友達? ゆらゆらと肩が揺さぶられる感覚がした。んん? なんだ?
◇
う……ん。そっと目を開けると心配そうに俺を見る公理さんがいた。んんん。……痛くない。殴られてないのか。いつもこのくらいがいいな。
「勝手に寝ちゃうとかひどい」
「今日はもう見にはいかない。家に止められた」
「そう。俺もちょっと家と話した」
「話せるのか?」
「うーん、なんていうか、声としては聞こえないんだけどなんとなく考えてることがわかるというか」
そういえば夢は公理さんに話しかけていたようだった。
「何を話したんだ?」
「一方的に話しかけられただけ。ありがとう、っていうのと、起こしやすくするって」
公理さんに殺される可能性は減ったのかな。重畳だ。
「そういえば幽霊の声は聞こえた?」
俺の目には影にしか見えなかったけど、もし公理さんに見えていたら鮮明なはずだ。
「幽霊? 声は聞こえなかったな。でも幽霊は見えた。いつもより長い間扉が開いてた。家が頑張って見せてくれたのかも」
「黒い影は?」
「黒い影? 街灯はついてたけど基本的には暗かったから気がつかなかったよ」
うん? 暗い? 街灯? 街灯がついているということは夜だよな。夢は夜だったのか?
そういえば俺が夢を見る時はだいたい真っ白だ。そうか、俺は基本的に何も見えないのか。
俺が夢で見られるものを整理しよう。
あれは家が見せている夢。だから俺でも家は明確に見える。そして呪い。これは恐らく幽霊ではないか、幽霊であっても呪いという存在に変質してしまったのだろう。だから、見える。次に俺が見たいと望んだものかな。橋屋家の時は橋屋一家。小藤亜李沙の時は小藤亜李沙。今回は死ぬ直前の中是秋名。広く被害者ということで積み上がった死体が見えたのかな。いや、影の濃さが違った。ひょっとしたら呪いに影響を受けた者が呪いの影を帯びてみえるのかもしれない。
でもそれ以外は何も見えないから白い。夜の闇も見えない。恐らく太陽の光や気象の変化、呪いと無関係な物は見えない。俺が認識できる情報は思ったより限定されている。当然見えていると考えていたものが見えていない。これは留意すべきだ。
「ハル、さっきの夢の中でハルの前にいたのはこの越谷泰斗と中是秋名。越谷泰斗が中是秋名を引きずってた。頭から血が出てたけど、生きてるかどうかはわからない」
「多分まだ生きてはいたんだろう。間もなく死んだと思う」
「そう……」
これまで得た情報の整理をするか。
判明したこと。
「ねぇハル、俺にも話して」
「……でも公理さん苦手だろ?」
「それはそうなんだけどさ、一緒に考えたほうがいい案が見つかるでしょ? 1人よりは2人」
「……そうだな。でも無理しないで。公理さんが肝心なところで倒れたら俺は死ぬ」
公理さんの見た情報を加味した大量不審死事件の全体像。やはり視覚情報は大きい。
時点の異なる小藤亜李沙と中是秋名の2人が死ぬ直前にあの家で一緒にいたのは越谷泰斗。そうだとすれば今回の呪いの中心、『呪いの依代』は越谷泰斗に思える。しかし公理さんは違う可能性があると言う。
「なんでそう思う?」
「貝田弘江は人じゃなかった。越谷泰斗は人だった。越谷泰斗がどういう状況なのかはわからないけど、あれは人だと思う。なんだか様子が違いすぎて同じものには思えない」
「そうなのか? 俺には同じように濃いめの影に見えたけど」
「そう? おかしいな」
見えているものが違うのか。もともとその可能性はある。
不確定なことは多いから決めつけないほうがよいだろう。保留。
「他に何か見えたものがあれば教えて欲しい」
「うーん、今見たのはそのくらいかな。あとその前の夢。階段しか見えなかったけど……虫の死骸とか蛹とかそんなのだらけだった」
「まぁ、そうだろうな」
公理さんの顔色が青い。基本的にはあの2階の部屋は腐乱した死体が積みあがっているはずだ。公理さんにこれ以上の負担は負わせられない。
「それで……部屋の中も見る。嫌だけど」
「急にどうしたんだ」
「なんかちょっと、悪いし。夢じゃなければ俺が気絶するだけでしょ?」
「病まれると面倒くさいから無理しなくていい」
「無理じゃないもん」
「じゃあ効率的にいこう」
どういう心境の変化かはわからないが、申し出自体はありがたい。けれども不要なリスクを取る必要はない。最終的には見てもらう必要はあるが、今はまだその時じゃない。でも公理さんは言い出したら聞かないからな。それはそれで面倒だ。
現在時点で確認しなければならないこと。
まずは目的の再確認。
大目的は家の呪いを解くこと。小目的は不審死事件のバイアスの消滅。
バイアスの消滅には呪いの構成要素を家から出す必要があると思われる。今回バイアスを構成するもの、追い出す対象は何か。それを確定しなければならない。積み重なった死体はその対象に含まれるのか。……仮に含まれるとしてゾンビやスケルトンを家の外に出せるのか。俺は触れないしゾンビやスケルトンを説得できるとは思えない。この場合、正直どうしていいのかよくわからないな。
「橋屋さんの事件はどうだったの」
「家は死んだ人が同じ日をくり返すと言っていた。それを止めてほしいって。そして止めた後にみんなをリビングの窓から逃がす」
「そうすると今の大量不審死事件も同じ日をくり返しているのかな」
「そういう性質の呪いならそうだな」
だがそうか。同じものと考えていたが呪いの性質が違う可能性がある。
