脱獄
煙が拘置区画の廊下を漂っていた。
キランはセルの透明な壁へ身体を寄せ、霞んだ向こう側を必死に見ようとした。
ダレンが鼻を鳴らす。
その表情がすぐに変わった。
「……火の匂いしません?」
キランの胃が締めつけられた。
オレンジ色の光が見える。
破壊されたセルが見える。
そして煙の向こうに――
ジャリックがいた。
「ジャリックだ!」
キランの声が低くなる。
「運転手のところまで行って……殺した!」
レイモンドが隣へ来た。
誰も冗談を言わなかった。
気の利いたことを言える者もいなかった。
あの運転手は。
彼らにとって最大の手がかりだった。
もしかすると。
唯一の手がかり。
それが今。
死んだ。
その時。
外から別の人影が現れた。
ザイラがブリザードとともに。
溶けた窓から飛び込んでくる。
燃えているセルを見る。
そして。
弟を見る。
その表情が怒りに歪んだ。
「ジャリック!」
ジャリックは何気なく振り返った。
「何をしたの!?」
ジャリックが肩をすくめる。
「何も」
炎へ視線を向ける。
「ちょっとバーベキューしただけ」
ザイラは彼を見つめた。
珍しく――
何も言い返せなかった。
その時――
「そこまでだ!」
ジャリックとザイラが一斉に振り向いた。
拘置区画の入口に。
ワイルダー刑事が立っていた。
その隣にはアダムとパトロール。
武器を構えている。
パトロールの機械アームが展開し。
射撃態勢へ移行する。
「武器を解除しろ!」
声が廊下へ響く。
「両手を頭の上へ!」
ジャリックは笑った。
ザイラは笑わなかった。
もう長居しすぎたことを。
彼女は理解していた。
ワイルダーが武器を構える。
「撃て!」
警官たちが一斉に発砲した。
**ピュン! ピュン! ピュン!**
ザイラは即座に反応した。
ブリザードのシステムが起動する。
床から氷が爆発的に噴き上がった。
**バキィィン!**
分厚い氷の壁が。
彼らと警官たちの間に形成される。
レーザーが障壁へ命中した。
**ピュン!**
**ピュン!**
**ピュン!**
攻撃はすべて弾かれた。
ジャリックが推進システムを起動する。
ブレイズも続いた。
ザイラは迷わない。
「行くよ!」
四人は溶けた窓へ向かって飛び出した。
そのまま夜空へ脱出する。
加速しながら。
ジャリックが姉を見る。
「なんで止めた?」
本気で不満そうだった。
「俺たちなら、あいつら全員やれたのに」
ザイラが鋭く振り向く。
「これ以上、自分の墓穴を深くしないで!」
ジャリックの表情が険しくなる。
だが珍しく――
反論しなかった。
署内では。
氷の壁に亀裂が入り始めていた。
アダムは破壊された窓の向こうを見る。
「クソッ!」
パトロールが武器を下ろした。
「あいつらって、正義の味方じゃなかったのか?」
ワイルダーは。
四人が消えていった空を見つめた。
「どうやら違うらしい」
その認識が。
重くその場に残った。
Wheelersは。
もはや単なる無謀な自警団ではない。
警察署へ侵入した。
器物を破壊した。
拘留中の人間を襲った。
証人を殺した。
そして。
警察から逃走した。
これまで世間が彼らをどう見ていたとしても――
これですべてが変わる。
それからしばらく経っても。
署内の混乱は収まらなかった。
警官たちが部屋から部屋へ走る。
捜査官たちは焼け落ちたセルへ向かう。
救急隊員も到着した。
拘置区画そのものが。
新たな犯罪現場になっていた。
キラン、マッハ、レイモンド、ダレンは。
ようやくメインフロアへ連れ出された。
キランは。
慌ただしく行き交う警官たちを見つめた。
運転手のことが。
頭から離れない。
もし。
何かできていたら。
もし。
自分の車椅子があったら。
もし――
「キラン!」
振り向く。
ギアが急いで近づいてきた。
「レイモンド!」
ギアは二人を交互に見る。
「何があった?」
キランがため息をつく。
「何か聞き出す前に、ジャリックが運転手のところへ行った」
レイモンドが腕を組む。
「丸焼きだ」
ギアの表情が暗くなった。
キランは目を伏せる。
「何かできればよかったんだけど」
ギアはしばらく彼を見つめた。
そして――
小さく笑った。
「それなら、もう問題ない」
キランが顔を上げる。
ギアの笑みが広がった。
「完成した」
沈黙。
キランの目が見開かれる。
「本当に?」
マッハは。
文字通り輝きそうなほど喜んだ。
「素晴らしい!」
キランはすぐに理解した。
新しい車椅子。
何日も。
仮の車椅子に閉じ込められていた。
ネオンを相手に何もできなかった。
レイモンドが殺されかけるのを。
ただ見るしかなかった。
それがようやく――
終わる。
レイモンドが喜びを遮った。
「俺のスーツは没収された」
ギアが彼を見る。
「証拠品になってる」
レイモンドは警官たちへ視線を向けた。
「返してくれそうには見えないな」
