機械に宿る亡霊
月曜日の朝は、雨とともに訪れた。
窓辺に座り、温かい飲み物とお気に入りの本を楽しみたくなるような、優しい雨ではない。
違う。
何もかもが憂鬱になるような、そんな雨だった。
道路は濡れて滑りやすくなっていた。
歩道には水たまりが広がっていた。
空はどこまでも灰色の雲に覆われていた。
そしてキラン・キリアンは、朝からとびきり最悪な目に遭っていた。
「痛っ!」
ギアはMACH-01Aのむき出しになった冷却装置から手を引っ込めた。
「動かないで!」
「動いてないよ!」
「ぴくぴくしてる!」
「だって、何かを突っついてるじゃないか!」
「コネクターを締め直してるだけ!」
「そのコネクター、どうやら僕の魂につながってるみたいなんだけど!」
ナサニエル・ブルックスが吹き出した。
診断端末の上に、マッハの紫色のアバターが現れた。
「キラン。確認しましたが、あなたの魂は冷却装置には接続されていません」
キランは画面をにらみつけた。
「誰も聞いてないよ」
「誤解を解くことが有益だと判断しました」
「全然有益じゃない!」
ギアはため息をついた。
「スナット!」
ギアは修理台から一歩離れた。
MACH-01Aは、装甲の一部を取り外された状態で、工房の天井照明の下に置かれていた。
紫色の装甲は磨き上げられていた。
推進回路には補強が施されていた。
そして冷却システムには、ギアが夜の大半を費やして設計した緊急改修が加えられていた。
問題は、その改修がまだ実戦環境で試されていないことだった。
しかも、キランが約三時間後に直面すると予想しているのは、まさにその実戦環境だった。
ギアは診断画面を確認した。
「よし」
キランは背筋を伸ばした。
「よしって、いい意味のよし?」
「とりあえず、今すぐ爆発することはなさそうって意味」
キランは微笑んだ。
「それなら十分だよ」
ナサニエルが画面に身を乗り出した。
「熱分散システムは期待できそうだね」
ギアはうなずいた。
「熱を後部推進装置の周辺に集中させず、二次冷却経路全体に分散させる仕組みなんだ」
キランはMACH-01Aを見た。
「じゃあ、飛べる?」
ギアはゆっくり振り向いた。
「キラン」
「何?」
「その話、もうしたよね?」
「何回もね」
「だったら、どうして聞くの?」
「いい知らせを聞くのが好きだから」
マッハが割って入った。
「限定的な飛行は可能です。ただし、高出力推進を継続して使用することは禁止されています」
キランはため息をついた。
「みんな、僕のヒーローとしてのイメージを台無しにしてるよ」
ナサニエルは微笑んだ。
「昨日のコバルトとの戦いでも、君のヒーローとしてのイメージは守られたと思うよ」
キランの表情が明るくなった。
「本当?」
「だいたいはね」
「だいたい?」
「自分のグラップラーケーブルで荷役場を引きずり回されてたけど」
キランは彼を見つめた。
「あれは戦術的な機動だったんだよ」
マッハが答えた。
「違います」
ギアが笑った。
ほんの短い間、工房にはいつもの空気が戻っていた。
ほとんど、いつもどおりだった。
しかし、そのとき中央モニターにカウントダウンが表示された。
【最終パージ・プロトコル】
【推定準備完了率――89%】
【ネットワーク到達率――76%】
【旧式認証――保留中】
笑い声が止まった。
キランは数字を見つめた。
「あと、どれくらい時間がある?」
ナサニエルは首を振った。
「わからない」
ギアは腕を組んだ。
「ヘイル博士は?」
マッハが最新の捜査情報を表示した。
【マーカス・ヘイル博士】
【状態:拉致】
【最後に確認された場所:東部通信地区】
【指定期限:正午12時】
キランは時計を見た。
午前九時八分。
残された時間は三時間もなかった。
彼は息を吐いた。
「だったら、一分も無駄にはできないね」
シトロンシティ中央警察署では、マーラ・エリソン刑事が戦術作戦用の大型スクリーンの前に立っていた。
レイモンド・ハリソンがその隣に立っていた。
ワイルダー巡査はコーヒーカップを手に、壁にもたれかかっていた。
アダムとパトロールは通信卓についていた。
数人の戦術部隊員が部屋を囲むように座っていた。
スクリーンには、東部通信地区の航空写真が映し出されていた。
その一帯には倉庫、通信事業所、地下の保守用トンネル、そして放棄された工業施設が点在していた。
エリソンは中央付近の建物を強調表示した。
「これが身代金要求の通信で指定された場所です」
レイモンドは眉をひそめた。
「廃墟に見えるな」
「公式には廃墟です」
ワイルダーはコーヒーを一口飲んだ。
「ってことは、実際には違うんでしょうね」
エリソンはうなずいた。
「その可能性が高いですね」
彼女は表示を切り替えた。
「侵入経路は二つ確認しています。正面入口と、市営保守ネットワークにつながる地下の作業用トンネルです」
レイモンドは地図を調べた。
「ヘイルが中にいる証拠は?」
「まだありません」
アダムが身を乗り出した。
「だったら、どうしてキランにそこへ来いって言ったんだろう?」
エリソンは彼を見た。
「待ち伏せするためでしょう」
