もう一人の兄弟
シトロン・シティは機能を停止しつつあった。
店舗のシャッターが自動で閉じる。
公共交通機関は停止した。
警察のホバークラフトが避難命令を放送しながら街中を飛び回っている。
市民たちは避難所へ急いだ。
その頭上を――
軍用機が轟音とともに駆け抜ける。
**ゴォォッ!**
キランはシトロン・アカデミーの入口からその光景を見ていた。
生徒たちが緊急輸送車両へ乗り込んでいる。
教師たちはその間を動き回り、名簿を確認しながら、それぞれ指定された車両へ誘導していた。
「ヴィエイラ!」
キランが辺りを見回す。
「ヴィエイラ!」
人混みの中から手が上がった。
「ここです!」
キランが彼女を見つける。
「輸送車に乗って!」
「今行ってます!」
「もう五分もそれ言ってるだろ!」
ヴィエイラが人混みの中へ消えていった。
キランはため息をつく。
「まったく、子供ってやつは」
マッハが隣に浮かぶ。
「最後のグループまで全員確認できました」
キランは少しだけ安堵した。
「よかった」
後ろからミカイラが近づいてくる。
「私のクラスも全員避難したわ」
キランが彼女を見る。
「大丈夫?」
「大丈夫」
遠くから爆発音が響いた。
**ドォン!**
ミカイラの身体が跳ねる。
そして――
「……だいたいは」
無理もない。
また一機、軍用機が頭上を飛んでいく。
今度は街の西側へ向かっていた。
ベゼルカーのいる方向へ。
キランはその姿が消えるまで見つめた。
ミカイラが気づく。
「行こうとしてるでしょ」
キランは答えなかった。
答える必要もなかった。
ミカイラがため息をつく。
「キラン」
「分かってる」
「本当に?」
彼女がキランの前へ回る。
「だって、あなたが『分かってる』って言う時って、大抵その後で結局やるもの」
マッハが目をそらした。
キランが彼を見る。
「君は僕の味方のはずだろ」
「私はこの件には関与しません」
「臆病者」
だが、ミカイラは笑わなかった。
キランの表情が柔らかくなる。
「あいつはレイモンドを狙ってる」
「だからこそ、あなたも行こうとしてるんでしょ」
「友達だから」
「分かってる」
ミカイラが彼の手を取った。
「でも、あなたが死んだらレイモンドを助けることもできない」
キランは彼女を見る。
正しい。
それは分かっていた。
残念ながら――
だからといって、決断が簡単になるわけではない。
「せめてレイモンドを見つけないと」
ミカイラは彼を見つめた。
そして――
手を握る力を強めた。
「帰ってきて」
キランが瞬きをする。
「本気よ」
ミカイラの声が静かになる。
「車椅子なんてどうでもいい」
「武器も」
「空を飛ぶことも」
「スーパーヒーローみたいなことも」
彼女はキランの目をまっすぐ見つめた。
「私が大切なのは、*あなた*だから」
キランは何と言えばいいのか分からなかった。
だから珍しく――
冗談を言わなかった。
「帰ってくる」
ミカイラが身をかがめる。
二人の額が触れた。
「絶対よ」
その時――
**ズガァァン!**
巨大な爆発が遠くの街並みを照らした。
二人ともそちらを見る。
ビルの間から黒煙が上がっている。
マッハのセンサーが起動した。
「西へ約六キロ地点で軍が交戦中です」
キランはミカイラを見る。
そして煙を見る。
ミカイラが手を離した。
「行って」
キランのスラスターが点火する。
マッハが隣へ移動する。
キランがためらったのは、ほんの一瞬。
そして――
**ゴォッ!**
空へ飛び出した。
西地区は戦場と化していた。
軍用車両が交差点を完全に封鎖している。
兵士たちは屋上へ展開。
ホバークラフトが上空を旋回していた。
その中心を――
ベゼルカーが歩いている。
**ズゥン。**
ミサイルが直撃した。
**ズガァァン!**
煙に包まれる。
だが――
**ズゥン。**
姿を現した。
二発目のミサイルが発射される。
ベゼルカーが動く。
回避した。
ミサイルは外れた。
