三分間の沈黙
日曜日の午前六時四十二分。
シトロン総合病院の救急外来は、すでに対応能力の限界を超えていた。
待合室には疲れ果てた家族、負傷した警察官、そして前日の攻撃で機器の異常を経験したヴェント利用者たちがあふれていた。
診察を終えて帰宅した者もいた。
しかし、交換部品が届くのを待っている者や、自分の移動機器が安全に使えるかどうかを技術者が判断するのを待っている者もいた。
病院の設備管理部門には、通常なら一か月かけて受け付けるほどの依頼が、わずか二十四時間で殺到していた。
そして今、市全域に出された最新の注意喚起によれば、さらなる攻撃が予想されていた。
残念ながら、それがいつ起きるのかは誰にもわからなかった。
看護師が患者の記録を抱え、受付の前を急いで通り過ぎた。
その後ろでは、電動車椅子に乗った若い男性が機器技術者と口論していた。
「だから、バッテリーの問題じゃないって言ってるだろ!」
技術者は眉をひそめた。
「お気持ちはわかりますが――」
「いや、わかってない! 昨日、僕の車椅子は七十三秒間動かなくなったんだ。そのあと、誰も触っていないのに勝手に動き始めた。そんなのバッテリーの問題じゃないだろ!」
技術者はため息をついた。
「考えられる原因はすべて調査しています」
若い男性は背もたれに身体を預けた。
「だったら、これをやった連中を調べてくれよ」
部屋の反対側では、テレビが前日に起きたシトロンシティ中央警察署への襲撃映像を流していた。
画面には見出しが表示されていた。
【純化協定が警察署を襲撃――容疑者六人を拘束】
記者が損傷した建物の前に立っていた。
『当局は、襲撃者たちがアダムとパトロールという二人の引き渡しを明確に要求していたことを確認しました。市民と同僚を守ろうとした複数の警察官が負傷しています』
映像が切り替わった。
ワイルダー巡査が画面に映った。
制服には埃が付着していた。
額の一部には包帯が巻かれていた。
記者が彼にマイクを向けた。
『ワイルダー巡査、襲撃者たちはヴェント利用者を守るあなたや同僚の警察官を、人類への裏切り者だと非難したそうですが、どうお答えになりますか?』
ワイルダーは記者を見つめた。
それから背後の警察署を振り返った。
「人を守ることについて謝罪しなきゃならないなんて、知りませんでしたね」
記者は続けた。
『今回の襲撃によって、警察とヴェント利用者のコミュニティとの関係は変わったと思いますか?』
ワイルダーは少し考えた。
「大切なことが示されたと思います」
『それは何でしょう?』
彼はカメラをまっすぐ見た。
「誰かが助けを求めているとき、俺たちはその人の命に価値があるかどうかを決めるために、障害の有無なんて尋ねません」
彼は一呼吸置いた。
「助けるんです」
インタビューが終わった。
数秒間、病院の待合室は静まり返った。
すると、誰かが拍手を始めた。
ほかの人々も続いた。
車椅子の若い男性は微笑んだ。
「やっとまともなことを言ってくれたな」
ギアの工房では、キラン・キリアンが本人いわく残酷で異常な罰を受けていた。
またしても、誰かが自分の車椅子を修理しているのを眺めるしかなかったのだ。
MACH-01Aは後部装甲を取り外された状態で、修理台に載せられていた。
ギアは冷却装置を点検していた。
ナサニエル・ブルックスは診断端末の横に座っていた。
マッハの紫色のアバターが中央ディスプレイの上に浮かんでいた。
そしてキランは普段使いの電動車椅子に座り、ますます我慢できなくなっていた。
「ねえ」
ギアは顔を上げなかった。
「ダメ」
キランは瞬きをした。
「まだ何も言ってないよ」
「MACH-01Aの準備ができたか聞こうとしてたでしょ」
「朝ご飯を食べたい人がいるか聞こうとしてたのかもしれないじゃない」
ナサニエルが彼を見た。
「朝ご飯、持ってきたの?」
キランはためらった。
「……いや」
ギアは微笑んだ。
「じゃあ、いらない」
キランはうめいた。
「君たち、本当にひどいよ」
マッハのアバターが明るくなった。
「昨日の緊急出動では、使用可能な熱的余裕の七十七パーセントを消費しました」
キランは画面を指さした。
「うん、ありがとう。僕もその場にいたから知ってるよ」
「さらに、最後の機動によって二次推進隔離装置に過剰な負荷がかかりました」
「でも生きてるでしょ」
ギアがゆっくりと振り向いた。
キランは即座に視線をそらした。
「冗談だよ」
「面白くない」
「レイモンドは笑ったよ」
「レイモンドは爆発を見ても笑うでしょ」
ナサニエルがうなずいた。
「それは本当だね」
キランはため息をついた。
「誰も僕のよさをわかってくれない」
ギアは冷却装置の点検に戻った。
「問題は飛行システムが動かないことじゃないんだ」
キランは顔を上げた。
「本当に?」
「中途半端に動くせいで、君が無茶をすることだよ」
「ひどい言い方だね」
「正確な言い方だよ」
マッハが熱分布のグラフを表示した。
「現在の出力では、継続的な飛行は依然として危険です。しかし、昨日の記録から、独立した推進回路が電磁攻撃に耐えたことが確認されました」
ナサニエルは身を乗り出した。
「そこが重要なんだ」
彼はデータを拡大した。
「遮蔽は機能した。回路の隔離も成功した。故障の危険を生んだのは電磁干渉じゃなくて、熱だったんだ」
ギアはうなずいた。
「つまり、改善できる」
キランは微笑んだ。
「最高じゃないか!」
ギアは指を一本立てた。
「すぐにできるわけじゃないよ」
笑みが消えた。
「もちろん、そうだよね」
ナサニエルは別の画面に切り替えた。
「それと、もう一つある」
市の地図が表示された。
三つの赤い円が、それぞれ異なる地区を示していた。
港湾地区。
東部通信地区。
そして市営通信ネットワーク。
キランは身を乗り出した。
「中継装置?」
ナサニエルはうなずいた。
「三つともまだ稼働してる」
マッハが付け加えた。
「ネットワークは深夜直前に、さらに一度同期処理を完了しています」
キランは眉をひそめた。
「どれくらいの範囲をカバーしてるの?」
ナサニエルはためらった。
「六十九パーセント」
沈黙が流れた。
キランは地図を凝視した。
「街のほぼ七割じゃないか」
「対応可能と推定される機器全体の七割だよ」とナサニエルは訂正した。「すべてのヴェント機器の七割じゃない。実際に何台を制御できるのかは、まだ正確にはわからないんだ」
キランはうなずいた。
「そうだね」
ナサニエルは続けた。
「それに、次の起動設定はもう完了してる」
マッハが傍受した設定情報を表示した。
【パージ・プロトコル――フェーズ2】
