戦争の亡霊
「すべての戦争は、欺瞞に基づいている」
キランは一度言葉を止めた。
教室を見渡す。
何もない。
手を挙げる者はいない。
質問もない。
知的好奇心のかけらすら見えない。
ほとんどの生徒が、十五分前には精神だけ教室から退出してしまったような虚ろな顔で彼を見ていた。
一人は机に頭を乗せている。
別の一人は窓の外を眺めていた。
ヴィエイラに至っては、机の下でスマホを見ている。
キランの顔から一メートルも離れていない場所で光る長方形を持っている人間とは思えないほど、隠す気がなかった。
キランはため息をついた。
「孫子」
まだ反応なし。
背後に表示された文字を示す。
**孫子兵法**
「史上最も影響力のある兵法書の一つだ」
キランは教室の前を車椅子で移動する。
「で、誰かが聞く前に言っておくけど――」
一人の生徒が、ゆっくりと挙げかけていた手を下げ始めた。
「人の殴り方を教える本じゃないからな」
生徒は完全に手を下ろした。
キランは彼を見つめた。
「……マジで?」
クラスに笑いが起きる。
少なくとも、これで目は覚めたらしい。
キランが笑う。
「まあ、よしとしよう」
マッハは教師用デスクの近くに浮かびながら、静かに授業を見守っていた。
キランはディスプレイへ向き直る。
「じゃあ、孫子が実際に言ってるのは何だ?」
引用文を強調表示する。
「敵より強ければいいって話じゃない」
少しだけ、生徒たちの注意が戻った。
「一番大きな軍隊を持ってるから勝つとは限らない」
教室を見渡す。
「一番強力な武器」
少し間を置く。
「あるいは、一番大きな火力」
キランの表情が思慮深くなる。
「時には、相手に自分があることをしていると思わせて……」
片手を一方向へ動かす。
「……実際にはまったく別のことをするのが、一番賢いやり方だったりする」
ヴィエイラがようやくスマホから顔を上げた。
「つまり……」
キランは待つ。
「……嘘をつく?」
何人かの生徒が笑った。
キランは彼女を指さす。
「ものすごく単純化した解釈だ」
ヴィエイラが笑う。
「でも厳密には……」
キランはため息をついた。
「……そう」
さらに笑いが起きた。
キランはディスプレイへ戻る。
「もう一つ重要なのが、敵を知ることだ」
スライドを切り替える。
二つ目の引用が表示された。
キランは続ける。
「相手がどう考えるか――」
こめかみを軽く叩く。
「――どう反応するか……」
もう一度叩く。
「……何に腹を立てるか……」
ある生徒を見る。
その生徒は即座に鉛筆をカチカチ鳴らすのをやめた。
「……それが分かれば、相手が次に何をするか予測できる」
キランが微笑む。
「そして相手の行動を予測できるようになれば……」
クラスへ向き直る。
「……戦いをコントロールできる」
ベルが鳴った。
**キーンコーン!**
生徒たち全員が突然生き返った。
本が閉じられる。
バッグのファスナーが閉まる。
椅子が床を擦る。
キランは呆然と見た。
「……すごいな」
生徒たちが出口へ殺到する。
「お前らを興奮させる方法が*それ*だって分かってよかったよ」
ヴィエイラが彼の横を通る。
「また月曜日、キリアン先生」
「ちゃんと読んでこいよ!」
「はーい!」
キランは目を細めた。
「ページすら聞いてないだろ!」
ヴィエイラはもういなかった。
キランはため息をつく。
「絶対読まないな」
マッハが近づく。
「ほぼ間違いなく」
「前向きな意見をありがとう」
やがて――
教室は空になった。
キランはディスプレイを終了させ始める。
マッハが彼を見る。
「今日の授業は、特に楽しそうでしたね」
「『孫子兵法』は好きなんだ」
キランが笑う。
「意外と役に立つ」
「授業にですか?」
「人生に」
マッハが興味深そうな顔をする。
キランは肩をすくめた。
「問題ってのは、いつも力任せに殴れば解決するわけじゃない」
一拍。
「たまには頭を使わないとな」
マッハがじっと見つめた。
キランが眉をひそめる。
「何?」
「あなたの口からその言葉を聞くとは思わなかっただけです」
キランは口を開けた。
「よし」
ドアを指さす。
「帰るぞ」
マッハが笑った。
廊下は生徒たちで混雑していた。
キランはその中を進む。
マッハが後を追う。
すべてはいつも通りだった。
