2-5、玄武さまはかわいい七歳児
玄武宮の玄武の間に歩き、金栄は緊張の面持ちだ。
「陛下、疲れているなら私一人でも」
「いや……玄武さまは特に、この後宮の霊獣の中でもわたしを嫌っておいでだ」
なるほど、と思う。
麒麟さまといい、皇帝と霊獣の間に、都合の良い絆のようなものはないらしい。
「わたしが即位して三年。わたしはずっと、腹痛や神経の高ぶりの呪いのせいで……その。周りにひどい態度をとったと、反省している」
「なるほど。後宮妃にも、ひどい扱いを?」
「まあ……妃など、霊獣を管理できなければ追い出すと……」
まあ、そりゃあ、霊獣に嫌われても当然だ。
後宮妃は、すなわち霊獣を統べるもの。
妃を選ぶ際は、生まれ持った気を見るのだという。つまり、星読みに寄せられた生まれ持った星――例えば、生まれ月が火の気が強いとか、そういう部分を見るのだ。
そうやって選ばれた妃たちは、霊獣に供物をささげ、大事に大事に扱うのだとか。
その妃をないがしろにする皇帝など、霊獣に嫌われても当然なのだ。
「では、入りますよ」
「……ああ」
金栄の息をのむ音がこちらまで聞こえてくる。
玄武の間に入ると、玄武が瑞希に気づいてすり寄ってくる。
しかし、金栄は玄武には近づけない。
「玄武さま。供物をお持ちしました」
差し出した膳に、玄武は最初、見向きもしなかった。
「玄武さま」
今一度瑞希が話かけると、
『そのものは、嫌いです』
玄武がやっとの思いで、口にした。その言葉は、金栄に向けられたものだった。
金栄は息を忘れる。
このまま、玄武の間を去るべきだろうか、そう、一瞬だけ、金栄の脳裏によぎったそれは。
「わたしは、皇帝として……いや。夜妃の夫として、玄武さまにご快復をしていただきたく」
『……夜妃を泣かせたあなたを、私が許すとでも?』
「それ、は……」
『麒麟にも、私からよーく話して聞かせていますから……』
くう、と玄武のお腹が鳴った。間の悪い。
「あ、じゃあ。陛下が麒麟ちゃんに嫌われてるのって、玄武さまが?」
『そうよ、私の弟だもの』
玄武は立ち上がり、すん、と瑞希の料理のにおいをかいだ。
そして、はく、とそれを口に入れる。
『お、おいしっ!』
「あはは、かわいいですね。どうぞ、たくさん作ったので、心行くまでお召し上がりくださいませ?」
はくはく、ぱくぱく、もぐもぐ。
瑞希の料理を、玄武はあっという間に平らげる。
水の気を取り戻した玄武は、いよいよ金栄をひとにらみする。
『人間はそう簡単には変わらない』
「ま、まあ。玄武さま。あの、実は陛下の人嫌いには――」
しかし、ぼふん、と音がして、そこにいたのは小さな小さなかわいらしい玄武の姿だった。
『ありゃ、私の水の気も、ここまで落ちていたのね』
麒麟に比べたらまだ年齢は大きいが、人間でいう七歳児くらいだろうか。
おませな女の子の年齢だ。
『まあ、瑞希の料理と、この場をとどまった度胸は認めてあげるわ』
「わ、かわいい。女の子だ、女の子」
すく、と瑞希は玄武を抱き上げる。玄武はまんざらでもないように瑞希に抱き上げられて、
『五行神女。いえ、瑞希お姉ちゃん。また、お料理作って頂戴? 私、瑞希お姉ちゃんのお料理が気に入ったわ』
「喜んで!」
かくして、水の気が市井に戻る。
玄武が司るは、水と鹹味(塩味)。
荷物持ちの男たちの流行り病は、その日を境に減っていく。
瑞希の言う通り、男たちの病の原因は、塩分不足による筋肉の脱力によるものだった。
玄武が回復してしばらくして。
夜妃に呼ばれた瑞希は、玄武宮で丁重にもてなされている。
「神女さまのおかげで、頭痛がずいぶん和らぎましたの」
「それは、ようございました」
「それに……陛下が……」
もじもじする夜妃に、つまり金栄は、夜妃に優しくするようになった、ということだろう。
「それで、今日呼んだのは、お願いがあってのことなのだけれど」
「お願い、ですか?」
おいしい菊花茶を飲んで、本場の月餅を出されて瑞希が上機嫌に聞き返した。
「後宮妃は四人います。私のほかに、白虎の雲妃、青龍の桃妃。朱雀の紅妃」
「それは陛下からうかがっています」
「そう……では、この妃の中から、皇后を選ばなければならないことも?」
「え?」
いわれてみれば、そうだった。
後宮の妃の中から、正式な皇后を選ぶのは当たり前の話だった。
心根の優しい夜妃の言いたいことは。
「わたくしはいいのです。でも、ほかの妃が……病に臥せっていると聞き……やはり、霊獣さまの気の乱れ、でしょうか?」
夜妃のすがるような目に、しかし瑞希は、きっぱりと答えた。
「いいえ。気の乱れなど。呪いでもないです。おそらく、聞いた話だと、食養生でよくなりますよ」
「そ、そうなの? それじゃあ、ほかの妃も、神女さまに、お願いすることはできますか?」
「ええ、と……それは陛下に聞きませんと」
「よい。後宮妃の呪いの件、五行神女に任せよう」
そこに現れた金栄に、瑞希はげ、とうめき声をあげた。
「まあ。私もこの国の栄養改革はしたいと思っておりましたが。しかし、私が後宮妃さまにかかわってもよろしいのですか?」
「ああ。そなたは唯一、後宮妃の上の位を持つものゆえ」
「え?」
「なんだ、言ってなかったか? 五行神女は五行の霊獣を従える神女。下手を打てばわたしよりも位はうえだ」
「え、ちょ、なんで今それを言うんです」
「さあ。さて、夜妃。今夜は月を見に出かけようと思うが。頭痛はどうだ?」
「陛下……はい、おともいたします」
夜妃がなにを言いかけたのか、瑞希にはわからない。
わからないのだが、どうやら思ったよりもことは重大なようだ。
「おじいさん。未来でおじいさんと出会うために、瑞希は皇帝を守り抜きます!」
次なるは、回復した水に抑えられる火を司る、朱雀宮。
「ああもう、帰りたい!」
瑞希の受難は、終わりそうにない。




