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見舞いという小さな安堵

 ひかりが入院してから早数日という時がたった。そしてゴールデンウィークに突入した。ゴールデンウィーク初日、僕は自転車に乗ってとあるところに向かった。

 途中でコンビニに寄ってアイスクリームを二つ買った。カップに入ったコーン入りのソフトクリームだ。

 また、自転車を漕ぐこと約十分、僕は病院に到着した。ここに来るといつも色々な思い出が頭の中によぎる。しかしそれは、僕にとってあまり思い出したくはないものばかりだ。

 自転車を駐輪場に停め、入口へと入る。待合室で待っている人や医師、看護師等がいた。僕はそのなかを歩き進め、正面受付にて面会名簿を記入し、エレベーターへと移動する。

 「あ、徳山くん。久しぶり」

 急に声をかけられた。それは僕は聞いたことのある声の人だった。前にお世話になった看護師だ。

 「久しぶりです」

 「どう、記憶の状態は」

 記憶、これは僕が過去記憶損傷を起こしたときのことだろう。そのお陰で初恋の人が存在していたということしか覚えておらず、外見、名前、想い出が欠落してしまったのだ。

 「相変わらず、思い出せてないんです。けれど僕のことですからきっと可愛い子に違いありませんよ」

 なんじゃそりゃ、と看護師の声がツッコミした。そして、

 「今日は検診じゃなさそうだし、面会かな。君の元気をあげてやりなよ。じゃあね」

 と言ってその看護師は去っていった。そして僕もエレベーターに乗って5階に上がった。


 入院棟は静かであり、看護師や入院者がそこら辺で見かけた。一度だけ点滴を打っている人とすれ違った。しばらく歩くとひとつの部屋の前までついた。『小山ひかり』の名前が書いてあり、この部屋にひかりがいることを決定付けた。

 僕は戸を三回ノックする。コンコンコンという音が響く。数秒後、「はい、どうぞ」という元気そうな声が聞こえたので、戸を横にスライドさせ開ける。ひかりは僕の顔を見るや破顔し、

 「つばさだ!来てくれたんだ。ありがとね」

 と大いにはしゃいだ。入院とは言っても単に休養って感じがして点滴を打ってはおらず元気そうだった。

 「そんなに元気なら早く退院しなよ。はいこれ、ソフトクリーム。ちょっと溶けたかもだけど」

 溶けたとしてもそれは多分さっきの看護師のせい又は気温のせいだと思うが。

 「私だってそろそろ退院できると思ってるし。けどなかなか退院できなくてね。今は元気でもまた具合悪くなったり、その度に点滴を打ったり、ってまあ、今はまだでもこのあと点滴打つと思うし」

 元気とは裏腹にそのエネルギーが底をつきやすくなっているということだろうか。ならエネルギーを使わなくてもいいのにと僕は思うのだが、ひかりのこの性格から、そんなことは無理なんだろうなと感じた。