【目標継続時間:180秒】
【市民安全用オーバーライド:無効】
キランは画面を読んだ。
そして、もう一度読んだ。
「三分間?」
マッハが答えた。
「そのとおりです」
キランはナサニエルを見た。
「昨日は七十三秒だった」
「うん」
「それだけでも事故が起きたんだ」
ナサニエルはうなずいた。
キランは地図を凝視した。
「三分も続いたら、誰かが死ぬかもしれない」
誰も反論しなかった。
街の反対側では、マイケイラ・マッキントッシュがシトロン・アカデミーで緊急会議の準備を進めていた。
土曜日のヴェント権利コミュニティフォーラムは、純化協定による最初の一斉攻撃で中断された。
しかし、中止にはなっていなかった。
むしろ、参加希望者は増えていた。
それまで公の場で話すことを恐れていた人々が、今では自分たちの声を聞いてほしいと訴えていた。
教師、障害者権利の擁護者、医療従事者、技術者、そして家族たちが、アクセシブルな緊急連絡体制の整備に協力を申し出ていた。
マイケイラはセリーナ・チョウとともに教室の前に立っていた。
セリーナの車椅子は前日の停止後に点検されていた。
今は再び正常に動いていた。
しかし、彼女はメンテナンス画面に表示される安心させるようなメッセージを、もう信用していなかった。
「始める前に、一つだけはっきりさせておきたいことがあります」
マイケイラが言うと、教室は静かになった。
「これは、障害のない人たちが私たちの安全をどう管理するかを話し合う会議ではありません」
彼女はセリーナを見た。
「一人一人が、自分自身を守るために必要な情報、支援、そして選択肢を得られるようにするための会議です」
セリーナはうなずいた。
「そのとおりです」
マーガレット・ホロウェイが手を挙げた。
マイケイラは微笑んだ。
「マーガレットさん?」
七十一歳の女性は腕を組んだ。
「どうして市は、私たちに家にいろとばかり言うのかしら?」
数人が同意するようにつぶやいた。
マーガレットは続けた。
「仕事がある人もいる。通院の予定がある人もいる。買い物をしなきゃいけない人もいる。それに、誰かの許可なんて取らずに外へ出たいだけの人だっているのよ」
セリーナはうなずいた。
「そもそも、自宅にいても車椅子を遠隔操作で停止させられるなら、安全とは言えません」
マイケイラはボランティアたちを見た。
「だからこそ、緊急支援ネットワークを作ろうとしているんです。人々の行動を制限するためではありません。選択肢を増やすためです」
ボランティアの一人が手を挙げた。
「具体的には、どんな選択肢ですか?」
「影響を受けた機器に関する確認済みの情報。アクセシブルな交通手段の連絡先。緊急時の対応手順。それから、オンラインの申請フォームだけに頼らず、被害を報告できる方法です」
セリーナが付け加えた。
「それと、やってはいけないことも伝える必要があります」
マイケイラはうなずいた。
「お願い」
セリーナは教室へ向き直った。
「誰かの電動車椅子が止まったからといって、いきなりつかんで押そうとしないでください」
驚いた表情を浮かべる人もいた。
「まず本人に、何が必要か聞いてください。手動解除の手順がある車椅子もあれば、そうでないものもあります。安全に動かす前に、姿勢の調整が必要な人もいます」
マーガレットが指を立てた。
「それから、親切のつもりで人の機器の電源を抜いたりしないこと」
ボランティアの一人がうなずいた。
「わかりました」
マイケイラは教室を見渡した。
「必要なのは善意だけではありません。適切な知識を持った人たちです」
彼女のスマートフォンが振動した。
キランからのメッセージだった。
キラン:新しい情報が見つかった。フェーズ2は三分間続く可能性がある。
マイケイラの表情が変わった。
彼女はもう一度メッセージを読んだ。
それからセリーナを見た。
「みんなに準備してもらわないと」
シトロンシティ中央警察署では、エリソン刑事が証拠写真を貼り並べた壁の前に立っていた。
損傷した建物は、警備を強化した状態で業務を続けていた。
複数の出入口は閉鎖されたままだった。
仮設の防護壁が設置されていた。
そして拘束された六人のヌリファイアーは、それぞれ別々に取り調べを受けていた。
ワイルダー巡査が書類を持って部屋に入ってきた。
「おはようございます」
エリソンは顔を上げた。
「頭の具合は?」
ワイルダーは額の包帯に触れた。
「まだくっついてます」
「それは何よりです」
彼は微笑んだ。
「医者には安静にしろと言われました」
「しているんですか?」
「いいえ」
「でしょうね」
ワイルダーは書類を机に置いた。
「昨日の弾道鑑定と装備の報告書です」
エリソンは開いた。
押収された武器には、電磁妨害装置、強化型ライフル、暗号化された通信機器が含まれていた。
装備の大部分は、合法的な産業用部品を使って製造されていた。
製造番号は改ざんされていた。
識別できる刻印がまったくない機器もあった。
ワイルダーは一枚の写真を指さした。
「襲撃者の一人がこれを持っていました」
小型の通信モジュールが写っていた。
エリソンは写真を調べた。
「どこで発見されたんです?」
「指揮官の装甲に取り付けられていました」
「無傷で回収できましたか?」
「ほぼ」
彼女は刻印を調べた。
改造された外装の下に、薄くなった市の備品管理ラベルが見えた。
エリソンは眉をひそめた。
「興味深いですね」
ワイルダーは身を乗り出した。
「何がです?」
「このモジュールは、もともと市の通信部門の所有物だったようです」
彼は彼女を見た。
「盗品ですか?」
「その可能性はあります。あるいは、請負業者を通じて移されたのかもしれません」
彼女は別のファイルを開いた。
エコー・ヴェイルの補足指令。
一部が黒塗りになったA・ヴォスとD・リヴァースの名前が記された承認書。
そして、新たに判明した内部名称。
【クリーン・スレート】
ワイルダーは眉をひそめた。
「つながっていると思いますか?」
「それを突き止める必要があると思います」
彼女の電話が鳴った。
発信者はエヴリン・ウォード中佐だった。
エリソンは応答した。
「エリソンです」
『刑事、新しい情報があります』
「どうぞ」
『クリーン・スレート指令の公文書索引を見つけました』
エリソンは背筋を伸ばした。
「何と書かれていますか?」
『詳しいことはわかりません。文書そのものは依然として閲覧制限がかかっています。ただし、索引では実験的な民間インフラ継続運用計画として分類されています』
エリソンは眉をひそめた。
「継続運用?」
『そう記載されています』
ウォードは一呼吸置いた。
