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25番街のドラゴン

シトロン・シティは、いつも通りの一日を迎えていた。

もっとも、シトロン・シティでそんなことを口にするのは、いつだって危険なのだが。

東25番街は、そびえ立つビルの間を行き交う歩行者でいっぱいだった。頭上ではホバークラフトが目に見えない交通レーンに沿って飛び交い、高層ビルの側面では広告が次々と明滅している。

何も爆発していない。

誰も悲鳴を上げていない。

超能力を持った犯罪者が何かを襲っているわけでもない。

ほとんど平和だった。

一台のホバークラフトの中では、男がのんびりと朝のコーヒーをすすっていた。

その表情から察するに、今日は人生で最も退屈な一日になりそうだった。

その時――

巨大な影が彼の上を通り過ぎた。

男はコーヒーを飲む手を止めた。

目がゆっくりと見開かれる。

口の中にはまだコーヒーが入ったまま、頬が膨らんでいた。

「……!?」

外では――

ホバークラフトが突然、進路を変えた。

**シュウウッ!**

ドライバーたちが急旋回する。

車両が四方八方へ散っていった。

地上でも、歩行者たちが足を止める。

一人。

また一人と――

空を見上げた。

巨大な影が道路を覆いながら通り過ぎる。

そして、さらに奇妙なものが聞こえてきた。

音楽。

音符そのものが空気の中を漂っているかのようだった。

**バサッ! バサッ!**

一人の女性が空を見上げた。

顔から血の気が引く。

「嘘でしょ……」

隣にいた男がバッグを落とした。

そして――

**グルルルルルルルッ!!!**

咆哮が通りを震わせた。

人々が悲鳴を上げる。

ホバークラフトが逃げていく。

そして高層ビルの間を飛んでいたのは――

ドラゴンだった。

ただのドラゴンではない。

金属装甲に覆われ、発光する回路とサイバネティック部品を全身に備えた、巨大な機械の怪物。

翼が空いっぱいに広がる。

両目が燃えるように輝いている。

そしてなぜか、その怪物が飛ぶところには常に音楽がついて回っていた。

サイバー・ドラゴンが大きく口を開いた。

炎が噴き出す。

**ゴオオオオオッ!**

「逃げろ!」

人々が散り散りになる。

いつも通りの一日は、正式に終了した。

一方――

シトロン国立公園は、まるで別世界だった。

静か。

穏やか。

周囲の街で起きている騒ぎから、ほとんど完全に切り離されている。

赤いバラの列へ、水滴が優しく降り注ぐ。

ミカイラがじょうろを動かしながら水をやっていた。

「来てくれて本当に嬉しい」

隣にいるキランが微笑む。

「来ないわけないだろ」

マッハは近くに浮かんでいた。

ミカイラは人影のほとんどない公園を見渡す。

「最近、公園に来たがる人ってあんまりいないのよね」

キランも周囲を見る。

「気づかなかったな」

「まあ、理由は分かるけど」

ミカイラはじょうろを置いた。

「だって、ここは*シトロン・シティ*だもの」

わざとらしい広告口調になる。

「『クリック一つで、あらゆることが可能になる街』」

キランが笑った。

「確かに変な感じだな」

遠くに見える未来的な街並みへ視線を向ける。

「俺はどっちつかずかな」

ミカイラが振り向いた。

「どういうこと?」

「生徒の注意を引こうとしてる時は、テクノロジーが邪魔になる」

キランはため息をつく。

「授業中の半分くらいは、あいつらのスマホで起きてることと勝負してる気分だよ」

マッハが少し不満そうな顔をした。

キランは彼を見る。

「全部のテクノロジーって意味じゃないぞ」

マッハは満足そうに頷いた。

キランが笑う。

「それに……」

自分の車椅子へ視線を落とす。

「これがなかったら、俺は生きてない」

ミカイラの表情が柔らかくなる。

「分かってる」

彼女はバラのそばにしゃがんだ。

「私だって、テクノロジーの恩恵を楽しんでないって言ったら嘘になるわ」

一本の花を慎重に手に取る。

「でも、私にとっては比べものにならない」

キランが眉を上げた。

「何と?」

「これ」

ミカイラはバラを差し出した。

「あっちは全部、偽物で人工的」

二人の間に花を掲げる。

