7-9、霊獣、皇帝、後宮妃、神女、そろう!
「へいか……陛下!?」
「っは……!?」
金栄は呼ばれて、隣にいる瑞希を見た。
「ゆめ……?」
そばには後宮妃たちと霊獣の姿もある。
今しがた見たものは、なんだというのだろうか。
あそこにいたのは、まぎれもなく、瑞希だ。
「そなた……おじいさんとは、たくみ、という名か?」
「え、なぜそれを」
「いや……いや? なんだったか」
しかし、ぼうっと脳がかすんでいく。
今見ていたはずのものが、もう思い出せない。
覚えているのは、匠の心に残る、深い後悔。
「そなた……そなたを幸せにせねば」
「はい? 急になんです」
「そなたを幸せにせねば、そなたは元の世界に帰れぬようだ」
え?と瑞希が間の抜けた声を漏らす。
今わかった。神女を呼んだのは、星読みではなく、金栄自身なのだ。
金栄を助けるために呼んだと思っていた神女だが、じつのところ、その存在をこの世界に縛り付けるのは、
「わたしがそなたを、この世界に縛り付けていて」
しかし瑞希は、ぱん、と金栄の頬を両手でつかんだ。
「違います。誰かのせいで、私はここにいるのではありません」
「では、なぜ帰れぬ」
「それは……私のため、なのです」
「だからそれはなぜだと」
瑞希が金栄の唇に人差し指を当てて、笑った。
「それは、私とおじいさんの秘密、なのですよ」
ああ、ここまで思われているなんて。おじいさんに嫉妬する、なんてことはしない。無駄だと最初から分かっている。
だからこそ。
「わかった。そなたが原因を認識しているのなら。わたしに手伝えることはなんでもしよう」
「それは心強いです」
結局のところ、瑞希がこの世界でしなければならないこと、それは。
「未来のおじいさんを守るためには、陛下をお守りすること、なんて、口が裂けても言えないわね」
小さく、小さく、瑞希がつぶやいた。
帰りの輿は静かなもので、霊獣たちは体力を使い果たし、輿の中で静かにねんねだ。
「はあ、よかった。交代でと言っても、五柱の霊獣さまをお世話するのは骨なのよねえ」
かわいいことに変わりはないのだが、いかんせん、子供とは予測不能な行動をする。
御陵に参るのはしばらくないそうだが、折に触れての後宮妃との外出の際は、王宮に残った瑞希が霊獣の世話係になるのだろう。
「まったく。子育ては終わったと思っていたんだけれどねえ」
その顔は、心なしか明るい。
一方、金栄は複雑な面持ちで帰路についている。
基本的に、後宮妃たちの輿は周りから中が見えない造りになっているが、皇帝は違う。
正装に冕冠をかぶって、民にその姿をさらすのだ。
むろん、だからこそ護衛は何十人にも及ぶ。
ひとえにこれは、民に皇帝の健在を示すための催しでもある。
「ああ、皇帝陛下、万歳!」
「万歳!」
うむ、と金栄が民に手を挙げて返事をする。
あそこで――御陵でなにかをつかみかけたのだが、それがなんだったのか今はもう、思い出せない。
ただ、瑞希に関することだということだけはわかるのに。
「わたしはあのものをどうしたいというのだ」
悶々とする。
瑞希は単なる神女だ。しかし、神女なのに神力もなければ五行の気を操るわけでもない。
あるのはただ、真心と料理。
ただ、その料理が異質であることは金栄にもよくわかる。
「あの料理……料理で霊獣を救った神女など、聞いたことがない」
それに、いつも誰かを思っている。あの慈愛に満ちた目。
自分に向けるそれは、どこか『我が子』を見るような、邪悪さが一切ない、純粋無垢なそれなのだ。
「わからぬ。なぜ」
瑞希を皇后になんてするつもりはなかった。
瑞希が異質であることは金栄が一番知っている。
近くで見てきたからわかる。瑞希はこの世界の人間ではない。
「あのような知識が……当たり前の世界とは」
どれだけ自由で、どれだけ平和な世界なのだろうか。
だからこそ、瑞希は純粋でいられるのだ。
平和な世界を生きてきた、穢れを知らない瞳。その瞳を、曇らせてしまうかもしれない。