『もう一つあります』
「聞いています」
『最初の承認は、純化協定が公に活動を始める何年も前に発行されています』
エリソンは証拠資料の壁を見た。
「つまり、その名称は組織よりも古い」
『ええ』
「現在の作戦を誰が作ったのか、記録からわかりますか?」
『いいえ。同じ名称だからといって、直接つながっていると決めつけるべきではありません』
エリソンはうなずいた。
「承知しています」
ウォードは続けた。
『しかし、誰かが以前の計画を転用した可能性について調査する、正当な理由にはなります』
エリソンはワイルダーを見た。
「認証済みの索引記録を送っていただけますか?」
『適切な手続きを通じて、証明付きの抜粋を提供できます』
「ありがとうございます、中佐」
通話が終わった。
ワイルダーは腕を組んだ。
「どうやら、ずいぶん昔から存在していたものらしいですね」
エリソンはうなずいた。
「可能性はあります」
彼女は市の備品管理ラベルを見た。
「そして、私たちを襲っている連中は、本来この街を守るための設備を利用しているのかもしれません」
午前八時十六分。
エイドリアン・ヴォスがテレビに登場した。
彼は磨き上げられた演台の後ろに立っていた。
背後の垂れ幕には純化協定の公式紋章が掲げられていた。
記者たちが会場に詰めかけていた。
カメラのフラッシュが彼の銀髪を照らした。
ヴォスは眼鏡を直した。
「昨日の暴力行為は悲劇でした」
彼は一呼吸置いた。
「警察署への襲撃は、決して容認できない事態の悪化です」
一人の記者が手を挙げた。
「ヴォスさん、襲撃者たちは純化協定の紋章を身につけていました」
ヴォスは厳粛にうなずいた。
「ええ。そして、彼らが我々の運動の名のもとに行動したのであれば、その理念を裏切ったことになります」
別の記者が質問した。
「アダムとパトロールの拉致未遂を非難しますか?」
ヴォスの表情は落ち着いたままだった。
「私は、誰に対するものであれ、違法な暴力を非難します」
「質問に答えていません」
ヴォスはかすかに微笑んだ。
「お答えしたと思いますが」
三人目の記者が立ち上がった。
「あなたの組織は、ヴェント技術が公共の安全を脅かすと繰り返し主張してきました。その発言が今回の襲撃を助長した可能性を認めますか?」
ヴォスはマイクを調整した。
「技術の監督体制に対する我々の懸念は正当なものです。残念ながら、双方の過激派がそれを悪用しようとしているのです」
複数の記者が一斉に質問を始めた。
彼は片手を上げた。
「どうか」
会場が静かになった。
「昨日の機器障害こそ、中央集権的な認証制度が必要であることを明確に示しています」
記者の一人が眉をひそめた。
「登録の義務化を提案しているのですか?」
「私が提案しているのは、責任ある管理です」
「ヴェント利用者には拒否する権利があるのですか?」
ヴォスはためらった。
それから微笑んだ。
「公共の安全には協力が必要です」
記者は食い下がった。
「イエスかノーで答えてください」
ヴォスは別のカメラへ目を向けた。
「責任を伴わない自由は、単なる怠慢にすぎません」
その発言は数分以内にニュースサイトへ広まった。
ギアの工房で、キランは放送を見ていた。
彼は画面を凝視した。
「すごいな」
ナサニエルは眉をひそめた。
「何が?」
「あの人、何一つ質問に答えてないよ」
ギアは腕を組んだ。
「それが得意なんだろうね」
マッハは演説の要約を表示した。
「ヴォスは今回も、利用者自身が機器の制御権を保持できるかどうかについて、直接的な回答を避けました」
キランは首を振った。
「誰かが勝手に制御権を奪っているからって、みんなに制御権を手放せと言ってるんだ」
ナサニエルはネットワークの地図を見た。
「しかも、その制御権を奪っている連中は、彼が要求しているような中央集権的な権限を使っている」
キランの表情が険しくなった。
「都合がいい話だね」
午前九時二分。
最初の警告が届いた。
ナサニエルの診断システムが、メンテナンス認証要求の急激な増加を検出した。
全面的な停止を引き起こすほどではなかった。
まだ。
しかし、ネットワークが準備を進めていることを示すには十分だった。
彼はすぐにギアへ連絡した。
「何か起きてる!」
ギアは画面を見た。
「何?」
「中継装置同士が同期パケットを交換してる」
マッハが通信内容を分析した。
「フェーズ2の準備を確認しました」
キランが近づいた。
「あとどれくらい?」
ナサニエルは首を振った。
「わからない」
マッハは急激に変化するグラフを表示した。
「ネットワーク到達率が七十一パーセントに上昇しました」
ギアが悪態をついた。
「スナット!」
キランは市の地図を見た。
「止められる?」
ナサニエルはためらった。
「ここからは無理だ」
「中継装置を一つでも妨害できる?」
「可能性はある。でも、ほかの二つは止まらない」
キランはうなずいた。
「なら、一つ目から始めよう」
ギアが振り向いた。
「キラン――」
「わかってる」
彼はMACH-01Aを見た。
「限定飛行。熱の制限。無茶な機動は禁止」
ギアは目を細めた。
「ずいぶん上手に復唱できるようになったね」
「練習の成果だよ」
マッハが割り込んだ。
「キラン、もう一つ問題があります」
新たな警告が表示された。
【港湾中継拠点――警備活動を検出】
【複数の武装要員】
【ヌリファイアー存在の可能性】
キランは画面を凝視した。
「コバルト?」
マッハが答えた。
「身元は確認できていません」
キランはレイモンドの連絡先を見た。
「だったら、確かめないとね」
レイモンド・ハリソンは、キランから電話がかかってきたとき、アダムとパトロールのそばに立っていた。
三人は警察署の警備された部屋にいた。
アダムは供述書を確認していた。
パトロールは再度の診断を受けていた。
ワイルダーも近くにいた。
レイモンドは応答した。
「どうした、坊主?」
「フェーズ2が始まる」
レイモンドの表情が変わった。
「いつだ?」
「わからない。でも、中継装置が同期してる」
レイモンドはアダムを見た。
キランは続けた。
「港の中継装置を止める必要がある」
レイモンドはうなずいた。
「エリソンがもう許可を取ろうとしてる」
「よかった」
「お前の飛行システムは?」
「動くよ」
レイモンドは片眉を上げた。
「完全にか?」
キランはためらった。
「……必要な程度には」
レイモンドはため息をついた。
「そうだと思った」
アダムが彼を見た。
「何が起きてるの?」
レイモンドが説明した。
パトロールのセンサーが明るくなった。
「港湾中継装置は、物理的に通信を遮断できる可能性があります」
