テック・エキスポ
その日の午後。
キランはシトロン・アカデミーの廊下を進んでいた。
アラスターとの一件が、まだ頭の片隅に残っている。
からかわれるだけならまだしも。
わざと車椅子から転倒させられるのは、まったく別の話だ。
アラスターは大したことではないように振る舞っていた。
だが。
だからといって、本当に平気だったとは限らない。
もっとも――
教師相手に自分の気持ちを素直に話すことで有名なティーンエイジャーなど、そうそういない。
キランは教室へ入った。
隣にマッハが現れる。
生徒たちも次々と席へ着いていった。
キランは、いつもどおりの授業を始める準備をする。
最近の自分の人生を考えれば、「いつもどおり」なんて考えること自体が死亡フラグになりそうだったが。
「よし、みんな」
教室の前へ移動する。
「始める前に……」
何人かの生徒がうめき声を上げた。
キランは彼らを見た。
「まだ何も言ってないだろ」
「だから怖いんです」
誰かが答えた。
何人かが笑う。
キランは首を振った。
「面白いな」
今日の授業資料を表示する。
「さて。もうすぐ開催されるテック・エキスポに興味がある奴もいると思う」
その一言で。
生徒たちの注意が一気に集まった。
何人かはすぐに話し始める。
テック・エキスポは、シトロン・シティ最大級の年次イベントの一つだった。
新発明。
実験段階の機械。
最新ロボット技術。
人工知能。
要するに。
テクノロジーに夢中なティーンエイジャーに、太陽の存在すら忘れさせるようなものなら何でも揃っている。
そして、この反応を見る限り――
キランのクラスには、そんなティーンエイジャーが何人もいるらしい。
アラスターも含めて。
その日の朝から初めて。
少年の顔に心から興味を持った表情が浮かんでいた。
キランはそれに気づいた。
当然だ。
「それで……」
キランが笑う。
「行く予定の奴は?」
一斉に手が上がった。
アラスターの手も。
その中でもかなり早かった。
キランが頷く。
「だと思った」
マッハが近くへ浮かぶ。
「非常に興味深い催しになりそうですね」
一人の生徒がマッハを指さした。
「Ventも展示されるの?」
マッハは少し心外そうだった。
「当然、そうであることを期待します」
キランが笑った。
「どうやらマッハは自分専用のブースを期待してるらしい」
「そんなことは言っていません」
「考えてただろ」
マッハが少し黙る。
「違うと証明することはできません」
また教室に笑い声が広がった。
ほんの数分間――
すべてが普通だった。
ウィーラーズもいない。
犯罪者もいない。
爆発もない。
ただ。
生徒たちが楽しみにしているイベントについて話しているだけ。
キランは。
こういう時間のほうが好きだった。
特に。
シトロン・シティがこれまで経験してきたことを考えれば。
しかし、別の場所では――
同じようにテック・エキスポのことを考えている男がいた。
ただし。
その思考は、キランたちほど楽しげなものではなかった。
プロフェッサー・テックは暗い工房の中に立っていた。
周囲には無数のテレビ画面。
そのすべてに。
同じ男が映っている。
アレックス・マドックス。
CEO。
実業家。
テクノロジー界の先駆者。
マドックス・インコーポレーテッドの顔。
そして。
テック・エキスポの開会講演を務める男。
プロフェッサー・テックは彼を睨みつけた。
グローブに覆われた指が。
ゆっくり拳を作る。
「アレックス・マドックス……」
ヘルメット越しの声は、歪んだ機械音となって響いた。
画面の中で。
マドックスはカメラに向かって笑っている。
記者たちに囲まれ。
人々から拍手を浴びている。
世間は彼を愛していた。
それが。
プロフェッサー・テックをさらに苛立たせる。
「詐欺師め」
画面に背を向けた。
工房は機械で埋め尽くされている。
安物ではない。
ゴミを寄せ集めて作った粗末な発明品でもない。
高度な技術。
武器。
動力システム。
ロボット工学。
一般に普及している技術より、何年も先を行っているような装置の数々。
プロフェッサー・テックはその間を歩いていく。
指先が一つの発明品に触れる。
そして。
次の発明品へ。
すべて――
彼の作品。
彼の才能。
彼の人生。
それなのに。
誰も彼の名前を知らない。
誰も気にしない。
代わりに――
人々はアレックス・マドックスを崇拝していた。
プロフェッサー・テックは大型モニターの前で立ち止まった。
テック・エキスポのロゴが表示される。
その下には――
講演者一覧。
アレックス・マドックス。
ウィリアム・ウォードウェル。
ジョセフ・シャーマン市長。
プロフェッサー・テックは最初の名前を見つめた。
他の連中など。
どうでもいい。
今のところは。
「今度こそ……」
手を画面へ伸ばす。
「……俺を無視させない」
エキスポ会場の設計図を開いた。
出入口。
セキュリティチェックポイント。
非常口。
ステージ。
