診察
診察室は静かだった。
静かすぎるほどに。
キランは静かな診察室というものを信用したことがない。
静かということは、大抵――
待つということだ。
待つということは、考えるということ。
そして考えるということは――
新しい心配事を見つけるということだった。
今のキランには。
心配事なら山ほどある。
キランは一時的に借りている手動車椅子に座り、マッハはすぐそばの携帯用パックに収まっていた。
いつもの車椅子がない生活は、日に日に不便さを増していた。
あのスピードが恋しい。
自由が恋しい。
あのテクノロジーが恋しい。
ギアにメンテナンスのことで四六時中怒鳴られるのさえ恋しかった。
まあ――
最後のは。
別に恋しくないかもしれない。
キランは診察台を見る。
次にドア。
それから時計。
そしてまたドア。
何も起こらない。
溜息を吐いた。
「ここに来てからどれくらい経った?」
マッハは即答した。
『それほど長くはありません』
「それ数字じゃないだろ」
『その通りです』
キランは目を細めた。
「上達したな」
『何がです?』
「人をイラつかせるのが」
『あなたから学びました』
キランには反論できなかった。
ようやくドアが開いた。
キランは即座に姿勢を正した。
医師がタブレットを手に入ってくる。
そこにはキランの検査結果が表示されていた。
キランは彼女の表情を読み取ろうとした。
何もわからない。
医者というのは――
こういう時だけ妙にポーカーフェイスが上手い。
彼女は椅子に座り、もう一度検査結果を確認した。
そしてようやくキランを見る。
キランは待った。
マッハも待った。
沈黙が続く。
「それで?」
ついにキランが尋ねた。
「どれくらい悪い?」
医師が顔を上げた。
「順調に回復しています」
キランの身体から力が抜けた。
ほんの少し。
「それはよかった」
「ええ」
医師は報告書をスクロールした。
「ですが、あなたに起きたことを考えれば、非常に運がよかったと言わざるを得ません」
来た。
説教だ。
来ると思っていた。
キランは車椅子の背もたれへ深く身体を預けた。
「“非常に”って、どのくらい?」
医師は彼をまっすぐ見た。
「死んでいてもおかしくありませんでした」
「……ああ」
なるほど。
確かに“非常に”だ。
マッハが即座にキランへ顔を向けた。
『それについては、私も指摘したはずですが』
「お前はいろんなことを指摘するだろ」
『大抵は重要なことです』
「それは議論の余地があるな」
医師は笑っていなかった。
まったく。
キランもそれに気づいた。
咳払いする。
「……すみません」
医師は検査結果へ視線を戻した。
「打撲は正常に治癒しています。切り傷も表面的なものですし、今回の事故による永久的な損傷を示す兆候も見当たりません」
キランは頷いた。
予想していたより――
ずっといい知らせだった。
遥かにいい。
「じゃあ、もう問題なし?」
医師が顔を上げる。
「いいえ」
キランの楽観的な気分が一瞬で消えた。
「え?」
「あなたは回復**中**です」
医師はその言葉を強調した。
「回復中と完治は同じ意味ではありません」
キランが口を開く。
医師が指を一本立てる。
キランは口を閉じた。
マッハは感心しているようだった。
キランを一瞬で黙らせられる人間など――
そう多くない。
「休養が必要です」
医師は続けた。
「不必要な身体的負担は避けてください。それから、再び大きな外傷につながる可能性のある行動は、何であれ避けることを強く勧めます」
キランは気まずそうに笑った。
「それ……ずいぶん具体的ですね」
「あなたがここへ運び込まれた時の状態を考えれば?」
医師が彼をじっと見る。
「具体的にもなります」
キランは目を逸らした。
ごもっとも。
キランが何か言うより先に、マッハが口を開いた。
『彼が指示に従うよう、私が監督します』
キランはゆっくりマッハへ顔を向けた。
「お前、どっちの味方なんだ?」
『あなたです』
「そうは聞こえないけど」
『あなた自身の判断ミスからあなたを守ることも、あなたの味方をするということです』
キランは眉をひそめた。
「責任感のある新しいマッハ、好きじゃないな」
「私は好きですよ」
医師が僅かに微笑んだ。
「少なくとも、ここに一人は常識のある方がいるようですね」
「最高」
キランは溜息を吐いた。
「今度は二人がかりか」
診察は続いた。
質問。
検査。
さらに質問。
さらに注意。
診察が終わる頃には――
「休むこと」と「気をつけること」という言葉を、一生分聞いたような気分になっていた。
ようやく医師が一歩離れた。
「もう一度、経過観察のために来てください」
キランは頷いた。
「わかりました」
