また遅刻
アラスター・ヴリークは遅刻していた。
まただ。
彼は安全に出せる限界の速度で車椅子を走らせ、学校の廊下を急いでいた。
生徒たちが四方八方を行き交っている。
教室へ向かう者。
ロッカーの前で立ち話をしている者。
そしてアラスターは――
シトロン・アカデミーの出席規則の新たな犠牲者にならないよう、必死だった。
「もう、勘弁してくれよ……」
時間を確認する。
胃が沈んだ。
「急げ、急げ、急げ!」
さらに速度を上げる。
車椅子の背もたれに掛けたリュックが激しく跳ねた。
あと少し。
もう少しで教室に着く。
間に合う。
そのはずだった――
突然。
一本の足が進路へ突き出された。
アラスターには見えなかった。
車椅子が引っかかる。
身体が前へ投げ出された。
「うわっ!」
床へ転倒した。
本や文房具が廊下中に散らばる。
直後。
笑い声が響いた。
アラスターはうめいた。
最高だ。
遅刻だけじゃ、まだ恥ずかしさが足りなかったらしい。
ゆっくり顔を上げる。
犯人の生徒が近くに立っていた。
笑っている。
「ちゃんと前見て走れよ、ヴリーク」
アラスターは睨んだ。
「お前が足引っかけたんだろ」
少年は肩をすくめた。
「証明してみろよ」
さらに笑い声。
アラスターは奥歯を噛み締めた。
何か言い返したかった。
何でもいい。
だが、頭に浮かぶ返事をどれか一つでも口にすれば、最悪な朝がさらに最悪になるだけだ。
だから。
黙って散らばった荷物を拾い始めた。
そのとき――
「おい」
いじめっ子が顔を上げた。
キラン・キリアンがこちらへ歩いてきていた。
その隣にはマッハが浮かんでいる。
少年の笑顔が一瞬で消えた。
キランは床に倒れているアラスターを見る。
次に少年。
そして、もう一度アラスター。
シャーロック・ホームズじゃなくても、何が起きたのかくらい分かる。
「何があった?」
「何もないです」
少年がすぐに答えた。
キランは彼を見る。
「お前には聞いてない」
廊下が。
一気に静かになった。
アラスターは少しためらった。
「こいつに足を引っかけられました」
少年がすぐに反論する。
「やってません!」
キランがゆっくり彼へ顔を向けた。
少年は黙った。
キランの表情は穏やかなまま。
腹が立つほど穏やかだった。
「なら、職員室でも同じ説明ができるよな?」
少年の目が見開かれた。
「え?」
「聞こえただろ」
キランが廊下の先を示す。
「行け」
「でも――」
「今すぐ」
少年はうめき声を漏らした。
そして歩き去っていく。
キランは彼が角の向こうへ消えるまで見届けた。
それから。
アラスターへ視線を戻す。
「大丈夫か?」
「はい」
アラスターは周囲に散らばった荷物を見る。
「学校の半分くらいの前で恥かいただけです」
マッハが近づいた。
「正確には、およそ二十七パーセントかと」
キランがマッハを見る。
マッハは笑った。
「切り上げたほうがよろしいですか?」
アラスターは思わず笑った。
「いや」
キランも笑う。
「ほら」
アラスターの荷物を拾うのを手伝った。
アラスターは車椅子へ戻る。
キランが最後の本を渡した。
「これで全部だ」
「ありがとうございます」
「気にするな」
アラスターはもう一度時計を見た。
目が見開かれる。
「うわ、スナット!」
キランも時計を見る。
「遅刻?」
「めちゃくちゃ」
アラスターはすぐに走り出した。
しかし。
止まる。
キランを振り返った。
「あの……」
キランは待った。
「遅刻扱いにしたり……しませんよね?」
キランが眉を上げる。
「足引っかけられたのに?」
アラスターは肩をすくめた。
「もっとひどいことする先生もいたんで」
キランの表情がわずかに変わった。
アラスター本人が思っているほど。
笑える答えではなかった。
「しないよ」
首を振る。
「大丈夫だ」
アラスターの肩から力が抜けた。
「ありがとうございます、キリアン先生」
再び廊下を進み始める。
そのとき。
キランが呼び止めた。
「アラスター」
彼が止まる。
キランの表情が真剣になる。
「またこういうことがあったら、誰かに言えよ」
アラスターは目を逸らした。
「はい」
キランには。
その返事の意味が分かった。
*はい*は、イエスではない。
*もうこの話はやめてくれ。*
そういう意味だ。
それでも。
キランは追及しなかった。
「分かった」
アラスターは教室へ向かっていった。
マッハはその背中を見送る。
「何か悩みを抱えているようですね」
キランはため息をついた。
「ああ」
気づいていた。
だが。
キランが以前からアラスターについて気づいていたことは、それだけではない。
あの子は頭がいい。
本当に頭がいい。
ただ。
自分からそれをひけらかさないせいで、なかなか周囲には気づかれないタイプだった。
アラスターに何かの機械と十分な時間を与えれば――
それを作った本人より詳しく理解してしまう可能性すらある。
キランは自分の教室へ向かって歩き始めた。
マッハもついていく。
「彼のことが気に入っているんですね」
「いい子だよ」
「しかも、技術的才能に恵まれたいい子です」
キランがマッハを見る。
「何考えてるか分かってるぞ」
「私はまだ何もしていません」
「まだ、な」
マッハは無邪気に笑った。
キランは首を振る。
マッハが何を考えていようと。
それは後でいい。
今は――
キランには教える授業がある。
そして。
アラスターには生き延びなければならない授業がある。
このとき二人はまだ知らなかった。
もうすぐ。
アラスターの技術的才能が、学校の課題などとは比べものにならないほど重要になることを。
なぜなら。
シトロン・シティのどこかでは――
無骨なロボット型ヘルメットを被った男が。
街中の人間に一つのことを思い知らせる準備をしていた。
**プロフェッサー・テックは、もう二度と無視されるつもりはなかった。**




