最初の試練
翌朝、キランはほとんど眠れなかった。
別に、楽しみだったからじゃない。
絶対に違う。
……いや。
ほんの少しだけ、そうだったかもしれない。
「時計見るの、これで七回目だぞ」
キランはレイモンドをちらりと見た。
「見てない」
「十秒前に見ただろ」
「ちゃんと動いてるか確認しただけだ」
レイモンドは笑った。
「はいはい」
ホバーバンは、シトロン・シティの工業地区を滑るように進んでいく。
キランはアームレストを指で何度も叩いていた。
今日だ。
今日、ついに完成したアップグレードを見ることができる。
今日、正式に訓練が始まる。
今日――
ただの教師ではない何かになるための、本当の第一歩を踏み出す。
そう考えただけで、期待と緊張が腹の奥で入り混じった。
やがて、前方にギアの工房が見えてきた。
巨大な建物は、昨日とまったく同じくらい怪しかった。
もちろん、楽しみだから急いで来たわけではない。
絶対に。
屋根の一部は、板金と根拠のない自信だけで修理されたように見える。
別の場所からは煙が上がっていた。
キランは何も聞かないことにした。
巨大なガレージドアが開く。
中では、ギアが待っていた。
そして、その隣には――
マッハ。
キランは止まった。
その機体は――
信じられないほどカッコよかった。
紫色の装甲が、工房の照明を反射して輝いている。
滑らかな強化装甲がフレーム全体を覆っていた。
後部には、新型スラスター。
装甲の下では、淡い青色のエネルギーラインが静かに光っている。
武器収納部は、ほとんど完全に外から見えない。
以前より速そうだった。
以前より強そうだった。
以前より遥かにパワフルだった。
それなのに――
どこからどう見ても、
やっぱりマッハだった。
マッハのアイコンが現れる。
『おはようございます、キラン』
キランは笑った。
「すごいな。めちゃくちゃカッコいい」
『ありがとうございます』
マッハは少し間を置いた。
『あなたも、美的観点から見て許容可能な外見です』
ギアが吹き出した。
「それ、絶対練習しただろ」
『していません』
「絶対した」
マッハのアイコンが即座に消えた。
それが何よりの証拠だった。
キランは笑顔を抑えられなかった。
アップグレードによって、マッハはとてつもない機体へと生まれ変わった。
そして初めて――
あの夢が、本当に実現できるかもしれないと思えた。
◇ ◇ ◇
「よし」
ギアが作業台の向こうへ消えた。
戻ってきた時には、片腕の下に何か折り畳まれたものを抱えていた。
キランは即座に身を乗り出す。
「何だ、それ?」
「サプライズ」
ギアがそれを広げた。
紫。
黒。
銀。
キランの目が大きくなる。
スーツだった。
本物のスーツ。
学校で着る服でもない。
普段着でもない。
正真正銘――
ヒーロースーツ。
キランは慎重にスーツを受け取った。
素材は軽い。
柔軟性もある。
それでいて頑丈だった。
肩と胸には、防護用の装甲が組み込まれている。
デザインはマッハと完璧に統一されていた。
袖には紫色のライン。
胸元には、マッハのインターフェースに表示されているものと同じエンブレムが刻まれている。
「……これ、俺の?」
ギアが頷いた。
「専用設計」
キランはスーツを見つめた。
心のどこかでは、誰かが「冗談だ」と言い出すような気がしていた。
だが――
誰も言わなかった。
生まれて初めて。
キランは、自分がヒーローになるために作られたものを手にしていた。
◇ ◇ ◇
数分後。
キランが更衣室から出てきた。
スーツは完璧にフィットしていた。
もしかすると――
少し完璧すぎるくらいに。
キランは自分の身体を見る。
顔を上げる。
そしてもう一度、自分を見る。
「……俺、すごくダサくない?」
「めちゃくちゃカッコいいぞ」
「いや、絶対ダサい」
「その二つは両立する」
キランはギアを指差した。
「お前、全然フォローになってないからな」
レイモンドがキランの周囲を一周した。
そして二周目。
「ほう」
「何?」
「意外と似合ってるな」
キランは瞬きをした。
「本当に?」
「いや」
工房中に笑い声が響いた。
キランはうめいた。
「お前ら全員最低だ」
◇ ◇ ◇
するとギアが、さらにもう一つ何かを取り出した。
ヘルメット。
キランは、それまでのことを全部忘れた。
流線型で、空気抵抗を抑えたデザイン。
正面は反射式のバイザーで覆われている。
スーツともマッハとも、完璧にデザインが統一されていた。
キランは慎重に受け取った。
「これは最高だな」
「必要になるからね」
「なんで?」
ギアが笑った。
あの笑顔。
大抵、危険なことが待っている時の笑顔だった。
「Gフォース」
キランは固まった。
「……何?」
◇ ◇ ◇
数分後、レイモンドがキランの頭へヘルメットを慎重に装着した。
その瞬間、バイザーが起動する。
大量の情報が視界へ流れ込んできた。
高度。
速度。
ナビゲーション。
機体診断。
照準システム。
キランは口を開けたまま固まった。
「お……」
「おお……」
すべてが違って見えた。
工房そのものが生きているようだった。
機械を見るだけで、通常では見えない情報が表示される。
装置の名称が自動的に浮かび上がる。
近くにある機器の上には、診断データが表示された。
バイザーの中に、マッハが現れる。
『私が見えますか?』
「ああ」
『良好です』
「これ、すごいな……」
ギアは腕を組んだ。
「飛ぶまで待ってな」
キランは動きを止めた。
「……飛ぶ?」
「ああ」
ギアは工房の奥を指差した。
「その話なんだけど」
◇ ◇ ◇
巨大な格納庫の扉が開いた。
キランは外へ進む。
そして――
止まった。
目の前には、見渡す限り巨大な訓練場が広がっていた。
発進用プラットフォーム。
飛行レーン。
試験エリア。
障害物コース。
そして空中には――
何百もの光るリング。
キランは呆然と見つめた。
「……何だよ、あれ」
ギアは誇らしげに笑った。
「最初のレッスン」
リングは、空中に複雑なコースを作っていた。
地面すれすれに浮いているもの。
数百フィート上空に浮かんでいるもの。
コースは訓練場全体を縦横無尽に蛇行している。
キランは唾を飲み込んだ。
「制限時間は?」
ギアがタブレットを見る。
「一分」
沈黙。
キランが瞬きをした。
マッハも瞬きをした。
二人はゆっくりとギアを見る。
「……一分?」
「そう」
キランは果てしなく続く障害物コースを指差した。
「これ全部を?」
「そう」
マッハのアイコンが現れる。
『懸念があります』
「奇遇だな。俺もだ」
ギアはただ笑った。
「まあ、頑張って」
キランはもう一度リングを見る。
そして空を見る。
最後に、マッハを見る。
身体の下で、機体が静かに唸っていた。
その時、キランは初めて重要なことに気づいた。
アップグレードは完成した。
スーツも完成した。
装備も完成した。
そして今――
一番難しい部分が始まる。
実際に、それらを使いこなすこと。
目の前に広がる巨大なコースを見る限り――
かなり痛い目を見ることになりそうだった。