パトロールのセンサーが明るくなった。
「あるいは、別の場所から注意をそらすためです」
レイモンドはうなずいた。
「俺もそう考えていた」
ワイルダーは眉をひそめた。
「ヘイル博士は別の場所にいるってことですか?」
「可能性はあります」
エリソンは再び画面を切り替えた。
二枚目の地図が表示された。
そこには東部中継装置、市営ネットワーク、そして放棄された通信施設が示されていた。
「純化協定はこれまでも、陽動攻撃を利用して別の場所へ人員を移動させたり、設備を起動したりしています」
レイモンドは腕を組んだ。
「昨日の警察署襲撃だな」
エリソンはうなずいた。
「それに通信地区での爆発事件もあります」
アダムは地図を見た。
「じゃあ、人質事件も陽動かもしれないんだね」
「そうです」
ワイルダーはため息をついた。
「素晴らしい話ですね」
パトロールが傍受した通信記録を表示した。
「暗号化された通信に、繰り返し現れるパターンを発見しました」
エリソンが振り向いた。
「どのようなパターンですか?」
「大規模な作戦が実行される直前には、必ず東部中継装置と市営ネットワークの間で、短い認証情報の交換が行われています」
レイモンドは眉をひそめた。
「それを利用できるか?」
パトロールは少し間を置いた。
「可能性はあります」
アダムが彼を見た。
「説明して」
パトロールは通信の流れを表示した。
「この記録によれば、東部中継装置は単に命令を転送しているだけではありません。市営の主制御装置に対するアクセス認証を行っています」
エリソンは情報を調べた。
「つまり、東部中継装置を隔離すれば――」
「市営制御装置は、最終起動を承認する能力を失う可能性があります」
レイモンドはうなずいた。
「そこが狙い目だ」
パトロールは続けた。
「ただし、ネットワークには代替経路が存在します。効果は一時的なものにとどまる可能性があります」
エリソンは腕を組んだ。
「それなら、複数の作戦を同時に実行する必要がありますね」
レイモンドは彼女を見た。
「一つの部隊は東部中継装置へ。もう一つは市営制御装置へ」
「そして、ヘイル博士の居場所が判明した場合に備え、救出部隊も必要です」
ワイルダーはかすかに微笑んだ。
「街全体に広がるテロ組織を相手に、三つの部隊ですか」
レイモンドは彼を見た。
「何か問題でも?」
ワイルダーはコーヒーをもう一口飲んだ。
「まだコーヒーを飲み終わってないことくらいですね」
シトロン・アカデミーでは、マイケイラ・マッキントッシュが別の戦いに直面していた。
緊急支援ネットワークには、前日の三分間にわたる機器停止以来、数百件もの支援要請が届いていた。
ボランティアたちは疲れ果てていた。
家族たちは不安に包まれていた。
そして市当局は、安心させるような言葉ばかり並べ、肝心な情報をほとんど提供しない声明を発表し始めていた。
マイケイラは、一時的な対策本部となった教室で、セリーナ・チョウとマーガレット・ホロウェイの隣に座っていた。
壁には地図が貼られていた。
いくつもの机には緊急連絡先の一覧が並んでいた。
ボランティアたちは電話に対応し、被害報告を記録していた。
セリーナは集計表を確認した。
「移動機器の停止が確認された事例は、二百十四件」
マイケイラは顔を上げた。
「それって、確認が取れた報告だけ?」
「そう」
マーガレットは眉をひそめた。
「報告することすらできていない人は、いったい何人いるのかしら?」
セリーナはため息をついた。
「きっと、かなりいると思う」
マイケイラは椅子の背もたれに身体を預けた。
部屋は暖かかった。
目が痛かった。
昨夜は四時間も眠れていなかった。
それでも彼女は仕事を続けていた。
一人のボランティアが近づいてきた。
「マッキントッシュさん?」
「はい?」
「電話の女性なんですが、息子さんがヴェント車椅子を使っているそうです。ネットワークモジュールを取り外したほうがいいかと聞かれていて……」
マイケイラはすぐに首を振った。
「資格のある技術者が機器を確認するまでは、そう勧めないでください」
ボランティアはうなずいた。
「何と伝えればいいでしょう?」
「今、車椅子が正常に動いているか確認してください。機種も聞いて。それから機器サポートチームにつないでください」
「わかりました」
ボランティアは電話へ戻っていった。
マーガレットがマイケイラを見た。
「あなた、少し休みなさい」
マイケイラは弱々しく微笑んだ。
「みんな休みが必要ですよ」
「これは提案じゃないわよ」
セリーナが笑った。
マイケイラはため息をついた。
「五分だけ」
マーガレットはうなずいた。
「十分」
「七分」
「九分」
「八分」
「決まりね」
マイケイラは立ち上がった。
スマートフォンが振動した。
キランからのメッセージだった。
【キラン:正午にヘイル博士を助けに行く。警察と連携してるよ】
彼女は画面を見つめた。
それから返信した。
【マイケイラ:ちゃんと気をつけてくれる?】
すぐに返事が届いた。
【キラン:気をつけるって、具体的には?】
彼女は目を閉じた。