電気系統。
すでに。
あらゆる詳細が把握されていた。
プロフェッサー・テックはメインプレゼンテーションホールを拡大する。
ステージの上に。
アレックス・マドックスの写真が表示された。
開会講演者。
イベントの目玉。
そして。
完璧な標的。
プロフェッサー・テックの電子音声が静かになる。
「お前は俺からすべてを奪った」
拳を握る。
「だから今度は……」
グローブの表面を電気が走った。
バチバチッ。
「……俺がお前からすべてを奪ってやる」
シトロン・アカデミーでは――
チャイムが鳴った。
生徒たちは即座に荷物をまとめ始める。
キランはアラスターがタブレットをバッグへ入れるのを見ていた。
「アラスター」
少年が止まる。
「はい?」
「ちょっといいか?」
アラスターはドアを見る。
それから。
キランを見る。
「俺、何かしました?」
キランが眉を上げた。
「なんで教師が話があるって言うと、みんな怒られると思うんだ?」
アラスターは肩をすくめた。
「経験?」
「なるほど」
キランは近くへ来るよう手招きした。
「テック・エキスポ、かなり楽しみにしてるみたいだな」
アラスターの雰囲気が一変した。
「はい」
今度は――
ためらいがない。
気まずそうにもしない。
存在感を消そうともしない。
「マドックス・インコーポレーテッドの発表、何か月も追ってるんです」
キランが笑う。
これだ。
情熱。
アラスターは続けた。
「新型の推進技術を発表するらしいんです」
マッハが即座に反応した。
「本当ですか?」
アラスターが彼を見る。
「うん。今使われてるどのシステムよりも効率がいいらしくて」
マッハが近づく。
「どの程度、効率が向上しているのですか?」
キランがマッハを見る。
「俺の会話、乗っ取ってない?」
マッハは無視した。
アラスターが笑う。
そして。
説明を始めた。
次々と専門用語が飛び出す。
エネルギー変換。
推進効率。
電力損失。
冷却システム。
キランが理解できたのは――
まあ。
一部。
マッハは全部理解していた。
いつの間にか。
二人はキランにはまったくついていけないレベルの会話を始めていた。
キランはその様子を眺める。
そして。
笑った。
まさに。
これがキランの思っていたことだった。
アラスターには才能がある。
ただ。
その才能が意味を持つ場所が必要なだけだ。
「よし」
アラスターが話を止めた。
キランは少し前へ身を乗り出す。
「一つ考えがある」
アラスターが疑わしそうな顔をする。
「危なそうですね」
「俺の授業に慣れすぎだ」
キランは笑った。
「教科書に載ってるものより、もう少し面白い技術を間近で見られるとしたら、どうする?」
アラスターが固まる。
マッハには。
キランが何を考えているのかすぐに分かった。
「キラン……」
キランが彼を見る。
マッハは面白そうに笑った。
「ギアのことを考えていますね」
アラスターが瞬きをする。
「ギア?」
キランが笑った。
「知り合いに、工房を持ってる奴がいてな」
アラスターの目が見開かれる。
「本物の工房?」
「正真正銘の工房だ」
キランは少し間を置いた。
「許可なしで何にも触らないって約束できるなら――」
アラスターが即座に手を上げた。
「約束します」
キランが笑った。
「まだ誘ってないぞ」
「じゃあ誘ってください」
その日初めて――
アラスターは心の底から幸せそうだった。
キランも思わず笑った。
「分かったよ」
自分を標的にする連中からアラスターを少し離して。
彼の才能を理解できる人間たちの中へ連れていく。
それが助けになるかもしれない。
ならないかもしれない。
それでも。
試す価値はある。
「明日の放課後だ」
アラスターが満面の笑みを浮かべた。
「マジで?」
「マジで」
マッハがキランの隣へ移動した。
「ギアも彼を非常に興味深い存在だと感じるでしょう」
キランがマッハを見る。
「その言い方はギアの前でするなよ」
「なぜです?」
「たぶん脳を解剖される」
アラスターの笑顔が消えた。
キランが彼を見る。
「冗談だよ」
「ああ」
間。
「ほとんどな」
「キリアン先生!」
キランが笑う。
アラスターは呆れたように目を回し、ドアへ向かった。
だが。
教室を出る直前――
振り返った。
「ありがとうございます」
キランが頷く。
「いつでも」
アラスターは廊下へ消えていった。
マッハがキランを見る。
「優しいですね」
キランは肩をすくめた。
「あいつにも息抜きが必要だよ」
だが。
キランはまだ知らなかった。
アラスターがギアのガレージを訪れることで。
彼自身が。
さらに大きな問題の真っただ中へ足を踏み入れることになると。
なぜなら。
プロフェッサー・テックが企んでいるのは、単にアレックス・マドックスを襲うことではなかった。
シトロン・シティが誇るテクノロジーの祭典そのものを――
誰も一生忘れることのできないデモンストレーションへ変えようとしていた。




