ソニック・ウィーラーズ SPECIAL:グリッチ ― Ctrl + Alt + Del
サーキットニア。
シトロン・シティがテクノロジーへの野心を象徴する輝かしい首都だとすれば、サーキットニアは、そのテクノロジーが本気を出すために集まる場所だった。
企業の高層ビルが空を支配し。
その間をホバークラフトが整然と行き交う。
巨大なホログラム広告が街路の上で回転し。
電子看板には、サイバネティック義肢から家庭防衛用Ventまで、ありとあらゆる製品が映し出されていた。
そして、その中心に。
この地域でも屈指の重要性を誇るサイバーセキュリティ企業が存在していた。
**INTEL-X CYBER SECURITY。**
何千人もの人々がIntel-Xに自分たちのデータを預けている。
財産。
個人記録。
身元情報。
だからこそ。
今、そのビルの内部で起きていることは――
非常に都合が悪かった。
「**アーチャー!**」
その怒鳴り声は、少なくとも三つのオフィスを突き抜けた。
もしかすると四つ。
何人かの社員は即座に手を止めた。
聞こえなかったふりをする者もいた。
一人の男など、静かに椅子を転がして声の発生源から離れていった。
アルフィー・アーチャーは目を閉じた。
「うわ……ス、ス、スナット」
彼の隣。
車椅子に組み込まれたディスプレイに、一つのデジタルフェイスが現れる。
グリッチ。
彼のVent。
彼の相棒。
そして今この瞬間。
どうやら、この建物の中でアルフィー以上に怯えている唯一の存在。
「め、め、めちゃくちゃ怒ってるみたい」
アルフィーは目の前の閉ざされたオフィスのドアを見つめた。
「実際、怒ってるからな」
再び怒鳴り声。
「**今すぐ!**」
アルフィーは唾を飲み込んだ。
「……かなり怒ってる」
ドアが左右へ開く。
二人は中へ入った。
イブティハージ・アッブードがデスクの向こうに立っていた。
三十代。
鋭いスーツ。
さらに鋭い目。
そして。
工場事故が起こる数秒前にしか見られないような表情。
彼女の周囲では、複数のホログラムモニターが警告を表示していた。
**SECURITY FAILURE。**
**UNAUTHORIZED ACCESS。**
**DATA CORRUPTION DETECTED。**
**CRITICAL BREACH。**
すべての警告が真っ赤に点滅しているように見えた。
イブティハージは二人を指さした。
「何千人もの顧客が、自分たちのサイバーデータを守ってもらうために私たちへ金を払ってるのよ」
アルフィーが顔をしかめる。
「それなのに、この有様を見なさい!」
「わ、分かってます」
「会社史上最大級のセキュリティ侵害が起きてる真っ最中なのよ!」
彼女の指がアルフィーへ突きつけられる。
「なのに、あなたは**休暇を取ることにしたわけ!?**」
アルフィーは後頭部を掻いた。
「す、す、すみません、アッブードさん。こんなことが、お、お、お、起きるなんて――」
「起きるなんて知らなかった?」
アルフィーの口が開いたまま止まる。
イブティハージが身を乗り出した。
「速報よ」
アルフィーは覚悟した。
「**私たちだって知らなかったわ!**」
来た。
アルフィーはゆっくりと車椅子の中へ沈み込んだ。
グリッチの顔がちらつく。
「ぼ、僕、隠れてくる」
「お前、俺の車椅子の中に住んでるだろ」
「だからちょうどいい」
イブティハージがデスクから離れた。
「窓の外を見なさい」
アルフィーとグリッチが振り返る。
眼下には、Intel-Xの巨大なオペレーションフロアが何層にもわたって広がっていた。
完全な混乱状態。
社員たちが端末の間を走り回る。
技術者たちが互いに怒鳴り合う。
コンソールでは赤い警告灯が点滅。