兵士が目を見開く。
「避けた!?」
指揮官の顔から血の気が引く。
もはや、ただ武器に耐えているだけではない。
いつ攻撃が来るかまで学習していた。
「射撃パターンを変更!」
兵士たちが位置を変える。
ベゼルカーの頭部が動く。
解析。
予測。
戦車が発砲する。
**ドォン!**
ベゼルカーが身を低くする。
砲弾は背後で爆発した。
機械が突進する。
「下がれ!」
ベゼルカーが戦車へ激突した。
**ガァァン!**
車体が横転する。
兵士たちが散った。
「後退しろ!」
だが、ベゼルカーは彼らを無視した。
赤い目が街を走査する。
探している。
その時――
遠方に信号を検知した。
認識。
**標的を識別。**
頭部が向きを変える。
**レイモンド・ハリソン。**
ベゼルカーが進路を変えた。
指揮官が見つめる。
「離れていく……」
兵士が彼を見る。
「追撃しますか?」
指揮官は通りの向こうへ消えていく機械を見つめた。
本能は追えと言っている。
だが、横転した戦車を見る。
燃える車両。
負傷した兵士たち。
「いや」
通信機を掴む。
「追跡だけしろ」
少し間を置く。
「交戦するな」
レイモンドはビルの間を低空飛行していた。
エグゾスーツのナビゲーションシステムには、ベゼルカーの位置が表示されている。
近づいている。
頭の中の警告すべてが引き返せと言っていた。
逃げろ。
シトロン・シティを離れろ。
人気のない場所へベゼルカーを誘導しろ。
何でもいい。
もう一度、あいつと向き合うこと以外なら。
操縦装置の中で手が震えていた。
レイモンドはそれを見る。
「止まれ」
震えは止まらない。
拳を握る。
「止まれ!」
それでも震えている。
その時、リヴァースの声が聞こえた。
本当に聞こえたわけではない。
ただの記憶。
*全員を救うなんて無理なんだ。*
レイモンドが目を閉じる。
次にクラウド。
*最初の一杯はお前のおごりだ。*
ヘンドリックス。
*あれ、爆薬多すぎたな。*
レイモンドがかすかに笑う。
手の震えが止まった。
「ああ」
目を開ける。
「分かってる」
照準システムが点滅する。
**敵性対象接近。**
レイモンドが止まる。
無人となった交差点の上空に浮かんでいた。
車は乗り捨てられている。
窓には明かり一つない。
誰も残っていない。
レイモンドが望んだ通りだった。
降下する。
ブーツが道路へ着く。
その時――
**ズゥン。**
レイモンドが前を見る。
交差点の向こう側にベゼルカーが現れた。
十年間――
レイモンドはこの瞬間を夢に見てきた。
ある夢では、自分がベゼルカーを殺した。
ある夢では、ベゼルカーに殺された。
どちらかが起こる前に目覚めることもあった。
だが今は――
目覚めることはない。
ベゼルカーが近づく。
**ズゥン。**
レイモンドのヘルメットが収納される。
機械に自分の顔を見せたかった。
「俺を覚えてるか?」
ベゼルカーが止まる。
赤い目が焦点を合わせた。
「レイモンド・ハリソン」
レイモンドが唾を飲む。
「ああ」
ヘルメットが再び閉じる。
「俺だ」
ベゼルカーの武装が起動した。
レイモンドも武器を構える。
数秒間――
どちらも撃たなかった。
そしてレイモンドが呟く。
「これはクラウドの分だ」
キャノンがチャージされる。
「ヘンドリックスの分」
エネルギーがエグゾスーツを駆け巡る。
「そして、リヴァースの分だ」
ベゼルカーが咆哮する。
レイモンドも叫び返した。
「来い!」
同時に発砲する。
**ズガァァァァン!**
キランは空から爆発を見た。
「あれだ」
マッハが周囲をスキャンする。
「確認しました」
キランが加速する。
数秒後、戦場へ到着した。
レイモンドとベゼルカーが交差点を破壊しながら戦っている。
レイモンドが撃つ。
ベゼルカーが避ける。
ベゼルカーが腕を振る。
レイモンドが防ぐ。
**バキッ!**
エグゾスーツの装甲に亀裂が走った。