その時までは――
キランはレイモンドを見つけた。
学校の入口近くに立っている。
待っていた。
それ自体は珍しくない。
レイモンドが迎えに来ることはよくある。
だが、珍しかったのは――
レイモンド自身だった。
笑顔がない。
冗談もない。
キランが遅かったと文句を言うこともない。
ただそこに立っている。
何もない場所を見つめながら。
キランは速度を落とした。
「よう」
レイモンドが彼を見る。
「よう」
キランは待った。
それだけ。
「……大丈夫?」
「ああ」
レイモンドはすぐに歩き始めた。
キランが後を追う。
マッハは二人を交互に見た。
キランもそれに気づいた。
だが何も言わなかった。
そのまま外へ出た。
帰りの車内は静かだった。
静かすぎる。
窓の外をシトロン・シティが流れていく。
キランはレイモンドを見る。
レイモンドは前だけを見ていた。
普段なら、もう何か言っているはずだ。
渋滞に文句を言う。
キランの授業をからかう。
学校で何があったか聞く。
何でもいい。
だが――
沈黙。
ついにキランが口を開いた。
「それで……」
レイモンドは反応しない。
キランは少し待つ。
「今日はどうだった?」
「普通」
キランが眉を上げる。
「ずいぶん詳しい説明だな」
レイモンドは反応しなかった。
キランはマッハを見る。
マッハは小さく肩をすくめた。
何かがおかしい。
キランには分かった。
レイモンドとは、それが分かるくらい長い付き合いだ。
同時に――
無理に聞き出そうとしても何の意味もないことが分かるくらいにも、長い付き合いだった。
だから――
キランは放っておいた。
今は。
その日の夜――
キランは自宅にいた。
レイモンドが身体の位置を調整している。
「もうちょっと左」
レイモンドが身体を動かす。
「そこ」
「これでいいか?」
「うん」
レイモンドが一歩下がる。
キランは彼を見ていた。
レイモンドはキランの機器を整理し始める。
まだ静かだ。
キランはもう耐えられなかった。
「レイモンド」
「ん?」
「今日ずっと変だぞ」
レイモンドは作業を続ける。
「大丈夫だ」
「またそれ」
レイモンドが彼を見る。
「何が?」
「『大丈夫だ』」
キランが真似する。
「それしか言ってない」
レイモンドは再び機器へ向き直った。
「大丈夫だからだ」
キランは見つめる。
「分かったよ」
信じてはいなかった。
まったく。
だが、レイモンドに話す気がないことも明らかだった。
キランは無理に聞かないことにした。
「そういうことにしとく」
レイモンドが彼を見る。
そして視線を逸らした。
キランは、その表情に何かを感じた。
怒りではない。
苛立ちでもない。
別の何か。
もっと重いもの。
だがキランが尋ねるより先に――
レイモンドの端末が振動した。
**ブルルッ!**
レイモンドが固まる。
下を見る。
キランは彼が端末を取り出すのを見ていた。
レイモンドがメッセージを読む。
その表情が完全に変わった。
肩に力が入る。
キランはすぐに気づいた。
「何かあった?」
レイモンドは画面を閉じた。
「ああ」
まただ。
キランは彼を見る。
レイモンドは端末をポケットへ入れた。
「出ないと」
「どこへ?」
レイモンドは荷物を手に取る。
「ちょっと用事だ」
キランが眉をひそめる。
「レイモンド――」
「また明日な」
そしてキランがもう一言発するより先に――
レイモンドは出ていった。
ドアが閉じる。
キランはその方向を見つめた。
マッハが隣へ現れる。
数秒が過ぎた。
そしてキランが口を開いた。
「よし」
マッハが彼を見る。
「絶対、大丈夫じゃないな」
翌日の午後――
キランはシトロン・アカデミーからそれほど離れていない小さなカフェで、ミカイラと会っていた。
コラージュよりは遥かに安全そうな場所だ。
少なくとも――
キランはそう願った。
彼は疑うように周囲を見回した。
ミカイラが気づく。
「どうしたの?」
「何でもない」
キランはまだ店内を確認している。
「武装ギャングはいないな」
ミカイラが笑う。
「あと五分待ってみたら?」
キランも笑った。
「冗談でもやめてくれ」
ミカイラは飲み物を一口飲んだ。
キランは肩の力を抜く。
しばらくの間、二人は学校の話をした。
生徒。
課題。
これからの予定。
普通の話。