数人がサーバーモジュールを必死に接続し直している。
誰かが機材を載せたトレイを丸ごと落とした。
三台のタブレットを抱えた人物が走り抜けたかと思えば、すぐに反対方向へ走って戻っていった。
イブティハージが腕を組む。
「見える?」
アルフィーが頷く。
「大混乱ですね」
また一人、技術者が窓の前を全力疾走していった。
「私はここで十五年働いてる」
彼女はフロアを示した。
「こんなに恥ずかしい光景は初めてよ」
アルフィーがグリッチを見る。
グリッチも見返す。
「でも、それは重要じゃない」
アルフィーが瞬きをした。
「じゅ、重要じゃないんですか?」
「違う」
彼女はアルフィーへ向き直った。
「重要なのは、下にいる全員も、こんなことが起きるなんて知らなかったってこと」
声が静かになる。
「それでも出勤した」
一歩近づく。
「今も働いてる」
さらに近づく。
「会社を救うために、文字どおり死に物狂いで働いてるの」
アルフィーの身体が硬くなる。
イブティハージが耳元まで顔を寄せた。
「その一方で、私のところには素敵な顧客からの苦情が二万五千件も届いてるわ」
アルフィーの目が見開かれる。
「だから……」
声が不気味なほど優しくなった。
「時間があるなら……」
アルフィーは身構えた。
「**仕事に戻りなさい!**」
「うわっ!」
**バタン!**
オフィスのドアが二人の背後で閉まった。
アルフィーはドアを見つめる。
「……怖っ」
グリッチのデジタルフェイスが再び現れた。
「あ、あの人怖い」
アルフィーは廊下を進み始めた。
周囲では社員たちが今も慌ただしく走り回っている。
「う、うまくいったな」
「そう?」
「いや」
「そっか」
二人はオペレーションセンターを進んでいった。
アルフィーの緊張した表情が徐々に消えていく。
イブティハージへの不満は後回しでいい。
Intel-Xには本物の問題が起きている。
しかも、周囲を調べれば調べるほど、その問題は奇妙に思えてきた。
グリッチが別のセキュリティレポートへアクセスする。
「何かおかしい」
「それは見れば分かる」
「いつも以上におかしいって意味」
アルフィーが速度を落とす。
グリッチは続けた。
「Intel-Xは最高レベルのセキュリティで有名だ。多重化されたファイアウォール。独立した認証システム。適応型侵入検知」
アルフィーが頷く。
「簡単に破れるシステムじゃない」
「そう」
グリッチが別のレポートを表示した。
何者かが三つの独立したセキュリティ層をほぼ同時に突破している。
アルフィーの眉が上がる。
「つまり、これをやった奴は、と、と、とんでもない腕を持ってる」
「相当ね」
アルフィーは黙った。
こんなことができる人間は多くない。
まして、それを遊び半分でやる人間となれば、さらに少ない。
表情が暗くなる。
「一人しか思いつかない」
グリッチの顔が固まった。
どうやら同じ結論に達したらしい。
二人は顔を見合わせた。
「タイポ」
サーキットニアの別の場所。
一人の若い女性が暗い部屋で一人座っていた。
唯一の光源はノートパソコン。
青白い光が彼女の顔の下半分を照らしている。
笑み。
怒ってはいない。
緊張もしていない。
楽しんでいる。
彼女の指が驚異的な速度でタッチキーボードを走った。
**タッ。**
**タッ。**
**タッ。**
**タッ。**
コードが画面を駆け抜ける。
セキュリティシステムが崩壊。
プログラムが自らを書き換える。
存在しなかったはずのデジタル経路が開かれていく。
女性は画面へ顔を近づけた。
タイポ。
ハッカー。
いたずら好き。
そして、誰に聞くかによって、最悪のユーモアセンスを持つ天才プログラマーとも、国際的なサイバーセキュリティをアーケードゲームのように扱うサイバー犯罪者とも呼ばれる女。