【マイケイラ:キラン】
【キラン:うん。約束する】
マイケイラはメッセージを見た。
そして、もう一度入力した。
【マイケイラ:帰ってきてね】
今度は少し間があった。
【キラン:必ず帰るよ】
彼女は数秒間、その文字を見つめていた。
それからスマートフォンをポケットにしまった。
マーガレットが彼女を見ていた。
「彼氏から?」
マイケイラはうなずいた。
マーガレットは微笑んだ。
「問題児?」
「いつもです」
「いい男?」
マイケイラは窓の外の雨を見た。
「はい」
マーガレットはうなずいた。
「だったら、いい男だからって死ぬ必要はないって、ちゃんと言っておきなさい」
マイケイラはかすかに微笑んだ。
「いつも言ってます」
午前十時十四分。
キランはMACH-01Aに乗り込んだ。
コックピットが彼の身体を包み込むように閉じた。
装甲内部の支持装置が、彼の身体に合わせて調整された。
操作インターフェースが起動した。
バイザーにマッハの紫色のアイコンが現れた。
「おはようございます、キラン」
キランは微笑んだ。
「おはよう、マッハ」
「気分はいかがですか?」
「緊張してる」
「理解できます」
「わくわくもしてる」
「それも理解できます」
「ものすごく怖い」
「おそらく、それが最も理にかなった反応です」
キランは笑った。
ギアが修理台の横に立った。
「よし。最終チェックだよ」
マッハが診断結果を表示した。
【推進システム――正常】
【熱分散システム――稼働中】
【電磁干渉隔離――安定】
【シールドシステム――84%】
【プラズマ砲――出力制限中】
【飛行状態――制限あり】
キランは一覧を読んだ。
「もっと悪い状態だってあり得たよね」
ギアはうなずいた。
「ずっと悪い状態もあり得たね」
ナサニエルが近づいた。
「独立した診断回線を追加しておいたよ」
キランは彼を見た。
「何をするもの?」
「マッハが戦闘システムを担当している間、僕がパージ・プロトコルの認証通信を監視できるようにするんだ」
マッハが答えた。
「効率的な役割分担です」
ナサニエルは微笑んだ。
「そのとおり」
ギアはキランを見た。
「それから、もう一つ」
ギアは小さな部品を持ち上げた。
キランは眉をひそめた。
「何それ?」
「緊急用の熱遮断装置」
キランは瞬きをした。
「もう一つ付いてなかった?」
「今は二つあるよ」
「ちょっと大げさじゃない?」
ギアは無言で彼を見つめた。
キランはため息をついた。
「わかったよ。三つあったほうがいいね」
ギアは微笑んだ。
「やっと学習したね」
通信回線にレイモンドの声が入った。
『ウルトラヴァイオレット、準備はいいか?』
キランは工房の扉を見た。
「準備完了」
『なら、出発するぞ』
ギアが後ろへ下がった。
修理台が下がった。
MACH-01Aが前進した。
キランは開いた扉の向こうに広がる雨空を見た。
「マッハ?」
「はい?」
「ヘイル博士を連れて帰ろう」
マッハのアイコンが明るくなった。
「同感です」
午前十一時二分。
警察の戦術部隊が東部通信地区へ入った。
雨が屋根を激しく叩いていた。
雨水が排水溝へ流れ込んでいた。
放棄された通信施設は、灰色の空の下で静まり返っていた。
キランはレイモンドの部隊とともに、狭い作業用道路を進んでいた。
MACH-01Aは地上走行を維持していた。
推進システムが低い音を立てていた。
無線からエリソンの声が聞こえた。
『全部隊へ。通信規律を維持してください。ヘイル博士の姿はまだ確認されていません』
レイモンドはうなずいた。
「了解」
ワイルダーが隣を歩いていた。
「静かすぎますね」
キランはかすかに微笑んだ。
「よく言うじゃない」
ワイルダーは彼を見た。
「何をです?」
「静かすぎるなんて、絶対に言っちゃいけないって」
ワイルダーは彼を見つめた。
「今、自分で言いましたよね?」
キランは肩をすくめた。
「厳密には、先に言ったのは君だよ」
マッハが割り込んだ。
「複数の動体反応を検出」
レイモンドは拳を上げた。
部隊が停止した。
前方では、通信施設の正面入口が開いていた。
内部には一つだけ明かりがともっていた。
キランは眉をひそめた。
「ずいぶん歓迎してくれてるね」
ワイルダーはうなずいた。
「怪しいくらいの大歓迎ですね」
そのとき、スピーカーが雑音を立てた。
『ウルトラヴァイオレット』
歪んだ声が雨の中に響いた。
キランは顔を上げた。
「また会ったね」
『一人で来るよう指示したはずだ』
キランは警察官たちをちらりと見た。
「ああ、それなんだけど……」
声が冷たくなった。
『条件を破ったな』
キランは身を乗り出した。
「おかしいな。契約書にサインした覚えはないんだけど」
レイモンドがつぶやいた。
「おい、小僧……」
キランは続けた。
「それに、罪のない人を誘拐しておいて、ルールについて説教できる立場じゃないと思うよ」
沈黙が流れた。
そして、スピーカーが再び鳴った。
『いいだろう』
建物の扉が勢いよく閉じた。
ガァン!
マッハのセンサーが点滅した。
「キラン!」
作業用道路に沿って爆発が起きた。
ドォォォン!