第一、同じ日というのはどの時点のことだろう。18人の死者がいて全員がそれぞれ死んだ日をくり返しているのだろうか。ああそうか、だから気になったのか。橋屋のバイアスが消滅して『呪いの媒体』が大量不審死事件を形作った時、すでに死体が腐乱してたこと。
それぞれが個別に死んだ時を繰り返すなら死んだときの姿が保たれるのが道理だろう。ゾンビにはならない。姿が異なるのは解せないな。そうするともっと後の一時点が起点となっているのかな。
やはり今回の呪いの形と解除の条件を改めて家に確認する必要がある。このバイアスの『呪いの依代』が越谷泰斗かどうかも未確定だ。貝田弘江と違って俺と公理さんで意見が分かれている。
まずはそこの確定だ。
次点で必要なのは解除ルートの確認。
1階のリビングから出られるとしても1度は現況を確認する必要がある。試みて実は開かなかったじゃ元も子もない。だが今急いで見る必要はあるか。いや、最終段階でわかっていればいい。
家は昼に来るのがいいと言っていた。
越谷泰斗は雑誌では20歳とあった。大学生か社会人だろう。昼に家にいないとすると、その時間にあわせて慎重に調査したほうがいいように思える。早く解決はしたいが危険は冒せない。ブラックボックスで危険性が計れないならばなおさら。
「調査は明日の昼にしよう」
「俺やるよ?」
「早いに越したことはないけど家が夜は危険だと言っていた。家の調査は明日は昼から頼みたい。だから公理さんには今日はクラブの調査を任せたい。そっちも必要だろ?」
「そっか。でもハルは起きられないとやばいでしょう?」
「目覚ましでなんとかする。やれることをやろう」
公理さんは2時には帰ってくるから、と言って出て行った。
念のためと言って鍵も1本預かった。
……さて、俺も出かけるか。時刻は23時前。ギリギリ北辻に行って帰って来れるだろう。公理さんが何故かやけにやる気を出しているが、素面の公理さんのメンタルはあまり強くはない。空元気で無理してるとしか思えない。変なことをされないうちに1人でできることは終わらせてしまいたい。時間を無駄にする気はない。
1人でいる以上、夢は見れないし扉を覗くのもリスキー。だが気になっていたこと、呪いの性質が変わったかどうかを確かめる方法が1つだけある。呪いの姿をこの目で見ることだ。そう思った途端首筋がざわめき始めた。気は進まないが仕方がないな。
高台のマンションを出て駅に向かう。
正面右手に16階建ての辻切ツインタワーがそびえ、そこから左手側に駅ビル、南口の華やかな商業施設と歓楽街のビルに向けてなだらかに光の粒が流れていく。ネオンの煌めき、人の息遣い。この華やかな人いきれは少し苦手だ。空を見上げても残念ながら星は夜景に押されてほとんど見えなかった。辻切の夜は寮のある新谷坂と違って騒がしい。少しだけため息をついた。
足早に騒がしさを通り過ぎ、電車に乗って最初の駅を降りる。しばらく歩いて見上げたあの家に続く坂道。夜でもわかるあの紫色に歪んだ景色の下にあの家がある。あの家が見える角まで行かなければ安全だろう。その少し手前で引き返す。北辻を降りた時点で首筋の違和感が強まった。最初に来たときより少し反応は強いだろうか。
相変わらず坂道を呪いが蕩々と滑り落ちて来る。ただ以前感じた流れ来る闇に妙にザワついたものがまじっていた。あの家で感じた通りなら恐らくはこれは『呪いの媒体』だ。家に近づけばノイズが増す。
やはり過去の夢だからではなく、呪いの性質自体が変わったのだろうか。ザワついたものから聞こえるヴヴヴというノイズは蠅の音だろう。不快だな。
やばくなったらすぐ引き返す。そう思ってもう少しだけ坂を上る。家はまだまだ遠い。以前より首筋のざわめきが大きい気がした。少し歩を進めるとヴヴヴという違和感が強まる。手のひらを見る。夢で見たような黒い粒が手のひらの上を漂い、手のひらの上にひたと乗る。
大量不審死事件のバイアスの『呪いの媒体』は虫だ。おそらくこの黒いノイズが呪いを運んでいる。
『逃げて』
その瞬間、割れるような頭痛が響き、膝をつく。
その瞬間、額の古傷が警告を発する。俺は呪いの性質の変化と自分の勘違いに気付いて慌てて膝を上げる。
『逃げて』
頭を殴られたような、先ほどとは段違いの頭痛。氷を奥歯で噛み締めたときのようにこめかみに痛みが響く。黒い粒に少しだけ皮膚を齧られた。まじか!?
弾かれたように一目散に逃げだす。途切れかけそうな意識を奮い立たせる。ヤバい。この呪いはヤバい。俺も食われる。早くここから離れないと。チクリとまた表面が齧られる。見ると下半身が黒い粒に覆われ始めていた。夢の中のように黒い粒を振り落とすこともできず、体に滞留して離れない。ズキリと額の傷の熱が増す。
タクシーを探しながら全速力で北辻駅まで走る。走りすぎて息が切れる。でもそんなこと言ってられない。逃げろ。途中、視線を感じて一瞬目を上げる。久里手柚。だがそんなことを気にする余裕は全くなかった。チクリ。脇をすり抜け走り去る。背中に視線を感じた気がした。
「公理さん!? どこにいる。急ぎだ」
「んん? あれ? ハル外?」
「急いでマンションに戻ってほしい、下手踏んだ」
「はぁ? 何やってんの!? すぐ戻る」
俺は電話を掛けながらちょうど見つけたタクシーに飛び込みマンションに急ぐ。部屋の前で公理さんと落ち合い、一番強い酒を受け取り煽った。