今のところ、本人は前者の呼び方を気に入っていた。
「いい仕事よ、坊やたち」
画面に三つの文字が現れる。
**CTRL**
**ALT**
**DEL**
タイポが笑った。
「とどめを刺す前に、あと一つだけ」
指がコマンドの上で止まる。
そして押した。
**ENTER**
Intel-Xのネットワーク深部で何かが目覚めた。
グリッドは文字どおりの「場所」ではない。
厳密には。
それは解釈だった。
企業サーバー内を絶えず移動する膨大な情報の流れを、仮想空間として表現したもの。
データは光り輝く川のように流れ。
プログラムは発光する経路を移動する。
ディレクトリは塔となってそびえ。
暗号化障壁は炎の壁のように燃えている。
そして、その人工宇宙のどこかで、猛烈な勢いの破損データが進路上のすべてを引き裂きながら進んでいた。
異常な速度。
やがて三つに分裂した。
三本の流れが三つの人影へ突き刺さる。
青。
黄。
赤。
人型の身体が明滅しながら起動した。
CTRLが目を開く。
ALTが顔を上げる。
DELが指を曲げる。
三体のウイルスは遠くに輝く光を見た。
ファイアウォール。
その向こうにはIntel-Xのメインフレーム。
Ctrlが最初に口を開いた。
「ファイアウォールへ――」
Altが続ける。
「――到達――」
Delが締めくくった。
「――せよ」
そして三体が一斉に飛び出した。
現実世界。
アルフィーはIntel-Xの中央サーバーステーションの一つへ到着した。
巨大なプロセッサが半円状に彼を取り囲む。
すべての機械でライトが狂ったように点滅している。
グリッチが接続状態を確認する。
アルフィーは車椅子の横に搭載されたインターフェースを見下ろした。
「準備は?」
グリッチのアイコンが現れる。
「じゅ、準備完了」
アルフィーは車椅子から接続ケーブルを伸ばし、サーバーポートへ差し込んだ。
だが、リンクを起動する直前、手を止める。
「最後に一つ」
「何?」
「タイポはいたずら好きだ」
グリッチは待った。
「でも、だからって危険じゃないわけじゃない」
「分かってる」
「ゲームが好きだ」
「分かってる」
「でも、ゲームで人が傷つくこともある」
グリッチは黙った。
アルフィーは車椅子の側面に手を置く。
「気をつけろよ」
デジタルフェイスの表情が柔らかくなる。
「何が来ても大丈夫」
アルフィーが頷いた。
「よし」
グリッチがため息をつく。
「じゃ、い、行ってきます」
アルフィーが接続を起動した。
緑色の電流がケーブルを駆け抜ける。
グリッチが車椅子のディスプレイから消えた。
そのデータがシステムへ入る。
最初は何もなかった。
やがてピクセルが現れる。
何千。
何万。
それらが一点へ集まる。
足。
脚。
胴体。
腕。
肩。
最後に頭。
グリッチが目を開いた。
グリッドの中では、もう画面に浮かぶ顔だけではない。
完全なデジタルボディを持っていた。
滑らかな装甲が身体を覆い、緑色の光が皮膚の上を回路のような模様となって流れる。
背中からは複数のデータ触手が伸びていた。
アバターとなったグリッチは自分の身体を見下ろした。
「……よし」
指を動かす。
「やっぱり変な感じ」
アルフィーの声が音声チャンネルへ入る。
「入った?」
グリッチは果てしなく広がるネットワークを見渡した。
「入った」
「よし」
アルフィーが自分のワークステーションをグリッチの信号へ接続し始める。
「俺のサーバー経由でリンクした。ずっと一緒にいるからな」
グリッチが笑った。
「心強い」
そして飛び出した。
データストリームが眼下を流れていく。
グリッチは複数の触手を伸ばした。
周囲の情報経路へ接続。
ファイル。
プログラム。
システムログ。
検索履歴。
グリッチが止まる。
