6-6、桃妃の拒絶はそう簡単には解けません
走ったからと言って、王宮からは出られない。
適当に、赤い橋の上まで来て、池の鯉をのぞき込んだ。
水面に映る瑞希は、相変らず若いころのままだ。
「私だけが若返って。おじいさん、私をどうしたいのです」
「また、おじいさん、か?」
後ろから聞こえたのは、金栄その人の声だった。振り返る。
金栄は息を切らして、瑞希を見据える。
「あと少しの辛抱だ。青龍さまが回復したら、そなたももう、ここを去るのだろうな」
「私、は……」
その前に、皇后選びの話はどうなるのだろうか。
瑞希の心を読んだかのように、金栄がまた、笑った。
「皇后は、わたしが選ぶこととしよう。そういう前例も、あることはあった」
「なぜ最初から教えてくれなかったのですか」
「さあ。そなたをここにとどまらせたかったから、と言ったら?」
「戯れを。私なんぞ、料理しか取り柄もないのに」
おじいさんにも、同じ言葉を言ったことがあった。
おじさんとは、見合いで出会ったが、それは一度、断っていた。
瑞希には不釣り合いだと、瑞希が断ったのだ。
そのあと、偶然病院で再会したのだ。
瑞希が栄養士として勤める病院に、おじいさんが入院した。
その時の栄養指導に感銘を受けて、おじさんの猛アプローチが始まった。
毎日仕事終わりに花束を持ってきて、一緒に割烹を開こうと。そこで栄養士として栄養指導してほしいと。
自分の割烹に足りなかったのは、健康なのだと。
料理はおいしさもそうだが、瑞希のような、栄養の知識のある人間が、これからの世にはもっともっと必要になるのだと。
うれしかった。
栄養士の地位はそのころはまだ低く、そんな風に言ってくれたのはおじいさんが初めてだった。
「私には、心に決めたおじいさんがいますので。いくら陛下でも、私の心に無断で入らないでください」
「はは、わかっている。だからこそ、そなたをそばに置く」
つまり、皇帝のそばにいる女たちは、日々皇帝の寵愛を競っている。
女官や侍女たち、下級の妃たち。
そんななかで、夜妃や紅妃、雲妃は、権力争いを好まない、稀有な存在だと思う。
「わたしは、皇后を定めずに、四人の妃を平等に扱う制度を考えている」
それは苦難の道だと思った。けれど、金栄らしいとも思う。
「かなうとよいですね、その未来」
「ああ。そなたの未来を守るためだ」
未来を、ね。と瑞希がつぶやいた。
瑞希が皇帝を助けるのは、決して恋慕からではない。おじいさんに似てはいるけれど、でも、心に常にいるのはおじいさん。
その祖先である皇帝を助けねばと、瑞希は改めて誓うのだった。
その後、あの手この手で青龍宮を訪ねた瑞希だが、どうにもその中に通してもらえない。
女官たちが固くガードしているのだ。
見かねた金栄が、助け舟を出したのはその十日後である。
「青龍宮への強制的な立ち入りを、わたしが許可した」
と、青龍宮の女官に厳しく言いつければ、開かなかったその扉が、音もなく、しかし厳かに開かれるのだった。
「お初にお目にかかります。神女? の瑞希です」
ようやく対面できて、瑞希は桃妃を上目づかいに見た。
「初めまして、青龍宮の、桃と申します」
おや、と気づいたのは、瑞希だけかもしれない。いうなれば、今までの妃とはなにかが『違う』。
「桃妃さま。桃妃さまは……陛下のいとこと聞きました。なぜ、そのような方が後宮妃に?」
「よくあることよ。私が木の気が強かったから、ただそれだけのこと」
うん、と瑞希が頷く。
「なにか分かったのか?」
「いえ。ただ」
まじまじと桃妃を見る。やはり、しっくりこない。
「あの、桃妃さまは、青龍さまになにをお供えしたのですか?」
「新鮮な青梗菜に、酢豚。肉団子の甘酢餡よ」
「なるほど、料理は確かにちゃんと『木』ですね」
だったら青龍は、なにが気に入らなかったのだろう。
ふと、桃妃の女官が、生薬を持ってくるのが見えた。
桃妃は、あからさまにそこから視線を外すために、右側に一歩、足を動かした。
「神女さま。大したおもてなしもできずに」
「いえ……あの、桃妃さまは、ご病気が?」
「私? ないわよ。病気なんて」
だったら、あの生薬は。
ちらっと見えただけだから確証はないが、あれは山梔子。
あれは例えば、加味逍遙散などに入れる生薬で、山梔子を五年以上服用すると、慢性的な腹痛に襲われる。それだけ効果の強い生薬だ。
瑞希の世界では、クチナシと呼ばれるそれ。
「そ、それでは、神女さま。わたくしはそろそろ、舞のけいこの時間で」
「そうですか。では、また改めて伺います」
「ま、また来るのですか?」
「はい。原因がわからなければ、来るほかにないので」
苦笑しつつ、桃妃は瑞希たちを見送る。