スピーカーからキランの声が聞こえた。
「それを期待してる」
アダムは身を乗り出した。
「だったら、僕たちも行く」
レイモンドは彼を見た。
「ダメだ」
アダムは眉をひそめた。
「何で?」
「お前たちは昨日襲撃されたばかりだ」
「レイモンドだってそうでしょ」
「機器も損傷した」
「パトロールは回復してる」
パトロールが話した。
「主要システムは稼働しています」
レイモンドは腕を組んだ。
「だからといって、また戦闘に参加していいわけじゃない」
アダムは彼を見た。
「レイモンド」
その声は落ち着いていた。
「あいつらは僕たちを探して警察署に来た。警官たちは僕たちを守ってくれた。ワイルダーも守ってくれた」
ワイルダーが顔を上げた。
アダムは続けた。
「みんなが危険を引き受けてるのに、僕だけこの危機が終わるまで隠れていたくないんだ」
レイモンドは考えた。
それからパトロールを見た。
「安全に活動できるか?」
パトロールが答えた。
「移動機能と防御システムは正常です。ただし、電磁遮蔽能力はまだ最適な状態ではありません」
レイモンドはうなずいた。
「なら、最前線には出ない」
アダムが口を開こうとした。
レイモンドは片手を上げた。
「警備された指揮所から通信と避難支援を手伝ってくれ。それも重要な仕事だ」
アダムは少し考えた。
それからうなずいた。
「わかった」
ワイルダーは微笑んだ。
「よし」
アダムは彼を見た。
「ワイルダーも来るの?」
ワイルダーは装備を確認した。
「どうやら俺は裏切り者になっちまったらしいからな。せっかくだし、役に立たないと」
パトロールは首を傾けた。
「その言葉を繰り返し使用する頻度は、統計的に異常です」
ワイルダーはにやりと笑った。
「慣れろ」
午前九時三十七分。
純化協定はフェーズ2を起動した。
命令は爆発から始まったわけではなかった。
警報も鳴らなかった。
劇的な宣言もなかった。
始まりは、たった一行のコードだった。
市営通信地区の地下深くで、技術者が認証キーを押した。
【パージ・プロトコル――フェーズ2】
【実行】
シトロンシティ全域で、何千もの侵害されたシステムが、正規のメンテナンス命令に見せかけた指示を受信した。
拒否したものもあった。
追加認証を要求したものもあった。
しかし、多くが受け入れてしまった。
横断歩道で電動車椅子が停止した。
スーパーマーケットの中で別の車椅子が動かなくなった。
集合住宅の廊下では、三台目の車椅子が反応しなくなった。
シトロン総合病院では、自動搬送用の車椅子がエレベーターの前で停止した。
大学のキャンパスでは、セリーナ・チョウの車椅子に見覚えのある警告が表示された。
【遠隔安全介入が有効になりました】
セリーナは画面を凝視した。
「うそ……」
操作装置が反応しなくなった。
彼女はすぐにスマートフォンの緊急連絡機能を起動した。
街の別の場所では、マーガレット・ホロウェイが外出の準備をしていたところ、車椅子がロックされた。
彼女は下を見た。
そしてため息をついた。
「もう、冗談じゃないわよ」
命令は広がった。
さらに広がった。
止まることなく広がっていった。
【ネットワーク到達率――71%】
【稼働中機器の応答――一部】
【目標継続時間――180秒】
ギアの工房では、ナサニエルが数字の上昇を見ていた。
「キラン!」
マッハの声が鋭くなった。
「フェーズ2が開始されました!」
キランは画面を見た。
市の地図が赤い印で埋まっていった。
胃の奥が冷たくなった。
「何台?」
ナサニエルは首を振った。
「多すぎる」
マイケイラがボランティアと話していたとき、最初の緊急メッセージが届いた。
薬局の外で動けなくなった女性。
大学構内で移動手段を失った学生。
機器が反応しなくなり、エレベーターや廊下で立ち往生している複数の人々。
コミュニティ支援ネットワークには、ボランティアが処理できる速度を超える勢いで救援要請が届き始めた。
マイケイラはすぐに教室全体へ指示を出した。
「みなさん、聞いてください。起動が確認されました」
スピーカーフォンからセリーナの声が聞こえた。
『また車椅子がロックされた』
マイケイラは端末を見た。
「安全な場所にいる?」
『うん。建物の中にいる』
「誰かそばに来てもらう必要はある?」
『今すぐは大丈夫。エラーを記録してる』
「わかった。通話はつないだままにして」
次にマーガレットから電話がかかってきた。
『車椅子が固まっちゃったわ』
マイケイラはため息をついた。
「怪我はありませんか?」
『ないわよ』
「介助が必要ですか?」
『誰か来て、どうしてあの馬鹿どもが私に日曜日を壁とにらめっこして過ごさせたいのか説明してくれるならね』
マイケイラは思わず微笑んだ。
「支援リストに追加します」
『お願いね』
マーガレットは一呼吸置いた。
『それからキランに、私の分も誰かを蹴っ飛ばしておいてって伝えて』
マイケイラは笑った。
「伝えておきます」
通話を終えた。
それからボランティアたちを見た。
「忘れないでください。介助する前に必ず本人に確認してください。正しい手順を知っていて、本人の同意がある場合を除き、無理に手動モードへ切り替えようとしないこと」
ボランティアたちはうなずいた。
マイケイラは緊急対応の一覧を確認した。
報告は届き続けていた。
彼女は時計を見た。
三十秒。
四十秒。
五十秒。
停止は続いていた。
港湾地区では、レイモンドの戦術車両隊がまだ中継施設へ向かっていた。
キランはMACH-01Aで部隊に同行し、熱の蓄積を抑えるため地上走行を使っていた。
安全な通信回線からエリソンの声が聞こえた。
『全部隊へ。現場を確保し、証拠を保全する許可が下りました。この施設は無許可のネットワーク活動に関係していると考えられています』
レイモンドはうなずいた。
「了解」
キランは工業施設の建物を見た。
貨物コンテナが岸壁に並んでいた。
クレーンが港の上にそびえていた。
空気には潮、軽油、濡れたコンクリートの匂いが混ざっていた。
マッハが中継装置のおおよその位置を表示した。
「信号強度が上昇しています」
キランは眉をひそめた。
「どこ?」
「通信倉庫の内部です」
レイモンドは建物を見た。
「やっぱりな」
キランはかすかに微笑んだ。
「どうして悪党って、素敵なパン屋さんを拠点にしないんだろう?」
レイモンドはにやりと笑った。
「書類仕事が多すぎるんだろ」
マッハが割り込んだ。
「複数の敵対的反応を検出」
車列が速度を落とした。
レイモンドは片手を上げた。
「敵だ」
その瞬間、最初の爆発が起きた。
ドォォォン!