「……おお」
「何?」
「何でもない」
「グリッチ」
「社員の何人かは、ブラウザ履歴の消し方を覚えたほうがいい」
アルフィーが沈黙した。
「聞きたくない」
「本当に聞かないほうがいい」
突然、グリッチの触手の一本が赤くなった。
動きを止める。
「待って」
「何?」
「何か見つけた」
グリッチは目を閉じる。
データが身体を流れ抜けた。
三つの異常。
高速で移動している。
目的地を追跡する。
目が開いた。
「うわ、スナット」
「何?」
「三ついる」
「三つ?」
「うん」
グリッチは経路が合流していく様子を見つめる。
「しかも向かってる先が……」
言葉が止まる。
アルフィーの声が緊張した。
「どこ?」
グリッチは遠くを見た。
「メインフレーム」
Ctrlがファイアウォールを殴った。
腕が光る刃へ変形する。
Altが続く。
そしてDel。
デジタルの炎が塊となって飛び散った。
「もう――」
「――少し――」
「――で入れる」
背後から緑色の閃光が迫る。
「**ファイアウォールから離れろ!**」
三体のウイルスが止まった。
アバター・グリッチが着地する。
背中で触手が揺れていた。
「名乗れ!」
青いウイルスが振り返る。
「Ctrl」
黄色が続く。
「Alt」
赤が笑った。
「Del」
グリッチが目を細める。
「よし」
両手を上げる。
「じゃあ、ここで何してるのか説明してもらおうか」
三体は互いを見る。
そしてグリッチへ視線を戻した。
そこでグリッチは、礼儀正しく聞けば答えてくれると期待したのは少し楽観的すぎたと悟った。
三体が同時に腕を上げる。
青いエネルギー。
黄色いエネルギー。
赤いエネルギー。
三つの攻撃が融合。
虹色の一撃がグリッチへ直撃した。
「うわああああっ!」
身体がピクセルとなって爆散した。
アルフィーのディスプレイが真っ暗になる。
「グリッチ?」
返事なし。
「グリッチ!」
歪んだ信号が戻った。
「グ、グ、グ、グ、グ――」
「グリッチ? 何があった?」
グリッド内部。
グリッチの身体が再構築される。
ピクセルが次々とはまり、腕が再生。
激しく頭を振った。
「ウ、ウ、ウ、ウ――」
音声が詰まる。
グリッチは指を鳴らした。
「ウイルス!」
「何?」
「三体いる」
Ctrl、Alt、Delはすでにファイアウォールを切り裂く作業へ戻っていた。
グリッチが三体を見る。
「連携してる」
「どれくらい?」
「かなり」
新たな攻撃を避ける。
「互いのセリフまで完成させ合ってる」
アルフィーが考える。
「面白い」
「俺なら別の言葉を使う」
「一つのユニットとして動いてるなら……」
アルフィーの指がキーボードを走る。
「……分断できるかもしれない」
グリッチがDelの刃をかわした。
「聞いてる!」
「防御システムを追加する」
ファイアウォールの周囲にコードが現れた。
第二の障壁が形成される。
Ctrlの腕が途中で挟まった。
障壁がデジタルの腕を切断する。
ピクセルが飛び散った。
AltとDelも同様に損傷する。
グリッチが笑う。
「いいね」
その瞬間、タイポのノートパソコンに警告が現れた。
**CRITICAL ERROR。**
タイポは画面を見た。
「何?」
身を乗り出す。
誰かが積極的に反撃している。
ゆっくりと笑みが広がった。
「なるほど」
指がキーボードへ戻る。
「そういうことね」
ネットワークの片側にはアルフィー・アーチャー。
反対側にはタイポ。
互いの姿は見えない。
見る必要もない。
これはもう決闘だった。
タイポが指を鳴らす。
「遊びたいの?」
アルフィーが別のコマンドを入力。
タイポが笑った。
「ゲーム開始」
グリッドが爆発した。
Ctrlが両腕を刃へ変形。
グリッチは触手で一撃を受け止める。
背後からAlt。