コンクリートが砕け散った。
煙が辺りを覆った。
警察官たちは障壁の陰へ飛び込んだ。
キランはシールドを起動した。
「待ち伏せだ!」
周囲の建物から、武装したヌリファイアーたちが姿を現した。
彼らは一斉に発砲した。
レイモンドが叫んだ。
「応戦しろ!」
戦闘が始まった。
キランはコンクリートの障壁の間を加速した。
銃弾がシールドに命中した。
キン! キン! キン!
マッハが飛来する弾丸の軌道を表示した。
「左側に敵が三人!」
キランは旋回した。
「任せて!」
彼は出力を抑えたプラズマ弾を発射した。
ピュン!
弾はバリケードに命中した。
二人のヌリファイアーが散開した。
三人目が電磁ランチャーを構えた。
マッハが警告した。
「電磁兵器です!」
キランは横方向へ加速した。
パルスが地面に命中した。
ズザァァァッ!
シールドが明滅した。
しかし、推進システムは安定していた。
キランは微笑んだ。
「まだ動いてる!」
マッハが答えた。
「何度も試すのは控えてください」
レイモンドは戦術部隊とともに前進した。
「左側だ! 進め!」
ワイルダーが援護射撃を行った。
警察部隊は正面入口へ向かって進んだ。
そのとき、煙の中から重装甲の巨体が現れた。
コバルト。
またしても。
キランは目を見開いた。
「もう、勘弁してよ!」
コバルトのバイザーが光った。
「ウルトラヴァイオレット!」
キランはため息をついた。
「君って休みの日とかないの?」
コバルトは武器を構えた。
「今日こそ貴様は死ぬ」
キランは微笑んだ。
「ひどい答えだね」
コバルトが発砲した。
キランはコンクリートの障壁の陰へ身を隠した。
電磁攻撃が壁に命中した。
ドォォォン!
破片が飛び散った。
マッハが警告した。
「シールド耐久値、七十六パーセント!」
キランは加速した。
コバルトが突進した。
二人が激突した。
ガシャァァン!
MACH-01Aが横方向へ回転した。
キランは歯を食いしばった。
「マッハ!」
「姿勢を安定させます!」
車椅子は体勢を立て直した。
コバルトが装甲の拳を振り下ろした。
キランは後退した。
拳がコンクリートの柱に命中した。
バキッ!
キランは損傷した柱を見た。
「おい! その建物、もう取り壊し予定なんじゃないの!」
コバルトが怒号を上げた。
再び飛びかかった。
キランはグラップラーを発射した。
シュパッ!
ケーブルが支持梁に巻きついた。
キランは巻き上げ装置を使い、コバルトの周囲を回り込んだ。
指揮官の反応は遅れた。
キランが発砲した。
ピュン!
プラズマ弾がコバルトの肩に命中した。
修理された装甲から火花が散った。
コバルトはよろめいた。
「ぐあっ!」
キランはにやりと笑った。
「まだ直してなかったの?」
コバルトが振り向いた。
「この生意気な――」
レイモンドが背後に現れた。
「おい!」
コバルトが振り向いた。
レイモンドは拘束用ランチャーを発射した。
ケーブルがコバルトの脚に巻きついた。
キランは加速した。
ドガッ!
MACH-01Aが指揮官の側面に激突した。
コバルトは金属製の手すりに叩きつけられた。
ガァン!
一瞬、彼は動かなかった。
キランはレイモンドを見た。
「倒した?」
レイモンドは眉をひそめた。
「それを言うな」
突然、コバルトの装甲から煙が噴き出した。
キランはため息をついた。
「やっぱりね」
指揮官は煙の中へ姿を消した。
マッハが周辺を走査した。
「地下通路を通って撤退しています」
レイモンドは首を振った。
「あの野郎……」
キランはトンネルの入口を見た。
「行動が読めるようになってきたね」
マッハが答えた。
「予測できるからといって、危険性が低くなるわけではありません」
「そうだね」
キランは建物を見た。
「ヘイル博士を探そう」
午前十一時二十八分。
エリソンの第二部隊が市営保守ネットワークへ入った。
トンネルは狭かった。
湿っていた。
そして、錆とよどんだ水の匂いが充満していた。
パトロールは警備された指揮所から、部隊の進行状況を監視していた。
アダムが隣に座っていた。
地下ネットワークの地図がメインスクリーンいっぱいに表示されていた。
パトロールが分岐点を強調表示した。
「ブラボーチーム、次の交差点を左折してください」
戦術部隊の警察官が答えた。
『了解』
アダムはカメラ映像を見ていた。
「何かわかった?」
パトロールは少し間を置いた。
「異常な電力消費を検出しました」
アダムは身を乗り出した。
「どこ?」
パトロールは一つの区画を強調表示した。
「前方約四十メートルです」
アダムは図面を見た。
「そこ、市の図面には載ってないよ」
「そのとおりです」
彼は眉をひそめた。
「隠し部屋?」
「その可能性が高いです」
アダムは無線を起動した。
「ブラボーチーム、何か見つけたよ」
警察官たちは前進した。
トンネルの突き当たりには、補強された扉があった。
識別プレートはなかった。
市の管理印もなかった。
小さな電子錠が付いているだけだった。
部隊長がそれを調べた。
「パトロール、開けられるか?」
パトロールはカメラ越しに電子錠を分析した。
「遠隔操作では不可能です。機構が独立しています」
アダムはうなずいた。
「だったら、許可された手順で突入して」
警察官たちは制御爆破の準備を進めた。
ドォン!