ギアは。
まったく気にしていなかった。
「予備を作った」
レイモンドが見つめる。
「作ったのか?」
「キランの件があってから、同じものをもう一つ作っておいたほうがいいと思ってな」
ギアの目が細くなる。
「お前が訓練を“拒否”したから」
レイモンドが止まる。
「……そうだったな」
ギアの視線が。
この話はまだ終わっていないと告げていた。
だが。
続きを言う前に――
一人の警官がダレンへ近づいた。
少年の身体がすぐに強張る。
警官はそっと肩へ触れた。
「悪いな。でも、また拘置区画へ戻ってもらわないといけない」
キランが振り向く。
「え?」
ダレンが俯いた。
「なんで……?」
警官がため息をつく。
「父親に連絡した」
少し迷う。
「だが、保釈しに来るつもりはないそうだ」
ダレンの肩が落ちた。
キランは彼を見つめた。
これだけのことがあったのに――
実の父親が。
迎えにすら来ない。
警官がダレンの腕を取る。
ダレンは抵抗しなかった。
「大丈夫ですよ、キリアン先生」
無理に弱々しい笑顔を作る。
「親父もいろいろ大変なんです」
キランは。
連れていかれる彼を見つめた。
何かが。
どうしても引っかかった。
ダレンは生徒だ。
まだ子供だ。
確かに。
間違った選択をした。
かなり。
間違った選択を。
ネオンへ入った。
ネオン・サーカスを売った。
犯罪者たちと関わった。
だが。
教師として。
間違いを犯した子供を。
キランは何人も見てきた。
だからこそ。
一つだけ分かっていた。
一度の間違った選択が。
人生そのものになる必要はない。
「待って」
警官が止まった。
ダレンが振り返る。
キランが近づく。
「僕が保釈金を払う」
ダレンは彼を見つめた。
「え?」
キランが指を一本立てる。
「ただし……」
声が真剣になる。
「ネオンから足を洗うって約束して」
ダレンは戸惑った。
キランは続ける。
「学校にもちゃんと通う」
さらに近づく。
「それで、自分の人生をちゃんと作るんだ」
ダレンは目を逸らした。
「分かんないっす……」
キランには。
その迷いが理解できた。
ギャングから抜けるというのは。
ただ「もうやめた」と決めれば済む話ではない。
友情。
忠誠。
恐怖。
そして。
そもそも抜けることを許してくれない人間たち。
それでも――
どこかから。
始めなければならない。
「ほら」
キランは声を柔らかくした。
「一生セルの中で腐る必要なんてない」
ダレンは黙ったままだった。
そして――
「……分かりました」
キランが笑う。
警官はダレンから手を離した。
少年がキランを見る。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
だがキランは。
厳しい目を向けた。
「約束、忘れないで」
ダレンが頷いた。
ギアが手を叩く。
「よし。それも片づいたところで……」
再び笑みを浮かべる。
「……訓練するぞ」
その頃。
シトロン・シティ上空では――
ネオン色のホバークラフトが。
夜の交通網を静かに進んでいた。
中に座っているのは。
ウルトラヴァイオレット。
自由の身。
くつろいでいる。
ほんの数時間前に逮捕された人間とは。
到底思えなかった。
窓の外を眺める。
「新しい武器屋を探すの、忘れんなよ。スミッティ」
運転手は前を向いたままだった。
「これ以上、面倒事はいらねぇ」
「その必要はありません」
ウルトラヴァイオレットが振り向く。
「は?」
運転手がボタンを押した。
**カチッ。**
黒い仕切りが突然せり上がり。
運転席と後部座席を完全に隔離した。
ウルトラヴァイオレットの目が見開かれる。
「おい!」
仕切りを叩く。
「何してやがる!?」
返事はない。
その時――
**シューーーーーッ。**
ウルトラヴァイオレットが固まった。
後部座席へ。
ガスが流れ込み始めた。
目を見開く。
ドアを蹴る。
開かない。
窓を殴る。
割れない。
「出せ、このクソ野郎!」
拳を何度もガラスへ叩きつける。
「アタシが誰だか分かってんのか!?」
ガスが濃くなっていく。
動きが鈍くなる。
まぶたが重くなる。
数秒後――
ウルトラヴァイオレットは崩れ落ちた。
ホバークラフトの前方では。
運転手が平然と携帯端末を起動した。
「問題は処理しました」
彼の名前は。
スミッティではない。
本当の名でもない。
彼は――
**イレイサー。**
そう呼ばれていた。
密閉された後部座席へ視線を向ける。
「何も覚えていないでしょう」
携帯端末から。
歪んだ声が返ってきた。
「忠誠に感謝する」
イレイサーが笑う。
「ありがとうございます、ボス」
そして。
シトロン・シティの別の場所では――
その通話相手が。
自分のオフィスに立っていた。
サヴァント。
そして。
その前で緊張しながら待っていたのは――
ザイラとジャリックだった。