身体をひねって回避。
上空からDel。
紙一重でかわした。
**シュッ!**
**ザシュッ!**
**バキッ!**
デジタルの火花がネットワーク中へ飛び散る。
同時にタイポが新しいコマンドを作った。
「これでも食らえ」
ファイアウォールの横に二本の巨大なドリルが出現。
アルフィーの防御障壁を削り始める。
**ギュイイイイン!**
グリッチが横目で見る。
「手伝おうか?」
アルフィーは障壁の耐久値が急落するのを見た。
「できれば」
「頼もしい返事だな」
「考えはある」
アルフィーが入力する。
グリッド内部。
障壁から巨大な緑色の腕が出現した。
タイポのドリルを掴む。
ドリルが押す。
腕が押し返す。
グリッチが笑った。
「それなら十分!」
タイポが画面を見つめる。
「やるじゃない」
即座に別のプログラムを起動。
「でも今度は……」
再び笑み。
「……フィッシングの時間よ」
破損データの流れが分裂する。
そこから小さな光る物体が現れた。
魚。
何十匹ものデジタルの魚。
グリッチが見つめる。
「……冗談だろ」
魚の群れが障壁へ殺到した。
**ガブッ。**
**ガブッ。**
**ガブッ。**
障壁を食べ始めた。
アルフィーの口が開く。
「嘘だろ……」
フィッシュたちは噛み続ける。
グリッチが撃つ。
数匹が爆発。
さらに増える。
ファイアウォールが弱体化していく。
突然、アルフィーのコンピューターが鳴った。
**ブルルルルン!**
固まる。
ビデオ通話の着信。
**IBTIHAJ ABBOUD。**
アルフィーは見つめた。
「嫌だ」
鳴り続ける。
「嫌だ嫌だ嫌だ」
ヘッドセットからグリッチ。
「こ、こっち忙しいんだけど!」
「分かってる!」
着信は止まらない。
アルフィーは応答した。
イブティハージが現れる。
「進捗報告」
アルフィーは無理やり笑った。
「ど、どうも」
イブティハージが睨む。
「進捗。報告」
「はい。もちろん。えっと……」
彼女と戦闘データを交互に見る。
「グリッチをCPUに接続して、そしたら、ちょ、ちょ、ちょっとした――」
「問題?」
アルフィーの目が引きつった。
「どんな?」
「た、大したことじゃないです」
グリッド内部。
グリッチがデータストリームを蹴り飛ばされる。
「**アルフィー!**」
アルフィーがビクッとする。
イブティハージがカメラへ近づいた。
「今の、グリッチ?」
「違います」
「じゃあ何?」
「……通知音です」
「あなたの名前を叫ぶ通知?」
アルフィーは無視した。
「ハッカーがメ、メ、メ、メ――」
イブティハージの目が見開かれる。
「**メインフレームに!?**」
再びグリッチの声。
「アルフィー、そろそろ助けて!」
イブティハージは止まらない。
「メインフレームへ侵入されたらどうなるか分かってる!?」
「はい」
「顧客情報!」
「分かってます」
「個人記録!」
「分かってます」
「金融口座!」
「**分かってます!**」
「あと数秒で何か言わなかったら、私は――」
「静かにして」
沈黙。
グリッチまで黙った。
イブティハージが瞬きをする。
「……何ですって?」
アルフィーは画面を真正面から見た。
「静かにしてって言いました」
イブティハージの表情が変わった。
アルフィーが声を荒らげることは滅多にない。
まして彼女に対してなど。
だが限界だった。
「全員ストレスが溜まってるんです」
モニターを指さす。
「でも俺がグリッチを助けなかったら、あのウイルスがファイアウォールを突破して、今日みんながやってきたことが全部む、む、む、む――」
「無駄になる?」
アルフィーの目がまた引きつった。
「**それですよ!**」
イブティハージが瞬きをする。
「俺の話を途中で遮らないでください!」
「でも――」