扉が破られた。
内部にはサーバーが何列も並んでいた。
冷却ファンが轟音を立てていた。
ケーブルが壁の中へ延びていた。
そして部屋の中央には、次の文字を表示したコンソールがあった。
【プロジェクト・クリーン・スレート】
【旧式認証システム】
【状態――待機中】
アダムは画面を凝視した。
「パトロール……」
「確認しています」
部隊長がコンソールへ近づいた。
「停止させるか?」
パトロールは即座に答えた。
「いいえ。稼働中の通信経路を特定するまでは、システムと接続状態を保全してください」
アダムは画面を見た。
「これ、主制御装置じゃないね」
パトロールは少し間を置いた。
「はい」
「じゃあ、何なの?」
パトロールのセンサーが明るくなった。
「予備の認証サーバーです」
アダムは胃の奥が冷たくなるのを感じた。
「予備って、いくつあるの?」
パトロールがネットワークを分析した。
「不明です」
そのとき、警告が表示された。
【遠隔アクセスを検出】
【認証要求――受信中】
アダムは身を乗り出した。
「パトロール?」
AIの声が鋭くなった。
「何者かが旧式システムを起動しようとしています」
街の地下深くで、ヴェインはマーカス・ヘイル博士の前に立っていた。
年老いた技術者は、頑丈な椅子に拘束されていた。
顔にはあざがあった。
両手は震えていた。
しかし、その目にはまだ反抗の光が宿っていた。
ヴェインは彼の前に立った。
「ヘイル博士」
彼は顔を背けた。
「知っていることは全部話した」
「いいえ」
彼女はかすかに微笑んだ。
「あなたが、私の知っていると思っていることを話しただけです」
ヘイルは唾を飲み込んだ。
ヴェインが近づいた。
「最終認証キー」
彼は首を振った。
「持っていない」
「どこにあるのです?」
「知らない」
ヴェインはため息をついた。
「マーカス」
彼女は顔を近づけた。
「あなたはクリーン・スレートの設計に関わっていたでしょう」
ヘイルは彼女を見つめた。
「あれは何十年も前のことだ」
「ええ」
「こんなことに使うためのものじゃなかった」
ヴェインは微笑んだ。
「では、何のためのものだったのです?」
ヘイルはためらった。
「緊急時に、インフラの機能を維持するためだ」
「機器を制御することで?」
「認可されたシステム同士を連携させることでだ」
ヴェインは首を傾けた。
「利用者の同意もなしに?」
ヘイルはうつむいた。
「当初の計画では、各機器側での認証が必要だった」
「しかし、設計上は中央から命令を送れるようになっていた」
「厳しく制限された条件下でのみだ」
ヴェインは微笑んだ。
「制限など、変更すればいいだけです」
ヘイルは彼女を見た。
「ダニエル・リヴァースも、そう警告していた」
初めて、ヴェインの表情が変わった。
ほんのわずかに。
「リヴァース……」
ヘイルはうなずいた。
「安全装置を取り除けば、このシステムは兵器になると、あいつは言っていた」
ヴェインは腕を組んだ。
「それで、あなたは彼の言葉を聞いたのですか?」
ヘイルは顔を背けた。
「気づくのが遅すぎた」
沈黙が流れた。
やがてヴェインはコンソールへ近づいた。
「キーはどこです?」
ヘイルは首を振った。
「私の持っていたものは破壊した」
ヴェインが振り向いた。
「あなたの持っていたもの?」
彼は凍りついた。
彼女は微笑んだ。
「つまり、ほかにも存在するのですね」
ヘイルは何も言わなかった。
ヴェインは彼を観察した。
「誰が持っているのです?」
彼は沈黙したままだった。
彼女が近づいた。
「マーカス」
彼は顔を上げた。
「教えれば、あんたはそれを使って人を傷つける」
ヴェインの表情が険しくなった。
「人々はすでに傷ついています」
「あんたのせいだ!」
その言葉が部屋に響き渡った。
しばらく、ヴェインは何も言わなかった。
そして微笑んだ。
「進歩には、不幸な犠牲がつきものです」
ヘイルは彼女を見つめた。
「あんたは狂ってる」
「そうかもしれませんね」
彼女は警備員たちへ向き直った。
「抽出装置を準備しなさい」
ヘイルの顔から血の気が引いた。
「やめろ……」
ヴェインは振り返った。
「それなら、考え直すことをお勧めします」
ギアの工房では、ナサニエルが突然身を乗り出した。
「待って」
ギアが顔を上げた。
「何?」
ナサニエルは認証ログを拡大した。
「旧式サーバーが起動した」
通信回線からマッハの声が聞こえた。
「確認しました。新たな認証要求が市営ネットワーク全体へ伝播しています」
スピーカーからキランの声が聞こえた。
『それって、まずい?』
ナサニエルは画面を凝視した。
「かなりまずい」
キランはため息をついた。
『やっぱりね』
ナサニエルは続けた。
「誰かがクリーン・スレートの本来の指令権限を起動しようとしてる」
ギアは眉をひそめた。
「そんなことできるの?」
「最終キーがなければ無理なはずだよ」
マッハが答えた。
「しかし、認証システムは不完全な資格情報を受け入れているようです」
ナサニエルは画面を見た。
「そんなの不可能だ」
ギアが身を乗り出した。
「どうして?」
「元のシステムは、複数の独立した承認が必要になる設計だったんだ」
マッハが認証の流れを表示した。