「だから、元の世界に帰さねばならぬというのに」
皇后にはしたくない。かといって、手放したくもない。
この気持ちの名前を、金栄は知らない。
知らないはずだった。
「よもや、毒される、なんて」
母性に近いものを、与えられてきた自覚はある。
けれど、金栄はそれだけでは満足できない。
奇妙で、よくわからなくて、誰かを思っているあの異世界の人間が。
「好いても、あのものの心は、みじんもわたしを向くことはない、のだな」
でも、だからこそ、瑞希は瑞希らしく振る舞えるのだ。
もしも金栄の気持ちに気づいたら、瑞希は自分を責めるだろう。
よく口にする『おじいさん』に、顔向けできなくなると。
「はあ、疲れたな」
王宮に帰れば、また元通りの日常に戻る、それだけの話。
それに。
「あのものは、まだ帰らぬと言っていたわけだし」
いつか結ばれたら、とは思わない。
先帝もまた、神女と過ごした時間があったとは聞いているが。
「結ばれぬくせに、皇后となる資格を与えられた神女とは……どういう歴史があったのだろうか」
それは誰にも分らない。
時として伝承とは、出どころなく、誰にも解明されることはない。
御陵から帰り、さらに二週間。
平和な時間をかみしめながら、夜妃、紅妃、雲妃、春妃は、先に支度をすませ、麒麟宮の瑞希に挨拶に来る。
「まあまあ、皆さまおきれいですねえ」
「そういう神女さまは……」
五枚もの衣を着こんで、瑞希は椅子に座るので精いっぱいといった様子だ。
「ああ、もう。襦裙嫌いです。重いし、歩きにくいです」
「そうおっしゃらず。神女さま、お似合いですよ」
今日はかねてから予定されていた、霊獣への祈りと、新たな妃・春妃の正式な告示式。そして、豊穣を願う祭祀である。
ひときわめかし込んだ瑞希を見て、夜妃はにこやかに笑んでいる。その腕の中には、玄武の赤子がすやすやと眠っている。
「そうです、瑞希お姉ちゃん、きれいです」
朱雀の赤子を肩に載せ、紅妃は年寄りも幾分か大人びて見えた。化粧の効果だろうか。
「わたくしも、かようにお化粧をできるようになるなんて」
雲妃は、生まれたての小さな白虎をてのひらに載せて、瑞希に向かって一礼した。
新しく入った春妃は、
「あの、皆さま方。改めまして、よろしうお願いいたします!」
ぺっこりと頭を下げて、腕に抱いていた青龍を落としそうになる。
現状、この五つの霊獣は、ひとところに集めなければならない。
朱雀の火を抑える玄武の水と麒麟の土。
青龍に力をつける玄武の水。
五行とは、相生と相剋の関係で成り立っているから、もとより、五つの後宮で管理するには、まだまだ妃たちの力が未熟なのだ。
「わたくしたちは、力を合わせてこれからも霊獣さまに仕えます。なのでどうか、神女さま」
夜妃が、ふわりと笑った。
「神女さまは、この世界にいてもいなくても。どちらでも、わたくしたちの、大事な同志です」
泣きそうになるのをこらえて、瑞希たちは祭祀の場へと歩き出す。妃たちが瑞希を取り囲んで、五芒星の光が祭祀の広間に輝いていく。
霊獣がすべてそろったこと、金栄がそれらをまとめ上げる誓いの口上を述べたことで、霊獣たちからそれぞれ、青、赤、黄、白、黒の光が天に向かって伸びている。
「なんだ、あれは」
「あのようなもの、歴史的にも起きたことがない」
左丞相や宰相たちが驚き、おののいている。
せっかく呪いで死にそうだった皇帝は、今や麒麟の主として毎日政務に励んでいる。
体調不良は嘘のように消えている。
呪いによってむしばまれていたはずの妃たちも、堂々たるふるまいだ。
「ああ、やはり神女さまは、本当の霊獣さまの主だったのだな」
「だとして。皇后はどうなるのだ? 後宮妃から選ぶのか、神女さま自らがそうなるのか」
下世話な話だ、と瑞希は思う。
腕の中のかわいい赤子の霊獣を抱きなおし、金栄が玉座に座ると、光の柱も消えていく。
そうして、『きゅう』と霊獣たちが目を覚まし、
