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叫ぶ家と憂鬱な殺人鬼(旧版  作者: tempp
第2章 橋屋撲殺事件

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貝田さんが来る

「そういえば寝ている間は扉の中は見えた?」

「見えたと思うけど、それどころじゃなかったから中はよく見てないや。どきどきした」

「最初は閉じてて起きる直前に繋がりかけたんだよな? 夢から覚める時に開くのか? よくわからないな」


 夢から現在に戻る時に少しだけ扉が開くのだろうか? いずれ検証が必要だろう。公理さんのベッドに横たわる。相変わらずフカフカで、かえって少し落ち着かない。


「1時間半から2時間後くらいに夢を見始めると思う。それ以降、扉に異常があれば起こして。起きたら飯を作る」

「わかった、おやすみ」


 ゆっくり目を閉じると眠気はすぐに訪れた。急いで雑誌で見た橋屋家の写真を思い浮かべる。事件のあった日、事件の少し前。繰り返される日々。そんなことを思っていると、意識はとろとろと白い闇に溶けていった。


◇◇◇


「もうすぐ貝田さんが来る、家の中を見せれば大丈夫なはすだ」


 空元気を出す。すっかり弱った母さんを基広が支える。母さんはずいぶん痩せてしまった。

 やれることはやったと思っている。

 一度、19時を超えたら誰も何も発言しないように試してみても、やはり同じことを言われた。町内会の方にも話を聞いた。私の家がうるさいのではないかと問いかけたが、隣近所で私の家がうるさいという人はおらず安心した。貝田さんは他の方にも話をしているようだが、気のせいではないかと反論されると、そうかもしれませんねと返事があり、以降は特に聞かれていないとのことだ。

 貝田さんのお宅を訪ね、梯子を登って自宅を覗くのは控えてほしいとお願いした。ご主人が平身低頭する隣で、貝田さんの奥さんは鬼のような形相で私を睨んでいた。

 これか。これでは妻はひとたまりもない。私ですら心臓が鷲掴みにされているような恐怖を感じるのだから。


 貝田さんのご主人は奥さんに注意をすると何度も述べ、私は宅を辞した。けれども結局ご主人は日中はいない。庭の監視は止まらず、やむを得ず1階と2階の南向き窓は雨戸を締めっぱなしににすることにした。

 そうすると貝田さんはインターフォンを押して家の外から妻を呼ぶようになった。だから、インターフォンも鳴らないようオフにした。

 最終的に警察にも相談したが、警察は長くここに住んでいる貝田さんを信じた。貝田さんはうち以外には人当たりがいい。事情聴取の結果、うちが夜に騒ぐから注意に行っただけという言い分に、かえってこちらが注意された。騒いでいないから夜中に様子を見に来て欲しいと言っても巡回しますとしか言われなかった。


 ここまで来て、再び家族会議を行った結論は引っ越し。ローンは厳しいが妻の負担には変えられない。貝田さんのことがなければ、ここはいい家だったと思う。

 その最後の決断の前に、最後の手段として貝田さんに家の中を見せ、女の子も女の子の形跡もないことを隅々まで確認してもらおうということになった。

 それでだめなら引っ越しを前提に、引っ越しまでの間は妻をホテルかどこかに一時避難させる。これまで基広と永広は学校の長期休みの間中、交代で妻と一緒にいてくれた。だが明日からは高校が始まる。明日から妻を1人にするわけにはいかない。

 私は先週末にも梯子をかけて庭からうちを覗く貝田さんを見た。あれはもう人では無い。あの形相はまさに鬼だった。


 ピンポン


 ぼんやり思い返していると、インターフォンが鳴った。

 久しぶりに電源を入れたその音に妻は慄く。基広と永広の顔にも緊張が浮かぶ。ごくりと唾を飲み込み、家族をリビングに残して貝田さんを玄関で出迎えた。


「夜分遅く申し訳ありませんね」

「いえいえ、これで誤解が解けるのであればいいのです」


 誤解、という言葉に貝田さんの能面のような笑顔が少しひび割れた。そうだ、誤解だ。誤解であると何が何でも納得してもらねばならない。俺はさらに強く心を固めた。


「あの、ご主人はご同席されないのですか?」

「ほほ、主人は少し所用がありまして、本日は私だけでお願い致します」


 できれば冷静なご主人に一緒にいて頂きたかったが仕方がない。

 貝田さんの目は階段に釘付けになっている。何だ? 何かあるのか?