「承認の一つが複製されているようです」
ナサニエルの表情が険しくなった。
「誰かが安全装置を迂回したんだ」
ギアは彼を見た。
「止められる?」
ナサニエルは首を振った。
「ここから遠隔操作では無理だ」
キランの声が再び聞こえた。
『だったら、どこへ行けばいいか教えて』
ナサニエルはネットワークの地図を調べた。
「市営制御装置だ」
キランはレイモンドを見た。
「次はそこだね」
レイモンドはうなずいた。
「エリソンの部隊も向かっている」
キランは推進システムを起動した。
マッハが警告した。
「熱的余裕、六十八パーセント」
キランはうなずいた。
「短距離飛行だけだよ」
彼は加速した。
MACH-01Aが地面から浮き上がった。
後部スラスターが紫色に輝いた。
雨粒が装甲を流れ落ちた。
ほんの一瞬、キランはあの懐かしい自由の感覚を味わった。
そのとき、マッハが話しかけた。
「キラン」
「何?」
「自由であることと、無謀であることは同じではありません。どうか忘れないでください」
キランは微笑んだ。
「わかってるよ」
彼は街の高層ビル群を見た。
「行こう」
午前十一時四十六分。
マイケイラはセリーナから緊急メッセージを受け取った。
【セリーナ:また何か起きてる】
マイケイラはすぐに電話をかけた。
「どうしたの?」
セリーナの声には緊張がにじんでいた。
『車椅子のメンテナンス画面が急に変わったの』
マイケイラは眉をひそめた。
「どう変わったの?」
『新しい認証プロファイルをインストールしていますって表示されてる』
マイケイラは胃の奥が冷たくなった。
「承認した?」
『してない!』
「キャンセルできる?」
『やってみた。でも、できないの』
マイケイラはボランティアたちを見た。
「機器サポートチームを呼んで!」
セリーナは続けた。
『私だけじゃない。ここにいるほかの二人にも、同じメッセージが出てる』
マイケイラの表情が険しくなった。
「わかった。電話は切らないで」
彼女はマーガレットへ向き直った。
「また攻撃が始まるかもしれません」
マーガレットはため息をついた。
「まったく、またなのね」
マイケイラは緊急通知システムを起動した。
【無許可の機器更新が発生している可能性】
【心当たりのない要求を承認しないでください】
【資格を持つ機器サポート担当者へ連絡してください】
【機器の状態を報告してください】
彼女は時計を見た。
午前十一時四十七分。
指定された正午まで、あと十三分。
スマートフォンが再び振動した。
キランからのメッセージだった。
【キラン:予備サーバーを見つけた。今から主制御装置へ向かう】
マイケイラは画面を見つめた。
そして返信した。
【マイケイラ:みんなの機器に勝手な更新が届いてる。お願い、急いで】
ほとんどすぐに返事が届いた。
【キラン:任せて】
彼女はボランティアたちを見た。
「みなさん、急いで対応しましょう」
午前十一時五十二分。
キランとレイモンドは市営通信施設に到着した。
建物は高い防護フェンスに囲まれていた。
窓は暗かった。
出入口は封鎖されていた。
しかし、地下のシステムは稼働していた。
無線からエリソンの声が聞こえた。
『アルファチーム、突入許可が下りました。ブラボーチームは予備サーバーを確保中です』
レイモンドはうなずいた。
「了解」
キランは建物を見た。
「歓迎されてるみたいだね」
ワイルダーは武器を確認した。
「その冗談、本当に気に入ってるんですね」
キランは微笑んだ。
「僕の持ちネタだからね」
マッハが割り込んだ。
「複数の敵対的反応を検出」
レイモンドは拳を上げた。
部隊が停止した。
前方には巨大な装甲扉があった。
その上に設置された監視カメラが、彼らのほうへ向きを変えた。
スピーカーから聞き覚えのある声が響いた。
『ウルトラヴァイオレット』
キランはため息をついた。
「ヴェイン」
『ようこそ』
彼はカメラを見た。
「ヘイル博士はどこ?」
『安全な場所にいます』
キランは眉をひそめた。
「君の言う安全って、ひどい意味だよね」
ヴェインは静かに笑った。
『そうかもしれませんね』
レイモンドが前へ出た。
「博士を解放しろ」
ヴェインは彼を無視した。
『もう手遅れです』
キランの表情が変わった。
「何?」
カメラの映像が切り替わった。
入口の上に大きなスクリーンが現れた。
そこには次の文字が表示されていた。
【最終パージ・プロトコル】
【認証完了率――96%】
【ネットワーク到達率――78%】
【起動待機中】
キランは画面を凝視した。
「マッハ……」
「確認しました」
ヴェインは続けた。
『この街はすでに、新しい認証構造を受け入れています』
通信回線にナサニエルの声が入った。
『キラン、あいつの言うことを信じちゃダメだ! 最終キーはまだ見つかってない!』
ヴェインが笑った。
『あら、ブルックスさん』
ナサニエルは凍りついた。
彼女は続けた。
『あなたの仕事は実に興味深いものでした』
彼は画面を見つめた。
「どうして僕の名前を知ってるんだ?」
『あなたは、私たちが築いたものを壊そうとしているのですから』
キランは拳を握った。
「扉を開けて」
ヴェインは微笑んだ。
『喜んで』
装甲扉がゆっくりと上昇し始めた。
ゴゴゴゴゴ……!