「**めちゃくちゃスナットなんですよ!**」
アルフィーは通話を切った。
**カチッ。**
沈黙。
真っ暗な画面を見つめる。
そして自分が今何をしたのか、ゆっくり理解した。
「……あ」
グリッチが口を開いた。
「今、上司に怒鳴った?」
「うん」
「正気?」
「たぶん違う」
「俺たちクビ?」
「たぶん」
グリッチが新たな攻撃をかわす。
「それ、あとで心配していい?」
「名案だ」
アルフィーはキーボードへ戻る。
「援軍を送る」
グリッド内部。
巨大な網が出現。
フィッシュたちを捕らえる。
グリッチが見る。
「ナイス!」
「気をつけろ」
「何?」
網が突然振り回された。
アルフィーが進路を変更する。
Ctrl、Alt、Delへ。
グリッチが飛び退いた。
「そっち行くぞ!」
フィッシュの群れが三体へ激突。
**ガブッ!**
**ガブッ!**
**ガブッ!**
Ctrlが悲鳴を上げる。
Altが必死に魚を引き剥がす。
Delが後ろへ倒れた。
グリッチが拳を上げる。
「**ど、ど真ん中!**」
タイポが両手をデスクへ叩きつけた。
「**くそっ!**」
呼吸が荒くなる。
画面を睨む。
Ctrl。
Alt。
Del。
三体とも崩壊しかけている。
攻撃は失敗。
ファイアウォールはまだ健在。
数秒間、タイポは何も言わなかった。
そして椅子へもたれた。
「よし」
息を吸う。
「落ち着け」
まだ一手残っている。
最後のコマンド。
指がキーボードへ戻った。
「**とどめよ**」
一本のエネルギービームがグリッドへ侵入した。
グリッチが気づいた時には遅かった。
「何だ――」
ビームがCtrlへ命中。
Alt。
Del。
三体すべてが固まった。
身体が溶け始める。
ピクセルが渦を巻く。
グリッチは戦うのをやめた。
破片が一点へ集まっていく。
Ctrlが言う。
「我々は……」
Altが続ける。
「……合体……」
Delが締めくくる。
「……せねばならない」
グリッチの目が見開かれた。
「たぶん、これヤバい」
三つの身体が消滅。
代わりに何かが現れた。
もっと大きい。
遥かに。
白い人型の怪物がピクセルの嵐から姿を現す。
巨大な肩。
太い腕。
まるでデジタル戦車のような身体。
頭を上げた。
「シャット……」
グリッチが後退する。
「……ダウンを……」
怪物が目を開いた。
「**開始する!**」
グリッチは見つめた。
「うん。絶対ヤバい」
アルフィーのモニターへ異常なコードが流れ込む。
「うわ」
操作盤の上で指が止まる。
「変なコードが入った。何が起きてる?」
グリッチは巨大な怪物を見た。
「問題発生」
シャットダウンがファイアウォールを殴った。
**ドゴォン!**
亀裂が走る。
グリッチが唾を飲み込む。
「かなりデカい問題」
もう一撃。
**ドガァン!**
障壁が歪む。
グリッチが飛び出した。
「おい!」
複数の触手をシャットダウンの腕へ巻きつける。
だがほとんど反応しない。
シャットダウンがグリッチを払い飛ばした。
**バシィッ!**
グリッチが宙を舞う。
「グリッチ!」
データ経路へ激突。
「大丈夫!」
シャットダウンが再び障壁を殴る。
グリッチは崩れ落ちる破片を見る。
「……たぶん」
また一発。
**バキッ!**
「でも壁は大丈夫じゃない!」
シャットダウンが拳を引く。
そして最後の一撃。
**バァァァキィィン!**
ファイアウォールが砕け散った。
グリッチが固まる。
その向こうにはメインフレーム。
巨大に輝く球体。
何千もの情報ストリームが周囲を回転している。
すべての顧客ファイル。
すべてのセキュリティ記録。
Intel-Xに保存されたすべての機密情報。
シャットダウンが一歩進む。
タイポがノートパソコンを見て笑う。
「そうこなくちゃ」
入力。