以前よりも、キランがありがたいと思うようになったもの。
やがて――
ミカイラは、彼の意識がどこかへ行っていることに気づいた。
「はい」
飲み物を置く。
「何かあった?」
キランは瞬きをした。
「え?」
「ここ五分くらい、心ここにあらずだったよ」
キランはため息をつく。
「レイモンド」
ミカイラは続きを待った。
「最近、様子がおかしいんだ」
「どんなふうに?」
「静か」
ミカイラが眉を上げた。
キランが頷く。
「分かる」
「そんなに?」
「かなり」
キランは背もたれへ身体を預けた。
「昨日、何かメッセージを受け取ったと思ったら、ほとんど逃げるみたいに俺の部屋から出ていった」
「聞いてみた?」
「ああ」
「それで?」
キランは声を低くした。
「『大丈夫だ』」
ミカイラが笑う。
キランが眉をひそめる。
「何?」
「何でもない」
頬杖をつく。
「彼のこと、大切なんだね」
「もちろん」
キランは考える必要すらなかった。
「レイモンドとは何年も一緒だから」
表情が柔らかくなる。
「家族みたいなもんだ」
ミカイラが頷いた。
「じゃあ、ちゃんと話してみたら?」
「話したよ」
「違う」
彼女は首を振った。
「大丈夫かって聞いただけでしょ」
キランは見つめた。
「それも会話だろ」
「そうでもないよ」
ミカイラは身を乗り出した。
「誰かが何かを話したくない時に『大丈夫?』って聞くのは、一番簡単な逃げ道を用意してあげてるようなものだから」
キランには、彼女の言いたいことがすぐに分かった。
*大丈夫だ。*
ミカイラは続ける。
「何が本当に気になってるのか聞いてみて」
キランは考えた。
「それでも話したくないって言われたら?」
「無理に聞き出さなければいい」
肩をすくめる。
「でも、話したくなった時にはあなたがいるって分かるでしょ」
キランが微笑む。
「こういうの得意だな」
「教師だから」
「俺も教師だけど」
「そうだね」
キランは彼女を見つめた。
ミカイラは無邪気に微笑む。
「今の、悪口?」
「まさか」
キランが笑った。
その夜――
レイモンドがキランのアパートへやって来た。
何事もなかったように振る舞っている。
そのせいで、逆に何かあったことがさらに分かりやすかった。
キランはレイモンドが介助を終えるまで待った。
そして――
「昨日、誰から連絡が来た?」
レイモンドが止まった。
そこだ。
初めて――
キランは正しい質問をした。
レイモンドがゆっくり振り返る。
「何?」
「メッセージだよ」
キランは落ち着いた声を保った。
「届いた直後、急に帰らなきゃならなくなっただろ」
レイモンドは視線を逸らした。
「何でもない」
「レイモンド」
沈黙。
キランは続ける。
「無理に話せとは言わない」
レイモンドの顎に力が入った。
「でも、お前は俺の友達だ」
キランは少し間を置く。
「ほとんど兄弟みたいなもんだ」
レイモンドが彼を見る。
「それに、何があったとしても……」
キランの表情が柔らかくなる。
「……一人で抱える必要はない」
部屋が静まり返った。
マッハは少し離れた場所にいた。
レイモンドは床を見つめる。
長い間――
何も言わなかった。
そして――
「ハイタワー将軍」
キランが眉をひそめる。
「誰?」
レイモンドがため息をつく。
「ベンジャミン・ハイタワー将軍」
その声には、温かみが一切なかった。
「俺の元上官だ」
キランの表情が変わる。
レイモンドが軍にいた頃の。
「なんでその人がお前に連絡を?」
「クリーガー軍事基地へ来いって」
キランはその名前を覚えていた。
シトロン・シティ郊外にある、厳重に警備された軍事施設。
「いつ?」
「明日」
キランは彼を見る。
「何のために?」
レイモンドは首を振る。
「教えてくれなかった」
それがキランには引っかかった。
そしてレイモンドの表情を見る限り――
彼にとっては、それ以上に気になることらしい。
「ただ、バランに関係するものだって言ってた」
その名前を口にした瞬間、レイモンドの声が変わった。
バラン。
キランも、その話の断片なら以前に聞いたことがあった。
戦争。
レイモンドの軍務。
だがレイモンドは、詳しいことをほとんど話さなかった。
キランもずっと、それを尊重してきた。
だが今――
初めて――
キランは思った。