「それから、めまい、普段と違う痛み、集中力の低下、その他何か気になる症状があれば、すぐに戻ってきてください」
「了解」
「すぐに、です」
「聞いてますよ」
医師がじっと見る。
キランは言い直した。
「……何かあったら、すぐ戻ってきます」
「よろしい」
どうやらそれで満足したらしい。
キランは帰る準備を始めた。
マッハの携帯用パックを調整する。
手動車椅子をドアへ向ける。
自由まで――
あと少し。
その時。
「もう一つ」
キランは止まった。
もちろん。
あるよね。
いつだって“もう一つ”ある。
振り返る。
「はい?」
医師の表情が再び真剣になった。
「あなたにあの怪我を負わせた原因が何であれ……」
キランの笑みが消えた。
「……二度と同じことをしないでください」
しばらく。
キランは答えなかった。
頭の中を映像が駆け巡る。
倉庫。
ベリゼール。
ザイラ。
ジャリック。
追跡。
空。
爆発。
そして――
病院。
キランは目を伏せた。
「……努力します」
医師はその答えに満足していないようだった。
マッハも同じだった。
だが。
それがキランに言える唯一の正直な答えだった。
なぜなら――
二人が知らないことを。
キラン自身はすでに知っていたからだ。
まだ終わっていない。
まったく。
これっぽっちも。
診察室の外では、レイモンドが待っていた。
腕を組み。
壁にもたれかかっている。
キランが出てきた瞬間、レイモンドは身体を起こした。
「どうだった?」
キランは笑った。
「生きてる」
レイモンドがじっと見る。
「それは聞いてない」
「一番重要な部分だろ」
「医者は何て?」
キランはためらった。
マッハが即答した。
『休養を取り、不必要な身体的負担を避け、さらなる外傷につながる可能性のある行動を控えるよう指示されました』
キランは裏切られたような顔でマッハを見る。
「マッハ!」
レイモンドがゆっくり笑った。
「へえ?」
「話には事情があるんだ」
「だろうな」
「ものすごく複雑な事情が」
レイモンドは車椅子の後ろへ回った。
キランは即座に後ろを振り返る。
「何してる?」
「家まで連れて帰る」
「自分で行けるよ」
「手動車椅子で?」
キランは止まった。
残念ながら――
そこを突かれると弱い。
キランはこの一時的な車椅子が嫌いだった。
手動車椅子そのものに問題があるわけではない。
そんなものはない。
ただ――
これはキランのために作られたものではなかった。
彼の電動車椅子は、身体に合わせ。
必要性に合わせ。
そして――
自立して生活できるように調整されていた。
この車椅子では。
人の助けが必要になる。
そしてキランは――
必要以上に人の助けを借りることが嫌いだった。
溜息を吐く。
「……わかったよ」
レイモンドがハンドルを握った。
二人は廊下を進み始めた。
マッハは数秒間黙っていた。
そして――
『心拍数が上昇しています』
キランは眉をひそめた。
「イラついてるんだよ」
『それなら説明がつきます』
レイモンドが笑った。
キランは後ろを見る。
「こいつを調子に乗らせるなよ」
「俺は何も言ってない」
「笑ってるだろ」
「笑うのは喋るのとは違う」
キランは呻いた。
最高。
これで二人になった。
エレベーターへ到着する。
レイモンドがボタンを押した。
キランは閉じたドアを見つめた。
聞いておきたいことがあった。
病院を出てからずっと――
頭の片隅に引っかかっていたこと。
「ギアはどうしてる?」
レイモンドの表情が変わった。
ほんの僅かに。
だが――
キランには十分だった。
「忙しい」
「忙しい?」
「ものすごく忙しい」
エレベーターのドアが開いた。
レイモンドがキランを中へ押していく。
キランは目を細めた。
「それ、どういう意味?」
「お前の車椅子を作ってるって意味だ」
「それは知ってる」
ドアが閉まる。
キランはまだ彼を見ていた。
レイモンドは真っ直ぐ前を向いている。
あまりにも――
無実そうな顔で。
キランはその顔を知っていた。
以前にも見たことがある。
大抵――
レイモンドが何か馬鹿なことをしようとしている時に。
「何を隠してる?」
「何も」
「レイモンド」
「キラン」
「レイモンド」
「キラン」
マッハが割って入った。
『このやり取りから有益な情報が得られる可能性は低いと思われます』
「ありがとう、マッハ」
『どういたしまして』
エレベーターが下降し始める。
キランはまだレイモンドを見つめていた。
何かある。
絶対に。
キランにはわかっていた。
レイモンドも――
キランに気づかれていることをわかっていた。
そして。
レイモンドの口元に浮かび始めた小さな笑みを見る限り――
それが何であれ。
キランは――
きっと気に入らない。
まったく。
これっぽっちも。