レイモンドが至近距離から発砲する。
**ドォン!**
ベゼルカーが後ろへよろめく。
レイモンドが突進。
拳を叩き込む。
一発。
二発。
三発。
「来い!」
四発目をベゼルカーが掴んだ。
レイモンドが固まる。
「……あ」
ベゼルカーが捻る。
**ギギギッ!**
エグゾスーツの腕が曲がる。
レイモンドが叫ぶ。
「ぐあっ!」
投げ飛ばされた。
**ドガァン!**
駐車されていた車両へ突っ込む。
キランの目が見開かれる。
「レイモンド!」
急降下する。
プラズマキャノンを展開。
マッハが即座に警告した。
「キラン、対象はすでに我々のプラズマ兵器へ適応しています」
「分かってる!」
それでも撃つ。
**バシュッ! バシュッ!**
ベゼルカーの頭部へ命中。
ほとんど効果はない。
だが――
機械が振り向いた。
キランが引きつった笑みを浮かべる。
「でも、うっとうしくはできる」
ベゼルカーが跳んだ。
「うわっ!」
キランが横へ飛ぶ。
ベゼルカーがすれ違う。
レイモンドが瓦礫から這い出した。
「何しに来た!?」
「君を助けに!」
「助けなんかいらねえ!」
ベゼルカーがレイモンドの背後へ着地した。
キランが指さす。
「本当に!?」
レイモンドが振り返る。
「スナット!」
**ドガッ!**
また殴られた。
キランが顔をしかめる。
「うん」
マッハを見る。
「絶対、助けが必要だ」
キランが上から攻撃する。
レイモンドは下から。
だが、意味はなかった。
ベゼルカーはもう二人を知っている。
キランが加速する。
ベゼルカーは進行方向を予測した。
掴まれる。
「うわっ!」
キランの車椅子が一瞬で停止した。
ベゼルカーがキランをレイモンドへ向かって振り回す。
レイモンドの目が見開かれる。
「キラン!」
**ドガァン!**
二人が激突した。
そのまま道路を転がっていく。
マッハが追いかける。
キランが呻いた。
「今の……」
咳き込む。
「……最悪だった」
レイモンドが身体を起こす。
「俺の十年間へようこそ」
ベゼルカーが迫る。
キランがレイモンドを見る。
「弱点は?」
「ない」
「何かないの?」
「ない」
「本当に?」
レイモンドは機械を睨む。
「言っただろ!」
苛立ちが爆発する。
「あいつは何にでも適応する!」
キランが撃つ。
ベゼルカーが防ぐ。
レイモンドが攻撃。
ベゼルカーが反撃する。
キランが背後へ回る。
到着する前に振り向かれた。
**ドガッ!**
キランが吹き飛ぶ。
シールドがちらつく。
マッハの表情がますます険しくなった。
「この戦闘を無期限に継続することは不可能です」
キランにも分かっている。
戦えば戦うほど――
ベゼルカーは学習する。
レイモンドがまた一斉射撃を浴びせる。
ベゼルカーはその中を進んできた。
キランが見つめる。
何か覚えがある。
*俺たちの攻撃パターンを覚えてる。*
バランでレイモンドが言っていた。
そして今朝の授業を思い出す。
ヴィエイラの質問。
*敵が何をするか全部分かってたら、自動的に勝ちってことじゃないんですか?*
違う。
敵もこちらを知っているかもしれないからだ。
キランの目が細くなる。
ベゼルカーは心を読んでいるわけではない。
パターンを解析している。
予測。
学習。
突然、キランが笑った。
レイモンドが気づく。
「何だ?」
「考えがある」
レイモンドが見つめる。
「逃げる作戦か?」
「違う」
「じゃあ嫌だ」
キランがマッハを見る。
「今朝の授業、覚えてる?」
マッハは即座に理解した。
「孫子兵法」
レイモンドが二人を交互に見る。
「こんな時に古い本が何の役に立つんだよ!?」
キランはベゼルカーを見る。
「全部だよ」
ベゼルカーが突進する。
キランがスラスターを噴射した。
だが、逃げるのではなく――
真正面から向かっていく。
レイモンドの目が見開かれる。
「キラン!」
ベゼルカーが攻撃態勢へ入る。
キランが突然停止した。
