ウイルス
グリッチが身を乗り出した。
「ぼ、僕がコンピューターシステムに入り込むと……」
キラン、マッハ、レイモンドは真剣に耳を傾けた。
「……基本的には、やりたいことは*何でも*できる」
キランが眉を上げる。
「何でも?」
グリッチが頷いた。
「でも、ウ、ウイルスをアップロードしないと、それはできない」
レイモンドの表情がすぐに変わった。
「ウイルス?」
アルフィーが笑う。
「き、君が考えてるようなものじゃないよ」
グリッチが続ける。
「そんなに、あ、悪質なものじゃない。ファ、ファイアウォールとかを突破するために使うだけ」
マッハには、グリッチが何を言おうとしているのか分かってきたようだった。
キランは――
そうでもなかった。
グリッチはさらに説明した。
「重要なのは、そのウイルスをアップロードすると……」
視線をマッハへ向ける。
「……システムの中に、か、欠片が残るってこと」
レイモンドが見つめる。
「つまり?」
グリッチはマッハを指さした。
「マッハが僕を中に入れてくれれば、そのウイルスをたどって、と、特定の場所まで追跡できるかもしれない」
キランの目が見開かれた。
もしプロフェッサー・テックがマッハを乗っ取ったとき、何かを残していたのなら――
そして。
グリッチがそれを追跡できるのなら――
奴を見つけられる。
「それなら最高じゃないか!」
レイモンドが即座に首を振った。
「いや、最高じゃない」
キランが彼を見る。
レイモンドは身を乗り出した。
「居場所が分かったとする」
表情が険しくなる。
「そこへ行ったら、またお前たちを操われるぞ」
キランは黙った。
最初にやられたときの経験は。
別に楽しいものではなかった。
マッハにとっても。
キランが答える前に、アルフィーが口を開いた。
「ぼ、僕たちも一緒に行くよ」
レイモンドが彼を見る。
アルフィーは笑った。
「みんなで組めば、あ、あいつに勝ち目なんてない!」
グリッチも頷く。
「もしまた乗っ取られても……」
自信に満ちた表情になる。
「……僕たちが対抗できる」
キランはその案を気に入った。
ゆっくりレイモンドへ顔を向ける。
いたずらっぽい笑みを浮かべた。
「やってみる価値はあると思う」
レイモンドはキランを見る。
次にマッハ。
アルフィー。
グリッチ。
「うーん……」
明らかに気乗りしていない。
だが――
「まあ、いいか」
シトロン・シティの郊外では――
プロフェッサー・テックが一軒の孤立した小屋へ向かって飛んでいた。
背後の遠方には。
シトロン・シティの巨大な摩天楼が光り輝いている。
その小屋自体は。
取るに足らないものに見えた。
古い。
忘れ去られている。
誰もわざわざ調べようとは思わない。
まさにそんな場所だった。
プロフェッサー・テックが中へ入る。
しかし。
内部はまったく別の世界だった。
部屋中を埋め尽くす技術実験。
機械。
武器。
試作装置。
未完成の発明品。
忘れ去られた小屋の中にあるとは到底思えないほど、高度な機材の数々。
プロフェッサー・テックは装備を外し始めた。
まず――
グローブ。
そして――
ヘルメット。
それを慎重に机の上へ置く。
その隣には。
紙の本の『変身』が置かれていた。
数秒間。
プロフェッサー・テックはただそこに立っていた。
ヘルメットを外し――
歪んだ声もなく――
芝居がかった姿もなくなれば――
そこにいるのは。
ただの若い男だった。
そのとき。
背後から声がした。
「奴を逃がしたのか?」
プロフェッサー・テックの身体が強張った。
ゆっくり振り返る。
そしてついに。
ヘルメットの下に隠されていた素顔が明らかになった。
**アラスター・ヴリーク。**
シトロン・アカデミーに通う。
あのアラスター。
車椅子から転倒させられたあと、キランに助けてもらった。
あの生徒。
人間と接するより、機械について話しているほうがずっと居心地がよさそうだった。
物静かで。
技術に並外れた才能を持つ少年。
アラスターの顔が苛立ちで歪む。
「逃がしたんじゃない」
背後に立つ男を見る。
「逃げられたんだ」
影の中から。
サヴァントが姿を現した。
「マドックスの話ではない」
アラスターが眉をひそめる。
「キリアンと、奴のVentのことだ」
アラスターの表情が即座に変わった。
「彼は*何も*関係ない」
「邪魔をした」
サヴァントが一歩近づく。
「あのクズを*守った*」
「それは、先生が何も知らないからだ」
言葉がすぐに出た。
まるで。
キランを庇うように。
アラスターはキランを巻き込みたくなかった。
この件だけには。
キランが自分にしてくれたことを考えれば。
なおさら。
サヴァントの声が穏やかになる。
「そのとおりだ」
アラスターへ近づいた。
「奴は知らない」
間。
「そして、永遠に理解することもない」
アラスターは目を逸らした。
サヴァントは両手をアラスターの肩へ置く。
「奴がお前の正体を知れば……」
アラスターが俯く。
「……お前を拒絶する」
アラスターは何も言わなかった。
「奴にとってお前は、倒すべき犯罪者の一人になるだけだ」
その言葉は。
アラスターが認めたくないほど深く突き刺さった。
キランは自分を守ってくれた。
励ましてくれた。
自分にも価値がある人間だというように接してくれた。
だが。
もしキランが知ったら――
アラスターの顔の奥に。
プロフェッサー・テックを見つけたら――
それでも。
同じように接してくれるのだろうか?
