アンドロイド襲撃
最後のチャイムが鳴ってから、もう二十分近くが経っていた。
ほとんどの生徒は、すでに帰宅している。
学校の駐車場からも、少しずつ車が消え始めていた。
キランは明日の授業計画に目を通しながら、レイモンドのホバーバンへ向かっていた。
夕暮れ前の日差しが、校舎全体を金色に染めている。
珍しく、すべてが平和だった。
普通だった。
キランが好むタイプの一日。
レイモンドはホバーバンの側面にもたれかかり、近づいてくるキランを見た。
「授業はどうだった?」
キランはうめいた。
「生徒の一人が、『ヘンリー五世』は五人目のヘンリーって意味だと思ってた」
レイモンドは考えるように頷いた。
「筋は通ってるな」
キランは彼を見つめた。
「冗談だって言ってくれ」
「冗談じゃない」
キランはゆっくりとうなだれた。
「俺、なんで教師なんかやってるんだろう……」
マッハのアイコンが現れる。
『若者の心に希望と知識を与えるためです』
「あいつらの心は、全力でそれを拒否してるぞ」
『私も気づいていました』
レイモンドが笑った。
キランは二人を責めるように指差した。
「こんな扱いを受ける筋合いはないぞ」
「いや、お前には必要だ」
◇ ◇ ◇
しばらくの間、三人はただそこにいた。
静かな時間を楽しんでいた。
その時――
悲鳴が午後の静寂を切り裂いた。
「助けて!」
全員の動きが止まる。
続いて、二度目の悲鳴。
「は、離して!」
キランは即座に振り返った。
駐車場の端で、一人の女性が必死にもがいている。
アンドロイドが彼女を壁に押しつけていた。
金属製の指が、女性のバッグを掴んでいる。
機械の人工眼は、不気味な黄色い光を放っていた。
女性は必死に抵抗している。
だが、アンドロイドはまるで気にも留めていなかった。
◇ ◇ ◇
レイモンドの表情が険しくなった。
「警察を呼べ」
マッハは即座に通信を開始した。
だが――
キランはすでに動いていた。
速い。
速すぎる。
「キラン!」
レイモンドが手を伸ばす。
届かなかった。
キランはアンドロイドへ向かって加速する。
鼓動が耳の奥で激しく鳴っていた。
女性は怯えている。
他に近くにいる者はいない。
誰も助けられない。
なら――
自分がやる。
やらなければ。
◇ ◇ ◇
「マッハ!」
ヴェントは即座に意図を理解した。
『却下します』
キランは無視した。
「テーザーを起動」
『キラン――』
「やれ!」
車椅子の側面にある収納部が開いた。
電撃コイルがせり出す。
青白い火花が空気中を走った。
そこでようやく、アンドロイドが彼らに気づいた。
振り向く。
ゆっくりと。
意図的に。
黄色く輝く目がキランを捉える。
そして――
笑った。
◇ ◇ ◇
テーザーが発射された。
バチィン!
電撃が駐車場を走り抜ける。
攻撃はアンドロイドの胸部へ直撃した。
一瞬――
何も起こらなかった。
キランは瞬きをした。
「……え?」
アンドロイドは自分の胸を見る。
そしてキランを見る。
次の瞬間――
笑った。
冷たい、機械的な笑い声。
捕まっていた女性さえ抵抗するのを止めた。
彼女まで困惑しているようだった。
◇ ◇ ◇
マッハの声が、急に小さくなった。
『これは……不運ですね』
「何が?」
『どうやら絶縁処理されています』
「……絶縁?」
『外装がゴム製です』
キランは固まった。
「それ、もっと早く言えなかったのか?」
『言おうとしました』
「あ」
そうだった。
アンドロイドの笑みがさらに広がる。
機械はテーザー装置を掴んだ。
そして――
引きちぎった。
金属が悲鳴を上げる。
火花が飛び散った。
高価な装置が紙くずのようにひしゃげる。
キランは顔をしかめた。
「……それ高かったんだけど」
アンドロイドは残骸を片手で握り潰した。
そして一歩前へ出る。
「おやすみ」
拳が飛んできた。
◇ ◇ ◇
すべてが一瞬だった。
拳がキランの車椅子を直撃する。
金属が悲鳴を上げた。
世界が横向きに回転した。
マッハのシステムから警報が鳴り響く。
キランの身体が地面から浮いた。
そして――
ガシャァン!