貨物コンテナが火花を散らして爆発した。
先頭車両が急ハンドルを切った。
警察官たちは車両のドアの陰へ身を伏せた。
キランはシールドを起動した。
「待ち伏せだ!」
倉庫の屋根から武装したヌリファイアーたちが発砲した。
レイモンドが無線機に向かって叫んだ。
「遮蔽物に隠れろ!」
キランはプラズマ砲を構えた。
マッハが即座に警告した。
「出力制限を忘れずに!」
「わかってる!」
彼は発砲した。
ピュン!
低出力のプラズマ弾が屋根上の防護壁に命中した。
襲撃者たちが散開した。
キランはコンクリートの障壁の陰へ加速した。
熱の表示は安定していた。
今のところは。
そのとき、倉庫から聞き覚えのある声が響いた。
「ウルトラヴァイオレット!」
キランは顔を上げた。
巨大な装甲兵が搬入口の足場に姿を現した。
青い強化装甲。
重厚な電磁遮蔽。
修理された肩部装甲。
コバルトだった。
キランはため息をついた。
「ああ、最悪」
レイモンドはその姿を見た。
「知り合いか?」
「残念ながら」
コバルトは武器を構えた。
「来ると思っていたぞ」
キランは微笑んだ。
「嬉しいこと言ってくれるね」
コバルトのバイザーが光った。
「今度はその翼でも救われまい」
キランはMACH-01Aを見た。
それから彼を見た。
「車輪も持ってきてよかったよ」
戦闘は搬入口の広場全体へ広がった。
ヌリファイアーたちは高所から発砲した。
警察の戦術部隊は装甲シールドの陰から前進した。
レイモンドは移動を指揮し、部隊を遮蔽物へ誘導しながら、敵に車列の側面へ回り込ませないようにした。
キランは貨物コンテナの間を機動した。
プラズマ砲は低出力のままだった。
シールドはときおり銃弾を受け止めた。
そしてマッハは推進システムのあらゆる変化を監視していた。
【熱的余裕――87%】
コバルトが搬入口の足場から飛び降りた。
強化外骨格がコンクリートに激突した。
ズドォン!
キランは振り向いた。
「おい!」
コバルトが突進した。
キランは横へ加速した。
装甲の指揮官はコンテナへ激突した。
ガシャァン!
金属が大きくへこんだ。
キランは微笑んだ。
「相変わらず運転が下手だね」
コバルトは振り向いた。
「面白いと思っているのか?」
「別に」
キランはグラップラーを構えた。
シュパッ!
ケーブルがコバルトの前腕に巻きついた。
キランは引っ張った。
コバルトはほとんど動かなかった。
それどころか、ケーブルをつかんだ。
キランの笑みが消えた。
「あっ」
コバルトが強く引いた。
MACH-01Aが前方へ引きずられた。
マッハが叫んだ。
「グラップラーを解除してください!」
キランは接続を切った。
ケーブルが外れた。
コバルトは後ろへよろめいた。
キランは加速して離れた。
「よし。新しい作戦だ」
マッハが答えた。
「できれば直接的な肉弾戦を減らす方向でお願いします」
「賛成」
コバルトが電磁ランチャーを起動した。
キランのバイザーが点滅した。
【電磁兵器を検出】
「マッハ!」
「独立回路、準備完了!」
パルスが直撃した。
ズザァァァッ!
キランのシールドが明滅した。
推進システムは動き続けていた。
しかし、熱負荷が上昇した。
【熱的余裕――72%】
キランは歯を食いしばった。
「まだ耐えてる」
マッハが答えた。
「はい。ただし、継続的に受ければ危険です」
コバルトは目を見開いた。
「何だと?」
キランは微笑んだ。
「驚いた?」
彼はコンテナの周囲を加速した。
コバルトが再び発砲した。
パルスは何もないコンクリートを直撃した。
キランは反対側から現れた。
「ねえ、コバルト!」
指揮官が振り向いた。
キランは頭上のクレーンのフックへグラップラーを発射した。
ケーブルが接続された。
マッハが即座に警告した。
「キラン、飛行制限が――」
「飛んでないよ!」
彼は巻き上げ装置を使い、MACH-01Aを搬入口の広場で横方向へ引っ張った。
急激な移動によって、コバルトの側面へ回り込んだ。
キランは低出力のプラズマ弾を発射した。
ピュン!