 貝田さんをリビングに促そうとすると、やはり階段の前で足を止めた。


「あの、申し訳ないのですが2階から拝見してもよろしいでしょうか」


 構わない。どうせ全てを見せるつもりなのだから。むしろ妻と顔を合わせるのを先送りにできる。


「構いませんよ、どうぞ」


 階段の前に佇む貝田さんの脇を通り抜けるとき、雨の日の公園の鉄棒のような、妙なにおいがした。

 2階は右側が永広の部屋、正面が家族共用の部屋、左側とその奥が基広の部屋だ。

 まずは永広の部屋の扉を開ける。貝田さんはチラリと部屋の中を見て気がすんだようだ。ホッとした。

 続いて正面の部屋。ここはホームシアターや家族の本棚、俺のゴルフ道具や基広の野球道具といった趣味のものが色々置いてある。ドアを開けて電気をつける。その瞬間声がした。


「ほら、やっぱりいるじゃない女の子」

「は?」


 貝田さんの言葉に固まった。女の子なんてどこにもいない。やはり、基弘が言っていたように貝田さんには精神的な問題があるのだろうか。もう引っ越すしかないかと諦めていると、貝田さんはまた、ほら、と指をさす。

 その指先を見る。そうすると、ふしぎなことが起きた。ゆらりと空間が揺らいで、影のようなものが起き上がった。影? なんだこれは。何かの光の錯覚か? 目をこする。


「それにこんなに大勢で。煩いのは当り前よ」


 勝ち誇ったような貝田さんの声がする。貝田さんが指を次々に動かすと、ソファや本棚から次々と影が立ち上って揺らめいた。まるで部屋の中に蜃気楼が発生しているような奇妙な悪夢の光景。

 何だ、これは。暗示にでもかかっているのだろうか。目を瞬かせても影は消えない。まるで元々そこにあったように。

 私は混乱して動けないまま、貝田さんが室内に入るのを見守る。


「ええ、そうなの、みんなこの家に閉じ込められてたの。それで外に出てこれなかったのね。わかったわ。かわいそうに」


 黒い影に囲まれた貝田さんはこの世の者とは思われなかった。

 鬼だ。目は赤く滾り、頬は紅潮し、口は耳まで避けたように笑む。なんだこれは、何故私の『幸せなマイホーム』に鬼がいる。いいやここはもとより地獄だったのか。白い室内や壁や天井が黒い影に覆い隠され、あたかも真実が露わになるかのように家に地獄が溢れ広がっていく。

 『幸せなマイホーム』は鬼が帰ってくるまでの仮初の姿でしかなく、この家が地獄そのものだったという事実。その事実に私の足が震え、体は金縛りにあったように動けない。膝が笑い、尻もちをつく。すると自分の膝に黒い影が纏わりつき、地面に縫い付けているのに気付いた。動けない。

 貝田さんは部屋の中をゆっくりと見回し、金棒を手に取るように立てかけてあった基弘のバットを手に取る。そして一歩一歩、忍び寄るように私に近づく。


「悪いのはこの人達よね、ウフフわかったわ」


 貝田さんの目線は中空を睨み、もはや私を見ていない。

 私を見ないまま、貝田さんはバットを私に振り下ろす。咄嗟に防ごうと振り上げた私の左腕はボグという鈍い音とともに叩き割られ、バットはそのまま頭蓋に振り下ろされる。その衝撃で私は階段を転がり落ちた。視界から色が失われる。音のない世界で駆け寄る基弘に、逃げろと伝えられただろうか。


◇◇◇


 突然ダダダという激しい音がした。

 リビングの入り口から父さんが階段の下に倒れているのが見えた。腕が変な方向に曲がっていて頭から血を流している。何があった?

 急いで駆け寄ると父さんは赤い泡とともに微かに口をパクパクと動かし、意識を失った。


 何だ? 何が起きた? 父さんは鼻と目から血を流している。

 その瞬間、充満する匂い。磁石のような、鉄のような、どこかで嗅いだことのあるような匂い。そして階段の上からあふれ出るように赤黒い液体が滔々と流れ落ちて父さんを飲み込んだ。何だこれ? あまりに異常な光景に混乱する。

 足音が聞こえて思わず見上げると、踊り場に貝田さんが現れた。その目は明らかに正気を失っていた。どこを見ているのかわからないまま口から涎を垂らしてへらへらほほほと笑んでいた。そして俺と貝田さんの間を塞ぐように影が立ち上がった。


「父さん……?」


 ほっとして顔を見上げる。けれども何かがおかしい。父さんは階段に設置されたライトに後方から照らされ、ちょうど影になった顔の表情はよく見えない。……先ほど床の方に接していた顔の部分、そこが奇妙に凹んでいる。肩がこわばる。何かがおかしい。父さんは後ろに手を伸ばし、貝田さんから何かを受け取る。

 そして振り下ろした。俺の頭へ。


◇◇◇


 俺と母さんは兄さんが崩れ落ちる光景を信じられない思いで見ていた。

 立ち上がった父さんの頭は凹んでいた。あれで生きている……はずがない。そして父さんが兄さんの頭をバットで叩き割った瞬間、硬直した体は動きを取り戻した。


「母さん、逃げよう、あれは父さんじゃない」


 庭に続く窓に急ぐ。今日は万一の時に逃げるため、雨戸も開けていた。庭に逃げようとリビングの南側の窓に手をかけて少し開けたところで、隣に母さんがいないことに気がついた。振り返ると腰が抜けたようにリビングに座り込む母さんと、母さんに近づく父さんが見えた。