レイモンドは、あの場所にいったい何を置いてきたのだろう。
キランは慎重に尋ねた。
「俺も行こうか?」
レイモンドが即座に彼を見る。
「いや」
キランは待った。
レイモンドがため息をつく。
そして――
「……ああ」
キランはわずかに笑った。
「分かった」
レイモンドは首を振る。
「ハイタワーが何を企んでるのか分からない」
「なら、一緒に確かめよう」
マッハが前へ出る。
「その通りです」
レイモンドが彼を見る。
マッハは微笑んだ。
「まさか、一人で行かせてもらえると思っていたのですか?」
二日ぶりに――
レイモンドが少しだけ笑いそうになった。
ほんの少しだけ。
翌朝――
クリーガー軍事基地が地平線に姿を現した。
巨大な壁。
監視塔。
航空機。
装甲車両。
そして、至るところに兵士たち。
キランは輸送車の窓から外を見た。
「ずいぶん親しみやすそうな場所だな」
レイモンドは笑わなかった。
それだけで、彼が今どんな気分なのかキランには十分伝わった。
いくつものセキュリティチェックを通過する。
武器スキャナーが三人を調べる。
識別システムが顔を解析する。
マッハに至っては三回も検査された。
回数を重ねるごとに、明らかに機嫌が悪くなっていった。
ようやく――
中央施設へ入った。
一人の男が待っていた。
年配。
広い肩。
軍人らしく正確に整えられた白髪。
一分の隙もない軍服。
ベンジャミン・ハイタワー将軍。
最初にレイモンドが降りる。
ハイタワーは彼を上から下まで見る。
「ハリソン」
レイモンドの表情が険しくなる。
「将軍」
敬礼はしなかった。
キランは気づいた。
ハイタワーも。
将軍の視線がキランへ移る。
次にマッハ。
「私が呼んだのは君だ」
レイモンドは瞬きもしなかった。
「こいつらは俺と一緒です」
ハイタワーの表情を見る限り、その答えは気に入らなかったようだ。
だが彼は振り返った。
「ついて来い」
三人は施設へ入った。
キランはレイモンドの隣を進む。
小声で――
「感じのいい人だな」
レイモンドは前を見たまま。
「お前は何も分かってない」
地下深くへ進んでいく。
研究室。
セキュリティドア。
武装した兵士。
そしてついに――
観察室へ辿り着いた。
巨大な強化ガラスの向こうに、下の部屋が見える。
キランは止まった。
何かがいる。
巨大な何か。
最初は――
よく見えなかった。
下の部屋は暗い。
その時、ハイタワーが照明をつけた。
**カチッ。**
キランの目が見開かれる。
マッハのセンサーが焦点を合わせる。
そしてレイモンドは――
息をすることすら忘れた。
巨大な人影が、拘束された状態で部屋の中に立っていた。
筋肉質。
装甲に覆われている。
人間ではない。
まるで一人の兵士を分解し、兵器として作り直したかのような身体。
両腕には金属製の拘束具。
頭は前へ垂れている。
キランは見つめた。
「……何だ、あれ?」
ハイタワーが三人の隣へ立つ。
「KB-735K35」
キランが彼を見る。
ハイタワーは続けた。
「史上最も高度な自律型戦闘ユニットの一つだ」
マッハがその巨体を解析する。
「アンドロイドですか?」
「それ以上だ」
ハイタワーの声には、不気味なほどの誇りが込められていた。
「自己進化型戦場兵器だ」
キランが眉をひそめる。
「自己進化?」
「学習する」
ハイタワーはガラス越しにそれを見る。
「あらゆる攻撃を」
「あらゆる戦術を」
「あらゆる敵を」
一拍。
「そして適応する」
キランの不安が増していく。
「名前は?」
ハイタワーが答えた。
「ベゼルカー」
キランはレイモンドを見る。
そして、その瞬間――
他に聞きたかったことをすべて忘れた。
レイモンドの顔から血の気が引いていた。
両手が震えている。
視線は下にいる機械へ釘付けになっていた。
好奇心ではない。
驚きでもない。
恐怖。
純粋な恐怖。
キランは、レイモンドが何かをそんな目で見る姿を一度も見たことがなかった。
「レイモンド?」
返事はない。
下の部屋では――
ベゼルカーがゆっくりと頭を上げた。
両目が光る。
赤。
機械は強化ガラス越しに見上げた。
キランを通り越し。
マッハを通り越し。
ハイタワーを通り越し。
まっすぐレイモンドを見た。
胸の奥から、機械的な唸り声