弾が外骨格の損傷していた肩部装甲に命中した。
コバルトはよろめいた。
「ぐあっ!」
キランはにやりと笑った。
「まだ痛む?」
コバルトは怒号を上げた。
再び突進した。
しかし、その背後にレイモンドが現れた。
「おい!」
コバルトが振り向いた。
レイモンドは戦術用拘束装置を発射した。
強化ケーブルがコバルトの脚に巻きついた。
指揮官が体勢を崩した。
キランが加速した。
ドガッ!
MACH-01Aがコバルトの外骨格の側面に激突した。
装甲の指揮官は貨物コンテナへ叩きつけられた。
レイモンドが叫んだ。
「今だ!」
警察官たちが前進した。
しかし、コバルトは緊急脱出用の爆薬を起動した。
ドォォォン!
煙が搬入口の広場を覆った。
キランのセンサーは一時的に視覚情報を失った。
マッハが警告した。
「熱的余裕、四十九パーセント!」
キランは煙を見た。
「コバルトは?」
「撤退しています」
レイモンドは咳き込んだ。
「やっぱりな」
キランはため息をついた。
「あいつ、逃げるのだけは本当に上手だよね」
通信倉庫の内部では、中継装置がまだ稼働していた。
安全な通信回線からナサニエルの声が聞こえた。
『キラン、停止はまだ続いてる!』
キランは建物を見た。
「あとどれくらい?」
マッハが答えた。
「百三十八秒が経過しました」
キランは目を見開いた。
「残り四十二秒」
ナサニエルが割り込んだ。
『それは設定された継続時間だよ。港の中継装置を隔離できれば、追加の命令を送るのを防げるかもしれない』
レイモンドは倉庫の入口を見た。
「どれを切ればいいかわかるか?」
ナサニエルはためらった。
『まだだ。内部の構成を確認しないと』
エリソンの声が通信に入った。
『慎重に進めてください。証拠の保全が必要です』
キランはうなずいた。
「了解」
彼は戦術部隊とともに倉庫へ入った。
内部では通信設備が何列も並び、低い動作音を響かせていた。
ケーブルが天井を走っていた。
冷却ファンの一定した機械音が空気を満たしていた。
マッハが室内を走査した。
「中継信号を検出」
キランは表示された印を追った。
倉庫の奥には、強化された機器収納盤が設置されていた。
ディスプレイにはこう表示されていた。
【分散型コンプライアンス・ネットワーク】
【地域ノード――港湾】
【状態:稼働中】
キランは画面を凝視した。
「見つけた」
ナサニエルの声が鋭くなった。
『インターフェースを見せてくれる?』
マッハが映像を送信した。
ナサニエルは調べた。
『なるほど。これは普通の市営中継装置じゃない』
キランは眉をひそめた。
「じゃあ何?」
『改造された認証ゲートウェイだ』
「停止できる?」
『可能性はある。でも、いきなり電源を切らないで』
キランはケーブルを見た。
「そんなことするつもりないよ」
マッハが答えた。
「表情からは、そう考えているように見えました」
キランはため息をついた。
「裏切り者」
ナサニエルは続けた。
『バックアップの送信機があるかもしれない。間違った部品を外すと、証拠を失うだけで装置は動き続ける可能性がある』
レイモンドが近づいた。
「なら、どうすればいい?」
ナサニエルは構成を調べた。
『外部送信インターフェースを探して。制御モジュールとは物理的に分離されているはずだ』
マッハが一つのパネルを強調表示した。
「発見しました」
キランはレイモンドを見た。
「部隊で確保できる?」
レイモンドはうなずいた。
「ああ」
戦術部隊の警察官たちが機器の外装を開いた。
ナサニエルは識別作業を指示した。
接続部分を撮影した。
機器の識別番号を記録した。
そして、無許可の外部送信インターフェースを隔離した。
中継装置の状態が変化した。
【地域ノード――港湾】
【外部送信停止】
キランは画面を見つめた。
「成功した?」
マッハがネットワーク通信を分析した。
「港湾中継装置からの命令送信は停止しました」
ナサニエルは息を吐いた。
『成功だ』
キランは微笑んだ。
「一つ目、完了」
しかし、マッハが別の警告を表示した。
【東部中継装置――稼働中】
【市営中継装置――稼働中】
【フェーズ2――継続中】
彼の笑みが消えた。
「残り二つか」
午前九時四十分。
設定された三分間の停止が終了した。
街の各地で、一部の車椅子は正常な動作を再開した。
しかし、手動での復旧作業が必要なものもあった。
保護機能による故障状態に入ってしまい、動かないままの機器も複数あった。
緊急サービスは対応に追われていた。
シトロン総合病院では、患者搬送用の車椅子がエレベーターの近くで動けなくなったままだった。
大学では、セリーナの車椅子がようやく反応した。
彼女は息を吐いた。
「やっと……」
スマートフォンの記録を確認した。
三分間。
百八十秒。
彼女はその数字を凝視した。
それからマイケイラからのメッセージを見た。
マイケイラ:無事?