 踵を返して急ぎ母さんと父さんの間に割り込み父さんを見る。その目の焦点はあっておらず既に目の光は失われていた。これは父さんじゃない。兄さんの頭をバットで殴る奴が父さんであってたまるものか。

 そう強く念じて唇を噛み、その胸部左上に拳を叩きつける。肝臓の急所。拳に伝わる衝撃とまだ温かい肉の感触。父さん。いや、これはもう父さんじゃない。

 父さんだったものは軽くよろけただけだ。急所のはずなのに効いていない。畳みかけるように右上段から首に回し蹴りを放ち、ようやく父さんだったものは膝をつく。そうだ、これは父さんじゃない。それよりも母さんだ。


「母さん今のうちだ、立って! 早く!」

「ぁ……でも……」

「早く!」


 母さんの背中から両脇に手を通し、引きずるように窓に向かう。けれども力が抜けた人間と言うのは小柄であっても重い。しかも自分も突然の事態に万全ではない。

 父さんだったものは何事もなかったように立ち上がる。だめだ、間に合わない。やはり自分がここで何とかしないといけないのか?


「母さん、とにかく動いて、外に出て。お願いだから」


 じりじりとしか動けない母さんに声をかけて再び父さんだったものに相対する。父さんが兄さんを傷つけるはずがない。これは父さんじゃない。

 棒立ちだ。膝裏を狙って下段を蹴る。父さんだったものは再び崩れ落ちる。いける。関節の構造は人間だった時のままだ。けれども俺はその時、少し油断した。父さんだったものが倒れたすぐ後ろに兄さんだったものがバットを構えて立っていたことに気が付かなかった。

 野球部の兄さんのスイング。軽いスイングでもそれは俺の頭の中心を正確に捉えて吹き飛ばす。バウンドして床に倒れた後は指一本動かせなかった。俺は朦朧とする意識が途切れるまで、母さんが兄さんに滅多打ちにされるのを見ていた。


 母さん……。


◇◇◇


 あら、私、何をやっていたのかしら。ここはどこかしら。

 見知らぬ家の階段の踊り場にいることにふと気が付いた。深夜に急に目が覚めたような、そんな気分。何かものすごく大事だったものを忘れた気分。変ねぇ。

 階段を下りた先で頭が真っ白になった。


 なっなっなななんなの、どうしたの?


 そこにはどう見ても死体としか思えないものが4つ転がっていた。まるで水曜サスペンスのよう。どこか現実感がないまま立ち尽くす。

 これは……隣の橋屋さん!? どうしたことかしら、急いで警察に連絡をしないと!

 私はリビングにあった電話で110番を回す。


「助けて、人が襲われて……」


 その瞬間、私は思い出して受話器を取り落とす。

 私…私がやったの!? そうなのね!?

 この家に来て2階に上がった。そこまでは覚えている。そしてその後、なんだかぼんやりした。そしてとぎれとぎれの記憶で、私は橋屋さんのご主人を……。そしてご主人が私が渡したバットで基広君を殴って、基弘君が永広君を殴って、奥様を……。

 なにか、おかしい。頭に霞がかかっている気がする。

 でもうっすらとした記憶の中の橋屋さん一家が倒れている場所は、今私が見ている場所と同じだった。

 やはりこれは現実……?


 はっとして、主人に連絡しようと思った。主人はいつも私の味方をしてくれる。そして、はっと思い出した。思い出してしまった。

 私は主人を灰皿で殴って……。それは橋屋さんにバットを渡したときのような霞のかかった記憶ではなく、鮮明な記憶だった。握った灰皿の冷たさも流れ出た血の匂いもよく覚えている。けれどもその時自分が何を考えていたかだけ思い出せない。

 どうして!? どうして私こんなことしたの!?

 主人だけが私の味方だった。主人だけが私の。そんな。涙が目からあふれ出ていることに気が付いた。

 そんな……あなたがいないと、私は生きていけない……。どうしたらいいの……?


 私も主人と一緒に……。


 そうね、そうよね。もうそれしかないわ。

 私はリビングにあったエプロンを見つけてよじる。

 奥様、本当にごめんなさい、私どうしていたのかしら。本当に、本当に申し訳ないわ。あの世で謝らせて欲しい。とても許してもらえるとは思えないけど。


 あなた、会いたい。すぐにいくから待ってて。

 椅子を動かしてリビングに掛けられていた時計を外し、そこにエプロンをよじった縄をかける。

 首を通す。

 椅子を蹴った。

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