「でも、これは本物よ」

いたずらっぽい表情になる。

「*本当に*自分の手で触れるんだから」

キランが微笑む。

「革命的だな」

「でしょ?」

ミカイラは、まるで未知の異星文明の遺物でも発見したかのようにバラを観察する。

「眺めることもできるし……」

指の間で花を回した。

キランが小さく笑う。

そしてミカイラは、バラを顔へ近づけた。

**スンスン。**

「匂いだって嗅げる」

微笑む。

「ほら」

ミカイラはバラをキランの鼻へ近づけた。

マッハの目が見開かれる。

「待って――」

遅かった。

キランが息を吸う。

その表情が即座に変わった。

「は……」

ミカイラが瞬きをする。

「キラン?」

「は……」

マッハが近づく。

「キラン――」

「ハックション!」

キランが盛大にくしゃみをした。

ミカイラは慌ててバラを引っ込める。

「あっ!」

キランが鼻をすする。

マッハは即座にティッシュを持ったアタッチメントを伸ばし、キランの鼻を拭き始めた。

ミカイラは呆然と見つめる。

「そんなにダメなの……?」

マッハが彼女を見る。

「もっと早く言うべきでした」

キランが警告するような視線を送る。

マッハは無視した。

「キランは花粉や花、それに大半の植物にアレルギーがあります」

ミカイラの目が見開かれる。

花を見る。

木を見る。

草を見る。

そしてキランを見る。

「じゃあ、ここって*一番来ちゃダメな場所*じゃない!」

キランはまた鼻をすすった。

「いや、別に――」

「なんで言ってくれなかったの?」

「大したことじゃないから」

ミカイラが腕を組む。

キランは視線を落とした。

そして、小さな声で付け加える。

「……君に会いたかったんだ」

ミカイラが固まった。

マッハもキランの鼻を拭く手を止めた。

どうやら彼でさえ、今は黙っていたほうがいい場面だと理解したらしい。

ミカイラはキランを見つめた。

「私に会うために、アレルギーを我慢して来たの?」

キランが微笑む。

「ああ」

ミカイラの表情が真剣になった。

「無茶ね」

キランの笑顔が消える。

「あ……」

するとミカイラが手を伸ばした。

指先で優しくキランの顔を持ち上げる。

「でも、優しい」

キランの目が見開かれた。

ミカイラが顔を近づける。

とても近く。

キランは唾を飲み込んだ。

二人の顔が近づいていく。

さらに。

さらに。

唇が触れそうになった、その瞬間――

「逃げろぉぉぉ!」

キランとミカイラは飛び退くように離れた。

大勢の人々が公園へ雪崩れ込んでくる。

悲鳴を上げながら走っていた。

キランはすぐに車椅子を動かし、群衆の進路を空ける。

「なんだ!?」

怯えきった男が二人のそばを駆け抜ける。

「ここから逃げろ!」

キランが振り向く。

「何があった?」

「**ドラゴンだ!**」

キランは固まった。

「……ドラゴン?」

マッハが街の方角を見る。

センサーがズームする。

そして目が見開かれた。

「**ドラゴンです!**」

キランもその視線を追った。

遥か高層ビルの上空――

サイバー・ドラゴンが空を舞っていた。

口から炎が噴き出す。

周囲ではホバークラフトが逃げ回っている。

キランは呆然と見つめた。

マッハを見る。

ミカイラを見る。

そして、もう一度ドラゴンを見る。

「……冗談だろ」

ミカイラはドラゴンから目を離していなかった。

キランはため息をつく。

「行かないと」

「うん」

車椅子が変形を始める。

装甲が動く。

スラスターが起動する。

キランはミカイラを見る。

「ごめん」

機体がゆっくりと浮上する。

「終わったら、すぐ迎えに戻るから」

ミカイラがようやく彼を見る。

「ここで待ってる」

キランが微笑む。

そして――

**ブオオオッ!**

キランとマッハは空へ飛び出した。

ミカイラは二人が街へ向かって消えていくのを見送った。

それから、巨大な機械仕掛けのドラゴンを見る。

怪物が再び咆哮した。

ミカイラはゆっくりと首を振った。

よりによって――

二人のキスを邪魔したのが、ドラゴンだなんて。

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