激しく地面へ叩きつけられた。
全身を痛みが駆け抜ける。
頭上の空がぐるぐると回っていた。
どこか近くで、レイモンドの叫び声が聞こえる。
「キラン!」
マッハのディスプレイが明滅する。
大量の警告表示が画面を埋め尽くした。
**《安定性異常》**
**《衝撃検出》**
**《システム損傷:軽微》**
『キラン?』
「大丈夫だ」
『嘘ですね』
「……ちょっとだけな」
◇ ◇ ◇
レイモンドがキランの横へ駆け寄り、膝をついた。
「何考えてたんだ!?」
キランはうめいた。
「上手くいくかなって……?」
「全然上手くいってないだろ!」
「ああ」
「……最高の作戦ではなかったな」
◇ ◇ ◇
アンドロイドが、ゆっくりと確実に近づいてくる。
ガン。
ガン。
ガン。
重い足が舗装道路を踏みしめるたび、鈍い金属音がキランの肋骨にまで響くようだった。
周囲に散らばる悲鳴も、遠くから近づいてくるサイレンの音も、その足音にかき消されていく。
装甲の下でサーボモーターが唸る。
歯車が正確なリズムで噛み合う。
一つ一つの音が、アンドロイドがこちらへ歩いているというより――
カウントダウンのように感じられた。
機械の意識は完全にキランへ集中していた。
まるで広い駐車場の中に、標的は彼一人しか存在しないかのように。
一歩。
二歩。
三歩。
黄色く光る目は、キランから離れない。
女性は逃げることができた。
だが今――
機械は新たな標的を見つけていた。
近くにいた生徒が悲鳴を上げる。
人々が走り始めた。
駐車場全体にパニックが広がっていく。
◇ ◇ ◇
その時――
気温が下がった。
一瞬で。
冷気の波が駐車場全体を駆け抜ける。
アスファルトの上を白い霜が広がっていった。
アンドロイドが立ち止まる。
困惑したように。
全員が空を見上げた。
青い光が、空から降ってくる。
◇ ◇ ◇
『ターゲット捕捉』
ブリザードの声が駐車場に響き渡る。
サファイアブルーの光線が空から放たれた。
アンドロイドが瞬時に凍りつく。
氷が機械の全身を呑み込んだ。
手足が完全に固定される。
黄色く輝いていた目も、結晶のような霜の下へ消えていった。
静寂が訪れた。
ほんの――
半秒だけ。
◇ ◇ ◇
次の瞬間。
二本目の光が、真紅の炎をまとって空を切り裂いた。
考える暇さえないほど速い。
空気そのものを引き裂くような轟音と、猛烈な熱。
燃え盛る赤い影が、流星のような勢いで凍りついたアンドロイドへ激突した。
ドォォン!
氷像と化していたアンドロイドが、一瞬で粉々になった。
何千もの凍った破片が、舗装道路一面へ爆発するように飛び散る。
脅威は消えた。
ただ、それだけだった。
駐車場全体が一斉に沸き立った。
まるで全員がずっと息を止めていて、ようやく呼吸の仕方を思い出したかのように。
恐怖は一瞬にして、歓声、驚きの声、安堵の笑い、そして無数の質問へと変わっていった。
生徒たちが車の陰から恐る恐る姿を現す。
教師たちは安堵しながら互いの身体を支え合っている。
震える手でスマートフォンを掲げる者もいた。
ほんの一瞬前までの悪夢が、どうしてこれほど簡単に見世物へ変わってしまったのか。
誰も理解が追いついていなかった。
歓声を上げる者。
ただ呆然と見つめる者。
――ウィーラーズが来たのだ。
またしても。
◇ ◇ ◇
零花が静かに前へ出た。
「怪我人は?」
その声は落ち着いている。
プロフェッショナル。
そして、どこまでも冷静だった。
レイモンドがキランの身体を起こすのを手伝った。
「いや」
「君たちのおかげでな」
零花は一度だけ頷いた。
その動きは正確で、無駄がない。
空から飛来し、わずか数秒で危機を終わらせた直後だというのに。
彼女にとっては、ただ一つの仕事を正しく終えただけ。
そんな風にさえ見えた。
「よかった」
◇ ◇ ◇
一方――
炎司は、破壊されたキランのテーザーの残骸を調べていた。
ひしゃげた金属片を拾い上げる。
裏返す。
じっと見る。
そして――
笑った。
「うわ、マジか」
キランは眉をひそめた。
「何だよ?」
炎司は残骸を持ち上げた。
「これ、あんたの武器だったの?」
ブレイズが隣に現れる。
『武器って呼べるならな』
ヴェントは即座に笑い始めた。
キランは今すぐ地面が割れて、自分を丸ごと呑み込んでくれればいいのにと思った。