その向こうには長い廊下が続いていた。
暗い。
静かな。
何かが待ち受けている廊下だった。
キランはレイモンドを見た。
レイモンドはうなずいた。
「一緒に行くぞ」
キランはかすかに微笑んだ。
「一緒にね」
二人は中へ入った。
廊下には監視カメラが並んでいた。
数メートルおきに、補強された扉が通路を区切っていた。
空気にはオゾンと熱せられた金属の匂いが漂っていた。
キランはゆっくり進んだ。
マッハが壁を走査した。
「複数の隠された防衛装置を検出」
レイモンドは天井を見た。
「いくつある?」
「少なくとも十二基です」
ワイルダーはため息をついた。
「でしょうね」
キランは微笑んだ。
「もっと悪い状況だってあり得るよ」
ワイルダーは彼を見た。
「例えば?」
キランは考えた。
「……十三基とか?」
最初の砲塔が起動した。
カチッ!
マッハが叫んだ。
「敵襲!」
砲塔が発砲した。
ダダダダダッ!
キランはシールドを起動した。
銃弾が障壁に命中した。
キン! キン! キン!
レイモンドとワイルダーは遮蔽物の陰へ飛び込んだ。
キランはプラズマ砲を構えた。
「マッハ!」
「照準を合わせます!」
彼は発砲した。
ピュン!
砲塔が爆発した。
ドォン!
二基目が起動した。
続いて三基目。
そして四基目。
キランはうめいた。
「この廊下、大嫌い!」
マッハが答えた。
「その不満は理解できます」
キランは加速した。
シールドがさらに銃撃を受け止めた。
【シールド耐久値――61%】
レイモンドは砲塔の露出した機構へ発砲した。
ワイルダーは制御盤へ向かって移動した。
「援護を!」
キランは振り向いた。
「任せて!」
彼はMACH-01Aをワイルダーと残りの砲塔の間に移動させた。
銃弾がシールドを激しく叩いた。
マッハが警告した。
「熱的余裕、四十八パーセント!」
キランは歯を食いしばった。
「もう少し!」
ワイルダーは制御盤へたどり着いた。
外装を開いた。
「パトロール! 何を探せばいいんだ!」
無線からパトロールの声が聞こえた。
『緊急用の機械式隔離スイッチを探してください』
ワイルダーは部品を調べた。
「見つけた!」
『引いてください』
ワイルダーはレバーを引いた。
ガコン!
砲塔が停止した。
沈黙。
キランは息を吐いた。
「いやあ……」
レイモンドは彼を見た。
「何だ?」
「この廊下、模様替えしたほうがいいと思う」
ワイルダーが笑った。
そのとき、床が震えた。
廊下の突き当たりにある巨大な扉が開いた。
マッハのセンサーが点滅した。
「キラン……」
彼は顔を上げた。
「何?」
「大型の敵対的反応を検出しました」
キランはため息をついた。
「コバルトって言わないでよ」
巨大な装甲兵が姿を現した。
コバルトだった。
キランは目を見開いた。
「もう、いい加減にしてよ!」
コバルトは非常灯の下に立っていた。
装甲はまた修理されていた。
損傷した肩には、さらに補強装甲が追加されていた。
電磁ランチャーも、以前より大型の武器に交換されていた。
キランは彼を見た。
「君の装甲修理って、定額サービスでもあるの?」
コバルトのバイザーが光った。
「貴様の冗談も今日で終わりだ」
キランはため息をついた。
「みんな同じことばっかり言うね」
コバルトが武器を構えた。
レイモンドが前へ出た。
「キラン、時間がない」
キランはうなずいた。
「だったら、さっさと終わらせよう」
コバルトが発砲した。
ズザァァァッ!
電磁パルスがMACH-01Aに命中した。
キランのシールドが明滅した。
マッハが警告した。
「シールド耐久値、四十三パーセント!」
キランは横方向へ加速した。
コバルトが突進した。
装甲の指揮官は壁に激突した。
ガシャァァン!
コンクリートが砕け散った。
キランはグラップラーを発射した。
シュパッ!
ケーブルがコバルトの腕に巻きついた。
キランは引っ張った。
コバルトはほとんど動かなかった。
キランは瞬きをした。
「ああ、そうだった」
コバルトがケーブルを強く引いた。
キランは即座に接続を解除した。
「もう二度とやらない!」
マッハが答えた。
「素晴らしい学習能力です」
レイモンドが側面から前進した。
彼は警棒でコバルトの脚部関節を叩いた。
ガキン!
コバルトがよろめいた。
ワイルダーは拘束用ランチャーを発射した。
ケーブルがコバルトの反対側の脚に巻きついた。
キランは加速した。
ドガッ!