サヴァントがさらに顔を近づける。
「私が正しいことは分かっているはずだ」
アラスターの抵抗が弱まる。
「分かってる……」
机の上に置かれたヘルメットへ目を向ける。
そして。
表情を硬くした。
「キランが俺の邪魔をするなら……」
ヘルメットに映る自分自身を見つめる。
「……マドックスと一緒に死んでもらう」
ギアのガレージでは――
アルフィーとグリッチの車椅子から伸びたケーブルが、キランの車椅子へ接続されていた。
グリッチがマッハのシステムへ侵入するにつれて。
ケーブルの中を電流が脈打つ。
キランはその様子を見ていた。
「またシトロンに遊びに来られてよかったよ」
アルフィーが笑う。
「ぼ、僕も」
キランは軽く笑った。
「新しい仕事を始めてから、俺もマッハもほとんど会えなくなったもんな」
アルフィーが目を回す。
「じょ、上司がいつも残業させるんだよ。ぼ、僕が一番優秀なコンピューターエンジニアだからって」
グリッチを見る。
「というか、*グリッチ*が一番優秀って言ったほうが正しいか」
グリッチがニヤリとする。
「ご、ご、ご名答」
キランはケーブルへ目を向けた。
「それで……」
笑みが消える。
「どれくらい酷い?」
グリッチの表情が険しくなる。
「分からない」
目が明滅する。
「何かが邪魔して、シ、システムの中に入れない」
マッハが眉をひそめる。
「いったい何が――」
**バヂィィィッ!!**
激しい電流がケーブルを走った。
「アアッ!」
グリッチとアルフィーが後方へ弾き飛ばされた。
「アルフィー!」
キランの目が見開かれる。
マッハも隣を飛び。
二人は友人たちのもとへ急いだ。
アルフィーがうめく。
グリッチのアバターが激しく明滅していた。
「何が起きたんだ!?」
グリッチは虚ろな目で前を見つめた。
「ぼ……」
声が乱れる。
「イチゴ……」
全員が見つめた。
「す、水曜日……」
アルフィーが瞬きをする。
「何?」
グリッチの身体が痙攣する。
「ポリモーフィック……」
激しいノイズが声を引き裂く。
「ハチミツ……」
アルフィーが車椅子の側面を掴んだ。
「グリッチ、どうしたの?」
グリッチの姿が歪む。
「わ、悪い!」
慌ただしい足音が部屋へ近づいてきた。
レイモンドとギアが姿を現す。
レイモンドが周囲を見る。
「今の音は何だ!?」
キランはグリッチを見つめた。
「問題が起きた……」
グリッチは苦しみ続ける。
「ポ、ポリモーフィック……」
アルフィーが固まった。
「ポリモーフィック?」
何かに気づく。
表情が変わった。
「な、何が起きてるか分かったかもしれない!」
全員がアルフィーを見る。
彼はグリッチを指さした。
「グリッチは、自分に感染してるウイルスが、ポ、ポリモーフィックだって言おうとしてるんだ」
キランが眉をひそめる。
「どういう意味?」
「こっちが何かして、と、止めようとする前に、自分のコードを書き換えるんだ」
ギアの目が見開かれる。
自ら姿を変えるウイルス。
適応し。
グリッチが対抗策を講じるたびに。
それを回避する。
キランは不具合を起こしているVentを見る。
「どうやって直す?」
アルフィーが唾を飲み込んだ。
「ノートパソコンに繋がないと……」
グリッチを見る。
「……ど、どれくらいダメージを受けてるか調べる」
一方――
ニコラス・マドックスは。
オフィスの巨大な窓の前に立っていた。
眼下には。
シトロン・シティが広がっている。
プロフェッサー・テックの襲撃によって。
状況は変わった。
もはや警備を。
単なる日常業務として扱うことはできない。
足音が近づく。
マドックスは振り返らなかった。
「何だ、アニ?」
ロボットのアシスタントがタブレットを持って近づいてきた。
「ご指示いただいたセキュリティ対策を実施しております」
「よし」
アニが微笑む。
「ほかに何かお手伝いできることはございますか、マドックス様?」
マドックスは街を見たままだった。
「ああ……」
エキスポでの出来事を思い返す。
プロフェッサー・テック。
襲撃。
そして。
空飛ぶ車椅子で介入した男。
「私を助けた男……」
アニは黙って待つ。
「Ventを連れていた、あの男だ」
マドックスがようやく振り返った。
「彼に会いたい」
アニの意識が研ぎ澄まされる。
「彼が何者なのか調べてくれ……」
マドックスは両手を背中で組んだ。
「……そして、正式な招待状を送れ」
アニが頷く。
「ただちに取りかかります、マドックス様」
マドックスは再び街へ視線を戻した。
この街のどこかに。
自分の命を救った男がいる。
そして間もなく――
**ニコラス・マドックスは、キラン・キリアンという男が何者なのかを知ることになる。**