セリーナは返信した。
セリーナ:うん。でも、こんなことを二度と起こさせちゃいけない。
シトロン・アカデミーでは、マイケイラが緊急対応の一覧を見つめていた。
報告は届き続けていた。
介助なしで移乗しようとして転倒し、負傷した人がいた。
緊急の診察予約に間に合わなかった人もいた。
暑い屋外で立ち往生した人もいた。
被害の全容は、まだわかっていなかった。
マイケイラはボランティアたちを見た。
「すべて記録し続けてください」
一人がうなずいた。
「みんなには何と伝えればいいですか?」
彼女は考えた。
そして答えた。
「攻撃はひとまず終わった、と伝えてください。危険が去ったとは言わないで」
地下の司令部では、ヴェインがフェーズ2の報告を見ていた。
【起動完了】
【継続時間――180秒】
【港湾ノード――オフライン】
【東部ノード――稼働中】
【市営ノード――稼働中】
コバルトが彼女の前に立っていた。
肩の装甲は損傷していた。
またしても。
ヴェインは彼を見た。
「失敗したな」
コバルトは拳を握った。
「ウルトラヴァイオレットに妨害されました」
「当然だ」
「警察も同行していました」
「それも想定内だ」
コバルトは画面を見た。
「しかし、フェーズ2は成功しました」
ヴェインはデータを調べた。
「部分的にはな」
彼は眉をひそめた。
「司令官?」
「街は三分間、無力さを味わった」
彼女は彼へ向き直った。
「それが目的だ」
コバルトはうなずいた。
「しかし、港湾中継装置は失われました」
「そうだ」
彼女は残りのノードを見た。
「そして今、英雄どもは我々のネットワークを理解したと思い込んでいる」
コバルトは考えた。
「実際には?」
ヴェインはかすかに微笑んだ。
「理解していない」
彼女は別の画面を起動した。
【最終パージ設定】
【分散型認証オーバーライド】
【主制御――市営ネットワーク】
【副制御――東部中継装置】
【フェイルセーフ経路――有効】
コバルトは画面を凝視した。
「港湾中継装置は、最初から必須ではなかったのですか?」
「役には立った」
ヴェインは市の地図を見た。
「しかし、妨害に耐えるよう設計されたシステムが、たった一つの構成要素に依存するはずがない」
彼女は中央コンソールへ近づいた。
「最終起動の準備を始めろ」
コバルトはうなずいた。
「いつです?」
ヴェインは微笑んだ。
「連中が勝ったと思ったときだ」
その日の午後、キランはギアの工房へ戻った。
MACH-01Aの冷却システムは最大出力で稼働していた。
後部スラスターは停止していた。
港から撤退する最後の段階で、熱的余裕は二十一パーセントまで低下していた。
ギアは報告書を凝視した。
それからゆっくりとキランを見た。
「二十一」
キランは弱々しく微笑んだ。
「二十三よりはいいでしょ?」
ギアは目を閉じた。
「スナット」
マッハのアバターが現れた。
「厳密には、キランの発言は数学的に誤っています」
キランは眉をひそめた。
「え?」
「二十一は二十三より小さい数字です」
「ありがとう、マッハ」
「どういたしまして」
ナサニエルが中央モニターへ近づいた。
「みんな」
ギアは顔を上げた。
「何?」
「港湾中継装置の認証ログを分析してたんだ」
キランは背筋を伸ばした。
「何かわかった?」
ナサニエルはうなずいた。
「重要なことが」
彼は暗号化された命令署名をいくつも表示した。
「港湾中継装置は、停止命令を生成していなかったんだ」
キランは眉をひそめた。
「じゃあ、何をしてたの?」
「中継してただけ」
マッハがデータを分析した。
「確認しました」
ナサニエルは続けた。
「命令は別の場所から発信されていた」
ギアは地図を見た。
「市営ネットワーク?」
「たぶん。でも、もう一つある」
ナサニエルは一連のデータを強調表示した。
「この署名は、古い認証形式と一致してる」
キランは画面を凝視した。
「エコー・ヴェイル?」
ナサニエルはゆっくりとうなずいた。
「そこから派生した何かだ」
マッハが別の結果を表示した。
【旧式命令構造を確認】
【元の名称:クリーン・スレート】
キランは画面を見た。
「クリーン・スレート……」
ギアは腕を組んだ。
「ヴェインの作戦だ」
ナサニエルは首を振った。
「かもしれない。でも、このコードはもっと古い」
マッハが答えた。
「基礎となる構造は、純化協定の現在のネットワークより以前に存在していたようです」
キランは画面を凝視した。
「つまり、誰かが古い軍事システムを持ち出して、こんなものに作り替えたんだ」
ナサニエルはうなずいた。
「そう見える」
彼の表情が険しくなった。
「そして、これを作り替えた人間は、元のシステムの仕組みを完全に理解していた」
シトロンシティ中央警察署では、エリソンが正式な捜査経路を通じて同じ情報を受け取っていた。
彼女は技術報告書を調べた。
それからレイモンドを見た。
「港湾中継装置のデータで、クリーン・スレートが単なる名称ではないことが確認されました」
レイモンドは眉をひそめた。
「どういう意味だ?」
「命令の構造が、古い計画から派生しているようです」
彼は証拠資料の壁を見た。
「リヴァースは?」
エリソンはためらった。
「最初の承認書に署名したとき、彼がどこまで理解していたのかは、まだわかりません」
レイモンドはうなずいた。
「でも、止めようとはした」
「これまでに回収した記録によれば、本人の直接的な同意なしに民間へ展開することに異議を唱えていました」
レイモンドはうつむいた。
しばらく、何も言わなかった。
それから静かに口を開いた。
「ダニエルは聖人じゃなかった」
エリソンは耳を傾けた。
「あいつは間違いを犯した。それも、とんでもなく大きな間違いをな」
レイモンドはかつての戦友の写真を見た。
「でも、自分が何を作る手助けをしてしまったのか、気づいたのかもしれない」
エリソンはうなずいた。
「その可能性はあります」
レイモンドはため息をついた。
「そして、それを正そうとしたのかもしれない」
数秒間、二人とも何も言わなかった。
そのとき、エリソンの電話が鳴った。
彼女は応答した。
「エリソンです」
相手が早口で何かを話した。
彼女の表情が変わった。
「確かですか?」
耳を傾けた。
それから立ち上がった。
「住所を送ってください」
レイモンドが顔を上げた。
「何があった?」
エリソンは通話を終えた。
「見つかりました」
「何が?」
「元のクリーン・スレート計画に関わっていた市の請負技術者です」
レイモンドは背筋を伸ばした。
「まだ生きてるのか?」
「ええ」
「どこだ?」
エリソンは上着をつかんだ。
「東シトロン地区です」
レイモンドは彼女についていった。
「名前は?」
彼女は振り返った。
「マーカス・ヘイル博士です」
午後七時十八分。
マーカス・ヘイル博士が事務所を出ようとしていたとき、ドアがノックされた。
彼は六十三歳だった。
元システム技術者。
市のインフラ関連のコンサルティング業務を引退していた。
そして、クリーン・スレートの最初の認証構造に関わった、数少ない存命の専門家の一人だった。
彼はドアを見た。
「どなたですか?」
声が答えた。
「配達です」
ヘイルは眉をひそめた。
「何も注文していませんが」
声は落ち着いていた。
「マーカス・ヘイル博士宛てのお荷物です」
彼は慎重に近づいた。
そして立ち止まった。
何かがおかしかった。
彼は防犯モニターを見た。
ドアの外には二人の男が立っていた。
どちらも黒っぽいジャケットを着ていた。
荷物は持っていなかった。
ヘイルは後ずさった。
心臓が激しく鼓動し始めた。
彼は電話へ手を伸ばした。
しかし、番号を押す前にドアが内側へ爆発した。
ドォォォン!