 「じゃあ、早速頂くね。いただきまーす」

 と、ひかりはそう言うと、ソフトクリームのカバーを外すと、ソフトクリームをペロペロと舐め始めた。

 「んまー(o´∀`o)って何故つばさは変な目で私を見るの?」

 「いや、ひかりのソフトクリームの食べ姿ってちょっと可愛いなっと思って」

 「きゃ、ちょ、何変なところ見てるのよ!さっさとつばさも食べれ!」

 「これ僕が買ってきたやつなんだけどなあ」

 と僕もソフトクリームに手を伸ばしカバーを開け、食す。

 ん?ひかりがこっちを見ている。しかも変な目で。ったく、人のこと言えるかっちゅの。

 「何故ひかりは変な目で僕を見るの?」

 「さっきさ、私の食べ姿可愛いとか言ったじゃん。けど、つばさも同じじゃねーか!」

 「っ!ちょ、何変なところ見てるのよ!言われた僕はすごく恥ずかしいわ!」

 「それは私の台詞よ!」

 お互い溜息を吐く。ソフトクリームの風味が舌辺りからふんわりと漂っている。

 「そういえばさ、学校って今どんな感じ?」

 「どんな感じ?普通な感じ」

 それ以上でもそれ以下でもない。強いていうなら、

 「あと僕が学級委員に成り上がったぐらいかな」

 すぐにでも成り下がりたいくらいに面倒な仕事しか来ないのだ。こう思うとひかりってやっぱすごいのかなって。

 「ありゃ、それはおつかれさん」

 それは貴女のせいですよ。思ったけれど言わなかった。

 「あと、部活が静かになった。言葉を替えれば元に戻った的な」

 「やっぱり賑わってる方がいいでしょう」

 「かもな」

 個人的には静かに賑わってる方が好きだ。五月蝿いとイライラするからね。けれど賑わった方の部活も新鮮で好きだと思う自分もいた。

 「あ、あとな。これはまだひかりが入院する前の話なんだけど、謎の声がたまに聞こえるんだよな」

 謎の声。女の子のような声。誰の声さえ解らないが、どこか聞いたことがある気がしなくもない声。それが未だ聞こえるときがある。そしてその声はきまって幼い声のようだった。

 「それって幽霊じゃないの。てか、そういうオチでしょ、大体」

 まあ、普通の人ならそう思うわな。まあ、幽霊を信じているか否かはここでは問わないようにしよう。

 「まあ、これに関しては本当に謎だから解らないんだけどね」

 それ以上でもそれ以下でもない。解らなければ動かないが勝ちだ。

 「じゃあ次は私の番ね」

 ソフトクリームを食べ終わったひかりがそう言った。僕は軽くうなずいた。


     *     *     *


 これは、私が入院した翌日の出来事である。曜日で言えば水曜日の出来事である。最初こそ体調が悪かったものの、容態はすぐに回復し、安静にするためになにもすることのないままベッドに横たわりながら、憂鬱なひとときを過ごしていた。むやみに部屋を出るわけにもいかず退屈していた。それが数時間続いた。

 そして、私は尿意を催した。個室の部屋を出て数十メートル先のトイレに行き、個室に入り、用を足そうとしていたときだった。

 「ごきげんよう、小山さん」

 という声が隣の個室から聞こえてきた。次に個室が閉まる音が聞こえた。若い少女の声だ。それに、何故か私の名前を知っている。

 「こ、こんにちわ」

 何でこの人私の名前を知っているのだろう、私は最初にそう思った。次に、この人は誰だろう、とも。

 友達だろうか、例えば川内つばめという同じ部活に所属している少女だろうか。いや、つばめとは声が異なっている。

 次に私の友人だろうか。しかし、友人はこんな声だっただろうか。

 「何で小山さんの名前を知っているんだろうって気持ちが伝わるなぁ。あと、早くトイレがしたい?」

 後半の冗談はさらりと流したが、前半が当たっていたため、目を大きく開いて驚愕した。同時にパンツも下げ便座に座る。

 「何でって、病室の前には名前が書いてあるよね?それを見たのさ。そして、君がトイレに行くところを尾行させてもらったということかな」

 「び、尾行ですか」

 一瞬ヤバイ人って思った。私の知らないストーカーだとしたらあまり関わらない方がよい以前に警察に通報するのが得策だろう。けれど、私はこの子が不審者とは思えない。

 「あ、あなたは誰ですか?」

 「それは、直接面と見たときに名乗るよ」

 なんじゃそれ。私の名前を知っておいて、それは名乗るべきではないだろうか。

 隣の部屋からトイレを流す音が聞こえる。しかし私の脳内は早くその人の顔を見てみたいという思いでいっぱいである。だからさっそく用を足し始めた。


 用を足し終え、個室を出、洗面台まで来ると後ろから声をかけられた。振り向いてみるとそこには栗毛色の少女が立っていた。ひかりより十センチくらい身長の低い少女の笑顔は私のように笑顔満点というわけではなく、とてもおしとやかな笑顔だった。

