7-7、湯あたり
宿は皇帝の専用のもので、後宮と遜色ない造りになっている。
さすが皇帝といったところだ。
代々の皇帝が眠る御陵の道々には、何か所かこういった宿が用意されているのだという。
「御陵に参るのは、せいぜい年に数回なのに。手入れが行き届いているわねえ」
瑞希が与えられた部屋を見渡している。
ほかの妃たちも各々に部屋を与えられ、そこで休憩をとりつつ、霊獣の食事や世話をしているらしかった。
「上がったぞ」
「ひい! 音もなく来るのやめていただけませんか?」
しかもこの宿、湯殿まであるらしく、金栄は早々に湯あみを済ませた。
その間、瑞希は麒麟の寝かしつけだ。
長旅で疲れたのか、食事のあとすぐに寝入ってくれたのはありがたい限りだ。
「では、私もお風呂、いただきますね」
「ああ。……一応、見張りをつけるが」
「見張り!? そんな……疲れが取れないですよ」
「そう言うな。王宮外に出れば、暗殺など日常茶飯事。となれば、王宮のようにはいかぬのでな」
そんな世界だった、と今更理解して、瑞希は着替えをもってそろりと湯殿に向かった。
王宮外での湯殿は初めてで、不慣れだ。
「ああ、もう……寝間着を忘れてきたわね」
湯殿で襦裙を脱いだ時点で気づいていたのだが、何分、引き返す気力もない。
五つの霊獣をひとりで見たのだから、仕方がない。
「まあ、また襦裙を着ていけばいいわ」
そうして瑞希は、下着を脱いで、湯殿に入った。
体を洗って――石鹸なんてものはないから、葉っぱで体をぬぐって、髪を洗う。
「本当に……現代の科学には感謝だったのね」
湯には花弁が浮かべてある。
「香りでごまかす……石鹸やシャンプーも、そのうち作れたらいいのだけれど」
確かあれは、油があればできたはずだ。
そんなことを思いながら、湯で温まり、上がる。
「はあ、疲れとれまし――」
しまった、と思った時には遅かった。
疲労から、脳貧血が起きた。
座らねば。しかし、体に力が入らない、目の前が真っ暗だ。
「たすけ……」
しかし、その声は小さく、護衛には聞こえないだろう。
倒れて頭を打ったら大事になるかもしれない。こらえろ、こらえろ、こらえろ!
「大丈夫か!?」
真っ暗な視界、聞こえた声。だけど意識が遠のく。
立ち眩みなんて、久しぶりだった。
無理もない。この世界の栄養改革をすると言っても、そう簡単にはいかない。
瑞希が若いころよりも、さらに栄養状態の悪い世界で、よくまあ、今まで倒れなかったものだ。
倒れたと思った体を、誰かが受け止めた。
「ん……」
「神女?」
「……へいか……?」
どのくらいたったのか、湯殿の更衣室に寝かされて、いつの間にか寝間着を着せられている。
周りには、金栄だけでなく、紅妃、雲妃、春妃、夜妃。
みな、泣きそうな顔で瑞希を見ている。
「あれ、ここは……どこでしょう」
「そなた……湯あたりするなど。倒れるところだったんだぞ?」
「あ……!」
と起き上がると、まだ頭がくらくらした。
紅妃が、泣きながら瑞希に抱き着いた。
「お姉ちゃん、死んだかと思った!」
「はは。湯あたりで死にませんよ」
しかし、聞いたところ、四半刻(三十分)も気を失っていたらしい。
どうにも、おかしい。
「そんなに長く……すみません、少し不注意でした」
「いや……そなたが無事ならそれでいい」
「そうです。わたくしたちも、明日は交代で霊獣さまたちのお世話をしましょう」
夜妃の言葉に、ほかの妃も頷いた。
宿に戻って、さて瑞希は重大なことに気づく。
寝間着を着ている、ということは、誰かが湯殿から瑞希を引き上げるときに、裸を見られたということだ。
「あの、陛下」
「な、なんだ……」
麒麟はいまもすやすやと眠っている。
しかし、金栄の耳が心なしか、赤い。
それだけで瑞希はすべてを察した。瑞希を湯殿から助けたのは、金栄だ。
「お、お見苦しい姿を見せました!!」
思わず羞恥から頓珍漢な言葉が口をついて出た。
金栄は真っ赤な顔で振り返り、
「み、見ていない! なるべく見ぬようにして、そなたを助けた。そ、そなたには、『おじいさん』がいるゆえ」
「……見た、のですね」
「み、見てない、とは言い切れぬ。そなたが睡衣を忘れたゆえ、届けにいって、それで……」
はあ、と瑞希は切り替えた。
あの状況では、事故だ。
恥ずかしがれば恥ずかしがるほど、ことはこじれる。
瑞希が立ち上がる。
金栄は窓際に歩き、窓を開けて、火照る頬を冷やしていた。
瑞希は金栄の隣に立つ。金栄のほうは見ない。それは金栄も同じだった。
「私はいつかこの世界を去る身。でも、陛下と過ごした時間は、忘れません」
「今生の別れのようなことを言うのだな」
「そりゃあ……私は霊獣さまをお助けしたら、用なしですし」
ここまで言って、瑞希は気づく。
「でも、もう霊獣さまたちはご回復なさったのに、私はまだ帰れていない……?」
ふ、と金栄が瑞希のほうを見て、眉を下げる。
「気づいたか」
金栄はすでに、この事実に気づいているようだった。
瑞希が首をかしげる。
「ですが、星読みが帰してくれると」
「ああ。星読みによれば、『神女が使命を全うしたとき』帰れる。そう、言っていた」
「じゃあ、まだなにかが、足りない……?」
しかし、そんなの聞いていない。
霊獣さえ回復すればという話だったのに。
「だから、先帝の御陵に連れてきた」
「なぜ……」
「先帝もまた、若き日に神女と出会い、別れた」
別れた、との言葉からするに、神女は元の世界に『帰った』のだ。
そのカギが、その御陵にある、ということだろうか。
それならば、早く教えてくれたらいいものを。
「でも、私も」
「そなたも?」
「いえ、なんでもないです! 疲れたので寝ますね!」
他人というには近すぎるし、夫婦と呼ぶのは遠すぎる。
瑞希と金栄の関係を表す言葉が、見つからない。
少なくとも、瑞希が帰れない原因は、金栄にある。
「私が未来でおじいさんと出会うために、おじいさんはまだ、懸念点があるのだわ」
瑞希はおじいさんを信じている、今でも愛している。
そして、この世界に来た理由が、おじいさんによるものなのか、確信はない。ないけれど、おじいさんのせいにしないと、泣きそうだった。