ヘイルは床へ倒れた。
煙が事務所を満たした。
襲撃者の一人が入口から踏み込んだ。
肩には白い円の紋章があった。
純化協定。
ヘイルは目を見開いた。
「そんな……」
襲撃者が武器を構えた。
「ヘイル博士」
ヘイルは必死に後ずさった。
「頼む――」
襲撃者が近づいた。
「ヴェイン司令官がお話をしたいそうです」
ヘイルは首を振った。
「私は何も知らない!」
襲撃者は首を傾けた。
「なら、いくつか質問に答えるくらい問題ないでしょう」
彼はもう一人の男へ合図した。
「連れていけ」
ヘイルは机へ向かって這おうとした。
しかし、二人目の襲撃者につかまれた。
彼は叫んだ。
「助けてくれ!」
最初の襲撃者が彼を殴った。
ヘイルは崩れ落ちた。
男たちは彼を入口へ引きずっていった。
外には黒い車両が待っていた。
エンジンはかかったままだった。
襲撃者たちはヘイルを後部の荷室に押し込んだ。
そして走り去った。
数分後、警察車両が到着した。
しかし、マーカス・ヘイル博士の姿はすでになかった。
ギアの工房では、キランが港湾中継装置のデータを確認しているときに、その知らせを受け取った。
彼はメッセージを凝視した。
「冗談でしょ」
マッハが答えた。
「残念ながら事実です」
ギアが彼を見た。
「何があった?」
キランは画面を向けた。
【マーカス・ヘイル――拉致】
【純化協定の関与が疑われる】
ナサニエルは眉をひそめた。
「マーカス・ヘイルって誰?」
キランはクリーン・スレートの記録を見た。
「これを止める方法を知っているかもしれない人だ」
ギアの表情が険しくなった。
「スナット」
マッハが新しい警告を表示した。
【不明な暗号化通信】
【発信元――特定不能】
キランは画面を見た。
「今度は何?」
歪んだ声が工房に響いた。
『ウルトラヴァイオレット』
キランは動きを止めた。
声は続けた。
『ずいぶん忙しくしているようだな』
マッハは信号の追跡を試みた。
「発信元は隠蔽されています」
キランは身を乗り出した。
「ヴェイン?」
小さな笑い声が聞こえた。
『ヴェイン司令官からよろしくとのことだ』
キランの表情が険しくなった。
「ヘイルはどこだ?」
声は質問を無視した。
『貴様は我々の仕事を妨害した』
キランは拳を握った。
「これからも妨害するよ」
『もちろんだ』
声は一呼吸置いた。
『だからこそ、選択肢を与えてやろう』
キランは画面を凝視した。
「何の選択?」
映像が表示された。
マーカス・ヘイル博士が椅子に拘束されていた。
顔にはあざがあった。
意識はあった。
そして、恐怖に震えていた。
キランは胃の奥が冷たくなるのを感じた。
声は続けた。
『明日の正午、東部通信地区へ来い』
ギアが近づいた。
キランは何も言わなかった。
『一人でな』
マッハが即座に警告した。
「キラン、明らかな罠です」
声が笑った。
『当然だろう』
キランはヘイルを見つめた。
「行かなかったらどうなる?」
声が冷たくなった。
『博士は死ぬ』
沈黙。
キランは画面を見つめた。
それからゆっくりと身を乗り出した。
「罪のない人を脅せば、僕が諦めるとでも思ってるの?」
声が答えた。
『いや』
一呼吸。
『貴様が来ると思っている』
通信が途絶えた。
キランは何も映らなくなった画面を見つめた。
ギアは腕を組んだ。
「一人では行かせないよ」
キランはギアを見た。
「わかってる」
マッハのアバターが明るくなった。
「それに、作戦もなしに再び電磁兵器の待ち伏せへ飛び込むことは認めません」
キランはかすかに微笑んだ。
「それもわかってる」
ナサニエルは市の地図を見た。
「東部中継装置はまだ動いてる」
安全な通信回線からレイモンドの声が入った。
『キラン』
彼は顔を上げた。
「レイモンド」
『聞いたぞ』
キランはため息をついた。
「うん」
レイモンドの声が力強くなった。
『ヘイルを取り戻すぞ』
キランはうなずいた。
「それから中継装置も止める」
『そのとおりだ』
ギアが修理台へ近づいた。
「だったら、作業を始めないと」
キランはMACH-01Aを見た。
損傷した冷却装置。
修復された推進回路。
紫色の装甲。
彼の友人。
彼の翼。
彼は微笑んだ。
「よし」
マッハのアバターが明るくなった。
「また無茶な冒険の準備を始めましょうか?」
キランはにやりと笑った。
「もちろん」
市営通信地区の地下深くで、ヴェインは最終起動までのカウントダウンを見つめていた。
【最終パージ・プロトコル】
【システム準備完了率――82%】
【ネットワーク到達率――74%】
【東部中継装置――稼働中】
【市営制御――稼働中】
コバルトが彼女の隣に立っていた。
「ウルトラヴァイオレットはメッセージを受け取りました」
ヴェインはうなずいた。
「来るだろう」
「警察も一緒に?」
「ほぼ間違いなくな」
コバルトは微笑んだ。
「ならば、まとめて始末できます」
ヴェインは市の地図を見た。
「そうかもしれんな」
彼女は別の画面を起動した。
【プロジェクト・クリーン・スレート】
【最終認証が必要】
【旧式アクセスキー――未取得】
コバルトは眉をひそめた。
「キーですか?」
ヴェインは監視カメラの映像を見た。
マーカス・ヘイル博士が、補強された部屋の中で椅子に拘束されていた。
「ヘイル博士は、そのありかを知っている」
コバルトはうなずいた。
「拒否した場合は?」
ヴェインは微笑んだ。
「この街がどれほど多くのものを失うことになるか、思い知らせてやればいい」
彼女はカウントダウンへ向き直った。
数字は減り続けていた。
そして、そのはるか上では、何百万もの人々が、明日も自分たちの日常が続くと信じて暮らしていた。