 「名乗り遅れてごめんなさい。私は厚狭澪(あさみお)って言います。で、貴女は確か」

 「小山ひかりです。小山駅の小山に平仮名でひかりです。よろしくお願いします」

 このとき、私は変に礼儀正しくなった。それ以前に厚狭澪という少女が先程とはうって変わり礼儀正しくなった。私以上に美しく、かわいい少女だ。

 「小山駅かぁ。その場合私は厚狭駅かな。山口県にあるんだよ。そして、小山駅は確か栃木県だったっけな。まあ、とにかく、こちらこそよろしくね」

 上品にそう言った彼女は、そのまま女子トイレをあとにした。ひかりもそれを追うように女子トイレをあとにする。

 「小山さんはさ、どうして入院してるの?」

 「ひかりでいいですよ。私は白血病を患っていまして」

 「白血病かぁ。あ、私は澪って呼んでね」

 「えっと、澪さんはどうしてここに居るんですか?」

 「澪でいいのに。多分私はひかりの後輩にあたると思うんだけど。まあ、いいや。私はね、癌なんだ」

 癌、よく耳にする病気なのだが、直接それを聞いて私は沈黙した。

 癌というのは二人に一人はなると言われる生活習慣病の一種である。身近だけれどもその病気はその人の身体を大きく蝕む。

 この少女は初期に癌が発見されたのだろうか、それとも進行はかなり進んでいるのだろうか。そこについては気になっても聞こうとは思わなかった。知るのが怖いのだ。

 「かなり進行してて、いろんなところに転移してるんだ。頑張って治療はしてるんだけど、半年くらい前に私、余命宣告もされててさ。時期的にはもういつ死んでもおかしくないんだってさ。けどさ、私は今ここの一般病棟に入院してるじゃん」

 少女は素直にそう言った。知るのが怖いのを知ってて言ったのだろうか。それとも話したかったのだろうか。

 この少女の身体は既に衰弱している、しかし笑顔は仄かに暖かかった。

 彼女の病室に着くと、彼女は入っていいよと促した。私は頷くと彼女のあとに病室に入った。

 「でさ、最近私はさ、少しずつ元気を取り戻しているんだ。あともうちょっとで治る気がしてさ。将来に希望を持ててる。余命宣告なんて知るかって感じでね」

 仄かな笑顔は無邪気に変わった。澪は希望に満ち溢れている。そして、彼女のポジティブシンキングは私のよりも大きく凌駕している。

 「でも、怖くはないんですか?」

 私はこの質問をつばさからされたことがある。私は怖いという思いもあったが、青春や将来、輝かしいモノを思い浮かべながらその質問を切り抜けた記憶がある。けれど、今の私はつばさそっくりだ。

 「勿論怖いよ。余命宣告されたときはほんとにマジ泣きした。けどさ、治りつつあるという希望があれば、人間前向きになれるんだよ」

 「っ!」

 「ひかりはさ、そんな気持ちのように見えたのだけど、違うかな」

 「違くはないし違うかもしれません。私はただ自分のしたいことをやってるだけです。今できることを。けど、澪さんは将来生きる確信を持っている。そこが私と澪さんの違いなんじゃないかって」

 「ま、そこはさ、人の考えによりけりだよね。けどさ、私はさ、そんなひかりの顔を見れてちょっとは嬉しいかな。ほら、少し笑ってる」

 気づけば私は微笑んでいたと言われた。初めて澪と会ったときの澪の顔のように明るい笑顔を。

 「じゃあ、またこの部屋に来なよ」

 「じゃあね、澪ちゃん。また来るね」

 「あは、じゃあね、ひかりちゃん」

 すると彼女はまた微笑んで見送った。その日私は生きる希望を少し持てたと思う。同じ境遇の少女がここまで頑張っていて、私はこのままひかりを費やしてたまるものか。

 早速、将来どのように過ごそうかと考えた。なるべく、ポジティブに。仄かな未来、部活の日々、いろんな私の夢を見た。私の好きが昨日以上に広がった。


 運命というのは残酷で卑劣なものなのだろう。

 次の日の早朝、私は一般病室に泣き声が響き渡ることによって起きた。どうも様子がおかしい。その様子を見ようと病室のドアを開けると声の方のするところまで近づいて様子をうかがった。中からは、

 「最善を尽くしましたが、このような結果になり私たち一同悔しいばかりです」

 の声と同時に女性の号泣が聞こえた。誰か亡くなったのだろうか。けれどそれよりも早くひかりの体は動き出していた。この病室は数時間前に実際に入った記憶があった。その記憶通りその部屋に入院していたのは厚狭澪だった。

