契約の裏側
「誰かに作品を盗んだと責められるたびに一クレジットもらえていたなら……」
マドックスは椅子へ深く腰を下ろした。
「……私はもう一生、働かなくて済むだろうな」
キランは笑わなかった。
「それでも、あの技術がかなり似てたことは認めるべきでしょう」
マドックスは答えなかった。
代わりに。
その視線がマッハへ向かう。
どこか感心したような表情でVentを眺めた。
「いいVentを持っているな」
マッハがキランを見る。
マドックスは微笑んだ。
「私の会社が今でも良い仕事をしているようで何よりだ」
マッハは礼儀正しく答える。
「ありがとうございます」
キランはマドックスを見つめた。
話を逸らしたのは明白だった。
あまりにも。
マドックスもそれに気づいた。
笑みが徐々に消えていく。
数秒間。
二人の男は何も言わなかった。
そして――
マドックスがため息をついた。
「……誤魔化せてはいないようだな」
「はい」
キランは即答した。
マドックスは椅子へ深くもたれた。
陽気な実業家の仮面が消える。
「なら、いくつか説明しておく必要がある」
デスクから立ち上がる。
巨大な窓へ向かって歩いた。
眼下には。
シトロン・シティが広がっている。
「聞いたところによると、君は教師らしいな」
「高校の英語教師です」
マドックスが頷く。
「なら、シラバスは知っているな」
キランが眉を上げる。
「ええ」
「生徒が学び、決められた目標を達成するための指針となるものだ」
マドックスが振り返る。
キランはすでに。
この話の行き先が気に入らなかった。
「それが何か?」
「私はこの原則をもとに会社を築いた」
マドックスはデスクへ戻った。
その表面から。
スクリーンがせり上がる。
キランの目が見開かれた。
何百もの設計図。
デザイン。
機械。
武器。
ロボット工学。
数え切れないほどの人間から提出された技術。
「我が社には、将来有望な若い発明家たちから様々なアイデアが送られてくる」
キランの胃が締めつけられた。
マドックスは続ける。
「だが、提出する前に契約書へ署名してもらう」
笑みを浮かべる。
「ところが、人間というのは焦りすぎるものだ」
キランの表情が険しくなった。
「最後まで契約書を読まない」
マドックスがスクリーンを叩く。
「署名欄にサインした時点で、提出された内容から着想を得た製品を製造する権利が、マドックス・インコーポレーテッドに与えられる」
キランは彼を見つめた。
意味は明白だった。
あまりにも。
「それじゃ、他人のアイデアを丸ごとパクれるじゃないですか!」
マドックスは首を振った。
「違う」
その非難に。
本気で気分を害したような声だった。
「細かい契約条項を読まないのは、私の責任ではない」
キランは耳を疑った。
「それが言い訳ですか?」
マドックスは冷静だった。
「彼らは契約に署名した」
「子供ですよ!」
「発明家だ」
「両方であることは矛盾しないでしょう!」
マッハは黙っていた。
キランは。
延々と並ぶ提出済みの設計図を見る。
何人いる?
チャンスを与えてもらえると信じて。
マドックス・インコーポレーテッドへ自分のアイデアを送った若い発明家は。
いったい何人いる?
その中で。
知らないうちに自分の作品を手放してしまった者は?
アラスターの妄想ではなかった。
マドックスは。
本当に彼のアイデアを奪っていた。
法的には問題がなかったのかもしれない。
契約書の奥深くに埋め込まれた。
巧妙な抜け穴を利用しただけなのかもしれない。
だが。
道徳的には?
キランは吐き気を覚えた。
「アラスターが言ってたことは本当だったんですね」
マドックスの表情が変わる。
「アラスター?」
キランは。
自分の失言に気づいた。
だが。
何か言い直すより早く――
ガシャァァァン!!