『麒麟』
『玄武』
『朱雀』
『白虎』
『青龍』
一瞬のうちに、それは本来の姿に戻り、自身の名を、名乗った。
その鳴き声は、頭の内側に響くように、その場にいたすべての人間に届いたようだった。
「私は、後宮の主として、霊獣さまのお世話に、これからも励む。そして、後宮妃は、霊獣の主として。神女は、霊獣、ひいては後宮妃の主として。これからも誠心誠意、お仕えするように」
「御意」
妃と瑞希の声が、重なった。
立派な姿の霊獣が、再び赤子の姿に戻る。
てとてとと歩き回る姿に、女官たちはふるふると震えている。
「まあ、これだけかわいければ、霊獣さまを恐れる人間も減る、ってわけね」
霊獣は本来、厳かな存在ゆえに恐れられてきた。
だから、か。
恐れを抱いて仕えられても、霊獣には心が届かない。
霊獣に必要だったのは五行の気に合った供物ではなく。
「いつの世も、愛は地球を救うんだわね」
瑞希のつぶやきは、誰にも聞こえていない。
その後、瑞希の伝授した料理が宰相たちにふるまわれる。
最初こそ悪口を言われたのだが、一口食べればみな、たちまちその虜である。
「なんだこの、斬新な料理は! 糸寒天を料理に!? 酢と砂糖の味が滋味深い!」
年のいった宰相たちには、酢のものは胃に優しくさっぱりしてよいだろう。
「小豆をあつものに……その中に、この伸びる弾力のあるものは」
餅入りぜんざいは、若い武官に人気である。
今は秋だが、冬になったら体が温まる、定番の一品になるだろう。
「マントウとは違う……このふわりとした食感の甘味の正体は……!?」
さつまいもの蒸しパンは、泡立てた卵の効果でふわふわだ。なかには、マントウの独特の風味が嫌いだからと避けていた宰相もいたのだが、ほかのものが幸せそうに食べるさまを見て、思い切ってかぶりつくと、癖のないパン生地に、頬を抑えて至福の表情をしていた。
さらに驚かせたのは、海苔の天ぷら。
「カリカリのころもに、味をしみこませた海苔……海苔を揚げるなんて発想自体が奇跡だ……!」
もう、ほめちぎられて、瑞希は緩む頬を隠せない。
「なんだこの、斬新な料理は!」
「五行の気を取り入れながら、かように美味なるものを作れるとは……!」
これでしばらくは、宰相たちも金栄になにも言えないだろう。
「胃袋をつかむのも、政治のうち、ってね」
瑞希は内心でほくそ笑む。
新たな青龍の後宮妃が決まり、霊獣を寝かしつけた深夜二時。
瑞希が未来の旦那さまを思い月を見上げていると、菊花茶を持った金栄が瑞希の肩をたたいた。
「陛下。これで、後宮は平和になるでしょうね」
「ああ。そうだな。して、瑞希」
初めて名前を呼ばれたような気がして、振り返る間もなく、瑞希は金栄に抱きしめられていた。
「そなたさえよければ、この後宮に残ってほしい」
「ええと、なんて?」
しかし、予想内の反応なのか、金栄は腹を抱えて笑っている。
「冗談だ。そなたには大事な夫がいることは嫌でも分かった。もうよい、後宮のいざこざも解決したのだし、そなたはそなたの世界で平和に暮らすといい」
「そうですね。そうします。でも、どうやったら帰れるんです?」
「さあ、それはわたしにも」
結局、瑞希が元の世界に帰れないということは、皇帝の問題はまだ『解決していない』んだろう。
最悪、この皇帝が天寿を全うするのを見届けるまで帰れないのかも。
でも、それでもいいと思う。
「陛下。ひとつだけ、お伝えしたいことがあります」
「なんだ」
「未来で、お待ちしております。あなたは私の未来の旦那さま、ですから!」
不意打ちの笑顔に、金栄は頭を抱えた。
人がせっかく冗談で済ませてやったのに。これじゃあ、手放せなくなるではないか。
月を見上げる瑞希の横顔に、金栄は小さく息をついた。
四季も戻り、今年の秋は、農民たちを招いて奉納祭を大々的に執り行わねば。
そんなことを思いながら、金栄は瑞希の視線の先にある月を、ともに見つめるのだった。