MACH-01Aが指揮官の側面に激突した。
コバルトは壁に叩きつけられた。
しかし、倒れなかった。
彼は怒号を上げた。
そして、電磁衝撃波を起動した。
ドォォォン!
爆風がレイモンドを後方へ吹き飛ばした。
ワイルダーは床に倒れた。
キランのシールドが崩壊した。
【シールド機能停止】
【熱的余裕――29%】
マッハが叫んだ。
「キラン! 撤退してください!」
キランはレイモンドを見た。
ベテランの男は立ち上がろうとしていた。
ワイルダーは無線機へ手を伸ばしていた。
コバルトが武器を構えた。
キランは歯を食いしばった。
「嫌だ」
マッハの声が鋭くなった。
「キラン!」
彼は後部スラスターを起動した。
MACH-01Aが猛然と前進した。
シュゴォォッ!
キランはコバルトに真正面から激突した。
ガシャァァァン!
装甲の指揮官は補強された扉を突き破り、後方へ吹き飛んだ。
金属がひしゃげた。
火花が飛び散った。
コバルトは向こう側の部屋に叩きつけられた。
キランは激しく着地した。
スラスターが停止した。
【熱的余裕――14%】
【緊急遮断装置――作動】
マッハの声には緊迫感があった。
「飛行機能が停止しました!」
キランは荒い息をついた。
「わかった……」
彼は壊れた扉を見た。
「今のは、さすがに無茶だったね」
マッハが答えた。
「はい」
レイモンドが近づいた。
「大丈夫か?」
キランはうなずいた。
「だいたいは」
ワイルダーがうめいた。
「もう、その『だいたい』って言うの、やめません?」
キランは弱々しく微笑んだ。
「約束はできないな」
向こう側の部屋でコバルトが動いた。
装甲から火花が散っていた。
しかし、まだ意識はあった。
キランは目を見開いた。
「冗談でしょ……」
レイモンドは武器を構えた。
「動くな!」
コバルトは彼らを見た。
そして、ゆっくりと微笑んだ。
「愚か者どもめ……」
キランは眉をひそめた。
「何?」
コバルトは咳き込んだ。
「俺の役目が、貴様らを止めることだったと思っているのか?」
部屋が静まり返った。
そのとき、中央ディスプレイが起動した。
【最終パージ・プロトコル】
【認証完了率――99%】
【旧式アクセスキー――承認済み】
キランは胃の奥が冷たくなるのを感じた。
「マッハ……」
マッハの声が静かになった。
「最終認証が完了しました」
地下深くの司令室では、ヴェインがメインコンソールの前に立っていた。
マーカス・ヘイル博士は近くの椅子に拘束されていた。
顔は青ざめていた。
その目には恐怖が浮かんでいた。
画面上では、最終認証処理が完了していた。
【プロジェクト・クリーン・スレート】
【旧式認証――確認済み】
【最終パージ・プロトコル――準備完了】
ヴェインは微笑んだ。
「ついに……」
ヘイルは首を振った。
「そんな……」
彼女は振り向いた。
「ありがとう、博士」
彼は彼女を見つめた。
「私はキーを渡していない」
ヴェインは微笑んだ。
「ええ」
彼女は近づいた。
「それよりも価値のあるものをいただきました」
ヘイルは眉をひそめた。
「何だと?」
「元の安全装置を迂回できるという確証です」
彼はコンソールを見た。
複製された認証情報。
偽造された承認経路。
改変された旧式の資格情報。
彼の表情が崩れた。
「予備システムを使ったのか……」
ヴェインはうなずいた。
「そのとおりです」
ヘイルは首を振った。
「リヴァースは正しかった……」
ヴェインは微笑んだ。
「そうかもしれませんね」
彼女は画面へ向き直った。
「ですが、彼はもう死んでいます」
最終起動のカウントダウンが表示された。
【00:10】
【00:09】
【00:08】
ヘイルは拘束具から逃れようと必死にもがいた。
「やめろ!」
ヴェインは無視した。
【00:07】
【00:06】
ギアの工房では、ナサニエルが認証完了の表示を見つめていた。
「そんな……」
ギアが彼を見た。
「何?」
ナサニエルは画面を凝視した。
「あいつら、最終キーを使わずに認証を突破したんだ」
通信回線からマッハの声が聞こえた。
「最終起動まで、残りわずかです」
キランはディスプレイを見た。
【00:05】
彼は拳を握った。
「マッハ!」
「はい?」
「止める方法を探して!」
【00:04】
ナサニエルの手が操作盤の上を素早く動いた。
「待って!」
【00:03】
彼はネットワークの地図を見つめた。
「認証経路が……」
【00:02】
彼の目が見開かれた。
「見つけた!」
【00:01】
キランが叫んだ。
「何を!?」
ナサニエルは画面を見た。
「システムの起動には、まだ市営ネットワークからの生きた通信信号が必要なんだ!」
【00:00】
ヴェインは最終起動命令を押した。
【実行】
画面が激しく点滅した。
【最終パージ・プロトコル――起動】
シトロンシティでは、何百万もの人々が、あと一度だけ、いつもどおりの鼓動を刻んだ。
そして次の瞬間。
何千台ものヴェント機器の表示灯が、一斉に色を変え始めた。