 私は一気にスライドドアを開けると、彼女の方に駆け寄った。一見寝ているように見える。しかし、その眠りは一生覚めることのない眠りだった。

 「嘘つき。治るって言ったじゃん。私をおいて先にいかないでよ」

 すぐに私は病室から出る。いつしか、私の目からは涙が溢れだしていた。次第に嗚咽が止まらなくなり、自分の病室に入る頃には号泣し始めていた。

 涙が止まらない。けれど止めようともしない。

 私は昨日知り合った少女の死に、

 ひどくショックを受けていた。

 昨日知り合った少女に面識はない。ただあった、他となに変わらぬ病人だ。

 病院は病気を治す場でもある。けれど、治せない病気もないわけではない。

 寿命がなくなり、運命に従うのみ。それは日頃起きていて、私達は奇跡の狭間に生きている。それは当たり前なのである。だから死も身近なのである。

 けれど、昨日あった少女、厚狭澪は生きることに希望を持ち、私に笑顔の花をプレゼントしてくれた。

 たったそれだけのエピソードしか私は語れない。

 けれど、何故、澪は運命に逆らうことができなかったのだろうか。

 何故、運命は突然訪れたのだろうか。

 何故、希望は失われてしまったのだろうか。

 何故、

 「おっはよー、ひかりちゃん、って、ええー!泣いてる!?何があっt、いや、それは聞かないでおこう」

 いつの間にか担当の看護婦さんが部屋の中に入っていた。私は声を発せずに、けれど嗚咽は漏らしてしまう始末であった。

 看護婦さんは落ち着いた様子で私の方に歩み寄る。静かに私の前に近づいた。さっきの驚き顔は既に消えていた。

 「よしよーし。辛かったねぇ~。何があったのかは聞かない。けれど、後ろ向きな姿勢は似合ってないなぁ。前向きになろうぜとも言わないけれど」

 看護婦さんは頭を撫でた。そして、私の身体を包む。そして、また頭を撫で続けた。

 「辛いことがあったのでしょう。でもそれはどうにかなるものじゃない。変えられない過去に私達はどうすることもできないのだよ、ひかりくん」

 「……………」

 私の嗚咽は止まらない。

 「でも、未来は変えられるじゃん。辛いことで、貴女はどう乗り切る?」

 ああ、この看護婦さんは全てを見通している。何故私が泣いているのかさえ、全てを知り尽くしている気がした。

 だから私はこの看護婦さんの優しさに寄りかかった。誰にも見せなくない姿、そして私が避けている行為。けれどなにもかもぐちゃぐちゃだ。

 「でもそれを考えるよりも、今を受け入れるのが大切だと思う。だから辛いなら泣けばいいと思う。全てをぶちまけてもいいと思う。苦しいのを全て身体から抜け出せばいいと思う。それに、」

 そして、看護婦さんは私を抱いた。そこには暖かい何かがあった。そして、冷たい何かも。

 「ひかりちゃんの心のなかにちゃんと生きてるよ。澪ちゃんは」

 次の瞬間、私の苦しんでいた心は一気に弾けた。涙がどんどん流れて、泣き声が部屋中に響いた。それが、一日中続いた。

 泣き止んだ後、心のなかに声が一瞬だけ聞こえた。それは聞いたことのある微かな声だった。

 「笑…て、ひか…」

 そして私は心のなかでこう呟いた。

 「笑ってる、よ…」

 けれど私が笑うことはその後なかった。その言葉がその少女に届いたのかは分からないが届いてるといいな、そう思った。


     *     *     *


 「で、彼女はもうこの病院にはいない。仮に私の心の中にいてもね」

 「それは辛かったな。僕もさ似たような境遇にあったことがあるからさ」

 あったことは覚えている。ただ、それだけのことである。けれど思い出そうとすると闇雲に襲われて何も思い出せない。

 「でもさ、私はさ、澪ちゃんに会えて本当によかったと思うんだ。だって生きてた印、覚えてるもん」

 印、それがどれだけ大切なことか、一番僕がわかっていた。だからひかりの思いは澪の思いも混ざって僕に伝わった。

 「でもさ、」

 ひかりが珍しく声を落としながら言った。

 「私の将来ってどうなるのかな」

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