「ゲームオーバー」
グリッチが触手を放った。
シャットダウンの胴体へ巻きつく。
巨大なウイルスはそのまま歩き続ける。
グリッチは足を踏ん張った。
「止められない!」
アルフィーはモニターを睨んだ。
考えろ。
考えろ。
考えろ。
そして気づいた。
グリッチはシャットダウンにつながっている。
シャットダウンはタイポにつながっている。
グリッドはすべてをつないでいる。
アルフィーの目が見開かれた。
「考えがある」
「いい考えだって言って!」
「そいつとつながってるんだろ?」
「今のところは!」
「空いてる触手をデータストリームにつなげ!」
グリッチが周囲を見る。
「何?」
「やれ!」
グリッチは従った。
空いていた触手を周囲のデータストリームへ接続する。
光が走った。
グリッチは突然理解した。
「……あ」
笑う。
「ああ、なるほど」
アルフィーの指が動き始める。
「どう?」
グリッチがシャットダウンをさらに強く拘束する。
「気に入った」
タイポの画面がちらつく。
一つのウィンドウ。
**CONGRATULATIONS!**
**YOU ARE THE 1,000,000TH VISITOR!**
タイポは見つめた。
「……何?」
また一つ。
**HOT SINGLES IN YOUR AREA!**
さらに。
**USED HOVERCRAFT — LOW PRICES!**
さらに。
**MEET YOUR SOULMATE TODAY!**
さらに。
**DISCOUNT FURNITURE!**
また。
また。
また。
タイポの口が開く。
「**ポップアップ!?**」
閉じようとする。
さらに増えた。
グリッド内部。
シャットダウンの身体が痙攣し始める。
グリッチが笑った。
「効いてる!」
アルフィーは入力を続ける。
「そいつをつないだままにしろ!」
シャットダウンの身体がちらつく。
タイポはポップアップと格闘。
「もう!」
一つ閉じる。
六つ増える。
「あと少しなのに!」
シャットダウンがよろめいた。
グリッチがさらに強く引く。
「もっとスパム送って!」
アルフィーが笑う。
「まだ始まったばかりだ」
スパムがネットワークへ流れ込む。
広告。
偽メッセージ。
意味不明な動画。
どうでもいい通知。
勝手に再生されるメディア。
購読リクエスト。
大量のデジタルゴミがシャットダウンのプログラムへ流れ込む。
巨大なウイルスが激しく痙攣した。
「わた……」
声が歪む。
「……しは……」
グリッチの目が見開かれる。
「え」
シャットダウンが発光し始めた。
「システム……」
アルフィーの手が止まる。
「……オーバーロード――」
グリッチが触手を放した。
「**逃げろ!**」
シャットダウンが爆発した。
**ドッガァァァァン!**
ピクセルがグリッド中へ噴き出す。
グリッチが身体を守る。
衝撃波が通過。
そして静寂。
メインフレームは無傷だった。
サーバールーム。
アルフィーは画面を見つめていた。
シャットダウンの信号が消える。
顔が輝いた。
「やった!」
グリッド内部。
グリッチがゆっくり立ち上がる。
「大丈夫?」
グリッチは自分の身体を確認する。
腕がちらつく。
そして安定。
「ぜ、絶好調」
アルフィーが笑った。
「戻ってこい」
グリッチの身体が緑色のピクセルへ溶け始める。
「みんなに問題解決って伝えないとな」
「喜んで」
「そうだ」
アルフィーが笑う。
「もう一つ」
「何?」
「スパムを送ってる間に、タイポの居場所を逆探知した」
グリッチが止まった。
「本当に?」
「うん」
アルフィーは座標を見る。
「もうすぐ当局が着くはず」
タイポがノートパソコンを閉じた。
「無理」
バッグへ突っ込む。
「絶対無理」
外からサイレンが近づく。