オフィスの窓が爆発した。
ガラス片が室内を切り裂く。
キランは反射的に腕を上げた。
マッハが守るように隣へ移動する。
マドックスが後ろへ倒れた。
「ぐあっ!」
砕けた窓から。
一つの人影が飛び込んできた。
黒いスーツ。
損傷したヘルメット。
焼け焦げたテクノロジーグローブ。
プロフェッサー・テック。
「マドックス!」
マドックスが床から彼を見上げる。
プロフェッサー・テックの損傷した装備からは火花が散っていた。
それでも。
まだ動いている。
そして。
マドックスへ向かって歩いていく姿を見る限り――
それだけで十分だった。
「まだ話は終わってない」
「アラスター、やめろ!」
プロフェッサー・テックが固まった。
視線がキランへ向く。
「なんであんたがここにいる?」
キランが前へ出る。
「お前が言ってたことを考えた」
プロフェッサー・テックは彼を見つめる。
「だから、自分でマドックスを調べに来た」
キランは実業家へ視線を向けた。
「お前が正しかった」
マドックスが不快そうな顔をする。
キランにはどうでもよかった。
「こいつは最低のクズだ」
プロフェッサー・テックがマドックスを掴む手に力を込める。
周囲に複数の浮遊装置が現れた。
武器がチャージされる。
「でも、殺されていいわけじゃない」
プロフェッサー・テックが振り返る。
「なぜ?」
「だって、もし殺したら……」
キランの声が柔らかくなる。
「……お前は一生後悔する」
ヘルメットの奥で。
アラスターの目が細くなった。
「分からないのか?」
もう。
キランはマドックスを庇っているのではなかった。
アラスターを救おうとしていた。
マドックスには。
別の形で自分の行いの責任を取らせればいい。
だが。
殺人は――
取り返しがつかない。
アラスターの周囲に浮かぶ武器が回転した。
キランの目が見開かれる。
「アラスター――」
バシュッ!
「ぐううっ!」
一撃がキランとマッハへ直撃した。
車椅子が後方へ吹き飛ぶ。
キランは必死に姿勢を立て直した。
プロフェッサー・テックが部屋の向こうから叫ぶ。
「よくそんなことが言えるな!」
キランが顔を上げる。
「ニュースを見た」
アラスターの声に。
毒のような怒りが混じる。
「ジャリック・ラインハルトを殺したのは知ってる!」
キランが固まった。
マッハが即座に答える。
「ほかに選択肢がなかったのです!」
プロフェッサー・テックはマドックスを引きずり。
砕けた窓へ向かい始めた。
キランの胸が締めつけられる。
「あれは事故だった」
「へえ」
プロフェッサー・テックが彼を見る。
「そうか」
マドックスを掴み直す。
「だったら――」
キランの目が見開かれた。
プロフェッサー・テックは。
マドックスを窓の外へ放り投げた。
「――これも事故だ!」
「やめろ!」
マドックスの姿が消えた。
シトロン・シティでも屈指の高さを誇るビルから。
真っ逆さまに落下していく。
キランは考えなかった。
「行くぞ!」
スラスターが点火する。
ゴオオッ!
キランとマッハは。
砕けた窓から飛び出した。
眼下では。
マドックスが落下し続けている。
「どこへ行くつもりだ?」
プロフェッサー・テックが両手を上げた。
グローブが発光する。
信号がキランの車椅子へ飛ぶ。
そして――
何も起きない。
キランは飛び続けた。
プロフェッサー・テックが瞬きをする。
「は?」
自分のグローブを見る。
光っている。
信号も送られている。
だが。
マッハは反応しない。
キランの車椅子も減速しない。
アラスターが歯を食いしばる。
「くっ!」
ギアのジャマー。
成功だ。
キランは加速した。
マドックスはすでに。
地上まで半分を切っている。
「もっと速く!」
マッハが車椅子のシステムを限界まで引き上げる。
キランは前へ身体を傾けた。
風が耳元で絶叫する。
建物が線となって流れていく。
舗装路が急速に迫る。
マドックスは落ち続ける。
キランが手を伸ばす。
届かない。
「頼む!」
車椅子がさらに加速する。
近い。
もっと近く。
そして――
キランが掴んだ。
マドックスの身体が車椅子の中央へ激突する。
キランは危うく制御を失いかけた。
「ぐっ!」
マッハが即座に姿勢を安定させる。
減速。
そして。
水平飛行へ移る。
数秒間。
マドックスはただ呆然としていた。
それから――
「いやはや」
どうにか姿勢を整える。
「刺激的だったな」
キランは彼を見る。
「まあ……そうですね」
二人は歩道へ向かって降下した。
車椅子が着地する。
マドックスは即座に降りた。
「ああ」
両足をしっかり地面につける。
「地に足がついて、こんなに嬉しいと思ったことはない」
そこで。
止まった。
キランの車椅子を見る。
「あ」
一拍。
「……失礼」
キランは彼を見つめた。
マドックスは気まずそうにスーツを整える。
そして。
再び笑みを浮かべた。
「ともかく、二度も命を救ってくれて感謝する」
キランは目を回した。
「私をどう思っていようとも……」
マドックスがネクタイを直す。
「……それを脇に置いて、正しいことができるというのは――」
キランの表情が変わった。
なぜなら。
遥か頭上には――
まだ。
プロフェッサー・テックがいる。
そして。
これはまだ終わっていなかった。