ベゼルカーは解析結果から予測した場所へ拳を振るう。
そこには何もない。
キランが拳の下へ沈む。
目を見開いた。
成功した。
「マッハ!」
「確認しました」
ベゼルカーが振り向く。
キランが左へ動く。
直後に右へ。
機械がためらう。
ほんのわずか。
だが、確かにためらった。
レイモンドも見た。
「何した?」
キランが笑う。
「意味不明な動きをした」
レイモンドが見つめる。
「お前、天性の才能あるな」
「ありがとう」
「褒めてねえ」
ベゼルカーが咆哮する。
キランが後退した。
「いつもの戦い方をするな」
レイモンドが眉をひそめる。
「何?」
「あいつは君を学習した」
キランがベゼルカーを指す。
「だから、君じゃなくなれ」
レイモンドは彼を見つめた。
「それ、今までお前が言った中で一番馬鹿で頭いいぞ」
「とにかく信じて!」
ベゼルカーが攻撃する。
レイモンドは反射的に右腕を上げた。
だが、途中で止める。
ベゼルカーは予測した攻撃へのカウンター動作へ入った。
レイモンドは左で殴る。
**ドガッ!**
ベゼルカーがよろめいた。
レイモンドの目が見開かれる。
キランが笑う。
「ほらね?」
レイモンドも笑った。
「……なるほど」
首を鳴らす。
「面白くなってきた」
二人は予測不能になった。
レイモンドは軍隊式の戦闘パターンを捨てた。
キランはマッハ速度のパターンに頼るのをやめる。
奇妙な角度から攻撃する。
動きの途中で突然止まる。
壁を撃つ。
地面を撃つ。
ベゼルカーの周囲にある物を撃つ。
明らかな標的以外なら何でも。
ベゼルカーは適応する――
だが、二人はまた変える。
そしてまた。
また。
初めて――
機械の処理が追いつかなくなった。
レイモンドが街灯を撃つ。
**バシュッ!**
街灯が倒れる。
ベゼルカーは必要もないのに回避した。
キランが背後へ撃つ。
ベゼルカーが爆発へ振り向く。
反対側からレイモンドが殴る。
**バキッ!**
「ハッ!」
キランが笑う。
「効いてる!」
マッハのセンサーがベゼルカーを解析する。
「対象の予測システムに大規模な処理過負荷が発生しています」
レイモンドがキランを見る。
「英語で言え!」
「めちゃくちゃ混乱してる!」
「それなら分かる!」
ベゼルカーが咆哮する。
動きがさらに攻撃的になった。
精度が落ちている。
キランは気づいた。
「怒ってる」
レイモンドが眉をひそめる。
「何?」
「怒り始めてる」
ベゼルカーが無謀に突進してくる。
キランの目が見開かれる。
また一つ、授業を思い出した。
*相手を怒らせるものを知れ。*
*相手を予測できるようになれば……*
*戦いそのものを支配できる。*
キランが笑う。
「レイモンド」
「今度は何だ?」
「あいつを怒らせる」
レイモンドが見つめる。
「あいつは俺の親友を三人殺した」
キャノンを構える。
「それなら得意だ」
ベゼルカーが再び突進する。
レイモンドが後方へ飛ぶ。
「来い、このデカすぎる鉄クズ野郎!」
ベゼルカーが咆哮した。
レイモンドが笑う。
「おお、そうだ」
キランを見る。
「怒ってるぞ」
キランの照準システムが周囲の地区をマッピングする。
建物。
道路。
建設現場。
放棄された高架交通路。
その時――
何かが目に入った。
建設途中の高層ビル。
巨大な構造支柱。
大型建設機械。
キランの目が細くなる。
「マッハ」
「確認しています」
レイモンドが二人を見る。
「何だ?」
キランが建設現場を指す。
「力じゃベゼルカーには勝てない」
「そんなの分かってる」
「だから……」
キランが笑う。
「……力で勝とうとしなきゃいい」
建設現場へ向かって加速する。
「ついてきて!」
レイモンドには、まだ意味が分からなかった。
だが――
バラン以来初めて――
ベゼルカーにも本当に負ける可能性があると思えた。
だから、キランを追った。
背後でベゼルカーが咆哮する。
そして追いかけてきた。
キランの狙い通りに。