タイポは出口へ急いだ。
「無理無理無理無理無理」
バッグを肩へ掛ける。
角を曲がる。
そして止まった。
サーキットニア警察の警官が二人。
入口に立っていた。
武器を構えている。
「**動くな!**」
タイポが見つめる。
警官たちも見返す。
タイポはゆっくり両手を上げた。
「……ごくり」
それからしばらくして。
アルフィーとグリッチはイブティハージのオフィスへ戻っていた。
雰囲気は変わっていた。
大体は。
イブティハージはデスクの向こうに座っている。
怒鳴り声なし。
怒り狂った歩き回りなし。
脅迫なし。
それが逆にアルフィーを不安にさせた。
彼女は椅子へもたれた。
「確認するわよ」
アルフィーが頷く。
「今回の全部……」
報告書を示す。
「セキュリティ侵害」
「はい」
「ウイルス」
「はい」
「メインフレームを失いかけたこと」
「はい」
「その原因の女は、全部を悪趣味なゲームみたいに扱ってた?」
アルフィーは車椅子の中で身体を動かした。
「た、たぶん」
イブティハージは額を押さえた。
「会社ごと首を差し出すところだったわ」
グリッチが頷く。
「たぶんね」
「もう二度とサーキットニアで顔を上げて歩けなくなるところだった」
アルフィーが肩をすくめる。
「幸い、彼女は、そ、そ、そ、そ――」
止まった。
待つ。
何もない。
アルフィーの眉が上がった。
「……そこまでできなかった」
イブティハージが彼を見る。
アルフィーも見る。
そして目を見開いた。
「ちょっと待って」
「何?」
「今、俺の話を遮らなかった」
イブティハージは視線を逸らした。
「……そうね」
アルフィーが見つめる。
「そのことなんだけど……」
ため息。
「私が時々、厳しすぎるのは分かってる」
グリッチが小声で囁く。
「時々?」
アルフィーは即座にミュートした。
イブティハージが続ける。
「常に何百ものことを同時に処理しなきゃいけないからよ」
Intel-Xのオペレーションフロアを見る。
「でも今日、あなたとグリッチは会社を大きな危機から救った」
アルフィーは何も言わなかった。
「だから……」
イブティハージは無理やりその言葉を押し出した。
「……感謝してる」
アルフィーが笑った。
「おお」
手を差し出す。
「どうも」
イブティハージが握った。
そして即座に真顔へ戻る。
「調子に乗らないで」
戻った。
いつもの彼女だ。
「一秒でもサボってるところを見つけたら……」
ドアを指さす。
「……クビよ」
アルフィーが頷く。
「はい」
「分かった?」
「完全に」
「よろしい」
イブティハージはデスクへ戻った。
「じゃあ出ていって」
「はい、ボス」
ドアが背後で閉まった。
アルフィーは廊下を進んでいく。
社員たちもようやく落ち着きを取り戻し始めていた。
警告灯は消え。
サーバー診断も正常値へ戻っている。
コーヒーを配り始めた者までいた。
グリッチの顔がアルフィーのディスプレイへ現れる。
アルフィーは笑った。
「やっぱり根は優しいんだよ」
グリッチが彼を見る。
「それでも怖い」
「間違いない」
アルフィーは出口へ視線を向けた。
巨大なガラス窓の向こう。
夕暮れの空の下でサーキットニアが輝いている。
高層ビルの間をホバークラフトが飛び。
広告が明滅。
街はまるで何も起きなかったかのように動き続けていた。
アルフィーがあくびをする。
「でも、とりあえず……」
エレベーターへ向かう。
「……帰ろう」
グリッチがため息をついた。
「長い一日だった」
アルフィーが笑う。
「ものすごく長い一日だった」
数秒間、二人は静かに進んだ。
やがてグリッチが口を開く。
「アルフィー?」
「ん?」
「まだ休暇って取れると思う?」
アルフィーが止まった。
笑顔が消える。
「……スナット」




